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彩遊記

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カテゴリ:中国デザイン( 12 )

真珠の川のネックレス

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原文はここ

香港と中国本土を海上で結ぶ壮大な建設プロジェクト。オランダのデザイナーグループのNL Architectsのアイデア。美しい。。それに実用性がうまく融合されている。

実は香港と中国大陸は左側通行と右側通行の違いという問題がある。いざ中国本土側へと渡った途端、急に右側通行へと変更されるので、ここを結ぶ橋には工夫が必要なのだ。

橋の愛称が真珠の川のネックレス、(Pearl River Necklace)という洒落た呼び名のとおり、美しいネックレスのようなねじれを利用して、橋を渡り終えると、いつの間にか右車線と左車線がクロスして入れ替わっているという構造。。。。。こちらのジャパンブランドもいよいよ可動を始めた。来月は香港だ。
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by ogawakeiichi | 2010-06-26 07:41 | 中国デザイン

資料:第30回ニュースデザイン国際コンペ

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by ogawakeiichi | 2009-02-19 15:16 | 中国デザイン

アジアデザインパワー

f0084105_7271046.gif中国は社会主義国です。といっても昨年、資本のかくれ象徴オリンピックまでやったのですから正確には社会主義のエンジンで動く資本社会といったところでしょう。

しかしちょっと前まで企業の全てが国有で、物は計画的支給でした 。すなわち、品物を選びようが無かったのです。 当然、デザインで物を選べるという時代ではありませんし、 それほど、デザインという概念もありません。 そのなかでも特に“ブランド”という存在自体がありませんでした。 支給されるものしか使えない。

そんな時代が鄧小平氏による改革開放政策が始まると市場経済の方法が入ってきます。 品物を区別して考えることや、物自体からいろいろな影響を受けるとともに ブランドって結構面白いと感じてきたのが1980年ー1990年に掛けての頃で す。 中国近代デザインへの目覚めですね。 大陸沿海部はデザイン世界の潮流を敏感に感じられますが 私が初めて中国で教鞭をとった1996年ごろまで、 内陸の桂林は“ブランドってなあに?”の時代でした。 ですから、そのころまで“物があれば、それでよい”と考える時代が続きます。

もちろん清朝を含めそれ以前は中国家具、陶器、絵画など芸術が発展した時代でした が 文化大革命という、芸術打ちこわし狂乱時代で、人民の芸術意識に蓋が掛かったんです。

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by ogawakeiichi | 2009-02-19 07:36 | 中国デザイン

黄山

f0084105_9305743.jpg中国山水の風景として有名な桂林と双璧をなすものに「黄山」がある。
水墨画家なら一度は訪れる必見の場所だ。桂林は川と山の風景で「桂林山水甲天下」、黄山は高い山と雲海等で「黄山天下第一奇山」と言われ中国人なら誰もが条件反射的に唱える一文がある。

中国古代の伝説上の皇帝・黄帝が、ここで仙薬を調合し仙人になったという伝説から、黄山と名付けられた。山の表側から裏側に向かう眺めのそこの岩の間に、数寄の遁世の仙人が住んでいる。うん。。

黄山は1,800m級の3つの山、蓮花峰、光明頂、天都峰とその周囲の69の峰をあわせた山岳地帯で周辺には、道教や仏教の修行の場として、おおくの寺院が建てられ、72のさまざまな形をした花崗岩質の峰々が連なり、古くから詩人、画家など、多くの文人を魅了してきた。東山魁夷は黄山を「充実した無の世界。あらゆる山水画の技法が、そこから生まれたことが分かる」と評した。

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by ogawakeiichi | 2009-02-13 21:42 | 中国デザイン

卒業生・受賞『都市化系列』

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在平面设计在中国05展上,其作品《城市化系列》获专业组海报类优异奖

鄧遠健 : グラフィック中国展において 題名『都市化系列』ポスター優秀賞

在你的设计经历中,有没有一些人对你的影响很大?

デサインをする上で、貴方に影響を与えた人はいますか?

有。一位是我的大学导师——著名设计教育家、日本设计师协会(JAGDA)资深会员小川景一教授,他让我知道了什么是设计并激发了我对设计的兴趣;另一位是张达利先生,给予了我很多鼓励和指导;还有我的女朋友,给了我很大的支持。

はい。私の大学の指導教官、小川景一教授(JAGDA)です。彼は私にデザインとは何かを教えてくれました。それ以来デザインに興味がでてきました。多くの支援指導をうけました。  あと、私を支えてくれる私のガールフレンドです。

グラフィックデザイン中国展
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by ogawakeiichi | 2008-03-19 16:08 | 中国デザイン

中華人民共和国安徽省・合肥商業銀行シンボル優秀賞

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             中華人民共和国安徽省・合肥商業銀行シンボル優秀賞
                     优秀奖-许孝伟 小川景一 李育洲
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by ogawakeiichi | 2006-12-21 16:10 | 中国デザイン

園林設計

中国園林の伝統手法-園治より

園林とは中国語で読んで字のごとく園林のこと、日本語でも同じ意味なのだが、
僕がはじめてこの言葉を聞いて以来、数年間は
園林とは果樹園のことだろうとおもっていた。思い込みとは恐ろしいものだ。
数年間もまちがったまま、会話していたのだ。
じゃあ、これまでの会話はなんだったんだ。あれれ・・

園林という単語はいま僕の前に頻繁に現れる。
当然正確な意味も覚えた。ぼくらはどちらかというと造園という意味でつかっている。
頻繁にこの単語が現れはじめたのは
桂林市園林局設計院にいる、建築家と知り合ってからだ。
彼は、以前、あの丹下健三事務所にいたという。
先日、彼の口から、中国式庭園と日本庭園の特徴や区別の話題が語られた。
自分で言うのもなんだが、その一言一言が、ぼくの脳みそはスポンジが水を吸い取るように
グングン吸収していく。

普段だったら頭の中を通り過ぎていく言葉も、シナプスの網に引っかかる確率がめちゃめちゃ高い。
きっと、ぼくの祖父が造園家だったせいもあるのだろう。
庭師としてのDNAが少しは残っているのかもしれない。
大好きだった祖父のこともあって、いつかは、造園についてまとめてみたいと思っていた。、
いい機会だ。中国式庭園からまとめておこうと思っている。

f0084105_0422830.jpg中国の伝統的な造園手法を描いた本に「園治」というものがある。
「園治」は明朝末期に呉江の人、計成が中国庭園を造園を系統的に著わした全3巻の書物だ。
内容は園林作庭技法の骨組み・要点などである。
この本を書いた“計成”は、造園家であり、また詩人・画家でもあった。
園林作庭技法の要点は
1.相地(園林造形手法)
2.立基・屋宇(配置計画・設計手法)
3。隔・曲(園林造形手法)
4.綴山(左が木偏)・選石(園林造成素材)
5.「借景」(眺望手法)
の5つの要点に分けられる。

漢字がずらっとならぶと、わかりにくいので簡単に書いてみる。

まず、造園を造りはじめるまえに、その土地の地形をじっくり観察する。
地形の高いところは、さらに盛り土をして高くし、低い場所は、さらに掘り進めでいく。
造園をつくり始める前にもともとある石や池、樹木は、なるべくその状態を大切にし
散在しているものは、集約して、自然の景観を強調する。

次に、中心となる場所を決め建物を配置する。
次にいくつかの主要な眺望視点に、その中心となる建物に対して景色となるように
亭などの小型の建築物を配置し、樹木や水、石などで風景を整える。

主要な建物に対する景色の中心を対庁といい、中心の建物から廊下でぐるりとつなぐ場合も多い。

建物と建物をつなぐ廊下を歩くと、コーナーを曲がったり、門を通過するごとに
風景場面がガラッ、ガラッと変化する。日本庭園のながれるような見え隠れの美とは対照的な構成だ。


まとめ
1.相地(園林造形手法)とは、
「因地製宣」ー原地形を利用し、その地形にもとずいて、造成する。
すなわち、低いところはより低く堀り、高いところはより高く積み、石・水・花木
など現状を基にして、散在しているものは集約し、自然の景観を強調する。
この手法によって、江南園林の理想とする「崇阜広水」(高い山の姿と広い水域)の内に、
その土地のもつ特質を表現していく。

2.立基・屋宇(配置計画・設計手法)とは、
「一宅廬、二草木、三水石」まず、中心となる建物の位置を決め、次にいくつかの主要な眺望視点に、対をなす景色となる

亭・台・楼などを配置し、花木。水。石などで修景していく。

f0084105_0391371.jpg対景の中心には必ず、対庁が設けられる。対庁は「堂・房・斉・館・楼・閣・亭」などであり、それらを、「廊」でつなぐ場合も多い。廊は連絡路であると同時に主要な風景への案内路でもあり、また景色を区切る機能も果たしている。これらは、総て「透・軽」の造形を本質としている。

花庁と対庁はそれぞれ眺望対応の関係にあり、それらは交錯して「相互対景・交叉対景」をつくり、相互に景観の構成要素となる。それらの構図は理想郷である山水画の「画鏡」でなくてはならない。

3。隔・曲(園林造形手法)とは、
歩移景異ー園林は庁から堂へ、閣へと巡り歩く回遊式庭園である。日本の回遊式庭園が池を中心に「ながれるような見え隠れ」の構成であるのに対して、中国庭園の表現は、景観の一駒、一駒の対比的変化をその構成の基本としている。

「隔・曲」はひとつの空間を、建屋・壁面・石屏・洞・廊などで多層な風景区に分けて構成する手法であり、広い水域もこの手法によって変化のある景観を構成することができる。これらの景観区はぞれぞれに特徴があり、大小の空間の配置も、疎密とりまぜてリズミカルな変化によって構成されている。

「園中有園」「園中有院・「湖中有湖」であり「別有洞天」(もうひとつの天地)の連続である。「園必隔」「水必曲」の手法によって、多層な変化と対比の中国園林は構成されている。日本庭園の徐々に変わる風景の回遊式庭園をアナログ式とすれば、場面ごとにガラッ、ガラッとまったく違う風景が現れる中国式庭園はデジタル式の表現と言うことができるだろう。
   

4.綴山(左が木偏)・選石(園林造成素材)とは
「奇峰異石」ー園林の集中する都市、特に江南の地方は平坦な大地であり、園林構成の「立意」には、中国山水画にみられる、「奇峰峻嶺」・「峭壁飛瀑」など険峻の名勝が好まれた。
したがってその構成要素は「奇石」が主体となり、千姿百態の奇石に「奇」・「勢」を求め、
それが、理想郷の表現にもっともふさわしいとされた。

垂直方向の構成を重視した「畳」・「堆」。
堆石の上に亭を設けて、「登高遠望」の場とし、畳石に洞をほって「沈思黙考」の場所とした。
日本庭園の築山は、庭園の修景要素として作られ、人が登ることを目的にしていない。そのため人間の尺度によらずそこにあしらわれる諸要素の尺度統一によって、全体の風景を表現した。それに対し中国園林の綴山(左が木偏)は景観の目的に加え、「登」を対象にしているため人間尺度を基準として、その構成は現実的な自然局部の集積を原則としている

石の姿は、「透・痩・皺・漏」に類別され、これら選石の基準に、中国園林構成要素の際立った特質をみることができる。

5.「借景」(眺望手法)
遠借・隣借・仰借・俯借
遠借は高所から見渡す群山。野原。川湖などの借景。

隣借は近隣・隣接庭園などの塔・楼など、主として建築風景の借景。漏花窓より隣景を借りる場合もある。

仰借は雲・光・月・樹木・塔楼などの借景。

俯景は高所より隣接の庭園を見下ろす奪景ともいう。
《参考資料・パブリックデザイン事典:東京芸術大学環境デザイン研究室・稲次敏郎》
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by ogawakeiichi | 2006-10-09 17:26 | 中国デザイン

『清明上河地図』

中国桂林の仕事先での体育館で学生たちによる演劇祭が催された、ある真夏の暑い日のこと。

一番前に準備された教師用の指定席には、体育館の蒸し風呂のような暑さをすこしでも和らげるように学生会が準備した団扇が配られていた。

f0084105_0591649.jpgここから団扇の話になる.

いろんなタイプの団扇があるなかでぼくに配られていた団扇に描かれた図柄は、ぼくの図柄好奇心を刺激するのに十分だった。

この図柄というのが、時代を感じさせるに十分すすけた茶色の宣紙に、面相筆で描かれた町の様子。大勢の人が中には怒鳴りながら、中にはヒソヒソ話をしながら橋の上を渡っている。図柄が途中で切れているのをみると、どうやら巻物の一部分らしい。

しかし、この団扇をもらった当時は、好奇心を刺激したとはいえ、資料としてとっておこうと思った程度で、図柄の作者がだれで、何時代のものなのか見当もつかなかった。

また好奇心があるとはいえ、手探りでそれらを調べてみるだけのエネルギーも持ち合わせてはいなかった。

デザインや絵、景色の写真もそうだけど、その作者や、タイトル、土地の名前などがわからないことがある。あたまのなかにビジュアルの記憶はあるのに、それ以外なんにも手がかりがない。

こんなとき、みんなどうしているのだろう?《ビジュアルから引く○○辞典》とかいうすぐれモノがあればイイのに。無理だよなー・

ぼくは、ズボラナ性格もあって、記憶の断片にとどめたままで、ほとんどが、お・わ・り。

しかし、いいな、いいなと思っていると、記憶の断片がまだ残っているうちに、たまたま出会うことがある。千葉の佐倉にある川村美術館で出会った「マーク・ロスコ」もそうだった。

その逆に、作家の名前は妙にあたまの中枢に残っているのに、作品がどこでみられるのか、どんな作品なのか、どこにあるのか知らなくて、これかぁ。これなんだ!って出会うこともある。越後で見た、「光の館」ジェームス・タレルもそうだった。

ビジュアルの記憶に言葉がパコッとはまり、言葉の記憶にビジュアルがパコッとはまる。この喜びは、ほとんどが必然的な縁で出会った貴重なモノとして発光をはじめる。

どちらも、出会ったときは鳥肌がたった。

この団扇、デフォルメされた画風とレイアウトにひかれたぼくは、資料箱の中にお蔵入りさせることもなく、夏冬を通して、部屋の一番目立つところに飾っておいていた。

それから2年近く経ったある日のことだ。桂林に日本庭園を造るため、そのスタッフとして参加することになったぼくは、ある資料に当たっていた。その資料<パブリックデザイン事典(産業調査会出版)>の中で再びこの絵柄と出会ったのだ。

思わす鳥肌が・・と・・・ごめん、今回は鳥肌が立つまでは至らなかったが、ついに来たかと、にやついてた。

この本によると、絵のタイトルは『清明上河地図』。作者は北宋の画家『張澤(左側が手偏)端』。

描かれた場所は、当時の都である華中の開封、今の中国河南省である。絵巻は、開封の郊外から城内に至るまでの状況を描いたものだそうだ。

原型の絵巻は。北宋の都、開封郊外の描写からはじまり、驢馬の行列、荷を担がせた商人の行列が土橋をわたり、当時の都であった開封へと集まる様子が描かれている。

これに描かれた開封の街は運河の都市でもあり、洛陽・西安を通じてシルクロードへとつづく陸の要所でもある。

『清明上河図』は、1000年前の田園風景、船溜まり、橋、店舗、交通、看板など、都市の構成要素を一巻の絵巻物の中に総覧させた、パブリックデザインの原風景(稲次敏郎:東京芸大デザイン科)だとういう。

2年間、ビジュアルとしてだけの不完全な記憶の断片が、これまで不明であった作品名・作者名の断片と、ほぼ満足な記憶としてすっきり、くっきり組み合わさった。


明日は、どっかでレプリカ仕入れてこよう。
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by ogawakeiichi | 2006-09-17 20:32 | 中国デザイン

中国美術デザインリンク

やっと中国のギャラリーをまとめてみる気分になった。が・・
いや、リンクだけにしとこっかな。
気長に、追加していきます。
そのうちに、ぱーっと『中国のギャラリー』てなタイトルでまとめられれば・・・
いつになることやら。。。


●上海外灘
スリー・オンザ・バンド。たしか一階はアルマーニ?。上海D通にいたS女史のご推薦。
●798スペースはじめて訪れたのは4年前、やっと見つけた記憶がある。息子曰く「あっ、千と千尋の世界だ!」。そういえば、なんとなく。。
●北京東京画廊東京ギャラリーの田畑氏のギャラリー。6回訪問するも、会えずじまい。
●798フォトギャラリー外人多し。
●上海画廊リンクネット
●チャイニーズコンテンポラリー
●北京大山子国際芸術祭798で開かれる芸術祭。

↓ここはデザイン関連。いなかの学生たちはここからデザインの潮流を知る。
●視覚中国
●設計在線中国
●中国美術ネット
●チャイナ・デザインネット
●アートシティー北京
●海外デザインレポート
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by ogawakeiichi | 2006-06-25 13:24 | 中国デザイン

中国現代アート2

f0084105_11264286.jpg超越界線
上海外灘3号

洒落た表紙のデザインである。使用してある紙質もこちらでは手に入らない鈍い光沢の素材だ。もっとも上海には日本の紙メーカー“竹尾”が進出してるので、そこからの調達かもしれない。

ところで、中国現代アートその2は、この上海外灘3号という名のギャラリーが出版したこの本をメインに中国現代アートを解きほぐしてみることにする。

文化大革命を終えた中国現代美術は1985年を境に、ググッと動き始める。これを称して八五美術運動という。ぼくの水墨の師匠に、八五美術運動って知ってる?って尋ねてみると、「このときを境に抽象絵画が認められたんだよ。」って即答だった。うーん、師匠は本物だ。

八五美術運動を、もっと詳しく言えば、当時の中国美術界の大物たちが集まって安徽省の黄山でひらかれた『黄山会議』を言う。中国は美術も政治としっかり繋がってるので、この会議の決定は大きな意味をもつのです、この時の会議で中国美術界は“個性の開放”が提言され、以後現代アートが事実上の市民権を得ることになる。、それまではアンダーグランドっていうことだ。

黄山会議、その後に至ってはアモイ・ダダの動きとか、伝統へ回帰する動きなどがあったが、極めつけは無頼派の登場。1989年、栗憲庭(リー・ジェンティン)の企画、中国美術館で開かれた中国現代アート展のパフォーマンス『銃撃事件』において、この無頼派は実弾を発射。肖魯と唐栄が警察に拘束される。それにしても、ちょっと極端に走りすぎ。

しかし、この無頼派、高級幹部の子弟ということで釈放。無頼派が反体制とは言え、ぼく的には、高級幹部の子弟ということで、ああ、やっぱりねという感じがしないでもない。これが、農民出身だったら大変だろうな。とはいえ、この反体制的行為は4ヶ月後の天安門6・4事件の前触れとなった。

文革からの現代美術界を大まかに分けると、文革中に青春を送った星星画会の第一世代。おもなメンバーは星星画会の艾未未(アイ・ウェイウェイ)と黄鋭(ファン・ロェイ)。現在、艾未未(アイ・ウェイウェイ)はアメリカから北京へもどり、いまでは中国建築界の重鎮。
黄鋭は日本へ移住し大阪の黄鋭スタジオに活動の拠点をもつ。

つぎに八五美術運動の担い手であった第二世代。
うーん、適当な有名人がいないのだが、あえて分類すれば、第二世代後期に、天書の徐氷がいる。

その次が第三世代。ほくは、この第三世代の連中の作品は結構、見まくった。上海外灘の作品集からピックアップ。
※作家作品のコンセプトを、只今翻訳中!只今翻訳中!只今翻訳中!

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           王広義。
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           方力釣
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           王友身
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           顧徳新
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            周春芽
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           隋建国
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            葉永青
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           岳敏君

上海外灘3号
北京798工程
この2箇所は中国現代アートを代表するギャラリー。
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by ogawakeiichi | 2006-06-22 17:07 | 中国デザイン