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彩遊記

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カテゴリ:西洋史&思想( 18 )

オリエンタリズム(序)

f0084105_1058174.jpg処々諸々の事情で、ブログをアップできなかった。というより、ブログアップのリズムが崩れたといったほうがいい。なにか気の利いたことを、世間へアウトプットするわけでもなく時間だけが過ぎ去っていった。

ただ、昨年末から再び始めた身体改造プログラムは順調に進み、体重5キロ減、筋力も3倍にアップ。まぁ、アセンションとやらの乱世は身体と呼吸を整えじっとしているのもイイかもしれない。が、売られた喧嘩に対する知・技・体の準備は万端。

ところで、やっとサイードだ。アジアをやるには、オリエンタリズムを著したサイードを通るのは必要条件みたいなものだが、なぜか正面からトライしてこなかった。サイードは,オリエンタリズムで東洋と西洋の対立は捏造であることを指摘した文化人類学者だ。

オリエンタリズムをパラパラとジョギング軽読して見えてくるものは、本来、ヨーロッパは野蛮なアジア的空間に対して、開明的なポリス的空間を作り出したということだ。これがギリシャ思想の本質である。

つまり、ヨーロッパから見たアジアは野蛮な空間なのだ。

以来、そのことはヨーロッパ思想の政治的、社会的なまた文化的優越感の根幹になった。ヨーロッパはやがて王国とキリスト教と資本主義を発達させていく。

イギリスの東インド会社をはじめとしたアジア侵略をはじたのにも通奏低音のなかにこの思想がある。

このようなアジアの後進性を土台にしたアジア感はヘーゲルによって強化されていき、つねに他者を挑発し摘発することで正当性をプロパガンダしてきた。

私的な思いだが、極東にある日本は、昨今、おなじアジアの民である中国、韓国からも似たような方法で挑発されている。古代ギリシャ思想が西方からグラデーションのように連なってきたわけでもなさそうだが・・。

ノモス(法)によって規律される世界は、古代ギリシャではポリス(都市)と、オイコス(家庭)のふたつの領域に分けられる。暗くて野蛮な地下にあるアジア的世界(メタファー表現)のオイコスからは、地上にある明るく開明的な石づくりの都市(メタファー表現)のポリスへとなる。各オイコスの家長のひとりがポリスのメンバーだとされポリスとオイコスの一対は、ノモスによって制度化された。

わたしたちは、近代日本が帝国主義の仲間入りをすることによって、初めて西洋の知識の系譜を学んだわけだが、ポリスがアジア的空間を局部的に封印してつくられたということは、「ポリス」という概念には天上的なコスモス(秩序)がある。逆に言えば封印されたアジア的空間のオイコスには暗い地下的な世界が渦巻いている。それがヨーロッパから見たアジア感。


と、きょうは、ヨーロッパのアジアに対する見方だけ。。

この本はぼくにとって読みにくい文体なので、ゆっくりと紹介していく。
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by ogawakeiichi | 2012-08-23 10:58 | 西洋史&思想

詩篇23篇・詩篇91篇

ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもないのだが、ちょいとばかし気になったので記録しておく
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詩篇23篇

ダビデの賛歌

主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。

主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。

主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。

たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。

私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう



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詩篇91篇

いと高き者の元にある隠れ場に住む人、全能者の陰に宿る人は主に言うであろう

「わが避け所、我が城、我が信頼しまつわる我が神」と

主はその羽を持ってあなたを覆われる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう

そのまことは大盾、また小盾である

あなたは夜の恐ろしいものをも、昼に飛んでくる矢をも恐れることは無い

また暗闇に歩き回る疫病をも、真昼に荒らす滅びをも恐れることは無い

たとえ千人はあなたの傍らに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災いはあなたに近づくことは無い

あなたはただ、その目をもって見、悪しき者の報いを見るだけである

あなたは主を避け所とし、いと高き者を住まいとしたので、災いはあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことは無い

これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩む全ての道であなたを守らせられるからである

彼らはその手で、あなたを支え、石に足を打ちつけることの無いようにする

彼は私を愛して離れないゆえに、私は彼を助けよう

彼は私を知るゆえに、私は彼を守る

彼が私を呼ぶときに、私は彼に答える

私は彼の悩みのときに、共に居て、彼を救い彼に光栄を与えよう

私は長寿をもって彼らを満ちたらせ、我が救いを彼に示すであろう
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by ogawakeiichi | 2011-10-27 14:35 | 西洋史&思想

生と死の問題

「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の初めに暗く、死に死に死んで、死の終に冥し」空海の言葉だ。

私たちは自分の生まれた瞬間のこと、死ぬ瞬間のことを捉えることはできない。

私たちは3歳以前の記憶をほとんどもってない。

もっていそうな場合は、たいていが、古いアルバムにある当時の写真を、記憶と錯覚している場合がおおい。

死ぬときもそうである。

本当に死んでしまったら、そのときのことを記憶することも、誰かに語ることもできない。

人間は自分がどこから来て、どこへいくのかもわからない。

老子や荘子たちも、人間の生死は無明であるといった。

そのようにわからない「無明」を積極的に捉えてわからなさというものを知ろうとする。つまり、わからないもの、わからなさというものに焦点を当てたのが、東洋の哲学や宗教の考え方である。

これを「無知の知」という。

ヨーロッパはこれに気づくのが、随分遅く、16世紀のルネッサンス期のころだ、

それに比べ東洋は、紀元前には気がついていた。

ただ、古代ギリシャの人々は、多少は「無明」というものをわかっていた。

彼らは、人間についてではなく、万物とはなにかということを考えていた。

そして、物質の究極の単位のことを「アトム」と呼んで、

たとえばデモクリトスは、「アトム」が存在するためには「空虚」のような場所が必要だと考えた。

なにもないことが、何かがあるということと同じくらいに重要だと考えた。

エピクロスという哲学者は、われわれが死ねば、その肉体はもともとの物質である「アトム」に戻るだけなのだから死を恐れることはないと説いている。

そして「アタラクシア」ということを提唱した。

アタラクシアとは「何事にもわずらわされない自由」という意味である。

このようにして、古代ギリシャは徹底した自然学や論理学により、人間や生死という問題をとらえようとしていた。

東洋が直感的に把握していたことを、ギリシャでは理詰めで捉えようとしていたわけだ。

しかし、このようなギリシャ思想は、その後、ヨーロッパ中世に継承されず、いったん途切れてしまうのだ。

その訳は・・・


つづく・・・
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by ogawakeiichi | 2010-09-15 08:00 | 西洋史&思想

現象学

自分が見て認識している世界と、他人が見ているものとは一致するのであろうか?

小学生の頃、毎土曜日の放課後絵画教室に通っていた。その当時、ともだちに、『ぼくに見えているこの色は、お前もおなじ同じ色にみえるのかなあ?』。などと。。いま思えば、ずいぶんマセたことを尋ねたことがある。←ともだちがなんと答えたかは覚えてないが。。。。。。

わたしたちは、同じものをみて、当然他人もおなじ色やかたちをみてると思いがちだが、これを確証することはできない。客観など確かめようがなく、あくまでも「そうだろう」と類推する世界だ。認識(対象化)された世界だけが、私たちの実存世界である。←ギリシャ初期のプロタゴラスや、ゴルギアスが唱えた相対主義もこんな感じだった。。その後、プラトンは相対主義からなんとか脱出を試み「万人が共通して思い浮がべられる何か」「現実には存在していないはずなのになぜが皆が理解している何か」をイデアと名付けた。

しかし認識されなくても事実として存在するものがある。それは「こころ」という形の無いものや、、「夢」のように現実に無くても見るものもある。
 
認識によって世界は確認される。認識されなければ「世界」は「無い」のと同じである。問題は“その世界”が「わたし」が脳内で認識する「世界」だということだ。

フッサールは、わたしたちの世界の見方は先入観に支配されている。先入観にとらわれた世界の見方をいったん停止して一切の源泉である純粋意識を記述しようとした。(フッサールの現象学)

サルトルは現象学にしたがって『モノをみる』ということは、そのものに直接触れることだと考えた。彼は、意識は閉じた『内部』ではなく、『外』(そのもの)へ向かって破裂する運動そのものだと考えた。意識は『もの』ではなく、『関係』なのだと考えた。

たとえば、目の前にグラスがあったとしよう。わたしの意識とグラスの二つに関係があるのではない。意識はそれ自体が独立したモノではないとする。つまり、意識が向けられた『グラスとの関係』それ自体が意識なのである。。←このあたり、仏教の縁起の考え方と似ているが、仏教が世界を縁起として捉えたのに対し、サルトルは対象に向かう自己意識としてとらえている。

『わたし』とは意識の『中』にあって、意識を支配する主人のようなものと考えられてきた。しかし、サルトルは、そもそも意識の中に『わたし』はない。という。サルトルは意識から『わたし』を排除することがらその哲学を出発させた。

わたしの認識(観念世界)と実存世界は同じではないかもしれない。にも関わらず、同じ認識として語るしか「世界」を語ることはできない。

ぼくの某処での指導教官。。。は。。こう説く。

===
どんな人も“自分”というセマンティクスな認識のフィルターを通してでしか世界を認識することはできないのです。認識とはあくまでも主観的なものだ。客観的という言葉においてさえ、それは人の考えを推しはかっているにすぎません。

 「他我の妥当(=間主観性)」を通して、人は自分にとっての目に見える現象と人にとっての現象が同じと判断します。人間の目の構造も脳の構造も同じなのだから、同じ「リンゴ」を見れば、同じように見えていると判断します。

間主観性とは、他者の主観を自分の主観と同じと考えることと言ってもいいでしょう。しかし色弱という人たちには「赤いリンゴ」が「赤」に見えないということだってあります。何度も言うようですが、私たちが「赤」と思って見ている色が実際同じ色に見えているかどうかは確かめようがないのです。(OM師匠)
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世界に内属する自分。その内属するヘリ、内側の周辺の接触部分を私たちは「世界」と見てのぞき込んでいる。実際に浸かりながら触知している。それが現象の知覚、認識の世界なのである。
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by ogawakeiichi | 2010-06-18 16:30 | 西洋史&思想

グローバリズムという妄想

f0084105_10542349.jpg 「グローバリズム」という言葉から受ける印象は、世界くまなく平等に行き渡るというイメージだが、それはまたプロパガンダでもある。「歴史と社会は市場の要求に仕える必要はない」.

==========
ここから

 (1)グローバル自由市場は普遍的文明を強要する啓蒙思想である。その強要はコミュニズムやファシズムに匹敵する。民主的資本主義とか自由資本主義の名を借りてはいるが、その正体は単一的普遍主義なのだ。

 それゆえ、その作用は国家を弱体化させ、社会をばらばらにする。とくに伝統的な社会制度と慣習をひどく弱体化させる。そして、そのかわりに「新たな不平等」か、もしくは「新たな自由放任」(ネオ・レッセフェール)を助長する。IMF(国際通貨基金)、WTO(世界貿易機関)、OECD(経済協力解発機構)はそのための機関だった。


 (2)グローバル資本主義はたしかに理性的ではあるが、決して自己制御的ではない。投機的であり、内在的な不安定をつねにかかえる。自由市場主義を方針とした各国政府がかかげた目標は、その多くが失敗した。これからも失敗するだろう。

 だから、グローバル資本主義が「小さな政府」と「規制緩和」と「民営化」を促進したからといって、自由主義だとか新自由主義だとかの「自由」を標榜する権利はない。もしもリベラルな国際経済秩序というものがあるとしたら、そんなものは1914年の開放経済までのことか、もしくは1930年代に非業の死を遂げたのだ。


 (3)そもそもグローバル資本主義の基礎は、ピューリタン革命からヴィクトリア朝初期までの「囲い込み」(エンクロージャ)が用意した。「囲い込み」がイギリスを農村社会から市場社会に変えた。それが自由市場主義に向かったのは、穀物法の廃止と救貧法の改正以降のことである。

 サッチャーが実施したことを見れば、イギリスのグローバル資本主義がこの路線の上にあることは明白だ。労働組合の削減、公団住宅の奪取、直接税の減少、大企業の民営化は、市場にエンクロージャの機能を明け渡しただけのことなのだ。政府がそれによって得た名誉があるとしたら、言葉だけのネオリベラリズムの称号ばかりだった。


 (4)グローバル資本主義の生みの親は、どう見てもアングロサクソンによるものだ。アングロサクソンは「合意」のための「契約」が大好きな民族だから、その合意と契約による経済的戦略を非アングロサクソン型の国々に認めさせるためには、どんな会議や折衝も辞さない。その象徴的な例が、たとえば1985年のプラザ合意だった。

 こういう合意と契約が、各国に押しつけがましい構造改革を迫るのは当然である。ニュージーランドやメキシコや日本が、いっときではあれそのシナリオに屈服しようとしたのは、不幸というしかない。もっとも、それほどにグローバリズムが“最後の勝利の方法”に見える幻想に包まれていたのである。


 (5)グローバル資本主義はアメリカとドル金融機関が促進したけれど、世界に広まったものは必ずしもアメリカのコピーとはかぎらない。むしろその変態と変種がはびこった。それゆえ、グローバリズムの実態は国際的な混乱をよびさます。ところが、アメリカにとっては、アメリカ以外のグローバリズムは変態と変種の巣窟なのだから、これはアメリカが文句をつけるにはとても都合のいいことなのだ。

 アメリカが優秀だとしたら、そしてアメリカが狡猾だとしたら、それはアメリカがグローバリズムのためのコストを世界に分担させる秘訣を知っているということにある。あげくのこと、アメリカの自由市場はリベラリズムを非合法化してしまった。


 (6)グローバル自由市場は多元主義の世界や国家とは合致するはずがない。どうしてもグローバリズムを無批判に受容したいというなら、国民国家(ネーション・ステート)の内実を実質的に無意味にしてしまう覚悟をもつべきだ。そのうえで企業は無国籍や多国籍になればいい

 しかしそうなるのなら、国民国家はすべてのオプションが不確定であることを知ったうえで行動したほうがいい。国家こそがリスクにさらされているのだから。むろんアメリカも損をしている。その最も顕著なことは、アメリカにおける家族の紐帯が失われていっていることにあらわれている。もはやアメリカの夢見る家族たちは、ハリウッドとディズニーランドとホームドラマにしか出てこない。


 (7)グローバル自由市場こそが各国の生活を繁栄させたと感じているのなら、それはまちがいだ。企業の外部契約による労働力供給に頼って、雇用の不安定がどんどん増していくことは、むしろブルジョワ的生活がどんどん不安定になっていくことだと認識すべきなのである。

 つまりは、「グローバリズム」と「文化」とは正確な意味で対立物なのである。とくにウェブなどのコミュニケーション・メディアに乗った情報グローバリズムは、その国の地域文化を破壊し、その痕跡と断片だけをグローバリズムがあたかも拾い集めたかのようにふるまうことによって、各国の国民を自国文化から対外文化のほうへ目を逸らさせる。


 (8)グローバル経済は、人間の深い確信を希薄にし、組織に対して不断の疑いをもたせる。

 そのため、都市や社会やメディアがグローバルな装いをとればとるほど、各人の心の蟠りは鬱積し、各組織はコンプライアンスに縛られ、衣食住の管理問題ばかりが日々の生活を覆っていく。これは資本が自由に世界を流通するのに逆比例しておこる。


 (9)グローバル自由市場は、減少しつづける天然資源をめぐる地政学的な争いのなかに主権国家を対立させる。

 たとえば環境コストを想定してみると、当該国家や当該企業がその環境コストに敏感になろうとすればするほど、その国家や企業の地政学的・経済地理学的不利が「内部化」されてふりかかってくることになる。これに対してグローバリズムの指導者のほうは内部コストを「外部化」しうる。こんな不公正な話はないはずだ。


 (10)グローバル資本主義が新自由主義や新保守主義と結びついたことは、自由や平等や正義の議論を最大限にあやふやなものにさせた。思想や理論、科学や数学さえ、グローバリズムの災いにまみれたのだ。

 とくにフランシス・フクヤマやサミュエル・ハンチントンにおいては、歴史観についての錯覚すらおこることになった
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by ogawakeiichi | 2010-04-18 10:54 | 西洋史&思想

ケインズ

乱暴に言えばこんなところか・・

稼いだだけ取ろう、労働者は奴隷みたいなもん。

資本主義

働いただけ取ろう、労働者の質は関係ない。

社会主義

欲しいだけ取ろう、公務に担保された安全地帯から。

共産主義


国民所得の決定について、ケインズ派と新古典派の対立がある。マクロ経済学では、ケインズ派は価格が動かず、均衡しないと考え新古典派は、価格が動いて均衡すると考える。

ケインズ派は「政府が取引を創出すべき」と考え、新古典派は「創出すべきでない」と考える。

ケインズは戦争経済でもあるなぁ。。





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by ogawakeiichi | 2010-04-08 10:02 | 西洋史&思想

マグダラマリア


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by ogawakeiichi | 2010-03-21 14:31 | 西洋史&思想

EPIC2014


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by ogawakeiichi | 2009-08-14 19:10 | 西洋史&思想

キリスト教の変遷

若狭の小浜市がオバマを応援して、小浜の特産品である“若狭塗り箸”をオバマに贈ったことは、メディアを通じて知ってはいたが、その贈った、張本人“兵左衛門”が立ち上げた“箸プロジェクト”なるものがある。

気がつけば、世の因果はおかしなもので、この“箸プロ”なる、なにやらゆらぎが創発しそうな香ばしい場に、最近、席を与えられた。その話は、後ほど詳しく記録していくが、さてさて、小浜市から“箸”を贈られた、アメリカのオバマさんのことだ。

アメリカ歴代の大統領は全てWASPということを知る日本人は少ない。ただ、唯一の他人種アイルランド系だったのがケネディ大統領だが、彼に次いでオバマが二人目のWASP以外ということになる。←クンクン、なにやら匂う・・

以前、知のトラの穴で、キリスト教の其々を調べなさいという、エクササイズがあった。その倉庫から引っ張りだしてきたレポートにちょろちょろと、手を加え、プロテスタントからアメリカのWASPまでの流れを再確認しておきたいと思う。
※(このレポートを書いた当時、出典を記載しておらず。どこから引っ張り出したのか、皆目わからない。おわかりの方は、ご連絡の程を・・出典明記、リンク、削除等の対処いたします。)

◆プロテスタント
プロテスタントは、宗教改革運動を始めとして、カトリック教会(または西方教会)から分離し、特に福音主義を理念とするキリスト教諸派の総称である。日本ではカトリック(旧教)に対し、「新教」(しんきょう)ともいう。

ただし、聖公会(英国国教会)は教義上はプロテスタントだが、儀式・礼拝はカトリックという独自の立場から特に教会一致運動に寄与している。

カトリック教会はそれに属する全ての教会が、中央である教皇庁(バチカン)によってまとめられており、東方正教会は基本的には国や地域ごとに教団は複数に分かれているものの、同じ教義・典礼を共有し、連合体として存在している。これに対し、プロテスタントは特定の教派・教団を指す名称ではなく、神学や教義解釈がそれぞれ異なる多数の教派(主にカトリックから分裂した教派、もしくはそこから更に分裂した教団)を総称し、呼んでいるに過ぎず、よってプロテスタントという教派(宗派)は存在しない。

カトリック教会はそれに属する全ての教会が、中央である教皇庁(バチカン)によってまとめられており、東方正教会は基本的には国や地域ごとに教団は複数に分かれているものの、同じ教義・典礼を共有し、連合体として存在している。

これに対し、プロテスタントは特定の教派・教団を指す名称ではなく、神学や教義解釈が、それぞれ異なる多数の教派(主にカトリックから分裂した教派、もしくはそこから更に分裂した教団)を総称して呼んでいるに過ぎず、よってプロテスタントという教派(宗派)は存在しないわけである。

◆ピューリタン
ピューリタン(Puritan)は、イギリス国教会の改革を唱えたキリスト教のプロテスタントの大きなグループ。市民革命の担い手となった。清潔、潔白などを表すPurityに由来する(Puritanで厳格な人、潔癖な人を指すこともある)。もともと蔑称的に使われていたが、自らもピューリタンと称するようになった。

16-17世紀にイギリス国教会の中にカルヴァンの影響を受けた改革派(ピューリタン)が勢力を持つようになった。その中には国教会から分離せずに教会内部を改革しようとする者と、国教会から分離しようとする者(分離派)までがいた。

ピューリタンの中には祖国での弾圧を逃れ、1620年、メイフラワー号に乗りアメリカに移住した者もいる。オリバー・クロムウェルの清教徒革命(ピューリタン革命、1642年~議会と国王派の内乱状態になる)の母体にもなった。

◆清教徒革命
清教徒革命(せいきょうとかくめい; Puritan RevolutionまたはWars of theThreeKingdoms、ピューリタン革命)は、狭義には1642年から1649年にかけてイングランド・スコットランド・アイルランドで起きた内戦・革命である。広義には1638年の主教戦争から1660年の王政復古までを含み、「大反乱」「三王国戦争」もしくは名誉革命とあわせて「イギリス革命」「ブリテン革命」とも呼ばれる

革命の直接の原因としてチャールズ1世が政治能力に欠けていたことは確かであるが、遠因としてはエリザベス1世治世期、とくに末期に、その源泉はすでにもとめられる。農村や社会構造の変化に国家体制が対応できず、社会のひずみはしだいに大きくなっていた。

政治的原因:国王の強圧的な政治による議会無視に対する議会側の反発
宗教的原因:国王による国教会と国家体制の結合の強化と、ピューリタンなどの非国教徒への弾圧。
経済的原因:国王による大商人保護(独占権付与など)に対する商工業市民の不満。
社会的原因:特権を持つ官職保有者(=「宮廷」)と、議会や州共同体で権益を有しながら宮廷からの恩恵にあずかれない者(=「地方」)との対立。

以上の各要素が絡み合って起こったと考えるべきだと思います。それぞれの要素は重複しており、どれが重要かはいいにくい。勝者はピューリタンであり、それは議会であり商工業市民であり「地方」である。敗者は処刑された国王であり、それまで国王の権力の恩恵にあずかっていた者たちということになる。


◆トマス・カートライトと「エミグレ」の関係
ピュリター二ズムはヘンリー8世がつくったケンブリッジのトリニティーカレッジからはじまった。そこにいたのがトマス・カートライト、神学者のフェローがいて若きエリザベス女王と討論をする。その後、大学の人事紛争にまきこまれたカートライトは大学を追放される。そのカートライトのところへ、エミグレがやってくるエミグレーションとは移住者のこと。ピュータリタニズムの動向の本質である。カトリック派のメアリー女王による反動宗教改革の大迫害で、プロテスタントがジュネーブやラインラントへ亡命した時に「エミグレ」の名前がついた。そのエミグレ達がエリザベス女王の即位とともに帰国。その時、ジュネーブで立ち上がったカルヴァンの宗教改革の種火を持ってきた。それがカートライトに飛び火し、イギリスのピョーリタンたちが立ち上がっていくことになる。

◆イギリスはどうして国教会をつくったのか
イングランド教会とローマの間に最初の決定的な分裂が生じたのはヘンリー8世の時代である。その原因はヘンリー8世の離婚問題がこじれたことにあった。すなわち、キャサリン・オブ・アラゴンを離婚しようとしたヘンリー8世が教皇に婚姻の無効を宣言するよう頼んだにもかかわらず、教皇クレメンス7世がこれを却下したことがひきがねとなった。これは単なる離婚問題というより、キャサリンの甥にあたる神聖ローマ皇帝カール5世の思惑などもからんだ複雑な政治問題であった。


◆新大陸アメリカを創った「ピルグリム・ファーザーズ」って何か。
ピルグリムファーザーズ (Pilgrim Fathers, Pilgrims、巡礼始祖の意) は、アメリカに渡ったイギリスの清教徒(ピューリタン)である。

16世紀、イギリスのエリザベス1世がイギリス国教会を確立したが、17世紀にかけて、教会の改革を主張する清教徒が勢力を持つようになり、特に国教会からの分離を求めるグループは分離派と呼ばれ、弾圧を受けていた。信仰の自由を求め、亡命した清教徒を含む102人がメイフラワー号に乗ってアメリカに渡った。メイフラワー号船上での「メイフラワー誓約」は社会契約説に基づくものとして知られる。1620年アメリカ大陸に到着したピルグリムは、理想的な社会を建設することをめざした。

◆アメリカで、いまなおどうしてWASPがもてはやされているか。
ワスプ(WASP)は、ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント(White Anglo-Saxon Protestant)の頭文字をとった略語で、米国での白人のエリート支配層を指す語として造られ、当初は彼らと主に競争関係にあったアイルランド系カトリックにより使われていた。1964年にE・ディグビー・ボルツェルが The Protestant Establishment: Aristocracy & Caste in America を著したことで一般にも用いられるようになった。この語の指示範囲は使用者によりまちまちであり、イングランド系を指す場合と長老派教会や会衆派教会、米国聖公会に属するスコッチ・アイリッシュやウェルシュ、スコティッシュなどむしろケルト系のものまで含む場合もある。

元来「P」はPuritan(清教徒)で「メイフラワー号の移民の子孫」という意味合が強かった。イングランド系プロテスタントのアメリカ建国以来のエリート達が現在のアメリカ合衆国の支配的な地位を占め続けているとするニュアンスがこめられ(実際、第35代即ちケネディ以外の大統領は全員ワスプである)、主に反米、反白人、反共和党、反キリスト教原理主義によって使用される傾向がある。


WASP(ワスプ)という言葉は、実は、複数の意味があるのであるが、ここではプロテスタントのアングロサクソン系アメリカ人の中流および上流層を意味します。要するに、ワスプというのはアメリカの開拓者の子孫、すなわち「本流」であり、一時期は「ワスプにあらずんば人にあらず」とまで言われていました。

ワスプの人口はというと、(イギリス系に限ってみますと)国勢調査によると1980年で六一六○万人、1990年で四六二○万人です(減少傾向、すなわち混血度の増大傾向にある)。

ワスプという言葉が使われだしたのは、意外に遅く1954年以後で、アンドルー・ハッカーが『アメリカン政治レヴュー』という本で「東部の金持ち」との意味で用いたのが最初である。

1950年台当初といえば、アメリカで「赤狩り」、いわゆるマッカーシズムが吹き荒れていた時代であるが、実は、「赤狩りのプリンス」ジョーゼフ・マッカーシーというのはアイリッシュ・カトリックの出で、彼は「赤狩り」を逆用して闇雲に”ワスプ上流層”を標的にしたのである。マッカーシーが謹慎処分で失脚したのは1954年であるが、1961年には同じアイリッシュでカトリックのケネディ大統領が誕生し、ホワイト・エスニック(非ワスプ)の台頭のうねりは頂点を究めることになる。


十九世紀半ばから二十世紀にかけて、アイリッシュ、カトリック、ユダヤ人が大量にアメリカに移住してくるのですが、これにワスプ側は自らの体制に脅威を感じはじめており、ワスプはこれらに対して様々の対抗策をとっていた。例えば、1924年の改正移民法(ジョンソン・リード法)は差別として有名であり、これは日本などでは日系やアジア系の移民廃止だけが目当と誤解されがちであるが、実はこれの主眼はユダヤ系やカトリックの来米阻止にあったのである。ワスプ保守派はこの法案の通過を「ノルディックの勝利」と呼んで喝采を送っている。ちなみに、安価な労働力を必要としていた産業界がこの法案を呑んだのは、南部黒人の北部移住によって安価な労働力確保の目処が立っていたからである。

生産部門を支配するワスプに対抗して、消費産業やラジオ・映画産業部門に主としてユダヤ系事業家が進出したのであるが、実はF.D.ローズヴェルトのニューディール政策を支えたのはユダヤ系である。F.D.ローズヴェルトはオランダ系プロテスタントであるが、ローズヴェルトやニューディラーたちは、大不況と株の大暴落の原因を、アメリカ(すなわちワスプ)の国是である自由競争が際限もなく拡大された結果とみていたので、中流・下層の失業者救済に加えて、自由競争に対する精密な規制のタガをはめることに腐心した。そして、これがワスプ上流階級の資産運用を規制することになったので、ローズヴェルトらはワスプからは「裏切り者」とみられ、ひいてはワスプ上流階級の分裂をもたらし、多数の「ローズヴェルト・ヘイターズ」が登場することになる。ユダヤ系はこのような状況下で、ニューディールとマイノリティ差別克服の戦いを連動させることに成功したのである。ちなみに、ローズヴェルト政権に対する支持率はプロテスタント三四%、カトリック三九%に対
して、ユダヤ系六六%である(1947年『タイム』)。

ハリウッドの映画俳優らの多くがユダヤ系ホワイト・エスニックであり、その彼らがワスプを演じているのは周知である。これらホワイト・エスニックの台頭は著しかったが、彼らにはワスプの真似をしたがる弱さもあった。ワスプはマナーを重視するから、非ワスプには模倣しやすいのである。アル・カポネですらイタリアの出自を気にして、自分をワスプ風にアンソニー・ブラウンと呼ばせたり、息子アンソニーにワスプのエリート教育を受けさせるためエール大学に入れ、ナシュビルの社交界の女性と結婚させたりしている。

ワスプは異民族混在の”醜悪”な都心をさけて郊外へ移住するようになり、(ゴルフ)カントリークラブがブームとなり、1930年までに全米に四五○○ものクラブができている。これらのクラブはワスプの牙城であり、ワスプ男性の支配力の源泉とみなされており、非ワスプは徹底的に排除された。(これら老舗クラブの体質は、タイガー・ウッズの「自分が入れないゴルフ・クラブが全米で二三ある」との発言からも明らかであるが、これでも過去に比べれば相当に良くなったほうである。)

ワスプ体制はウォール・ストリートとワシントンDCで徹底されたいたが、1929年の大恐慌により前者での支配体制が崩壊する。とともに、ウォール・ストリートからワシントンへの人材流出が起こるようになる。ローズヴェルトのニューディールに協力したE.ハリマンもそういう例である。この人材移動は、カーター政権の国務長官サイラス・ヴァンスを最後として終り、その結果、経済人の公共精神が低下することになる。そのころから、ヘンリー・キッシンジャーなど、非ワスプの知識人が国務長官になる傾向がスタートする。ワスプにしてみれば、ウォール・ストリートで得られる高い収入を犠牲にしてまでワシントンに赴く謂れがないとの気風は、今では普通になっている。

このような状況で、ワスプという言葉は六○年台にはリベラル派ワスプが自己批判をこめて、七○年台にはユダヤ系とホワイト・エスニックが蔑称として用いてきたものだ。

このワスプの精神の拠り所となっているのが、ピューリタニズム。ピューリタンの信仰は別に全アメリカ人に強制されているわけではないが、それに基づく人間の見方とか、社会についての考え方とかが、道徳や法律や
その他人間関係についてのいろいろな掟、すなわち文化となって、アメリカ人全体を指導し、支配しているといっていい。

では、そのワスプの文化というものがどういうものか、比較的有名な例で、ジョージ・ブッシュ元大統領の家族を例にとって、そのエピソードを中心にみてみると。

ジョージ・ブッシュ大統領の父プレスコットは、もともとウォール・ストリートの投資銀行家で、後に共和党の上院議員となり、マッカーシーの「赤狩り」を敢然と批判した、共和党では数少ない勇気ある人物であった。上でものべたように、ウォール・ストリートからワシントンへというのは、当時、上流ワスプの常套コースであった。その父親がよく、「わが家の<クレームズ・ノー・モアー claims no more >はちゃんと守られているのかね?」と子供に聞いたという。これは、ワスプの躾に「時間や他人の注目を、公平な分け前以上に、求めてはならない(クレームズ・ノー・モアー)」という項目があり、プレスコットはそれを決まり文句にしていたのである。これは、ブッシュが通ったコネティカット州のグリニッジ・カントリー・デイ・スクールの校是でもある。

ブッシュはエール大学に通ったが、この校是は”成り上がり者のニュー・マネーの自慢や気取りを忌避する上流ワスプの美意識”に基づいていた。また、ブッシュが通ったプレップ・スクールのフィリップ・アンドーヴァの校是は<ノン・シビ>(non sibi)つまり<ノット・フォー・ヒムセルフ>(not for himself)である。要するに、ワスプの基本精神の一つは(禁欲的な)『チームワーク』ということになる。
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by ogawakeiichi | 2009-07-01 14:42 | 西洋史&思想

進化論と自由主義


19世紀後半にイギリスの社会学者ハーバード・スペンサー(1820~1903)はダーウィン進化論の「自然淘汰・適者生存」という考え方を、人間社会のあり方を説明するのに用いた。人間の社会もまた、熾烈な生存競争をくりひろげており、適者が生き残ることで進化するというのである。

スペンサーのこの理論は「社会ダーウィニズム」と呼ばれる。そしてこの理論はイギリスからアメリカに広がり、またたくうちに、世界の思想界を席巻した。なぜなら社会ダーウィニズムこそ、当時の列強の帝国主義的な植民地支配を説明し、そしてこれを正当化する理論だったからだ。

社会ダーウィニズムの考え方は、「強い者が勝つ」「優秀なものが勝つ」「強い者が優秀な者である」ということである。そして、「弱者は強者に従わなければならない」という強者に都合の良い「支配と服従」の論理である。

この考え方によれば、裕福者が手にしている富は彼等の生存競争における成功のしるしだということになる。富者であることは成功者であることであり、人間はだれしもこうした成功者になることを夢見て競争し戦わなければならない。

この考え方は日本でも受け入れられた。そしてここから生まれたのが「富国強兵策」である。列強によって植民地にされたくなかったら、経済を発展させ、軍備を整えなければならない。つまり、自らも列強の一員とならなければならない。

こうした考え方は、人々を容易に国家主義者にする。日本の場合は、市民革命の経験はなく、個人の人権などという考え方もなかったので、人々はこぞって「国家主義者」となり、「忠君愛国」をとなえるようになった。

たとえば、東京帝大の初代学長で明治期の日本を代表する啓蒙思想家だった加藤弘之(1836~1916)の場合をみてみよう。彼は「天賦人権論」を掲げて、「立憲政治」の必要性を人々に訴えていた。ところが、社会ダーウィニズムの思想に触れるやいなや、すばやくこれに転向している。

進化が西洋的な文化の発展を前提としているとして、当時の人たちがそこにこそ最良の進化の結果を見ていたとすると、この思想が日本に残した禍根は大きかったのではないか、と思わないでもない。


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1978年、京都の妙心寺の庭を望む静かな1室でノーベル経済学賞を受賞した世界的経済学者で自由主義を提唱したフリードリッヒ・フォン・ハイエクとニホンザルの研究で知られる人類学者の今西錦司の対談が行われた。この二人の対談を仕掛けたのはハイエクの自由主義を一貫して支持した田中清玄。

先述の小泉改革の思想的源流を作ったのが、ハイエクによって提唱された自由主義は、その後シカゴ学派に引き継がれ、新自由主義経済として各国に広がっていき、今でも各国の市場重視路線を支えている。

その一方で、今西錦司は、自然淘汰や優勝劣敗を核とするダーウィンの進化論を否定したことで有名な研究者だ

種の変化は、共存による棲み分けから発生するという「棲み分け理論」を提唱する。今西は「生物の種類がいくらあろうともそれらは、それぞれにこの地上を棲み分けている。進化とは、この棲み分けの密度が高くなることである。しかるに種と種が競争することによってこの棲み分けを破壊するようなことが許されてよいものだろうか」とダーウィンの進化論に仮借のない批判を加えた。

そして、その棲み分けにより縄張り協定ができて、争いは起こらないというのだ。したがって、その種の永続、永世ということが保障されることとなり、ダーウィンの競争原理に対して今西の進化論は共存の原理に立つ。

2001年に小泉総理が所信表明演説を行ったとき「ダーウィンは『この世に生き残る生き物は,もっとも力の強いものか。そうではない。もっとも頭のいいものか。そうでもない。それは変化に対応できる生き物だ』という考えを示した。すなわち、消費者がほしいと思ったものが買われ、いらないと思ったものは見向きもされない。弱肉強食ではなく優勝劣敗の世界となり、中小企業はつぶしていけないのではなく、意味のない企業はつぶれた方が経済的には良いという現実となるということ。

ところで、妙心寺で行われた対談で二人の話題は東西文明論から市場経済、進化論と多岐に渡ったが、ハイエクは最後まで今西理論の概念を理解できなかったようだ。

今西とハイエクの違いは「万物に神が宿るという自然観VS唯一絶対神の宗教観、共存と和VS徹底した論理性と合理性」ということである。

しかし、対談を終え帰国するとき、ハイエクは日本側の関係者に「これからの世界は多元的志向、つまり多神教的な世界の価値と意味を深く考える必要があるだろう。こんどの日本訪問ではそのことを深く学んだ、それを感謝する」と語った。

その後、アメリカをはじめとして新自由主義経済が世界中に広がっていったが、その教祖といえるハイエクは自由主義を説く一方、共存と和という日本的発想に真摯に耳を傾けたのは、今西との出会いであった。

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オッカム引用先http://eastwatery.exblog.jp/4435933/
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by ogawakeiichi | 2009-06-28 22:39 | 西洋史&思想