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彩遊記

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朱舜水とは?

f0084105_22475837.jpg日本で始めて「ギョーザ」を食べたのは、どうやら水戸のご老公、黄門様(徳川光圀)。
「福包(ふくづつみ)」と呼ばれる「ギョーザ」を食べたという記録が残っているらしい。

いまから約三世紀ちょっと前のこと大陸からやって来た『朱舜水(しゅ・しゅんすい)』という学者に教わったという。

この『朱舜水』とはナニ者か?
『朱舜水』の研究は、日本ではまことに遅れているらしい。

ぼくは、ひょんなことから、中国語の文献探しの命を受け、それまで全く知らなかったこの人物の歴史に立ち向かう羽目になった。

きょうはその『朱舜水』と、その周辺のことを書いてみる。

ときの中国大陸は、明の末期。領内では流賊が立ち回り、領外からは異民族進入に脅かされ、ついに明は滅亡へと向かっていく。

『朱舜水』は明の復興を胸に、大陸沿岸、日本、ベトナムと東アジアの海を十数回の往来を経て方策を練るのだが、明の滅亡とともに九州・長崎へと亡命してくる。六十歳をもって日本へ帰化。

世界史がアジアを揺さぶり始めた時代だ。江戸の幕府は鎖国をもってそれに対処する。

『朱舜水』が日本へ亡命してきたのはちょうどその頃のことだ。

激動する東アジアの波濤を越えた大義の学者『朱舜水』亡命のうわさは江戸まで届く。
かねて学問に興味津津の黄門様は、『朱舜水』を招き入れ、彼が亡くなるまでの十七年の間、歴史という流れを語り合う。
水戸藩は日本の歴史における正当性の問題に立ち向い、それは歴史書『大日本史』となっていく。

振り返ってみれば、大陸からの亡命者『朱舜水』は、尊皇攘夷、水戸学から、明治維新へと連なる時代へのエンジンになっていた

上海から高速道路を南へ下ること約三時間、紹興酒で有名な『紹興』の街へ着く。その近くで『朱舜水』は生まれた。

数年前の夏のこと。骨董の中国家具を求めて、ギャラリーのオーナーと、この街をたまたま訪れた。郊外の薄暗い体育館のような広い倉庫には、中国全土から集められた年代物の家具が立ち並ぶ。  

長い歳月で傷んだ部分の修復を経て、アンティックな家具として、東シナ海への船出を待っていた。

この東シナ海をはじめて闊歩したのが「倭寇」という集団だ。
「倭寇」という名称は、中国と韓国の史料にでてくる言葉であるが、日本を拠点とする日本人とは限らない。

国籍など持たない違う場所の出身の者たちが国家でない東シナ海を舞台に連帯した無国籍のアウトローの集団だ。

国と国のフレームをまたぐアウトローの流れは日本人の母と中国人の父との間に生まれた『鄭成功』(近松の浄瑠璃・国性爺合戦モデル)や『朱舜水』にも繋がっていく。

最近、ぼくの頭の中は『朱舜水』をきっかけに、国と国との明と暗、光と闇。それに属さない国境を越えるアウトロー。おまけに冷凍ギョーザの問題が絡み合い、国家とはなんぞや?と、考え込む日々だ。
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by ogawakeiichi | 2008-05-02 22:50 | 南日本新聞コラム
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