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彩遊記

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カテゴリ:南日本新聞コラム( 75 )

ニセモノとパクリ

 アナログ放送からデジタルに変わるのをきっかけに、テレビを見ない生活に挑戦しよう! と最後まで粘ってみた。

 とはいっても、家族がいるとそれぞれ見たい番組はあるもので、不条理と思いながらも、ついにデジタルワイドに替えることになる。

 意志の弱さもさることながら、替えてみればこれはこれでなかなかいい。

 より鮮明になった画面から、ワールドカップ優勝のなでしこジャパンと、中国新幹線脱線事故の話題が流れている。なでしこジャパン関連ニュースは、大震災以来続くなにかと晴れない気分をスカッと爽快にさせてくれた。

 かたや中国新幹線での脱線事故は、事故処理方法や新幹線の特許問題のみならず、中国でのキャラクター、パソコン、家具ブランドの「パクリ」問題にまで及んできた。
 
朝、昼のワイドショーではパクリの話題になると、ゲストのコメンテーターが薄ら笑いを浮かべている。その顔を見ていると、なぜか、原発やら放射能やら国内政治のごたごたまでも忘れさせてくれた。

「ニセモノ」や「パクリ」の話題について、だれもがその情報を共有するにつれ、中国人の中でデザイン教師としてどっぷりと暮らしたことのあるぼくは、個人の感想を求められることもしばしばだ。
 
大陸での生活で、頻繁に使う言葉のひとつに「ジャー」ということばがある。ニセモノという意味だ。買い物では、ホンモノかニセモノかの判断は自己責任。

ニセモノをつかまされたら、仲間からからかわれ、自分も笑ってあきらめる世界があった。

どちらかというと一般の人々は、ニセモノをニセモノと知りながら買うことのほうが多い。

 だからといって許される話ではないのだが、うがった見方をすれば、ニセモノがメディアにのって騒動が起こるたび、そのブランドにとって宣伝効果は抜群で、本物の存在感を増していく。

 「パクリ」については、中国の美術教育を通して思ったことがある。それは、東アジア、とくに中国伝統の書画の学び方だ。

見て、まねて、覚える「臨模」という方法が、デザインの世界でも色濃く残っているのではということだ。

 デザインは模倣を経て、その中から方法を学び、新しい世界をつくっていくのだが、とくに中国の田舎では模倣から抜け切れず未熟なままのデザインで終わることが実に多い。

本来、新しいかたちのデザインは、ベースにあるものをまったく違うものに磨きあげていくのだが、それが足りない。

 メディアが「パクリ」として報じるのは、かたちのベースがメジャーすぎるのと、それを編集デザインする力不足で、おおもとが見えてしまっているからだ。
 

デザイナーの未熟。ただそれだけのことなのだが。
 
(デザイナー、タイトルカットと挿絵も)
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by ogawakeiichi | 2011-08-06 10:59 | 南日本新聞コラム

新年快楽

新年快楽=2月2日南日本新聞掲載=

1月29日。旧暦の正月、春節を迎えた。この原稿を書いている桂林の部屋の下では、子供たちが投げる爆竹がビュンビュン飛び交っている。悪童たちは、見知らぬ人の足元に、そしらぬふりをして投げてみたり、道路向こうの家に向かってバンバン、ドーンとまるで戦闘状態だ。水平打ちだけはやめろと注意したのに聞きゃしない。水墨画の師匠の昔話では、春節は花火から身を守るため、傘をさして水中眼鏡をかけて歩いていたという。
 
話は前後するが、旧暦の大晦日。夕方5時を過ぎる頃から、通りを走る車の流れが少なくなり、街を歩く人影もまばらになった。一族そろっての「年夜飯」と呼ばれる晩餐がはじまる。およそ華人のいるところではこの時間に家族が集まり、食事をすることは非常に大切にされている。僕のほうは、休み期間中バイトで学費を稼ぐ学生や、はるか新彊ウイグルから来て、簡単に帰省できない学生たちと、学校が準備してくれた年越の宴に参加する。帰省できない学生たちの表情は心なし寂しそうだ。
 
もう待ちきれませんとばかり、大晦日の昼すぎから、バーン、バーンと散発的に鳴り始めた爆竹は、「年夜飯」が終わるころから、バリバリバリと連続した音に変わりはじめた。駐車してある車のセキュリティーが、爆竹の音に反応し、ウインウインとけたたましく鳴り響く。人通りの少なくなった街中は、火薬のにおいと、硝煙に包まれた不思議な世界だ。
 
年越しに、爆竹をバンバン鳴らすのは悪魔を払い、福を歓迎する意味がある。同僚の中には、よくないことが続くと「爆竹を鳴らすのが足らなかったかなぁ?」とぼやくヤツもいるくらいだから、爆竹の音は、彼らの生活にしっかりと組み込まれているみたいだ。しかしこの爆竹、毎年のことだが、粗悪品による暴発や火事が多発して、主な都市では、本当は禁止されている。「新年気分が沸かない」との多数の声に押し切られ、“表向きでの禁止”から、13年ぶり“お墨付での解禁”とあいなった。

夜11時半、日没から鳴り響いていた花火と爆竹が“年越の瞬間”に向け小休止。僕は、一年で最大のショーを見るために、とっておきの場所に移動することにする。以前住んでいたことのある勝手知った17階の屋上だ。
 
11時50分頃から、再び爆竹と花火の音は激しくなる。夕方とは違うあまりの音の激しさに、形容しがたい不思議な感覚が襲ってくる。桂林の街全体が、半端じゃない花火と爆竹の音に包まれた。アパートの各ベランダで爆竹が裂烈し、ビルの屋上からは大輪の花火がバンバン打ち上がる。その花火の大きさ量ともに半端じゃない。きっとこの瞬間のために、散財したのであろう。ちなみにベランダでの使用は禁止なのだが、そんなことは、お構いなしだ。 
 
夜12時、いよいよ春節の瞬間を迎えた。音が激しすぎて耳が麻痺し、何にも聞こえてないような感覚になる。隣の屋上でも、目の前でも、山の上でもドンドン打ち上がる。スケールの凄さは鳥肌モノだ。思わず、参りましたと呟いていた。
 
もっとも、これだけバンバンやってくれると、嫌が応でもストレス発散。すっきり、くっきり新しい年を迎えられた気分だ。新年快楽!チャイナは新年を迎えた。
      
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 09:43 | 南日本新聞コラム

中国的設計事情

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去に南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらへ移しておきます



●中国的設計事情=5月12日南日本新聞掲載=

●中国的設計事情
現在、渦中の中国に滞在中である。何かと騒がしくなってきた両国の関係に翻弄されないと言えば嘘になるが、渦中を覗くインターネットのモニターを離れ、回転椅子を回せば、目の前には普段の日常がある。中国人同僚・学生たちもネットを通じてこの騒動は知ってる。同僚たちとは本音を戦わせた。私の学生はとても元気だ。よい意味で言いたい事を言うのに、わたしに遠慮してるのだろうか、この話題がでることはない。
 
原稿を打つ脇では、食事を終えた独身の同僚たちが、午後の授業開始まで、思い思いの格好で昼寝をしている。2時間半の長い昼休み。屋上から山水独特の奇峰群が望める美術学部の事務室だ。

気がつけば、スケッチブックを片手にアジアを放浪していた頃から数え、海を越えた日月は十年近い。今、縁あって流れ着いている桂林の街は、急 に真夏になったような暑さだ。
 
わたしは、現在この桂林の地で「アート」と「デザイン」という、美術に属するが、少し趣きの違う二つを柱に活動している。ここでの身分は大学の美術教師。平日は、学生にデザインを。週末は、美術教師の同僚たちと、山水画や抽象画、インスタレーションと、アートに接する日々だ。

今現在中国は、日本の高度成長期のような勢いで、個性を主張するデザインが花盛りだ。とくに昨年の中秋の贈り物「月餅のパッケージは過熱しすぎた。四分の三はパッケージ料金かと思わせる 豪華絢爛過剰包装競争。

流石に、こちらのデザイナーたちからも、「ちょっと違うんじゃ」との声が聞こえだした。形の美しさ、かっこよさだけでないデザインの心に気づき始めたのかもしれない。

先月から、卒業制作指導で学生と取り組んでいるのが、「バリアフリー・デザイン」。バリアフリー先進国日本に学びたいとの要望で、私に一人の学生の白羽の矢が、ところが私の専門外。無碍に断るわけにもいかず、「おんなじデザインじゃ。よっしゃ!」と二人三脚で始めた。急激な発展で心が置き去りになろうとしていることに気づいたみたいだ。
 
わたしが、この美術周辺を彷徨しているのにはちょっとした訳がある。 多感だった高校二年の冬、突然襲った難病で一年間の闘病生活。もちろん学校も留年を余儀なくされた。天井を見るだけの入院生活。その病室で思ったことが、後の人生に大きく影響を及ぼすことになる。「限りある命を
生きる人間にできることは限られている。この難病を克服したら、自分の目で様々な世界を見てみたい。」と思った。

ちよっとキザだが本当だ。それが入院中の励みでもあった。それはヒマラヤであり、砂漠であり、タージマハールであり、カラフルな民族衣装であり、多様な価値観の人々だった。退院後、少しの時期を経て、いよいよその風景、対象を追い求め放浪に出ることになる。

手には薄汚れたスケッチブックを持っていた. 
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 09:40 | 南日本新聞コラム

序・破・急

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去に南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらへ移しておきます



序・破・急=6月9日南日本新聞掲載=

●序・破・急
時折聞こえる遠雷と、一段と高くなった蛙の鳴き声が、束の間の涼しさを予感させる昼下がり、校内にあるアトリエから見える正門前の大通りでは、スコールの到来を察し、前屈みで速度を増す自転車と、教科書を手に持つ学生たちが足早に駈けて行く。華南桂林は、年間を通し、霧雨に霞む日が
多い。だが、毎年、初夏の季節だけは、突然襲うスコールと、濡れないよう逃げる人々との間で、一日に幾度かの“かけっこ”が繰り返される。
 
桂林のほぼ中央を流れる璃江の両岸に広がる奇峰群は、不老長寿・仙人伝説の予感をプンプンさせている。どこかで見たことのある風景だ。そう、掛け軸に描かれた山水の世界だ。 華南のこの地に来るまで、この手の絵画を「すごい誇張表現。あやしさ漂う、空想画だな」と思っていた。ところがである。大陸ならではの、ちょっとの誇張は大目に見ても、華南のこの周辺には、掛け軸に描かれた、あのあやしい世界が実際に存在するのだ。
 
特有のカルスト地形の山水に魅せられ絵筆をとったアーチストは多い。日本画の巨匠たちでは東山魁夷、芸大学長・平山郁夫。毛色は変わって、ディレクター葛西薫による烏龍茶のコマーシャルもこの地で撮影された。制作意欲を掻き立てる風景がまじかにあるのだから、たまらない。このモチーフを見れば、旅に出て、そのままこの地に居座るアーティストが大勢いるのも、うなずける。もちろん私もその一人。 週末は、絵筆を持って、未だ見ぬ墨絵のランドスケープを求めて歩いている。

私の水墨師匠は、帥立功氏六十歳。アメリカ、東京、長崎でも個展を開いた国際派だ。伝統水墨画じゃ、ちょっとは名の知れた、おゃめなおやじさんだ。ついでと言っちゃ何だが、わたしの太極拳の老師でもある。師匠が弟子に技術を伝授するやり方は、日本古来の伝統芸能演出手順である『序・破・急』と同じだ。まずは『序』としての基本の型を使って、師匠の水墨を模写、模写、そしてまた模写!。それだけ2年もやれば、テクニックは巧くなる。そのころから、恐れ多くも「水墨ってどれもこれも似てて独創性ないや」なんて思い始めた。デザイナー出身の私としては、オリジナリティーを追うあまり、しっくりこなくなったのだ。
 
模写による基礎を終えたと感じたある日から、独創性を目指そうと、墨での新表現に挑戦を始めた。師匠には「まだ早いぞ!」と言われたのだが、気分は卒門。その時の、師匠の寂しそうな顔は今でも覚えている。あれから数年。しかし、私の中に違う迷いが生まれてきた。前とは違う性質のス
ランプ。再びしっくりこないのだ。はずかしながら、思い切って師匠に相談した。『序・破・急』で言えば、『破(応用)』の稽古不足からくるスランプと見抜かれていた。独創性という言葉の魔力に囚われすぎ、一挙に『急(冒険)』へと飛びすぎた結果だった。「真似て、鍛えて、そして飛
ぶ!」師匠から弟子へ、弟子から孫弟子へ脈脈と伝わる伝統稽古システムの奥行きを見直す瞬間だった。
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 08:25 | 南日本新聞コラム

建築大師

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去に南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらへ移しておきます



●建築大師=7月7日南日本新聞掲載=

●建築大師
オレンジ色の太陽が、華南の大地にゆっくりと落ちはじめる黄昏前。公園の池越しに、奇峰を望む木蔭のベンチに座る。目の前の自然が織り成す静粛とは裏腹に、走り回る子供たちと、野芝に座りポーカーに一喜一憂する大人たちの少しばかりの喧騒の中、日本から持って来た文庫本を読むのは、至福な時間だ。 

インターネットが普及したとはいえ、アジアな時空へ、ススッと持ち込め、一寸のミスマッチの中で読む日本語の活字は妙に脳裏に刻まれる。就寝前にゴロゴロしながらからウトウトと心地よい時間へ誘ってくれるのも文庫の活字だ。日本出国前日に、背表紙のタイトルだけで、興味の沸いた文庫
本を、だだっと買い集め、スーツケースの隙間にぎっしり詰めるのは、いつもながらの習慣だ。
 
その中の一冊に、建築家・安藤忠雄著『建築に夢を見た』がある。わが校の環境美術系の学生たちはもちろん、こちらでは彼のことを『世界建築大
師』と賞賛している。

わたし自身、安藤忠雄のシンプルで力強い造形に心惹かれてはいたものの、彼の創作エネルギー体をもっと知りたいと思ったのは、瀬戸内海・岡山県直島でアメリカ人芸術家、ジェームス・タレルとのコラボレーション『南寺』を見てからだ。“極限まで剃ぎ落とした安藤建築”が“静粛なタレル
の光のアート”を、程なく包み込み、淡白で美味な日本料理を頂いた感覚だった。

コラボレーションを、日本語に訳せば共同制作ってことになるのだが、相手がアーティスト同士の場合、そう簡単には問屋が卸さない。 絶えず相手の主張との緊張関係を余儀なくされる。押したり、譲ったりしながらひとつのモノを作り上げていく共同創作活動だ。

わたしの安藤イメージは、若い頃、世界各地を歩きまわり、プロボクサーのライセンスを持ち、大阪弁で建築思想を連射しながらグイグイ押してくる、高卒の東大教授。“グレートな難波の機関銃”だった。信じるものは自分の目”と言い、饒舌で気の短かそうな彼に、共同創作のコラボレーションは似合わない世界だと思っていた。この本を手にしたのは、背後にそういう理由があったからだ。 “

ひたすらな対話”をつみかさね、対話が多ければ多いほど、作品から奥深い魅力が発光すると彼は言う。“ひたすらな対話”との一言に不意を突かれた。曹洞禅の道元が“只管打坐”なら、安藤の“ひたすらな対話”は“只管対話”おなじ修行僧じゃないか。      

極限状態での可能性の追求が、本当の意味での創造だと語る。寝食を忘れ、死に物狂いで自分の求める生き方を追求しながら、ひたすらに建築に挑む話は、まるで“建築界の正法眼蔵”だ。 

この本は、ひたすらな対話を通して、彼の思いを理解する周囲と共に、建築に生命を吹き込むまでの過程で綴られている。異文化の中で、ちょっといじけて、対話を忘れそうになったとき、創作で迷いそうになったときの良質な一冊だ。

<終わり>
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 08:22 | 南日本新聞コラム

一路平安

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●一路平安=8月4日南日本新聞掲載=

●一路平安
ことしの華南は“超・超異常気象”だ。昨年末から今年の3月にかけ、桂林では、90年ぶりという水不足。節電のために1日3・4回予告無しの停電があるのだが、それに呼応して、水が出ない。洗濯できない。ネットが繋がらない。夜の突然の停電は、学校中から“あ~~”っと、大声が上がり、点灯した 時、また歓声。学生宿舎と、教職員棟に住む約3000人が一斉に、“あ~~っ”て言うのだからら、そりゃあ、天空にこだまする。
 
パソコンで仕事中の停電だったら、データーが消えちゃって、それどころではない。“頻繁に保存”は、頭の中じゃ分かってるのだが、パソコンワークに集中しちゃうと、ついうっかり、忘れてしまう。学生だっておんなじだ。彼らに与えたデザイン課題も、停電続きで締め切りに間に合わない。なかには、停電を言い訳に、わざと遅れる確信犯もいるのだが、まあ、仕方ない。 

多媒体教室(マルチメディア教室)のスクリーンに画像を投影しての授業では、開始5分で突然の停電。さすがに慌てた。だって、画像を見ながらの授業しか想定していないものだから、気がついたときは、80名の学生を前にオタオタするだけ。それを見かねた学生たち、“日本の歌うたってよ”とのリクエスト。ぼくは、中国語でもカバーされてる“長渕剛”バージョンを唄ってお茶を濁す。
 
4・5月は天候は安定しているっていうのに、日中関係の雲行きが、怪しくなってきた。晴天の霹靂。その頃、ほぼ連日の卒業制作指導中。卒展にむけ、4名の学生と、仕事場で長時間を一緒に過ごす。政治の喧騒とは裏腹に、彼らの口から、この話題はでなかった。ぼくの複雑な心境に配慮して、遠慮してたのだろうと思う


6月に入ると、雨が降りだし、あれよあれよというまに、桂林の中心を流れる璃江の水かさがアップしてきた。下流では10万人が緊急避難。華南では100年ぶりという大豪雨。年初めの水不足がうそのようだ。まさにバケツをひっくり返したような雨は、一度に排水溝へ流れ込めず、校内でも、いたるところでプチ洪水騒ぎ。学生が、授業に遅れたときの“言い訳”も、この雨だ。まあ、これも仕方ない。
 
豪雨が治まると、37度を超える猛暑が始まった。昼間は、外出できない。厳しい日差しだけに、学校周辺の屋台は、夜になると涼を求め、ビールでカンパイの人々で溢れかえる。もちろん、学生たちも例外ではない。

7月初め、この猛暑の中、卒業制作発表会が開かれた。昨年指導した学生がトップを取っていただけに、今年も、密かに狙っていた。だが、4名とも入賞無し。くやしがるというより、あっけにとられる学生たち。指導教官である、ぼくの気持ちを察してか、その夜は、日本料理へ招待してくれた。(
実は、韓国?焼肉だったのだが‥)。
 
7月下旬、卒業式を終えた、ぼくの学生は“はじめて日本人に触れられ『新鮮』でした”と言い残し、就職の決まった沿海部、広州、上海の工房やデザイン事務所へと旅立った。『新鮮』という言葉が、みょうに印象に残った。

一路平安!がんばれよ。大陸の夏は、別れの季節でもある。
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 08:19 | 南日本新聞コラム

風雨橋

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去に南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらへ移しておきます




■風雨橋=9月1日南日本新聞掲載=

桂林から山を越え“三江”の街に着くと、匂いが違う、光が違う。ほこりの舞うバス停には、バイクを改造した三輪車を運転するおばちゃんたちが、着いたばかりのお客を奪いあうように客引きを始めた。そのおばちゃんの、聞き取りにくい方言を、なんでも知ってるんだぞ、というふりをしながら騙されないよう、値段交渉。

向かう場所は“風雨橋”やっと乗り込んだ相乗りの三輪車は、あひると鶏、穀物の麻袋と人で、一寸たりとも動けない。斜め前に座る、生まれたばかりの赤ん坊を、大切そうに毛布で包んだ、ミャオ族の、母親が妙に気になる。まだ、10代半ばにしか見えない幼い顔の母親に、チラッ、チラッと目を向けながら、そのあどけない顔と、美しい衣装、その髪型を、脳裏に焼き付けようとなぜか努力する。

力のないオート三輪は、山道を喘ぎながら登っていく。カーブを回りこむたびに、時代を遡るように姿を変えていく村々の、風景に、一抹の不安とも、期待ともつかぬ心境になりながら、トン族の集落の入り口である“風雨橋”へと到着。“風雨橋”は雨の多いこの地方一帯に点在する寺院のような屋根をもつ橋だ。その橋の一角は集会場として、橋の欄干に沿った両側は市場として使われている。
 
まわりはすっかり黄昏た。人影もまばらだ。風雨橋の中ほどで、腰までありそうな長い髪を、頭の上でひとつに束ね、袖元に細かい刺繍を施した、トン族の黒い民族服を着た女の子に気がつく。畑仕事の帰りだろうか、収穫物を入れた竹かごを傍らに置き、橋の欄干にもたれ、携帯電話の真っ最中だ。

相手は誰だろう‥駆け抜ける風に吹かれながら、アジアの片隅、そのまた隅っこから、コミュニケーション。テレビCMのような光景だった。
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 08:17 | 南日本新聞コラム

新校舎移転

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去に南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらへ移しておきます



■ 新校舎移転=9月22日南日本新聞掲載=

●新校舎移転
秋を予感させる赤トンボの群れが舞い始めてはいるのだが、『中秋節(秋の十五夜)』を過ぎたというのに、夏の盛りのようなギラギラした太陽光が降り注いでいる。特別な用事でもない限り、日中は部屋から出たくはない。

この暑さの中、9月の新学期を向かえた。新入生は恒例の解放軍教官による3週間の“軍訓”がはじまった。“軍訓”と書くと、おどろおどろしだが、行進がメインの団体訓練だ。教室へ向かう途中、垣間見るグランドでの訓練は、かならずクラスに一人くらいドンくさいのがいて、行進の足並みは、未だいっこうに揃わない。緊張感なんてまったくない。なんだか初々しくて微笑ましい。まぁ、全国各地からやってきた新入生初顔合わせ共通体験といったところだ。とはいえ、やはり『異国』を感じる。

例年この時期、キャンパス内の放課後は、新入生を誘うクラブ勧誘の大声に満ち溢れているのだが、ことしはちょっと様子が違う。学校改革にともなった生徒数の拡大で、9月の新学期から、郊外の新校舎に移転するはずだった。しかし、完成予定の新校舎が未だ出来上がっていないのだ。いまの校舎に割り当てられた新入生の一部を除き、多くの新入生たちは、他校に間貸りしての新学期が始まった。だから、ちょっと静かで寂しいキャンパスだ。
 
近年来、多くの学校で合併や改革にともなうプロジェクトが進行している。それに伴い、校舎をリニュアルしたり、新しく作ったり。数年前は東大クラスの精華大学が、デザイン教育最高峰の中央工芸美術学院を併合した。地方の大学も統廃合は例外ではない。

ぼくのところは、幸運にも、学校拡張が決定し、郊外に新校舎建設とあいなった。着工が始まって早2年。プランでは、とっくに完成しているはずなのだが、異常気象の大雨や、二転三転する資金繰りの問題で、なかなか工事は進まない。学生たちは、とっくに来てるっていうのになぁ‥

ごくごく普通のチャイナライフの経験で言えば、一旦決めたプランであっても、なかなか思うように進んでくれない。プランはあくまでプラン。進まないものは、『しかたないよ』と即答される世界が同居してる。

時として、ピリッとした緊張感のない流れに押し流される。どどっと押し流されると、逆に、『プラン』という束縛から解き放たれた気分になってくる。おっとアブナイ。まぁ、ぼくは、たいした責任もないから、勝手なことが言えるのだが‥しかし、これが、お上の命令を受けた直接の責任者だと、かなり事態は深刻だ。

校長は、北海道大学留学の知日派だ。学校改革の総責任者。青写真では、新キャンパスは周囲4キロ。学生数1万人。市場から銀行、ホテル、警察まである『大学城』だ。ときどき訪ねる校長室では「いやぁー、きついですよ。まいってます。今晩も宴会です」と、日本語で、ぼそっと、ぼやく。
この巨大な工事がスムースにいくように、『しかたがない』を言わせないように、上へ下へと、人脈つくりに奔走している。彼の、乾杯のつづく夜は、開校式まで当分続きそうだ。       
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 08:15 | 南日本新聞コラム

日中設計対照集

●日中設計対照集=10月22日南日本新聞掲載=

●日中設計対照集=10月22日掲載=
現在、ぼくの仕事場は、プリントアウトした用紙の山、カラフルな付箋紙、辞書類、スケッチ、学生の作品、たくさんの紙コップなどが、散乱していて足の踏み場もない。忙しいことはよくないことだと思っていても、切羽詰らないと動き出さない性格は直るものでもないみたいだ。おまけに、ほぼ毎晩の宴会続き、“白酒(ばいじょう)”の抜けない日が続く。

白酒は、コーリャンを主原料とする無色透明の酒。アルコールは平均五十度。宴会では、これを『干杯!(カンペイ)!干杯!』と一気に飲み干す。ぼくの一時帰国にかこつけて、美術仲間の、のん兵衛たちがあつまるだけの話だが、ついつい、酒飲みのたちの“ご好意”に、ハマってしまう。

ぼやけた頭に活を入れ、土壇場で取り組んでいるのが、日本語ー中国語デザイン辞典。うーん、辞典と言うと、とっても凄いものに聞こえちゃう。だから、日中デザイン対照語集にしておこう。仕事場の壁一面に貼り付けられた赤や、黄色のカラフルな付箋紙。実はこれ、表に中国語、裏に日本語のデザイン・美術単語をメモしてある。ぼちぼちと、集めはじめたのは二年前。

あたらしい単語に出会うと、ちょこっとメモして、ぺタッと壁に張る。それが、あれよあれよと、増えてきた。一年を過ぎた辺りから日中のデザイン・美術対照語をまとめようと思い立つ。専門用語の日中辞典は、いくつかあるが、デザイン美術の対照辞書は、見たことない。どこかにあるのかも知れないが、それだって構わない。

うわさを聞いた四名の日本語科の学生が助っ人に来てくれた。美術関連の本を広げ、活字を追いながら、本格的に単語の採集がはじまった。さて、さてここで初歩の美術用語問題。 ?@霊感。?A艶俗芸術。?B行為芸術。は日本語でどう訳す。?答え。?@インスピレーション。?Aポップアート。?Bパフォーマンスアート。ああ、なるほどねって感じでしょ?!でも、よく見ると日本語は外来語。英中対照って気がしないでもないのだが‥このように、字面だけである程度見当がつき、すんなり訳せるのもあるのだが、なかには苦戦することも。あーでもない、こーでもない、と言いながら、ときには図で示したり。そうしてるうちに、徐々に“ことば”の輪郭が見えてくる。
 
きっと、江戸時代、医師の杉田玄白先生たちがオランダ語の本を初めて『解体新書』に訳したしたときも、こんな雰囲気だったんだろうな。失礼、ちょっと比喩がオーバーだ。なんとなく先が見えては来たものの、テンションが上がると、あの単語、この単語と、収集はエスカレート。さすがチャイナ、ついに一人が美術でよく使う成語(四字熟語)まで集めだす。それにもやっと踏ん切りがついた。これまで集めた単語の入力がはじまった。あまりの単純作業に、“こんなことやって、なんになる?”と頭をよぎる。ふぅ ~
 
街中は、桂林の名前の由来でもある桂花(キンモクセイ)の、かおり漂う桂林のベストシーズンがはじまった。           
 
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 08:08 | 南日本新聞コラム

青年海外協力隊

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去にの南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらに移しておきます



■青年海外協力隊=12月1日南日本新聞掲載

●青年海外協力隊
『青年海外協力隊というと、途上国で農業や医療の現場で活動をするイメージですが、美術やスポーツなどの活動をする協力隊員がいるのを知ていますが?“美しさと表現”を求めて、欧米ではなくアジア・アフリカに飛び立った三人のアーティスト。現地の人たちとの生活、自然と人間とのかかわりとの中から、‥(略)』
 
いきなり冒頭からの引用文ですが、数年まえに鹿児島北埠頭で行ったアート・イベントの紹介文だ。催しのタイトルは“アートで国際協力展”~国際協力で見つけた宝物~。
 
鹿児島から青年海外協力隊の美術隊員として、現地での活動を終わらせ帰ってきた3人が、作品展示とワークショップをすることになった。青年海外協力隊は、国際協力機構(JICA)が公募する海外派遣事業の一つだ。公募される職種は、約140種。

ドラマ“白線流し”では長瀬智也君が“溶接”でスリランカへ派遣されたシーンを覚えておられるかたも多いだろう。協力隊は一般的に、農業や、貧困対策のボランティアというイメージなのが、“アートで国際協力展”は、たとえば“美術という職種もありますよ~”という、広報を兼ねた催しだった。

帰国した隊員でつくるOB会の活動も盛んだ。主な活動は、協力隊の広報と募集の活動。先輩がたの努力もあって、これまで、鹿児島県から派遣された隊員の数は、人口比率では全国一位。


“アートで国際協力展”も、その活動の一環だった。当時、帰国していた美術隊員OBは、赤道直下パプア・ニューギニアから藤浩志氏。アフリカ・ザンビアから宮薗広幸氏。そして、中国から帰国の僕だった。
 
三人は、派遣された時期は違うが、現地では、美術やデザインの先生として活動していた。美術を通じて海を渡るには、留学を含め、いろんな派遣の制度がある。ちょっと異色だが、協力隊での美術派遣も、まんざらではない。「その後の作品」に、現地でうけた影響が色濃く出てくるからだ。「その後の作品」は、国際協力で見つけた宝物かも知れない。

藤氏は、いまのベースをつくっているほとんどがニューギニアでの体験だという。原始社会の色濃く残るパプアで出会ったヤセ犬を作品シリーズに仕上た。日本の現代アートを引
っ張る。

宮薗氏は、アフリカの大地を感じるほのぼのとした中に、力強さのある曲線のフォルムで、彫刻を表現。49回県美展最高賞。ことしは、かぎん文化財団賞受賞。僕のほうは、この派遣が縁で、いまでも当時の任地である水墨画の師匠のいる中国・桂林との往来がつづく。
 
先日、第六十回南日本美術展の発表があった。その中に、見覚えのある名前を見つけた。最高賞・第六十回記念大賞/濱口久恵。『ありゃーっ!』、昨年まで中国で美術隊員だった‥。むこうで出会ったときには、「派遣先の、やんちゃ中学生に苦戦中ですよ~」と語ってくれた。
 
受賞作品を見た。画面に現地での生活体験がドッとあふれる。ヤッタネ、おめでとう!どうやら、彼女も最後に宝物を見つけて帰ってきたみたいだ。
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 07:45 | 南日本新聞コラム