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彩遊記

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南日本新聞コラム・国家と日常とデザインと

f0084105_1027518.jpg一九九七年二月、『国家総設計士』と呼ばれた“鄧小平・元国家主席”が亡くなった。今からちょうど十年前のことである。現在、中国の進むカタチの原型をデザインしたのがその彼だ。
『国家総合デザイナー・鄧小平』が考えたことは、政治は社会主義でありながら、経済は、それとは一見矛盾した『改革開放』だった。 まずは『経済特別区』と呼ばれる小さな窓を作り、そこから資本主義の近代化の風を内部にまで送っていこうと考えた。

縁あって、ぼくが初めて中国での生活をスタートさせたのが、鄧小平の亡くなる二ヶ月前のことだった。一九九六年年十二月三十日、北京空港は大雪だった。仕事先である桂林へ向かう中国南方航空は、半日待ったのにもかかわらず出発中止。その日は空港近郊の広大な畑のなかにポツンと建つ施設に案内され、寒さに震えながら宿泊した。

次の日は大晦日だった。結局、予定より三十時間近くも到着が遅れ“気持ちはピリピリ・身体はフラフラ”な状態で、始めての地、桂林へと降り立った。完成仕立てのピカピカの空港には、これからの仕事先である学校の先生たちがぼくの到着を待ちうけていた。

当時、携帯電話はもちろん、電話もなかなか見当たらない。連絡手段も無く、二日間にわたり彼らは空港で待機していたという。それが、いまでは携帯電話だけで4億台。隔世の感がある。学校内にある住まいのガタついた窓から見える風景は、ゴミの散らかった草地が広がり、その向こうには山水画のような山々が見えていた。

夕方になると牛追いの少年に導かれ、ゾロゾロと水牛が草を食べに来ていた。山々に沈む夕日を見ながら、ここは異国なんだなあと、つくづく思ったものだ。その草地もいまでは十七階建ての高級マンション群に変わった。当時の面影などまったくない。

『国家総合デザイナー・鄧小平』が言った有名な言葉に“白猫でも、黒猫でもよい。ネズミを捕るのがいい猫だ”というものがある。つまりお金持ちになるのだったら、白猫でも黒猫でもどっちでもいいじゃないか。社会主義だって本質はみんなが豊かになることにある。だから、資本主義的と思われがちな方法も活用しよう。そして豊かになれるものからに豊かになろう。というものだ。
でも政治は社会主義。これがよく言う『社会主義市場経済』ってことになる。

このような大きなうねりの中において、ぼくの小さな日常生活といえば、次の四つが織り成していた。第一はデザイン教師として学生たちとの係わり。第二は職場の同僚との係わり。第三は買い物や食堂などでの、一般の人との係わり。第四はマスコミ、インターネットなどの情報との係わり。この四つの係わりの糸が、上下左右に微妙に揺れながら、時には激しくぼくの中で大きな記憶を紡いでいった。この地、桂林において、中国を感じた十年だった。
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by ogawakeiichi | 2007-02-04 10:28 | 南日本新聞コラム
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