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彩遊記

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中国古代思想

 もともとこの世はドロドロとした卵状のカオスであった。多くの民族がそうであるように、中国の始祖伝説にも、天地を開闢した“盤古”と呼ばれるビッグバンの創造神がいる。それに続くのは“禹、台駘、女窩、共工、蚩尤、混淆”の六身の洪水神。戦い、水を治めて神話に残った。そして残った王のもとには文化がつくられていく。

 洪水神の一人である“夏王朝”を築いた“禹王”もまた、世界のヒーローやヒロインにはつきものの、フラジャイルをもった『欠けた王』である。彼の“偏估”のコズミック・ステップは、古代中国舞踏そして芸能と生まれ変わっていく。  この“禹王”の時代、洛水から現れた一匹の亀に纏わる“洛書伝説”がある。伝説ではその“神亀”の背に、一から九までの数が“神紋”をなしていたという。“神紋”は縦横斜めどの方向から数えても、足した数の合計が必ず十五になる「九宮図」と言われるものだ。この天が与えた“符号”はその後『周易』ルーツとなり、中国における学問、政治、文化のfrom編集のベースになる。


 さて、紀元前2300頃“夏”の時代、亀の甲や動物の骨は“神の意思”を“裂け目”で知るものであったが、紀元前1600年頃、“殷”の時代にはいり、骨にはヒトが刻んだものも現れてくる。“刻む”リズムは、点から線、そして面へ符号から絵文字へと変化していく。  

“神権政治”のこの時代、甲骨文字を使うようになる。そしてそれは“国構えの発見”へと繋がっていく。『淮南子』では“漢字の起源”を四つの瞳をもつ観察眼鋭い『蒼頡』にあるとする。鳥獣の足跡にヒントを得た“鋭い四つの瞳”はフラジャイルな“化外伝説”であるのだが、漢字は一線一画を神の巫祝として、人々がその時代の求めに応じてつくっていった憑坐(よりまし)であった。


 デザイナー杉浦康平は、「漢字は『場』と非常に深く関わろうとする強い意志をもっていた。漢字には人間の内部に潜む深い生命記憶というものが封じこめられている」と言う。広がる大地、その中の四隅の結界で囲まれ配慮された『場』に封じ込まれた生命記憶。それが漢字であり、漢字の方形たる由縁でもある。白川静は「文字はトポグラフィックであって、万古の風景の記憶ともいうべきものであり、しかもそこにはつねに唸るような声がともなっている」と言う。 

 ちなみに口(国構え)だが、それは囲・回・国になり、一文字がそれぞれ世界模型になっていく。中国は都市を“城市”と書く。城壁に“回”りを“囲”まれた“国”であり生体膜としての都市生命体の外包は“夷”であり、大地から構造を切り取った内包が“城市”として、国構えに囲まれた“国”でもあるのだ。

 王と神とをつなぐ方法として生まれた漢字は、記憶を記録するメディアになり、世界は古代記憶の編集作業へとはいっていく。紀元前4世紀頃、中国は百家争鳴、諸子百家による思想の華が咲く、儒教では、とくに重視される文献を「経」とし織物の「たていと」に喩えた。道教では緯(よこいと)とする「緯書」という文献も作られていく。古代思想センター諸子百家はそれぞれの記憶を漢字を使い記録していくようになる。


 儒家・道家・法家・墨家に強い影響を与えたものに陰陽思想がある。これは、宇宙の最初は混沌(カオス)の状態であると考え、この混沌の中から光に満ちた明るい澄んだ気、すなわち陽の気が上昇して天となり、重く濁った暗黒の気、すなわち陰の気が下降して地となったというモノ。これをベースに、この二気の働きによって万物の事象を理解し、また将来までも予測しようとした。  世界の開闢伝説とビックバン盤古伝説にも繋がる陰陽思想は、もとはといえば、上記した洛書伝説“神亀”の“神紋”に起源をもつ。この“洛書の神紋”の解釈により、陰陽、五行、易、気学へと。そしてその嚆矢は時空を飛び越え、コンピューターの二進法に影響を与え、八卦の思想はバイオの64進法に影響を与えた。

それは豊後、国東の三浦梅園にも突き刺さる、彼は老荘思想、タオイズム、陰陽哲学、易の見方を背景に“玄語”として表していく。  諸子百家の時代は“戦国の世”でもあった。思想は生きる方策でもある。鄒衍は陰陽思想に五行説をむすびつけ、いよいよ時代は始皇帝の秦の統一へ。しかし始皇帝は書を体制を揺さぶるものと考え“焚書坑儒”を行った。かろうじて易関係は焚書をまぬがれのだが・・。

 初の中国統一“始皇帝“は泰山で天に対して感謝する「封」の儀式と地に感謝する「禅」の儀式“封禅“をおこなう。そのころ共済共存の共同体ネットワークである同姓をもととする宗族は『周易』を基とする陰陽五行の思想により「鎮守の森」的な社稷の壇を一族のイコンといて族産にしていく。始皇帝の統一は郡県制による商業都市ネットワークの確立でもあった。のちの漢の武帝はといえば典型的な事業型。帝国の外で営まれた商取引も手中に収めることを狙い、みるみるうちに南越王国から西域諸国征服していく。

 秦の始皇帝、漢の武帝ともに不老不死にあこがれ神仙道にあこがれた。なかでも始皇帝の徐福を東渡させ三神山で不老不死の仙薬を得ようとした伝説は有名だ。後漢の末、西暦200年頃、神仙道は道教へTO編集され、不老長寿の願望は葛洪の錬丹術へと繋がっていく。                      

さて、中国は紀元前400年頃の戦国時代をへて比較的安定していくのだが、じつはここには七夕伝承ともいえる物語がある。天なる西王母が、東王父あるいは地上の王者と交渉や交流をするという伝説だ。その伝承は洪水神“禹”と西王母との交流であったり、また漢の武帝と西王母との会合であったりする。中国社会が安定した力をもってからは、遠方の西王母が地上の王者を訪ねてくるというパターンになっていく。こんな伝承が中国にはずっと流れていた。古代中国の安定の秘密にはこんな伝承物語も潜んでいたのだ。    
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by ogawakeiichi | 2008-06-03 10:40 | アジア史&思想
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