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彩遊記

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南日本新聞コラム

最近、パソコンに向かって文字を打つことがおおい。
石のように固まった姿勢が続き、漢字の変換にとまどい苛立ってくる。集中力が次第に無くなり、ふとやってくる“魔”に落ち込むこともしばしばだ。その“魔”というのは文字の変換ミスにまったく気づかないこと。原稿をネットで送り終え、誤植した自分の文章に出会うと、タラーっと冷や汗の出る奇妙な感覚に襲われる。

以前は、手書きされた原稿を写植屋さんが、文字をひとつ、ひとつ、ドラムに巻いた印画紙に焼付けていったものだ。変換ミスというより、文字の拾い間違いが多かった。
誤植してしまうのはほとんどが漢字だ。「若い夢」が「苦い夢」に「手首」が「生首」になり、「社会正義」のつもりが「社会主義」になった致命的な誤植の歴史もある。意味が通るだけに始末が悪い。  

ぼくも編集が絡んだデザインのときはつねに校正と誤植には悩まされてきた。あがってきたゲラと自分の書いた生の原稿を一字一句見比べながら校正をしていくのだが、文字だけを追いすぎると、似たような文字が、なにくわぬ姿で居座っているのを“ふっ”と見落としてしまうことがある。あれだけ校正したのになぜなんだよ~と、きつねにでもつままれたような気分になる。性格的に校正はあまり得意ではない。そのことを周囲の仲間たちもよく知っていて、誰かが必ず宝物探しのようにおもしろがって発見してくれたものだった。

ある日のこと、超特急で催し物の印刷物を制作することになった。ところが納品された印刷物を見ると、主催者の『□□友好協会』を、『□□女好協会』と誰も気づかない誤植のまま刷り上ってしまったのだ。関わったスタッフは当然全員真っ青。デザイナー、写植、印刷の担当者、製版の校正者それぞれどうなることかと戦々恐々。今、振り返っても悪夢だが、しかし、相手先は怒りながらあきれながらも笑いとばして許してくれた。
今でも頭があがらない。

さてここ中国では、日本語をちょっとしたファッション感覚でパッケージや看板などに使われることがある。そこでは海外ならではの日本語の誤植を見つけ出す。中国に足を踏み入れ、すこしでも生活した人なら誰でも経験したことがあると思うが、ありえない日本語たちが、時々ぼくの目に飛び込んでくる。そして時に固まり、時に一人で苦笑し、時には周囲をはばからず大笑いしてしまう。

以下はその一例。『元気ごすか。まあまあごす。』『きれいごす』。「で」と「ご」の打ち間違い。まさか相撲部屋用語?
「テンプラ」が「テンプチ」。「ソーセージ」が「ソーセーヅ」。「ペンギン」が「ペソギソ」などなど、日本人に見てもらえば瞬時に間違いが判るものばかり。とはいうものの、日本で氾濫する英文もおそらく多くのヘンテコなものがあるのだろう。
今朝のこと「シャンプー」のラベルが「ミャンプー」になっているのを見つけた。誤植なのか、それとも猫用シャンプーなのか。きょうも一人笑いをこらえている。
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by ogawakeiichi | 2007-11-05 18:57 | 南日本新聞コラム
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