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彩遊記

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南日本新聞コラム・匂い

f0084105_22541714.jpgこのところずいぶん東京―鹿児島―中国(上海、桂林)と往来した。昨年末から数えると十回以上にもなる。

それぞれの街に到着して空港を出ると、そこでは五官で感じとれるそれぞれ特有の感覚が立ち上がる。

とくに東シナ海を挟む日本と中国と間では、匂い、照明の明るさ、騒音の音色、皮膚にまとわりつく大気の違いが、はっきりと身体感覚として感知できる。

なかでも、ぼくの“匂い”や“音”の記憶は、過ぎ去った場所や時間としっかり結びついているようだ。

以前暮らしたことのある場所を再訪した際、その土地に特有な“匂い”や“音”に触れると、一瞬にして、過去の体験が呼び戻される。

鹿児島に戻ると、鹿児島での記憶を瞬時によみがえらせてくれるのは、熱燗焼酎の匂いと、軌道敷を走る市電の音だ。わずかな期間、離れていただけなのに懐かしささえ覚えてしまう。

それとは逆に、桂林に戻ると、職場に向かう途中で食べていたセイロに並ぶ湯気の出る肉まんの匂いがある。ここのおやじさん、ぼくが桂林へ戻ると、たいてい一個サービスしてくれる。まさか、あやしい肉じゃないよなぁ・・。

昼休みを告げる校内放送の学生の声。そして一時期、ひっきりなしにかかっていた「ピンチー・ブー(浜崎歩)」の曲でも、瞬時に過去の記憶がよみがえる。

“匂い”と結びついた、記憶では、ちょっと辛い思い出もある。

一つは、桜島から降る火山灰の匂いに、出口のなかなか見えない徹夜続きのデザイナー修行時代を思い出す。灰の降る朝、目を真っ赤にして自転車を飛ばして仮眠に帰る日々。ドカ灰の降り続くイヤな年だった。

二つ目は、桂林の水墨画の師匠の部屋。そこで匂うちょっと腐った墨滴。模写の続く毎日にいいかげんイヤ気がさしたが、なかなか次へのステップの許しがでない。そのせいか墨滴の匂いをかぐと、水墨を描く頭の回路が瞬時でつながる。

さて、先月末は大都会、東京にいた。東京の匂いといえば、縦横無尽に走りまわる東京の地下鉄や交通機関に使われる機械オイルと、六本木界隈・ミッドタウンあたりの新築ビルがかもし出すかすかな匂いが脳裏に残る。

東京は、高層ビルがスマートに、そしてクールにそれなりにエネルギーを発散させている。控え目ではあるが、そこにはしたたかに計算された欲望のシステムの匂いも漂う。

比べて中国の大都会、魔都と呼ばれた上海だが、霞んだ空に、趣向を凝らし自己主張する高層ビルが林立する。しかも、そのビルの谷間や裏手には、漢方薬の香りをプンプンさせ量り売りする薬局や、あやしげな串焼きなど屋台が軒をならべる。

来年春には日系の「上海ヒルズ」が誕生する。その内装設計に携わる友人と、四九二メートルにまで伸びた超高層ビルを望める路地に立ち並ぶ、屋台の匂いに誘われた。お互い自己責任で、エイヤーと飲んだ。

活気溢れるにぎやかな通りには排気と香辛料の匂い、ダイレクトな人間の欲望と生活の匂いがあった。 
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by ogawakeiichi | 2007-11-05 17:02 | 南日本新聞コラム
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