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彩遊記

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カテゴリ:アジア史&思想( 55 )

アジアのリメス変遷

これはイイ。ようつべより拝借
by ogawakeiichi | 2010-02-10 11:53 | アジア史&思想

天孫降臨と騎馬民族


オザワンの韓国における講演だが、彼が話す江上学説であるところの騎馬民族征服は最近では劣勢だ。しかし、遡ること神武の4代前、天孫降臨した二二ギが渡来系であることはまちがいない。天孫降臨のメタファーを外からの渡来に当てたのではと思う。

ちなみに、ぼくはニニギの御陵の下、薩摩川内市御陵下町で生まれた。

ニニギノミコトの奥さんは、阿多のコノハナノサクヤ姫。その子は山幸彦、その奥さんはトヨタマヒメ、その子はウガヤフキアエズ、その奥さんはタマヨリ姫、その子が、神武天皇になり東征していく。この段階で天津神(天孫族)と国津神(地元族)の血は1/8.

この地元の神々は、薩摩半島に住む姫様たちだ。その後、その子孫が熊襲征伐にやってくる。裏を返せば、この地から東征して、ふたたび征伐に戻ってきたということだ。

朝鮮半島には日本神話にとてもよく似た神話がある。亀旨峰(タジボン)に神が降りてきた、天孫が降りてきたという話がのこっている。これはニニギが降りてきた高千穂のソホリの峰とか、タシフルの峰に良く似ている。

その頃の朝鮮半島には、新羅、百済、伽耶などの王朝があって、これがどうも天孫降臨と重なっているのではないか。ということは、ニニギを先導したサルタヒコも韓国系だという推測もでてくる。

朝鮮半島と日本の関係は、いまでも東アジアのなかで非常に難しい問題だが、でも古代は、われわれが思っている以上に日韓はかなり近い関係にあったはずだ。その証拠に、日韓の物語は、原型のところでたくさんの類似した結び目をもっている。

昨夜、東市来・湯之元の風流な飲み屋で、朝鮮陶工末裔十五代と日本や東アジアについてのこんな話をつらつらと語り合った。

朝鮮陶工たちは、豊臣秀吉の朝鮮征伐の際、島津氏に捕らえられ、この地へやってきた。

しかし、島津氏のルーツを探れば、惟宗氏で、惟宗は、対馬の宋氏で、その先は朝鮮半島からやってきた。

たしかそのときサムライの原型であるイケメン集団、花郎の風習を伝え、それが稚児行列になった。

先にこの地へやってきたものが、時代を経て朝鮮半島へ戻り、半島に住んでいた陶工を拉致してきたということになる。まあ、いってみれば、九州にとって東シナ圏は古代より、国境など関係なく、あっちへこっちへしていたのである。
by ogawakeiichi | 2009-12-22 22:24 | アジア史&思想

禅ペインティング

水墨画をなんと英訳するのか?
うん、これは結構難問である。
チャイニーズペインティングって翻訳もあり
インクペインティングって、そのものの訳もある.
しかしだが、こんな訳では、どちらも含蓄する意味のレイヤーが少なすぎじゃあないのかなぁ。

ぼくが、訳すとしたら“ゼン・ペインティング”
室町時代、水墨を中国から日本へと伝えたのは臨済宗の禅僧たちである。
じゃあ、中国から伝わったんだったら、チャイニーズペインティングだろうが
と言われそうだが、ところがどっこい。

水墨は日本で新たな進化を遂げる。
それは「負の山水」、「余白の美」というものだ。
これは中国にはない。ましてや、西洋画にはまったく見られない。

負の山水、余白の美とは、余分なものを引き算して、いかにシンプルに存在するかなのである。

有る無しのギリギリまでを攻め込み対峙していくのである。
対峙の瀬を渡りきるとそこには、あらたな地平がみえてくる。
これは、いわゆる無という領域なのだが、
前期のウィトゲンシュタインに従って、語りえないとしておこう。
もったいぶっているのではない。
身体性の問題だからなぁ・・

そうなりゃ、禅とまったくおんなじでしょ。

座る禅を「静禅」とすれば水墨は「動禅」なのだ。

坐禅とは、心が動かなくなることである。
動禅とは、心が坐ることである。
心が動かなくなる、すなわち心が坐ることである。
よって、坐禅を極めることは、動禅を極めることと同じである。
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↑おおっ、今日退治(対峙)する相手はこいつらかぁ。。(KAPICより拝借)


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経験知
一 念とは、気を鋭くしていくもの(nen)
二 禅とは、念を広くしていくもの(zen)
三 念のない禅は、気が抜けていく
四 禅のない念は、気が立っていく
五 坐禅とは、静かに集中すること(zazen)
六 動禅とは、動いて集中すること(douzen)
七 坐禅では、内的な原因を認める
八 動禅では、外的な条件を認める
九 内に向う禅では、邪念が現れる
十 外に向う禅では、邪魔が現れる

 覚醒の書
念 … 気を広くするまで、気を鋭くすること(smrti)
禅 … 気を鋭くしてから、気を広くすること(dhyana)

 羯磨の書
坐禅 … 体が坐っていれば、心が動じなくなる(zazen)
動禅 … 体が動いていても、心は坐りつづける(douzen)

 解脱の書
只管打坐 … 体が坐るならば、心が動かなくなる
       体が動こうとも、心が坐りつづける
       坐禅を究めると、動禅を極められる

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↑退治中
by ogawakeiichi | 2009-08-27 08:11 | アジア史&思想

山水思想Ⅱ

道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。万物は陰を負うて陽を抱き、沖気をもって和をなす。と老子は言った。

ここで言う道とはタオイズムのタオのことである。タオは森羅万象の期限であり、あらゆる萌芽の寸前をいい。そのタオから陰陽の二気が分かれたと老子はつぶやいた。

水墨画の源流を辿れば老子に極まる。

水墨の精神の最も原初的なる幼童的な柔らかさに行き着く。老子はこれを「気を専らにし、柔を致めて、よく嬰児たらんか」。気の究極は嬰児のような精神だった。

この老子のタオが、荘子によってタオを陰陽の二気が分有するという哲学まで昇華した。荘子は「陰陽とは気の大なるものなり」と断言した。その陰陽の気に終始して遊べと言った。こうして荘子は「気母」という言葉もつくった。これは宇宙の根源としての「玄氣」にあたる。のちに「大いなるものは玄氣を含み、細なるものは無間に入る」といわれた。荘子はそれを「気の母」と考えた。気にもデノミネーター(分母)があるとした。荘子の気は、荘子の「無為自然」の考え方とあいまって、中国文化のあらゆる面に出没していった。

ちなみに老荘思想とタオイズムは微妙な関係にある。ふたつはどこかでかなり繋がりをもちつつ、どこかで似ても似つかない顔をもっていた。似つかない顔はタオイズムが教団道教としての表情を強くするときである。
老荘的美術が道教化するときも、その異様さにおいて故郷を離れたことを告げる。

しかしたとえば、書の「王義(※左下に弓を加える)之」においては、老荘と道教が近かったように、どこか判然としない場合も少なくない。そうしたとき、両者をつないでいるのが、たいていは「気の存在学」なのである。(松岡正剛)
by ogawakeiichi | 2009-08-26 14:11 | アジア史&思想

徐福の考察。

二日酔いで、飛行機に乗り遅れた弟子がいたと思ったら、今度はお宝データ満載のパソコンを忘れた二番弟子の出国手続きまでに、博多まで、三番弟子を新幹線で追捕させたりと、想定外の出来事が、一瞬で相転移しまくる複雑系まっさかりである。

ひさしぶにブログを覘けば、アクセス数の減りと反比例してコメント欄にどーでもいい英文がぎっしり甦生をはじめる。どこからどうやって発信され侵入してくるのか。

今月から人生のアクセルをふたたび、ちょろちょろと、ふかせはじめた。アクセルの踏みこみ毎に、夜毎夜毎の酔い好いで、それはそれで縦横を織り成す関係性の結び目の最適化ではあるのだが、さすがに3連チャンはねえ。ぼちぼちいくか。。

ところで、こんなの見つけたので記録、貼り付けをしておく


日本徐福会名誉会長の羽田孜は秦朝・徐福の後裔だと自称している。 羽田は秦氏である。秦氏といえば島津氏もそうであるが、鹿児島・串木野の冠岳にも徐福伝説があり、東市来には秦神社まであるのだが、この秦神社だが、だ~れも知らない。役場に電話して尋ねたら、これまたチンプンカンプンで、・・そりゃそうだよな、それはそれで仕方がないのだが、日本の深部に迫る痕跡ロマンが、この近辺にはある。←うん
by ogawakeiichi | 2009-08-25 05:52 | アジア史&思想

アジアの共生

「共生」について語る松本健一氏の抜粋が届く。『み塾』の諸君は、よく読んでおくように。次、このあたりをやります。

●松本健一「多くの国々が陥るナショナリズムの罠」

「アジア独自の価値観に基づく共生の理念とは」

「民主」という価値観は西洋近代文明がつくり上げたものです。これを全世界に広めていけば世界に平和が訪れて皆が繁栄すると考えるのか。そうではないアジア的な価値観というものがあるのではないか。民主は確かに近代文明に必要な理念でしたが、世界各国は西洋近代を後から追いかけていればいいだけなのか、その価値観をそのまま後生大事にみんなで実現しようということがこれから21世紀の文明にとっていいことなのか。

そうではなく、近代の始まりの前は、日本も中国も韓国でも、皆、お互いに貿易をし、戦争もせずに、国内の社会秩序、アジアの国際秩序をつくっていたわけです。その時代の韓国も日本も中国も、そしてベトナムやタイも、基本的には農耕文明なのです。農耕文明の上に武家政権、ヤンバン階級、あるいは中国の清朝の官僚制度があった。  

農耕社会では、同じ風土に住んで同じ土地と水を共同で使い、田んぼや農地や河川の農耕を行う。農業経営は共同体の経営なのです。西欧では私的所有ということで土地を全部分けていく。あとは自由競争だけで、どちらが勝つかというようにして競争社会をつくっていく。しかし、アジアの場合にはそこで競争社会をつくらないのです。同じ河川を使って、川の上で使った水を川の下に流していく。川の上の村と川の下の村は、ある部分は競争しますが、ある部分では共生しているのです。

「共生」というのは、元はシンバイオシス(Symbiocis)という生物学的な用語ですが、その理念というのは、実はアジアの農耕社会にはみんなある。  そこでは、エベレストの北と南は片方は中国、片方はインド、ネパールというような、所有権や国家所有で分けていくような領土の分け方をしなかったわけです。そこは生物と同じように、人間も自由に行ったり来たりできる。川の水も、上の村が全部使い切ってしまうということをしない。むしろそんなことをすれば、上の村がため込んでいる河川の土手を決壊させてしまうという水争いが起きて、では、これはお互いに使おうという形になっていく。共生です。  

それは言ってみれば、国民国家がみんな自分の国を強くして、自分の国民を富ませようというナショナリズムの時代ですから、こんな勝手をして当然ということになる。そうすると、今まで我々アジア文明が潜在的に持っていていた「共生」という理念はどこに消えたのか。「民主」の価値観は確かに西欧が提示し、それによってアジアの近代も元気が出たが、同時に、アジアの価値観が「共生」であるということを表に提示することによって、これからの21世紀の文明の形を変えていくことができるだろう。そこまで考えた形での見通しを立てていかないと、今はまだみんな国民国家づくりの最中ですから、これからますます資源外交や領土占有合戦が熾烈になっていくでしょう。

今、ベトナムで起きている南沙諸島や西沙諸島という問題でも、中国がそこに軍事施設を築き始め領土化をしたのに対し、反中国デモがベトナムで起きて、それは我々のものであるというかたちでベトナム国民が動き出しています。

「共生」の理念に基づく問題解決の機関の設立を 

 インドネシアのイスラム学者は、9.11テロのあと、イスラム教徒がすべて他宗教を敵視するとは思ってほしくない。インドネシアはイスラム教が国教であるが、ボロブドールという古代仏教遺跡を保存し、世界遺産に登録して、現在でもなお補修を続けているのは我々イスラム教徒だと言っていました。アジアの地域を見ていると、そのように、宗教が違うからといって、それを排除していく、あるいは異端だといって叩きのめしていくという構造は非常に少ないのです。これはアジアが「泥の文明」であり、本来的に多神教の世界であるという理由があるのです。新しい神様がもう1人増えても、敵視しないという対応になる。

台湾に行くと、台北の龍山寺に入っていけば、まずお釈迦様が祀られ、隣に孔子が祀られ、その横側に老子や関羽までも祀られている。しかも、台湾はもともと福建省あたりから来ている人が多いのですが、そこで成立した媽祖様という海洋民の女性の神様も一緒に祀られている。神仏習合どころか、宗教の異なる4つ5つの神様を合わせて祀っています。

 日本の平戸の、川内に金比羅神社があります。金比羅様というのはもともとガンジス川のクンビーラというワニの神様で、これが日本の神道の神様になったのです。そこでは、金比羅様の隣に仏教の観音様が祀られ、その隣にはマソ様が、その隣には鄭成功様が祀られている。鄭成功はその家で生まれているのです。その裏にいくと、フランシスコザビエル教会が立っている。そこで、神道とキリスト教と仏教あるいは媽祖教とが宗教対立するか、あるいは宗教戦争をするか、紛争が起きるかというと、起きないわけです。

日本に、最初にキリスト教が入ってきたときでも、観音様が首にクロスをさげていたりするのです。隠れキリシタンの観音様はみんな赤ん坊を抱えていて、その赤ん坊はキリストですから、首には十字架が下がっている。この像は日本だけではなく、台湾にも中国にもインドにもある。そこには宗教が共存しています。

 なぜそういうことが可能なのか。それは、自然に立脚した「共生」という理念がある社会、つまり、アジアの「泥の風土」には、いろいろなものが生まれてくるが、それがみんな共生していく。そういう農耕文明的な、いや「泥の文明」の多神教的な世界が何百年、何千年にわたって続いている。そうであるとするならば、その「泥の文明」の「共生」という理念も廃れていないわけです。これはやはりアジアの知恵であると思います。これから化石燃料、エネルギー資源がほとんどなくなっていくというときに、人口ばかりは増えていく。

こういう現代文明の状況をそのまま放っておけば、20世紀以上の苛烈な争いの時代になってくる。資源外交や領土紛争は、もう各地で起き始めています。  

今までの国際的なオーガニゼーションは全て、国連にせよ赤十字にせよ世界貿易機関せよ世界保健機関せよ、どれも西洋がつくってきわけです。それは確かに、世界が一つになっていく時代には必要なものでした。しかし、アジアにはアジア独自の歴史交流があり、文化の共有があり、そして同じ風土や環境を使っている。そこで実際に起こっている問題にどう対応していくか。特に21世紀はエネルギー資源の問題や、食料の問題、人口増や人口の移動の問題や、環境の問題がアジアで共通の課題になります。こういう21世紀的なテーマを解決するようなオーガニゼーションが、アジアにはない。

 日本と中国の関係はありますし、日本と韓国の関係もありますし、日中韓がそろって例えばAPECや東南アジアサミットに加わっていく、という仕組みはあります。今は、そういう機会に3国で話し合いましょうと言っているレベルです。しかし、東アジアで共有している問題は多く、そこには共通する海があり、環境があり、資源があり、食料問題から人口問題まで同じような困難が待ち受けている。そこで同じように21世紀の歴史を共有していくわけですから、そこで問題を共通に解決していくというプラットフォームの構築に向けて、言論NPOがアイデアを出していくべきなのです。以上
by ogawakeiichi | 2009-08-03 09:31 | アジア史&思想

カルカッタ・カオス


by ogawakeiichi | 2009-05-30 11:47 | アジア史&思想

虚実皮膜~アジアンジャパニーズを享けて

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いま、日本の現代アートのコンセプトはネオテニーが流行である。昨夜はそのおもかげを留めた白画廊のオーナーとその仲間たちと共に痛飲。オーナーのネオテニー芸に戸惑いながらも、まさしく虚と実を意識が往来する時空であった。

さて、その虚と実だが、近松門左衛門は芸は虚と実の境の微妙なところにあると言った。事実と虚構との微妙な境界に芸術の真実がある。本当の真実とは嘘と現実の薄い皮膜の中にあるとする【虚実皮膜論】である。まさに現在の脳科学や量子力学を先取りしていたかのようだ。▽「虚実」はうそとまこと。虚構と事実。「皮膜」は皮膚と粘膜。転じて、区別できないほどの微妙な違いのたとえ。ここで「膜」は「にく」とも読む。

近松は、これを芸の世界思想にコピペして、事実と虚構との微妙な境界に芸術のツボをみつけたわけだ。アッチとコッチを意識していい按配で往来するモノ、コトに、大衆は魅せられると説いた。もちろん、意識の在り処は開示しないで伏せておく。

生を受け死へと向かう人生のベクトルにおいて、現在どの点にいるかではなく、カオスの淵から特異点を越えて、虚のどのあたりまで行き、どんな経路でたどって、【実】に再び戻ってきたのかは結構重要だ。相転移したのか、だだの虚から実への返還なのかが問われるところだ。

間隙は何時のときでも魅力に溢れている。虚と実の入り混じったものや境界にあるものから立ち上る芳しさにふらふらと迷いこみ、なかなか戻れないこともある。立ち居地によっては虚に浸る弱い人間と見えないこともない・・しかし、そこには特異点を越え、相の昇変化する可能性も待っている。

アジアンジャパニーズに描かれているのは、紛れも無く、「人間の生きる様」である。私達と同じ想いを抱えながら、たまらず、アジアに出てしまった人の生き様である。しかし、この本にはどうしたらいいのか、とか、アジアに出てみれば、なんて書かれてはいない。
by ogawakeiichi | 2009-05-16 20:02 | アジア史&思想

老子

f0084105_11275174.jpg中国の思想を丸呑みしようと思い立って、5年が過ぎた。ひさしぶりに一番好きな、老荘思想のなかの『老子』を読み返しているのだが、これってかなり危険思想じゃないのかな?と、思うようになってきた。もちろん、ぼくにとってそれはそれでカッコイイのだが・・

老子の思想をごくごくシンプルに言うと、「人間にとって、真に主体的な生き方というものが、はたして存在するのか?存在するとなれば、それはいかにして可能なのか?」人為を廃し自然であることが道に通ずるとし。このような態度を無為自然といい、老子はこれを処世から統治まで全てに適用すべきだと考えた。

老子といえば、タオイズムだ。タオイズムといえば仙人。
自然法則に従った思想だから,ナチュラルなガイア的嚆矢の思考なのだが、
よくよく見ると負の力を溜め込み、ある瞬間に一気に相転移させる強力な生存術である。余談だが建築家・隈研吾の言う、『負ける建築』もどうやら、老子的だ。

老子第36章 将欲歙之には、『ものをゆるめようと思う時には、しばらく反対にこれを張る。弱くしようと思う時には、しばらく反対にこれを強くする。廃れさせようとする時には、しばらく反対にこれを興させる。これを奪おう思う時には、しばらく反対にこれを与える。』とある。

このことを『明』をぼかすと言う。知覚に基づく判断は『知』と呼ばれるが、道を認識する能力は、一般的な知と区別して、『明』と呼ばれた。

人間の知覚は、現象の表面をとらえることができるだけである。対立する事物の一面を知ることができるだけである。したがって、知覚による判断に固執する限り、道を認識することは不可能である。『知』の限界を悟ることこそ、真の認識への第一歩と考えられた。

まず、やりたい意識のベクトルに反動をつけてやる。これが自然の摂理だと説く。この摂理があるからこそ、柔よく剛を制すことができる。水から飛び出せば魚は死に、武力を誇示すると国は滅びる。奪わんと欲すれば、しばらくこれに与える。

酷薄と思わせるまでに冷徹な一節だ。しかし、冷たくみえるそのものが、自然の法則なのである。

自然の法則は、人間を介することによってのみ、意味を持つ。
用い方によってはこれほど危険な思想はない。
しかしそれがまた、老子の魅力なんだよなぁ。

天地が生まれる以前に、すでにあるモノが存在した。
そのモノは、混沌として形容しがたく、感覚で捉えることはできない。
他に依存せぬ独立の存在で、その働きは時間空間を超越して止むことがない。老子はこれを『天地の母』と考え、ナズケテ『道』と呼ぶ。

『老子』は逆説を多用し、非体系的で随所に矛盾や飛躍が見られるため難解な部分も少なくないが、その深遠な思想は現代に至るまで影響を保ち続けている。

謝謝大家
by ogawakeiichi | 2009-04-29 11:30 | アジア史&思想

九州とデザイン

グラフィックデザインとか○○デザインとかなぜ区別したがるのか、本来は全を見渡せないとデザインなどできうるはずはない。荒っぽく言えばそれは表層の部分であり、深度を求める本物のデザインと呼ぶには躊躇が伴う。

何時のころからか分業化が進み、デザインが分節化されてきたわけだが、どうやらバウハウスがドイツからアメリカに移り、資本主義とガッリチ結びついた頃の遺産だろう。

カタチを「スタイリング」するデザインではなく、デザインとは、歴史において人間が蓄えた環境やモノづくりの智慧に触れていくこと。そこを今、問い直していかねばならない。

これからの時代、役割としてのデザイナーは終わり、デザインが世界をリードするものになっていく。たとえば、ここに、大地から木が育っているとしよう。これまでその木の『実』が利を生むためのデザインを考えていた。

だが、木や土壌の水準を決めるのは、「場当たり的欲望からのデザイン」であり、そのマーケティングは、大衆の欲望水準を探る作業だ。ここでのマーケティング法とは、腹に詰めるだけつめるための方法を考えることが主体である。その因果に従えば、腹に詰め込めば、詰め込むだけ腹は大きくなり、身体として歪がでてくる。そんな悪循環、悪の連鎖を生み出していた。

果実の生る木の品質、土の品質のベストな状態が保てないことには、良い実がなることはない。さらに身体との関係を共振させることを主体にしなければ逸品は生まれない。すなわちそれらをモーラできる鳥の目と虫の目の両方を備えたデザイン、全く関係ないことを結ぶデザイン。そんな行為がこれからのデザインだ。

さて、日本をよくよく見渡してみるとモノづくりの資源は、日本独自の「美意識」には独自の特徴がある。それは、茶の湯とか古美術の世界だけではない、コミュニケーションの原型にも現れている。古来日本は、「八百万の神」と言われるほど、山や田、里や海、あらゆるところに「フロートする神」の存在があると考えられてきた。草の葉も神がおり、米粒ひとつには、七人の神がいる、といった具合だ。自然を畏怖し、敬い、結びついて、どこにでも神がいた。

そこに、神を呼び入れる四本の柱で囲われた、「代(しろ)」という空っぽの場所をつくった。それに屋をかけ、社(やしろ)とした。

空(ウツロ)中に、客神を招く願いとともに、あっちと、こっちを結び、大衆が祭りの場として集まるコミュニケーションのアーキタイプ『神社』というシステムが出来上がっていった。

世界地図を90度回転させると、ユーラシア大陸の一番下に日本がある。世界中の文化を受け止める場所。ある情報文化はある母型をもち、母型の上に発達する。つねに事態は移動からはじまり、着せ替え、乗りかえ、重ね着と姿を変えていく。ユーラシア大陸を「パチンコ台」に見立てると、日本の位置は様々なルートから多様な情報を受け入れ、混沌を引き受け、バランスをとりながら一気に融合させる相等にハイブリッドな、全ての玉を受け入れる最下端の受け皿である。

彼方からの「記憶の遺伝」を留める九州は、ざわめく時代のキザハシを捉えそれに対処するカマエを無意識に体得する場である。「日本デザインの依り代構造」の最先端なのだ。
by ogawakeiichi | 2009-04-27 14:27 | アジア史&思想