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彩遊記

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カテゴリ:南日本新聞コラム( 75 )

中国的電影情報

昔、昔お世話になった「さるさる日記」が停止になるそうで・・過去にの南日本新聞連載原稿をここで保存しておいたのですが、こちらに移しておきます

■ 中国的電影情報=1月12日掲載=

●中国的電影情報=1月12日掲載=
桂林で迎える八度目の正月。海外向けBS衛星放送や、WEBカメラの発達で、日本の年末・年始の雰囲気はオンラインで届けられるようになった。とは言っても、こちらの新年は旧暦(春節)で、ここぞとばかり祝うので、申しわけ程度に聞こえる爆竹の音を除けば、新年の雰囲気などまったく無い。僕は、日本の元旦モードを味わいたくて、初日の出を見るために、近くの公園の中にそびえる奇峰の一つに登ることにした。

ところで、“韓流”って言葉はもともと中国語だということを知ってますか?。こちらのCD屋さんで、ちょっとした異変が起き始めたのは数年前。それまで、街のCD屋に必ずあったのが、日本の映画やテレビドラマとヒット曲のコーナー。そのコーナーが徐々に、韓国ドラマに塗り替えられてきた。いま思えば、これが韓流のはじまりだったのだろう。

チャイナのおばさまたちも、学生も、韓国ドラマに夢中になっている。こちらでも「こんなもん、ほんとの親善とはちがう」みたいな言い方をしている人もいるようだけれど、売り出すための仕掛けも当然あるのだろうけど、作品に魅力があり、時勢を捕らえて、共感を得ちゃうと、アッという間に政治を飛び越え、ふたつの距離を縮めてしまう凄さがある。

昨年は、韓国ドラマ『大長今(チャングムの誓い)』が大陸で大ブレーク。ある一日は、一億六千万人が見たというから、半端じゃない。中国のリーダーたちも『大長今』に魅了されてるとか?こうまでなると、たかがドラマと、侮れなくなる。

その一方、先月末チャイナ発で、中・日・韓の俳優を主役にした“陳凱歌(チェン・カイコー)”監督の中国映画『無極(プロミス)』が封切られた。日本人の俳優は、“真田広之”。

それに対抗するように同じく先月末、“高倉健”を主演に、雲南省・麗江で撮影した『千里走単騎(単騎、千里を走る。)』が、封切られた。監督は『ヒーロー(英雄)』『初恋の来た道』など日本でも話題になった“張芸謀(チャン・イーモー)”。彼と“高倉健”の二人が15年来の思いを実らせた作品だという。

これまで幾度か彼の作品を見た。中国人独特の色彩感覚から生まれている鮮烈な色彩を、カメラマンの出身らしく、生き生きと描くのが特徴だ。アーチストとしてだけではなく、世界戦略のビジネスセンスも持ち合わせている。

多才な“張芸謀(チャン・イーモー)”が総監督したモダンな民間劇が桂林にある。郊外へバスで約1時間“陽朔”と呼ばれる街に、山水の大自然をそのまま利用した大劇場が作られた。総勢600人の地元民が、鮮やかな色彩の布を使ってのパフォーマンスは彼の得意とする表現だ。芝居の動きにあわせ、コンピュータ制御でライトアップされる山水のランドアートも必見だ。

先日、美術教師の同僚たちに誘われて、久しぶり映画館へ足を運んだ。話題作は混雑するからと。午前の部に間に合うようにと行った。ところが係りのおねえさん、「きょうは、冷え込んで午前中は観客少ないねぇ、夕方からおいで」とのお達し。抵抗むなしく、これには苦笑。結局、夕方から見ることに・・ここでは、まだまだ想定外のことが起きるのだ。映画を見るのもたいへんだ。  
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by ogawakeiichi | 2011-06-23 07:42 | 南日本新聞コラム

スモールワールド

東日本での大震災以来、『偶然』とか『遭遇』という言葉が妙に気になっている。

これまでも大災害の報道があるたび、妙なことだが、なぜ自分が当事者ではなかったのだろうかと、天を仰ぎながら思うこともある。

インドネシア・スマトラ沖の地震では22万人、中国・四川省大地震では7万人が犠牲者となった。

四川省大地震は、たまたま少数民族の街をスケッチするため高山病に悩まされながら訪れたことがあった場所で起こった。

そのためか、犠牲者がはるかに多いスマトラ沖の地震に比べ四川省の地震のほうがより身近でより悲惨に感じられた。東日本の大震災はいうまでもない。

昨年中南米の島国ハイチで起きた大地震では死者30万人ともいわれているのに、日本ではすっかり忘れ去られている

話は一転するが、未来からやってくる偶然には、震災や交通事故の不条理もあるが、うれしい出来事もある。

学生時代、東京・目黒のアパートに住んでいた頃のことだ。

下の部屋に住む、当時早稲田の学生だったW君に誘われ、天体観測をした思い出を僕のブログにかいたことがある。

彼の名をブログに書くのは少々憚りながらではあったのだが、実はちょっと試してみたいことがあったのだ。

「6人たどれば、世界中のだれとでもつながる」という話を聞いたことはないだろうか。

ぼくらはいろんな機会に世界が意外と狭いことを経験してはいないだろうか。

偶然で複雑だと思われている世界も、観察してみると、じつは単純な法則で成り立っているのではないかという「スモールワールド」という仮説を試してみたくなったのだ。

この仮説によれば、世界人口の60億人は、たった6人の知人を通じてつながっているらしい。

つまり、知人の知人の知人の・・・知人には,オバマもエリザベス女王もいるし、石川遼も斎藤 佑樹も、携帯電話の白い犬までも誰かを介して繋がっているわけだ。

もちろん6人ではなく、もっと少なくなる場合もあるだろう。

多くの友人や知人をもつコネクター的な人や、繋がりたいという強い意志もった人であれば、すぐに繋がる場合もあるだろう。

もともと僕のブログ、公開はしてるものの普段は、だ~れも見ない。

偶然にブログを読んだ未知の人が、彼の情報をくれないかな程度の気持ちで書いたものだった。

学生時代の思い出をエントリーしてから実に一年後、「天体観測の好きなWさんと数年前まで一緒に働いていました」という書き込みがあった。

その一年後、ついに、とうとう本人からメールがあったのだ。

偶然と思われていることも、少しの意志でスモールワールドになりえることを感じた出来事だった。

もちろん上手くいくかどうかは天の采配だろけど・・。

今回の大災害でも、ネットを通じた偶然が織り成すスモールワールドで多くの人々か繋がったことだと思う。

↓ 以前のエントリー 記事ネタ元
複雑な世界、単純な法則
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by ogawakeiichi | 2011-04-30 18:47 | 南日本新聞コラム

思うこと

巨大地震と巨大津波、そして原発事故が起こってから3週間がたった。
 
突然やってきた不条理な国難に、気がつけばテレビの前で固まって動けなくなっていた。頭の中を妄想があれやこれやと駆け巡り、熱っぽい体調が続いた。
 
振り返ればこんな気分は過去にもあった。
 
他国での出来事であり、多くの日本人の記憶から忘れ去られていると思うが、2003年、中国南部で発生した新型肺炎(SARS)が大陸で猛威を振るったときの事だ。
 
新型肺炎が世界中を震撼させたとき、その発生源にごくごく近い華南の桂林で暮らしていた。感染拡大を防ぐため、交通機関はストップ。もちろん日本と中国を結ぶ航空機も止まった。ひたひたと忍びよる新型肺炎への不安感。
 
仕事先の学校内での軟禁生活を余儀なくされたが、そんな中、中国人同僚たちや、学校というコミュニティーが支えになった。
 
異国ではあったものの、新型肺炎騒動を真っただ中で経験したのに対し、おなじ日本国内とはいえ、ふと我にかえればお茶を片手に唖然とテレビを見ている傍観者の自分がいる。
 
どうしようもない、このふわふわした感じに対する罪悪感の中で、テレビの画面やインターネットからくるりと背を向けると周囲の世界は淡々といつものように動いている。
 
情報から背を向けたところにある日常と、一方では日本という国土が限られた人々に럀委랙ゆだ랈ねられている祈るような現実との間で、感情のバランスがうまくとれなくなっているのかもしれない。
 
北京で暮らす娘には、中国の友人たちが日本へのお見舞いや、わが家の消息を尋ねる電話、メールが相次いでいるらしい。

大学が集まる地域では災害後すぐに、日本への義援金の活動が始まったという。
 
ぼくの中国の友人は原発の1件に慌てふためき、受け入れの準備はできていますと電話をよこした。

どうやら海外での報道は日本の報道より深刻らしい。
 
鹿児島市内で留学生寮の世話役をする息子は、母国から帰国勧告を受けたヨーロッパからの留学生が、冷蔵庫の中もそのままにして帰国したと、ぼやいていた。
 
翻って中国での新型肺炎騒動のときも、危機管理の面から中国在住外国人の多くが帰国勧告を受けて母国へ帰った。海外からみると鹿児島も東日本も日本には違いないのだが…。
 
中国や英文のサイトをのぞいてみると、ショッキングな写真や慟哭なしではいられない写真が並び、真実ともデマともつかぬ深刻な内容が掲載されている。
 
これらの記事が風評被害を生むのか、それとも隠匿被害から逃れられるのかは、ぼくにはわからない。
 
ただ、人間の一生で、大災害や事故などの不条理は、常に不確実の海を漂い、不確実な不条理は遥か昔から途切れることなく続いてきたのだ。ぼくらはこの不条理に耐え忍び、前へ進むしかないのだろう。
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by ogawakeiichi | 2011-04-02 08:21 | 南日本新聞コラム

科挙とカンニング

科挙は六世紀、隋の時代から二十世紀はじめの清の時代まで実に一三〇〇年もの間、中国で続いた官吏登用試験だ。

いってみれば受験戦争の元祖みたいなもの。

試験は漢詩や四書五経と呼ばれる古典がお題になった。

浅田次郎氏の小説「蒼穹の昴」は中国清朝末期の科挙が描かれているので原作を読んだことのある人も多いと思う。

科挙の制度は複雑で、また年代により違いがあり一筋縄ではいかないのだが、一般には最初に「郷試」とよばれる地方試験があった。

それに合格すれば「挙人」と呼ばれ不逮捕特権を与えられた。

郷試に望む受験生は一族の期待を一身に集め、三日三晩にわたり独房みたいなところで受験した。  

これに受かると、わが村のヒーローだ。

中国で農村にスケッチに行くと、まれに一般の村とは違う、気品のあるオーラを放つ立派な門や白壁のある村に出会うが、そんな場所はたいてい科挙の合格者を出した村だ。

郷試に合格するだけでも大変なことなのだが、次に中央で行われる「会試」に合格すれば一族一門は言うに及ばず、その村、郡、県の利益をもたらす大事件、大吉事である。

生まれた家は名家となり、その一族は地方の名門になる。

なにはともあれ合格すれば、それに見合う厚遇が待っていたので一族や有力者は才能のありそうな子供を見つけこれを支えた。

科挙に合格するということは唯一、誰もが特権階級になれる道でもあった。

一次、二次に合格した超エリートは最後に、皇帝の前で「殿試」とよばれる試験に臨む。

科挙のこの三つの各試験において全てトップで合格することを「三元」という。 麻雀好きの人はご存知、これが麻雀の役満「大三元」の由来でもある。

私の暮らした桂林の街中の城門には、オラが町の誇り「三元」が出たことを記念する大きな石碑が掲げられていた。

だれもが特権階級になれる熾烈な科挙での競争は、数十万字を書き込んだ下着も残るカンニングの歴史でもある。

科挙の本家中国は、今でも受験や試験は熾烈を極め、そのためカンニングも巧妙でハイテクだ。

耳に埋め込むタイプのイヤホンとクレジットカード型の受信機をセットに販売し、回答を近くのホテルから送信していた業者が摘発されていたこともある。

私の勤務していた大学では、試験の時期になると「不正をしないように!」という横断幕やポスターが掲げられ、構内の掲示板には、カンニングが発覚した学生名と退学通知を大きく張り出していた。

しかしそれ以上に、試験シーズンのこの時期は、あれやこれやの人脈探しが盛んであった。

今回、日本の大学入試におけるカンニング騒ぎは、インターネットを使った手法が注目されたのか、大学や大学間での処理を越え、警察沙汰にまでなった騒動に、なぜか少々心が痛むのでもある。
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by ogawakeiichi | 2011-03-04 10:16 | 南日本新聞コラム

徐福伝説

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2月2日は旧暦の正月の前夜である大晦日だ。大陸では半端じやない爆竹が街中に鳴り響く。

日中友好協会の方々とともに、鹿児島でも海を越えてやってきた中国からの留学生百人を越えるメンバーが集い、餃子をつくり、カラオケを歌い『新年快楽』を祝った。

歴史を振り返れば、本土最南端に位置する鹿児島は、地理的な特徴もあって、日本の窓口として古くからさかんに大陸との交流が行われてきた。

いまでは押しも押されぬ鹿児島ブランドとなったさつまいもや黒豚も大陸から沖縄経由でやってきた。

鑑真和上は5度目のチャレンジでやっと坊津へと着いた。

とりわけ日中の歴史ロマンをくすぐる人物もいる。

徐福(徐市)伝説って聞いたことがありますか?

それは、いまから約2200年前、中国は万里の長城を築いた秦の始皇帝の時代、不老長寿の薬草を求め、多くの童男童女、五穀の種、技術者を乗せ蓬莱の国を求めて船出しながらも、忽然といなくなった徐福にまつわる話である。

徐福は長い間中国でも伝説上の人物だった。しかし,近年、彼の生まれた村がみつかり,その村には現在も徐福の子孫が住んでいることがわかったのだ。
そもそも徐福(徐市)を実在の人物とすれば、一行はいったいどこへ行ってしまったのか?

彼の伝説は日本各地に存在するのだが、どこにたどり着き,どこに居住したのかは、だれも知らない。

これは日中の歴史家を悩ます東アジアの大きな謎でもあった。

ところが、どうやら徐福一行は、いちき串木野の照島海岸に上陸しているらしい・・・のだ!?

ロマンを膨らませば、照島海岸には始皇帝の秦王朝、秦から命名したかのような、『秦波止』という場所があるが、そこは、徐福が上陸した場所ではないか?

徐福は、またの名を“徐市”というが、いちき串木野の“市来”は市が来たに由来するのでは?との話さえある。

さらにもうひとつ、照島海岸に上陸した一行は、荘厳なパワーを秘めた山を見つけ、山頂で、天の神と対話する「封禅」という儀式をおこない、徐福が頭にかぶっていた冠をその山に収めたという。 それが、いちき串木野のシンボルにもなっている『霊峰冠岳』である。

ふむふむ。そこまで揃うと、そうなると、ぼぼ、徐福ロマンは、伝説から実在へと解き明かされた気分になってくる。

当時のハイテク頭脳集団徐福一行の思想や技術は、修験道や密教のなか流れこみ、受け継がれ、彼らのもつ技術は、串木野に金鉱脈があることも、地形を一見しただけで分かっていたのかも知れない。

現在、修行や信仰の山である冠岳には、日本で一番大きな徐福像が西の海に向かって立っている。最近、近くに温泉もできた。

周囲の九州新幹線全線開通の喧騒を離れ、静かなパワースポット巡りもよさそうである。
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by ogawakeiichi | 2011-02-05 10:01 | 南日本新聞コラム

神話を読み解く

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ぼくの母校である川内高校(薩摩川内市)の目と鼻の先には「ニニギノミコト」を奉る「可愛山陵」がある。

300段を超える山陵までの石段は、部活動の格好のトレーニング場所でもあった。 

その「ニニギノミコト」をはじめとする、神様の物語が「古事記」や「日本書紀」だ。

山陵が身近にあったことから、神話に描かれた「ニニギノミコト」が、天から地上の高千穂へと「天孫降臨」してきたことだけは知っていた。

しかし当時は、宇宙人じゃあるまいし、神話など、でたらめな話としか思えなかった。

気がつけば、日本神話とは程遠い、中国で暮らしていた。

そこでは、日本・中国・韓国の間で「国」と「国」のトラブルが起こるたび、「国」という言葉に敏感になった。日本人という背景をもつ者として、好き嫌いにかかわらず、その渦中へと投げ出されていた。

そんなわけで、現在の日本と中国、韓国がどんな過程を経て「国」になっていったのか、日・中・韓それぞれの歴史を調べたいと思った。

だが、歴史を古代に辿るほど、境界があいまいになってくる。そして、最後は結局、神話の世界にたどり着く。
そのうち、でたらめな話と思っていた神話の世界は、伝承をもとに、それを創作した人や編集した人の「気分と都合」で書かれたような気がしてきた。

神話には、征服者と征服された人々の秘密が、織り込まれているのでは? と思うようになってきた。

しかし、神話に隠されたモノやコトを読み解くことはそう簡単ではない。

まずは聞き慣れない、早口言葉のような大勢の神様に辟易する。さらに、一人の神様がたくさんの名前を持ち、加えて、神話の舞台が複数登場してくると、混乱にさらに拍車がかかりギブアップだ。

どうやら神話を攻略するには、覚悟をもってアスリート感覚で挑む必要がある。

仕事柄、デザイン思考を活かし、神話を図解してみることにした。

見えてきた大雑把な日本神話の流れはこうだ。「天地創造」に始まる日本神話は、「高天原」と「出雲」へ並列して進み、突然、舞台は一転し、天孫降臨の「日向」へ移る。最後は現在の奈良県であるヤマトへ流れこみ、大和朝廷となっていく。

ところが、アジアを俯瞰してみると、日本神話にとてもよく似た話が、朝鮮半島にも大陸にもあったのだ。

朝鮮半島には、天上から亀旨峯(クジボン)に神が降りてきた天孫降臨の話がある。

ぼくのなかでは、この話がどうも「ニニギノミコト」の天孫降臨の話と重なって見えてきたのだ。

朝鮮半島と日本の間には、いまでも難しい問題があるにはある。だが古代には、ぼくらが想像している以上に、かなり近い関係があったのでは、という気がしてきた。

いずれにしても古代には、境界など意識しない関係があったのだけは確かなようだ。
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by ogawakeiichi | 2010-12-03 14:13 | 南日本新聞コラム

観察すること

このところ、ブランドに関する仕事が続いている。

しかし、自分でつくったモノが残らないことも多く「なにをつくったの?」と聞かれると、一瞬返事に窮してしまう。
一般の人は、ブランドづくりを、マークや、パッケージを作ること思っている節がある。もちろん、それも大切な要素に違いない。

しかし、実際は企画書や依頼書を書いたり、言葉で伝えたり、もちろんスケッチを描いて説明したりはするが、実像としてのカタチには残らないことが多い裏方稼業だ。 
 
ぼくらの仕事は、まず観察からはじまる。人を観察する。世の中を観察する。組織のつくりや人間関係を、客観的に「観察」する。多くの人と会話しながら“気持ち”を集める。

次に、集めたものを見渡しながら、老若男女の役柄になり、どんな人が、どんなモノを、どんなときに、どんな場所で…などなど、問題を解決する方法を探し出していく。

しかし、そう簡単には問屋が卸さない。

手がかりがみえてくるのに数ヶ月ということもざらにある。(※最終的にはその手がかりからモノを生み出し、内から外へと繋がる仕組みをつくっていくのだが、ここでは省略)。
 
さて、一見苦痛にも見える手がかりをさがすための「観察」だが、見知らぬ土地でコミュニケーションをとりながら、そこで暮らす人々がもつ、モノや仕組みに分け入ることは意外と楽しい。

このことをはじめて体感したのは、青年海外協力隊で中国・桂林に派遣されたときのことである。
派遣当初は、見ず知らず、わけの分からぬ異文化へ落下傘で舞い降りた心境だった。

派遣先の職場は、誰がなにをやっているのかわからない。中国語での言葉によるコミュニケーションもおぼつかない。  

自分が、ここでなにができるのかもわからない。右も左もわからない、ないない尽くしだ。

相手を知らないことから、不安だけが襲ってきた。

このモヤモヤと不安から抜け出すには、かたっぱしから、祭りごとに参加して、酒を酌み交わし、土地に流れる歴史を調べ、その場にどっぷり浸かり「観察」していくしかないと腹を据え、覚悟を決めた。

すると次第に、あちらこちらに、散らばっている情報が紡がれてくる。今まで見えなかったものが見えてくる。周囲が見渡せてきた。

さらに、信頼のおけるキーマンとの出会いがあり、そこを結び目に多くの大切な友人達とつながった。(※実は、ここからが、本格的な仕事始めになる。)

実際にはデザインという仕事は、モノをつくる仕事と思われがちだが、そんな狭い範囲の仕事ではない。

「観察」を経て目に見えるカタチをつくり、それを磨いていくこと。

もっと言えば、いま、自分たちがおかれている状況を少しでも良くしようと思うなら、「観察」から見つけた気づきで、生活や生き方を磨いていくことだと思う。
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by ogawakeiichi | 2010-11-05 16:03 | 南日本新聞コラム

タイトルは日曜日南日本新聞で

f0084105_15462058.jpgそれにしても尖閣問題は、多くの人々の注目を集めた。少しは落ち着いて来たみたいだが。

テレビをつければ、ほんのちょっと前まで、中国人観光客の訪日が儲け話として騒がれていたのに、メディアはあっという間に、事件をきっかけに中国のコワモテぶりを取り上げ騒いでいる。

傲慢にもみえる中国政府の強気な態度は、決して外圧に屈しない「強い中国」を国民に広くアピールしなければならない、メンツをかけた国内事情でもあるのだろう。

今回の事件で分かったことがある。あえて前向きにとらえれば、蜜月と思われていた日中関係も、平和ということばも、ある出来事でいとも簡単に壊れる、ということだ。

日中の関係において「なかよし」の度が過ぎると、それにあらがう人々が、必ず存在するということでもある。
とはいっても、どんなにゴタゴタしようが、引越しできるわけでもなく、隣国の存在を無視できるものでもない。それをハラにすえたうえで、隣国中国と向かい合うということだろう。ダメなものはダメといえばよい。

今回、尖閣事件の直後、仕事関連のイベントで上海にいた。

会場は、人通りの多い屋外にあり、当局の命令で大事をとって大部分が撤去となった。

幸か不幸か、ぼくらが担当する鹿児島ブースは、目立つ場所になかったせいか、撤去の指示もなく会期を終えた。(※緊張感などまったくない。この事件の中、日本のイベントを支えてくれた中国人スタッフにはそれがあったかも知れない…。たまたま別会場で開かれていた、「日本消費品展」を訪ねると、入場料を払ってまで入場した中国人観客で、足の踏み場もないくらい溢れかえっていた。)

しかし尖閣事件から派生したイベントの中止という事実はズームインされ、現場の空気感を飛び越えて、報じられていく。

次に、日本のメディアの過熱ぶりが、中国のメディアに乗り中国政府の強気のコメントとともに報じられ、中国の一般庶民に伝えられていく。

またこのコワモテの報道を日本が報道する。報道が報道を報道するという連鎖がはじまる。
ぼくはデザイナーだから、制作の現場も制作の苦労も熟知しているが、刺激的な映像や言葉は視聴者をひきつけ、ストーリーになりやすい。

中国でも日本でも、一般庶民の大多数は、切り取られた映像やコメンテーターの言葉から、出来事をイメージしていく。

とくに中国では報道の内容がほぼ、一元化されているので、やっかいだ。(※最近の日本のメディアも似たようなものだが)

とにもかくにも、日本と中国の間で時に始まるゴタゴタで、何が一番嫌かというと、日中両国ともに親分たちの都合による政治とみごとにリンクしているということだ。

それは、政治と関係のないところで普通に生活している日中の一般庶民が、いやおうなく政治の渦に巻き込まれることである。風説により、気がつけば良好だった関係が、いとも簡単に壊されていることである。
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by ogawakeiichi | 2010-10-01 15:46 | 南日本新聞コラム

東シナ海ルネッサンス

台湾の故宮博物館を訪れたのは、いまからもう三十年前になる。

バックパックを背負い、アジアからヨーロッパを目指したときのことだ。  

博物館の展示品を模写してみたいと、スケッチブックをもっていた。

当時の台湾は、大陸との関係から戒厳令がしかれ、入国審査も厳しいチェックが待っていた。   

故宮博物館の壁面には、自国の領土を示す中国大陸と台湾島の描かれた大きな地図が掲げられ、台湾島の台北には、中国の首都を表す大きな赤丸記号がついていた。

日本もまた中国大陸とは国交のない時代でもある。

台湾、故宮博物館のメインの催しは、たしか四〇〇〇年余に及ぶ中国の陶器の展示の数々だった。

到底一日では見きれない展示品の数々と、見事なアジアのデザインに魅せられ、スケッチすることなど忘れていた。館内は観客もまばらで、ゆったりとした時間が流れていた。

先月中旬、台湾でジャパンブランドの仕事を終え、帰国の途につく直前、時間があったので台北の故宮博物館を久々尋ねてみることになった。

ところが、館内のロビーに一歩足を踏み入れるなり人の多さと熱気に驚いてしまった。

小旗を掲げた大勢のガイドが団体客を引率しながら、ワイヤレスのマイクとレシーバーを使い、展示の品を説明してまわる。

特にお目当ての超国宝級の展示品は、様々な団体客に取り囲まれ、なかなか作品まで辿り着けない。

週末も影響したのだろうか、なかには入場制限をしている展示室さえある混雑ぶりなのだ。

その団体客のなかでも圧倒的に多いのが、なんと中国大陸からの観光客だ。

ほんの十数年前まで、大陸と台湾のあいだには、軍事的一触即発の気配さえあったのに・・・。(当時、僕は中国大陸で暮らしていた。)

空港へ向かうタクシーの運転手に、台湾の景気を尋ねてみると、「大陸から来る観光客で、賑わっているよ!」との返事がかえっていた。

帰国便を待つ間、空港内の書店を覗くと、「台湾よ、どこへ行くのか?」といったモードの本が、並んでいた。

それとは逆に、もうずいぶん以前から、多くの台湾人旅行客が大陸に渡り、学生が留学し、また多くの台湾企業が中国大陸に進出していることも事実である。

翻って、鹿児島だが、三年前から夏場、週一回の割合で、中国人観光客を乗せた、大型船が寄港している。鹿児島の印象はなかなかいい。

桜島フェリーや主な観光地へ行けば、どこからともなく、中国語が聞こえてくる時代になった。

近年、台湾と大陸との間に直行便が開設され、交流がはじまったのは知ってはいたのだが、その現場に遭遇し、また、中華圏の商店に並ぶ日本の食材と、どこからともなく流れてくるジャパンポップスを聞くと、もともともとはるか昔から東アジアに息吹いていた歴史に戻りつつある『東シナ海・ルネッサンス』の時代なのかなと、そうも思った。
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by ogawakeiichi | 2010-07-30 11:11 | 南日本新聞コラム

共生への挑戦

鹿児島大学留学生センター主催による多国籍合宿が、第十回を迎えた。

六月中旬、二日間の合宿先である大隅青少年自然の家には、県内各大学のサークルや、高校生、国際交流機関、一般家族など、約三十カ国、四五〇名近くが集まった。

議論、講演、スポーツ、ワークショップなど多彩なプログラムにしたがって、降りしきる雨をよそに、テーマである「共生への挑戦」の時が流れた。

ぼくも昨年に引き続き「アジアのアート」と題した分科会を担当した。

昨年は、ひとりひとりに水墨を体験してもらうワークショップだったが、今年は多様な国籍をもつ人々を数チームに分け、それぞれのチームが共同で「梅の樹」を描くワークを試みることにした。

なぜ「梅の樹」だったのかといえば、水墨画の発祥の地、中国で師匠からはじめて教えてもらったのが「梅」の書き方だ。

そのためか、「アジアのアート」といえば、無意識のうちに「梅の樹」を選んでいたのだろう。

さてさて、ぼくが主催する分科会の参加者だが、そのほとんどが、お互いにこのワークで出会ったばかりの、ほやほやな組み合わせだ。

老若男女の多国籍からなるメンバーは、筆と墨をつかって全員でどんな作品を仕上げるのだろうか。どんな順番で、どんな描き方をして、どんな結果がまっているのかは、皆目見当がつかない。やってみないとわからない。

そのうえ、この梅雨の時期に描く水墨は、思いがけないにじみが多発し、それがいい味を醸しだせば問題ないが、ときには、そのにじみが絵画のバランスを崩してしまう。

多国籍合宿という「場」で、出会った「偶然」は、どんなものを生み出してくれるのだろうか。

振り分けられたグループは、たまたまな偶然の出会いにすぎない。

しかし、偶然のいくつかは、思いがけないモノやコトを生み出し、価値観を揺さぶり、ときに人生を大きく左右する。

偶然の出会いではじまったメンバーに、コミュニケーションが芽生え、次第に全員でつくる「場」に意識が向かい、自分の持ち味をいい按配で発揮して全員が「仲間」や「ファミリー」という必然になったとき、思いがけない効果や力が生まれる。

ワールドカップのサッカー日本代表チームがそうだった。

一戦ごとにまとまっていくチームの姿を見てそう感じた。

ところで、分科会「アジアのアート」の顛末だが、たまたまアフリカの人が複数いるチームは、全体がしっかりした線で描く現代アートの香り漂う作品になっていた。

日本人が複数いるチームは余白のある、きめの細かなにじみのある画面に仕上がっていった。どのチームも調和がとれた作品だった。

初日から、窓の外を濡らす雨は、多様で多彩な人々を、多国籍合宿という「場」に濃厚に閉じ込め、共通の体験を通じて、偶然による縁の結び目をより強固にさせていたのかもしれない。

「共生」と「偶然」と「場」について、ちょっぴり哲学した気分の二日間でもあった。
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by ogawakeiichi | 2010-07-02 04:46 | 南日本新聞コラム