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彩遊記

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中華と周縁

f0084105_2381077.jpg古い話だが、いまから二十五年前、ぼくはチベット亡命政府のある北インドの街、『ダラムサラ』にいた。

山の斜面にある寺院のような極彩色の図書館の二階では、世界中から来た画学生が仏教画を学んでいた。

ある日、難民として世界に散らばっているチベット人が集まり、国民体育大会なるものが開かれた。そこには国土の無い政府があった。

小じんまりした街を歩くと、チベット仏教の独特のお経、鐘や太鼓やラッパの音がどこからともなく響いてくる。

街角でスケッチを始めても刺すような視線を感じるインドと違い、インドに居ながら街の喧騒から逃れられる、ほっとできる場所でもあった。

いまから十年前のことになる。こんどは亡命政府の故郷であるチベットの省都『ラサ』にいた。
この町は富士山とほぼ同じ三千七百メートルの高さにある。ダライ・ラマが亡命前に住んでいた

「ポタラ宮殿」への階段では、高山病からくる頭痛でなんどもなんども座りこんだ。
やっとの思いでたどり着いた宮殿の屋上で、スケッチブックを取り出した。屋上から見る“聖地・ラサ”は、ここはチベットなのか?と思わせるほど、中国化していた

十三階のポタラ宮殿は部屋数が千室以上、公開されていない部屋も多数あるという。チベット高原・ラサの街のどこからで、も見える巨大戦艦のような建物だった。

中国のネット新聞、人民中国によると「・・人口の五パーセントに満たない官僚・貴族・上層寺院が、ほぼ全ての土地・草原・山林と大部分の家畜を所有し、人口の九十五パーセント以上を占める農奴や奴隷に対して非常に残酷な統治を行っていた。・・」と書いている。

ぼくの中国の友人は、「チベット族は兄弟だ。ダライ・ラマ一派から奴隷にされていたチベット族を、共産党の人民解放軍が救い出した」と言う。長野での中国人留学生へのインタビューでも「チベット族は兄弟」と言っていた

傲慢にも受け取りかねない、こう言い切る根源を知りたくなった。

中国の人々の思想の深層を古代から流れているものに、高校の頃、漢文で習った『孔子』の儒学がある。

儒学の流れは、「自分を磨き、家族を大事にして、国を治め、世界を平定する『朱子学』」という思想になる。

「弟よりも兄を、兄よりも父親を、父親よりも国王をというふうに、つねに年上の人を重んじ、目上の人を重んじなさい」という教えでもある。

古き時代の日本的家族の郷愁を感じさせる。江戸時代、日本は中国をモデルにして国のしくみをつくってきた。とくに孔子の考えを発展させた『朱子学』をヒントにしていた。そのせいかもしれない。

『朱子学』は、自己愛から家族愛、郷土愛、そして国家愛から大統一へと向かっていく。軽度の場合は笑いあえるが、極めつけの愛は、みぐるしい暴力沙汰とも背中あわせだ。

チベットの問題は『朱子学的な“愛”で迫る中華と、中華に対する、周縁チベットの反発』そんな気がする。
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by ogawakeiichi | 2008-05-02 23:13 | 南日本新聞コラム
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