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彩遊記

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カテゴリ:建築と情報( 6 )

都市のイメージ

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「ケヴィンリンチ・都市のイメージ」←丹下健三訳・・・

道を見つける過程における重要な手がかりは、環境のイメージである環境のイメージとは個の人間が物理的外界に対して抱いている総合的な心象のことである。

現在の見たままの知覚と過去の経験の両者から生まれていく。

そこから情報を解釈して行動を導くためのイメージを、それぞれが用いて行動している。

つまり鮮明なイメージを生み出す生き生きとした物理的背景というものは、また社会的役目も果たすものである。

ケヴィン・リンチは、都市の環境イメージをアイデンティティ identity(そのものであること)、ストラクチャー structure(構造)、ミーニング meaning(意味)の3つの成分に分析した。

とくに『都市のイメージ』では、アイデンティティとストラクチャーの2つに絞り込んだ。

ケヴィンリンチは満足できる都市の形態をつくるためには、5つのエレメントがあり、これらの相互作用を考慮して組み合わせる必要があると書く。

リンチのいう都市のイメージタイプとは、次の5つだ。


パス path 道路
  人が通る道筋。
  街路、散歩道、運送路、運河、鉄道など。
エッジ edge 縁
  連続状態を中断するもの。地域の境界。
  パスにならない鉄道路線、海岸、崖など。
ディストリクト district 地域
  比較的大きな都市地域(部分)。
  その内部の各所に同質の特徴がある地域。
ノード node 接合点、集中点
  重要な焦点。
  交差点、広場、ロータリー、駅など。
ランドマーク landmark 目印
  外部から見る道標。比較的離れて存在する目印。
  建物、看板、モニュメント、山など。

都市のデザインという芸術?は他の芸術とは本質的に異なっていること。都市のイメージは変化していくこと。←これは、どのデザインにも言えると思う。なぜなら切り取られたデザインには時間軸が作用してないからだ。そんなデザイナーなんて、都市建築系の他には、おいらしかいない。←言い過ぎだろ~笑

目指すべきは、視覚的に把握できる、分かりやすい都市。ランドマーク(目印)やパス(道路)がたやすく見分けられ、しかも都市の全体的パターンを容易に理解できるもの。分かりやすさが都市環境にとって決定的に重要である。

つまり、利便性のある都市とは環境イメージの鮮明さと一貫性が決定的条件になるのである。

『都市のデザインの芸術が高度に発展するかどうかは、批判力をもつ注意深い聴衆が誕生するかどうかにかかっている。 もし芸術と聴衆が成長するならば、われわれの都市はそのときこそ、その数百万の住民の毎日の生活を楽しくする源泉となることができるだろう。』
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by ogawakeiichi | 2011-02-21 10:08 | 建築と情報

ウィトルーウィウス建築書

f0084105_773674.jpg◯ウィトルーウィウス建築書は、世界史のなかで建築について最初のバイブル的な記述書です。

◯建築を語るにはこの本を読まずして語るなかれと言われる本です。←建築系の先輩がそう言った。

◯今、ネットの古本街を検索すれば比較的容易に探せますが、当時、ありとあらゆるところを探したのですが、なかなか見つからなかった本でもあります←建築科のある某大学前の古本屋でやっとみつけた。

◯「建築」architecturaとは、たんなる建築術だけではなくて、諸技術の原理的知識を擁した職人たちの制作を促し指導しうる工匠の術の全般にかかわること」を指していました。

◯ウィトルーウィウスによって書かれた「建築書」は、都市文化の全知全能をめぐるための技法書でした。

◯古代ローマ時代の城郭の設計者ヴィトルーヴィウスはこの本のなかで、建築物の構造設計とは「自然との調和である」と述べています。

◯さらに『強(フィルミタス)・用(ウティリタス・美(ウェヌスタス』という建築の三大要素を挙げています。←これは超有名。

◯「強がなければ用は果たせない、強と用がなければ美は形だけのもの、そして、美がなければ建築とはいえない」

◯具体的に言えば、『強さの理』とは、基礎が強固な地盤まで掘り下げられ、材料の中から惜しげなく十分な量が注意深く選ばれている場合に保たれる。

◯『用の理』とは、場が欠陥なく使用上支障なく配置され、その場がそれぞれの種類に応じて方位に叶い具合よく配分されている場合に保たれる

◯『美の理』とは、建物の外観が好ましく優雅であり、かつ肢体の寸法関係が正しいシュムメトリアの理論をもっている場合に保たれるであろう。というものです。

◯『強・用・美』は、のちにヘンリー・ウォットンによって『喜び(ディライト)・堅固(ファームネス)・利便(コモディティ)』とも言い換えられました。

◯この「強、用、美」の理は現代でも生き続け、古代ローマ時代と現代の時間的な隔たりをなんら感じさせません。

◯現代デザインの表層は時代とともに刻々と変化し、現代の建築と古代ローマの建築、全く違った外観、機能を持っていますが、しかし、そこに立ち向かう基本的な構えは変わっていないのですね。
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by ogawakeiichi | 2011-01-29 07:05 | 建築と情報

パノプティコン

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「パノプティコン」とは18世紀のイギリスで考案された監獄。囚人からは監視者が見えないけど 常に見張られていると思い込まされているというシステム。

この写真は香港に乱立する高層住宅だが、ある位置から眺めると、類としての建築分母と、個としての部屋分子が一様に見渡せるのである。

つまり、ミクロとマクロを同時に見渡せる。ぼく個人的にはミクロとマクロの視点はあまりにもかけ離れていて、そのあいだをつなぐものがどうも見えないという不満があり、ミクロとマクロの中間のメゾ領域を扱う「複雑系」の分野に嚆矢が向いているのだが、今回は文脈が違いすぎるので、それはそれとして・・

パノプティコンを正確に言うと、この写真とは異なり、円筒・円柱のカタチをした建築の中心に監視人を配置する。その設計図は下。
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【一望監視装置】であるパノプティコンは、見る=見られるという一対の事態を切り離す建築的な仕掛けであって、その円周状の建物の内部では人は完全に見られるが、決して見るわけにはいかず、中央部の塔の中からは人は一切を見るが決して見られはしないのである。つまり全体を大雑把に見て個の動向を察するということだが、それより重要なことは、一人ひとりが常に監視されているということを自らに先取り的に内在化させ、その自己監視のもとでの自己反省による律していくように訓練されることで、自己秩序を作動させるということにある。

もっと具体的に言えば、たとえば赤信号で止まるのは、「赤信号では止まらないといけない」といった価値観・規範はインプットされた主体による判断に基づくものだが、これをパノプティコンという建築装置によって監獄の監視システムに応用した。

パノプティコンについてのわかりやすい説明をみつけた。(大手二大代理店、グーグル、独立と華麗なる遍歴のブロガーだ)
〈引用開始〉
mediologic.com/weblog
イギリスの哲学者ベンサムによって1971年に提唱され、ミシェル・フーコーの『監獄の誕生』で現代思想の一部に組み込まれた概念に“パノプティコン”というものがある。

「一望監視装置」とも言われるそれは囚人監視の仕組みの一つ。監視施設を中心にして、囚人の“房”が放射状に配置され、監視員から見たときに全ての“房”は明るく、囚人の動きを一望できるようになっているものの、囚人側から見ると監視施設は暗く、中の人の動きは見えないという構造になっている。

この構造は非常に利に適っており、必要最小限の監視員だけで全ての囚人を監視することができるのだが、もっと言えば、もしその監視員が監視施設の中にいなかったとしてもその監視施設は機能する。それは囚人からは監視施設に人がいるかどうかは元々見えないゆえに、「常に見られている」という感覚にさせることができるからである。これを、アダム・スミスの「見えざる手」に対しベンサムは「見えざる目」を開発したという的を得た指摘もあるが、ベンサム自体はそうは考えてはいなかった。

ベンサムは「最大多数の最大幸福」という言葉生み出した功利主義者であり、この考え方は“快楽は善、苦痛は悪”ということにあり、それまで酷い環境であった監獄をよりよい環境にするためには、「すべて pan 見る optic 」=一望監視施設 panopticon が必要で、それによって経済的な運営と囚人の福祉が守られ、世の中にとって利になる、と考えたのである。

一方、ミシェル・フーコーは『監獄の誕生』の中でこのパノプティコンを、管理された社会システム、統制された環境を指すものの比喩として使った。つまり「実際は監視されていないのに、監視者を意識下に作り上げ従うこと」あるいは「実際には機能していないもののあたかもそれがあるだけで、監視されているような気にさせてしまうもの」が、今では“パノプティコン”という言葉が持つ意味となっている(例えば前者は「みんなに見られているからダイエットしなければならない」と自分で思い込むことであり、後者は実際には撮影機能の無い監視カメラなどである)。

最近関わった仕事を通じ、この“パノプティコン”という言葉を久しぶりにふと思い出したわけなのだが、それはやはりフーコー的な意味でのそれであった。

とりわけインターネットの世界では、新しい考え・新しい仕組みが出てくれば出てくるほど、それらを受け入れられず“監視せねば”という姿勢になってしまう人々も増えてくる。しかしながらネットビジネスにおいて起こっていることは、古いビジネスの仕組みを一度再構築し新たな社会的功利をも生み出すというものも多い。

つまり“監視する”だけでなく、新たな仕組みをどうとらえそこで“利”の分配がいかになされるか、という方法を考えるほうが前向き。

功利主義者ベンサムが本来目指した「最大多数の最大幸福」につながるべきなのだが、どうも今まだ残るパノプティコンは「最大多数の最大不幸」につながってしまっているものはまだまだあるな、と思う今日この頃である。

しかしながらこうしたパノプティコンは社会的な要求に崩されてしまうだろう、と僕は考えているので、まぁ、時期を待とう。なかなかこの辺、「何を夢物語を」という感じにとらえられてしまい、理解されない部分ではあるのだが。〈引用終り〉
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by ogawakeiichi | 2009-05-05 09:51 | 建築と情報

建築に夢をみた

f0084105_84464.jpg シンプルで力強い造形に心惹かれてはいたものの、安藤忠雄の創作エネルギー体をもっと知りたいと思ったのは、瀬戸内海・直島でジェームス・タレルとのコラボレーション“南寺”を見てからだ。

“極限まで剃ぎ落とした安藤建築”が“静粛なタレルの光のアート”を程なく包み込み、淡白で美味な日本料理を頂いた感覚だった。

 自分の思想と、他人の思想を融合させるコラボレーションは絶えず他者との緊張関係を余儀なくされる。若い頃シベリア横断鉄道でヨーロッパに入りアフリカ、アジア各地を歩いてきた。“信じるものは自分の目”と言い饒舌で気の短い安藤には似合わない世界だと思っていた。

 わたしの安藤イメージは、プロボクサーのライセンスを持ち、大阪弁で建築思想を連射しながらグッグッと押してくる高卒の東大大学院教授“グレートな難波の機関銃”なのだ。     

 

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by ogawakeiichi | 2009-03-16 08:04 | 建築と情報

内藤廣『建築的思考のゆくえ』

f0084105_1494737.jpg先日、桂林で世界を渡り歩いている建築家にお会いした。以前、丹下健三事務所にいたという。

もうそれだけで、参りましたって感じだった。やはり、ブランドを茶化しながらもブランド力に弱い自分を思い知ることになる。彼の語る建築の中に内藤廣の構造主義が幾度か語られたのだが、恥ずかしながら建築家内藤廣の作品写真すら見たことがなかった。I千夜千冊にある『建築的思考のゆくえ』からポイントを抜粋しながら、内藤廣を浮き上がらせてみよう。

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今の日本の建築家でデザインを告発できるのな内藤廣くらいのものだ。彼は建築は個性やおもしろみを前提にする必要はもはやないんじゃないかと言った。近代建築という瀕死の重傷患者をなんとか生きのびさせるために、デザインがダシに使われているという。近代建築の延命とデザイナー自身の延命のために、実はデザインこそが瀕死の重傷を負っている。だったらデザインにこだわらなくてもいいのではというのが、内藤さんの言い分だ。

建築家は長らく「私性」を背負ってきたようだが、その「私性」を問うているうちに、そのことがなにを意味するのか、わからなくなってきたのが、最近の建築の実情ではないかとも言っている。

内藤廣は素形と時間の建築家である。空間ではなくて時間を大切にする。
建築家からすれば、どんな場合も空間は制度にのりやすい。だからだれもが空間をデザインする。そうしていさえすれば、場所ともかかわれるし、個性も発揮できる。

建築の機能とは空間を特定することであり、特化することなのである。
しかし、その空間によって人間は制度の網目にのせられて、抑圧されてもいる。

だからそこに、時間のフィルターを持ち込まない限り、空間はいくらでも自在なかたちを主張する可能性と暴力性をもっている。言い換えれば空間は人間を一方的に抑圧する装置の王者だ。

近代建築は多くの場合、無時間の建築を目指してきている。
都会の高層ビルは夜中に見ると、ときどき時間にそっぽを向いている。

近代機能主義の建築が時間を省みない建築が多く、そんな無時間の空間で人間生活が耐えれれるわけがない。

そこで、内藤廣は三重県鳥羽に造った『海の博物館』でそのことを確かめた。

時間を取り戻そうとすると、空間を原初のかたちに削いで考えなければならないことに気づいた。これはどういうことかと言うと、いったん建築作品であることを保留して、それを倉庫や墓場や作業場としてみなしていくのだ。それでも、そういうことをしているとそこに最後に残ったかたちが見えてくる。素形とはそういうことを言うのだ。

しかし、素形だけでは建築にならない。それを組み合わせ、光を浴びさせ、風を通さねばならない。地震にも雪にも潮にも耐えなければならない。表情をもたせる必要がある。なによりもそこで人がなにをするのかということがかかわってくる。

いったん素形にそがれた空間は饒舌で小うるさい主張をしなくなる。このことを『建築のはじまりに向かって』という本のなかで、『時の介在した空間をうみだす』とか『失われた時をもとめて』と書いた。よくも得意手を封じたものだ。

建築家は空間を相手にしていればいちばん楽なのだ。それを時間を相手に建築を立ち上げるなんて、とんでもない修羅場を自分に化したものだ。
これが、内藤さんの建築家の心なのだろう。 
松岡正剛『千夜千冊より引用あり』
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by ogawakeiichi | 2006-06-14 10:42 | 建築と情報

建築における日本的なもの・磯崎新

f0084105_17584783.jpg磯崎新「建築における日本的なもの」

磯崎新の著書を読むことは、彼の建築を見ることよりも建築的だ。というのは、建築物に関する文章に潜んだ彼のことばの構築の思考回路が、あたかも建築物を構築するように、一つずつ読んでいかないと理解できないことにある。半端な想像力だけではとてもまにあわない。読み手のかってな想像だけでは、現実社会とのかかわりをもった建築に関する磯崎新の思考回路をたぐるのは難しいのだ。

そういう僕も、。これを機会に磯崎新に食らいついていこうと思う。

そもそも彼が、建築における日本的なものを考える切っ掛けは、昭和初期に建築家タウトが伊勢神宮を絶賛したことにはじまる。以後、伊勢神宮を見ることは、パルテノン神殿とともに世界の建築家の最終巡礼地のような様相になってきた。

なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」は西行法師が伊勢神宮を訪れたときに詠んだ歌である。

磯崎新が『建築における日本的なもの』を書くにあたって、彼はこの「なにごとの・・」にはじまるこの特定できないものの正体が、「日本」や「日本的」なものじゃないだろうか、と仮定していく。

さらに彼は若いころから建築家として次の疑問をもっていた。
日本には、西洋的な「広場」が定義しにくいこと。それをあえて定義すれば、「界隈」とか「あたり」を持ち出すしかないこと。神も人格神や、形象的な神ではなく気配のようなものであること。その神が到来する場所は「ヒモロギ」や「ニワ」や「シメナワ」で仮に区切った結びでしかないこと。

結局、そうした日本の観念や精神のよってきたところを追及しようとすると「ヒ」(霊魂性)と「」(生命性)としかいいようがないと結論づけ、それ以来、日本の原型をととめる「イセ」や「カツラ」を本格的に検討しはじめた。

日本の建築界が伊勢神宮に関心をよせはじめるのは、1930年代に入ってからだ。先ほども述べたが「伊勢神宮こそ全世界でもっとも偉大な独創的な建築である」といったブルーノタウトの影響が大きかった。

ぼくは、06年10月にはじめて伊勢神宮を訪ねた。清清しい凛とした空気感に触れるのは久々の感覚だった。伊勢神宮には社殿を建替え、御装束や御神宝を新調して神さまにお遷り願う20年に一度おこなわれる式年造替がある。※次は平成25年。

磯崎新は、イセにあるものはこの式年造替に象徴される「始原もどき」ではないかと仮説した。
人々がイセに魅せられるのは、実はなかったはずの起源が隠されているからであり、そきにある建造物、そこで行われる祭、歴史的成立の事実すべてのことが隠されている。そのことが、イセの基本になっているのではないだろうかと仮定した。

いいかえると、地上に建てられているイセの神宮建築そのものは、その始原より以前を隠すために建てられたということだ

起源を隠すことが企てられ、そこに祭られているカミもまた、隠されることを必要とした。それを隠すための手段がイセのデザインを決定づけているということだ。

たとえば、正殿のデザインがクラとして用いられていた高床の校倉つくりであるのは、倉庫がモノを隠すことの比喩だからだ。

すなわち建築を発想に関して「始原をかくす」のに、高床の校倉つくりはきわめて適切な発想だ。西行法師が「なにごとのおわしますかはしらねどもかたじけなさに涙こぼるる」と詠んだのも、この建築装置にあった。

西行だけではなく、西行ー世阿弥ー利休ー芭蕉のラインには、この「知らねども」や「・・・」が必ずあった。道元の禅にも、人形浄瑠璃にも写楽の浮世絵にも、これがあった。“これ”とはなにかといえば、「始原もどき」対する日本人の感受性のことだ。世阿弥や芭蕉、道元が言った「触れるなかれ、なお近寄れ」の気分のことだ。

しかし、もうすこし突っ込んで「始原もどき」に迫ってみると、それはおそらく「イツ」(稜威)ということだろう。

山本健吉は、この「イツ」を。生き延びる力の根源になるパワーを引き込むことと言っている。その力を得ることで未来への継承を可能にしていくような力のことである。

その「イツ」が動くとき、あるいはそれに触れようとするとき、近代日本はそれを復古主義、国粋主義と勘違いしてしまった。

出入りしたのは「イツ」だけではなく、ウツ(空=充)、ミツ(満=密)もある。いずれにしても、「イツ」なるものには論理やことばになりにくい。なぜなら、それは戦争や、知識の力で凹んだ暗い部分なのではなく、そのような暗い部分をもともともったCPUみたいなものなのだ。そのイツやウツやミツが、「始原もどき」のモドキとして、隠れているものだ、現れるものになった。こうして「日本的なもの」は、建築と器物と芸能を行き来するようになったのだ。
松岡正剛『千夜千冊より引用』
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by ogawakeiichi | 2006-06-13 12:34 | 建築と情報