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彩遊記

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為替レート

アメリカ発のサブプライムに端を発し、円と株価が振り回されている。
株はやらないから、イマイチ臨場感がないのだが、円高、円安に関しては、長い間、気に留めている。

格別、関わりたいわけでもないが、海外生活や長期の海外旅行をしていると、手持ちの日本円やドルを、現地通貨と交換する。そのとき気になるのが「為替レート」だ。

はじめて海を越えたのは、いまから三十年前のこと。世界を自由に見てみたかったぼくは、手っ取り早く渡航資金をつくるため信州長野のダム工事現場で働いた。危険と隣り合わせのヤバイ仕事だったが、日当だけは良かった。

そこで稼いだ旅の資金を、盗まれないよう腹に巻き、気に入った場所をスケッチしながら、陸路でヨーロッパを目指す旅に出た。旅行期間は一年間。今で言う、バックパッカーのはしり。堅気の仕事にも就かない、スケッチ一本の覚悟の旅だ。

まずは鹿児島から船で沖縄へ南下。沖縄で乗り継いだ船は石垣島を経由し、まだ薄っすらと朝モヤのかかる台湾北部の港、基隆(キールン)へはいっていく。

甲板から見える街並みは明らかに日本と違っていた。接岸する船体のかすかな震動とともに、初めて足を踏み入れる外地に対する不安、やっと手にした資金と時間、そしていよいよはじまる旅への期待で、なぜか鳥肌が立っていた。

フリー旅行のガイドブックなんてない時代だ。行った先で情報を仕入れ、その情報をもとに、宿屋や、次の行き先を決めていた。

やっと稼いだ虎の子の日本円を現地通貨へ変えるとき、ほんの少しでもレートのよい場所や日を狙う。銀行や両替商の前を通るたび、店頭に表示してある為替レートに眼を留めていた。

今でも円価格の動向が妙に気になるのは、当時の体験からきているのだろう。

話は遡るが、高校二年の冬のこと。ぼくは当時の厚生省指定の難病とやらにかかり、絶対安静の入院生活を余儀なくされた。結局入院は一年近く続き、高校は留年。はやくも人生の一般ルートから大きく外れることになる。  

青春の真っ盛り、十七歳での長期入院は自暴自棄の日々だった。

そんな入院生活のある日のこと。天井のシミを何気に、じ~っと見ていると、そのシミがふっとカタチに見えはじめ、さらに、上空から見下ろす山々や森や街にみえてきた。空を飛ぶ鳥になったような気分だった。

単調な入院生活に、自分の脳が妄想を生み出したのかもしれない。

このちょっと奇妙な体験は、自暴自棄の当時の僕に、病を全快させ、世界を見てみたいと強く思わせるようになっていた。

腹巻に資金を抱いて、為替レートを気にしながらの最初の旅のきっかけはこんな理由だ。
さて、陸路でヨーロッパを目指したこの旅だが、旧ソビエト連邦の、アフガニスタン軍事侵攻であえなく断念。インドで往生することになる。

いま思えば、サブプライム問題同様、ここでも大国のエゴに振り回されていた。
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by ogawakeiichi | 2008-11-04 19:07 | 南日本新聞コラム
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