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彩遊記

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五輪と国家

f0084105_11411153.jpg八月八日八時八分。ラッキーナンバー『八』が連なるこの日時、北京オリンピックが開幕する。
中国の街々では、北京オリンピックのスローガン『一つの世界、一つの夢』がプリントされたTシャツを着た人で溢れている。

しかし、北京で暮す一般の人々、海外からの留学生、駐在員にとっては、ワクワク感より、テロに対する中国政府のピリピリ感で、夜の街では、うかつに酔っ払えないという。
国家が国旗をもって入場するオリンピックは、日頃、意識しない『自分の国』に思いを巡らす。

誰もが『自分の国』を応援する、にわかナショナリストになる。
とくに中国の場合は“愛国教育”の影響もあって、五星紅旗を振り回し、異常なほどに盛り上がる。

もともと国家というもの、力をもった親分が、「ここは俺様の縄張りだ!」と、支配する範囲を枠で囲うことにはじまった。

『国』という、字は、□(クニガマエ)の枠で囲まれている。はるか昔、その境界線は、河や、砂漠や、山の稜線であった。

次にその小さな枠同士が、消滅、拡大を繰り返し、次第に国としてのカタチをつくっていく。
そこに、経済システムが生まれ、外からの圧力に対抗するため軍事力が生まれ、義務教育、裁判制度、医療制度などが生まれてきた。国家が営業をやってきた。

オリンピックの開会式で入場行進する選手は、営業するどこかの『国』に属すことになる。

国境線を簡単に消したり引いたりするわけにはいかない。それが『国境』というものだ。
しかし、この国境の枠を超え、国籍を変えオリンピックを目指す選手もいる。巨大な人口をもつ中国は特に多い。『海外兵団』と呼ばれて非難、恐れられてもいる。

国家の看板を背負って戦う選手と、プチ愛国心で盛り上がる表舞台の裏には、選手としてではなく、選手や大会を支える『国』の枠を越えた人々もいる。

スポーツやデザインの世界では、指導コーチは、自国の人間とは限らない。

入場行進でプラカードを持つ中国人女性をはじめ、開会式のイベントに出演する中国人のコスチューム・デザインは、日本人の「石岡瑛子」。大陸での様々な軋轢を乗り越えデザインの真骨頂を見せてくれるはずだ。

中国を代表する名アタッカーだった中華の英雄「郎平」は、中国での何不自由のない地位を捨て、アメリカ・ナショナルチームの監督として自国で開催する北京五輪へ乗り込む。

日本バドミントン界に旋風を巻き起こしている女子ペア、オグシオのコーチも中国人だ。

一方、中国に渡り、シンクロナイズドスイミング中国ナショナルチームを指導するのは日本人の「井村雅代」ヘッドコーチ。過去、日本のシンクロにメダルをもたらし続けたカリスマ指導者だ。

祖国に牙を剥くと形容されながらも、海を渡り、自分の理想の姿を追い求める指導者たち。オリンピックの試合終了の瞬間に、それぞれの夢をかけた「第二のドラマ」が完結する。
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by ogawakeiichi | 2008-08-07 11:41 | 南日本新聞コラム
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