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彩遊記

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カテゴリ:南日本新聞コラム( 75 )

南日本新聞コラム・長期旅行者

f0084105_11142142.jpg真っ赤な朝日が昇ろうとするころ、部屋の前の大木でセミが一斉に鳴きはじめる。桂林には珍しい青い空が広がる。雨期が終わったと思ったら季節はいきなり盛夏にはいった。

この猛暑の中、こちらは今が卒業シーズン。学校近くの屋台は、別れを惜しむ学生と涼を求めるのん兵衛で夜遅くまで大いににぎわっている。
 
広場の屋台ではくし焼きを食べながらビールを飲み、酔いがまわってくると上半身はだかでジャンケンによく似たゲームがはじまる。負けたら飲む。はじめて見たときは、けんかと間違うほどの勢いなのだが、大人がこれで楽しめるのだからうらやましい。最近は広場に大型テレビを置いた屋台もあり、ワールドカップの開催もあって大にぎわいだ。自国のチームは出場していないというのに、ほぼ毎日テレビ・新聞でサッカー特集をしているほど、こちらには熱心なサッカーファンが多い。

そのワールドカップもまもなく終盤戦だが、予選リーグ、日本対オーストラリア戦は、わが家に居候していた“バックパッカー君”と一緒に屋台へ出かけた。大勢の人民にまじり、屋台広場に置かれたテレビで観戦。

テレビの前に陣取っていた観客は、後半のオーストラリアが点を取ったあたりから、がぜん元気になってきた。うっ、四面楚歌か?。それとも、ぼくたちの思い過ごしだったのか?。好奇心旺盛な“バックパッカー君”は、ぼくと同じく人間ウオッチングも好きなようだ。ちなみに桂林の日本人会と日本びいきの中国人は日系のホテルで一緒になって当然、日本を応援していた。

さておき、居候していた好奇心旺盛な“バックパッカー君”のことである。建築デザイン専攻の学生で大自然と建築と世界遺産を巡る旅だという。バックパッカーとは、リュックを背負った長期旅行者のことだが、彼はそのうえ手にはギターを抱えてやってきた。ことばがヤバイときにはギターでコミュニケーションをとるつもりらしい。日本から上海へ船で渡り桂林へ。そしてヒマラヤを越えイスタンブールまで陸路で行くという。彼が桂林を離れ二週間が過ぎようとしている。昨夜、東チベットのちっちゃな街から電話があった。

数えきれないほどの峠を越え、数えきれないほどの谷を渡り、バスとヒッチハイクでチベット山脈を移動中だという。地図をみてみると東アジアを流れるメコン川、黄河、長江など大河のほとんどがこのあたりに水源をもつ。すごいルートを旅しているものだ。あの若さにしかできないと思うと、ちょっとうらやましい。旅で得た体験と二つの目で見たものは、後々デザイン力となり、どこかに表現されてくることだろう。

サッカーは残念だったが、まだまだ日本男児も捨てたものじゃないと思うこのごろだ。
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by ogawakeiichi | 2006-06-30 11:16 | 南日本新聞コラム

南日本新聞コラム/水の風景画


f0084105_10373387.jpg 華南の桂林は、いま本格的な雨期の真っ最中だ。一年を通してもカラッと晴れる日は少なく、十カ月近くはダラダラと霧雨の続く天気なのだが、この時期は降水量がけた外れに多くなる。
 璃江下りで有名な璃江も水かさを増し、観光客を乗せた船も川下りというより、川を押し流されているって感じだ。
 長江の“三峡下り”が満々とした流れの中で峡谷を見上げ、男性的な川下りといわれるのに対し、桂林の璃江下りは、おだやかな流れの中で山水を楽しむ女性的な川下りといわれているがしかし、今のこの時期だけは、まるで激流下りだ。
 例年雨期が終わり、猛暑がはじまると、街の中心に架かる橋のたもとの河畔には、璃江で泳ぐため黒山の人だかりができる。璃江の水はほかの川に比べきれいだというのだが…。
 浮輪を貸し出す店や、水着を売る店、アイスクリーム屋さんが軒をならべる。海と川の違いはあるものの、鹿児島の海の色を知っている僕は、この川で泳ぐ気にはなれないが、海水浴のできない内陸の人たちにとって、山水の風景をバックに璃江で泳ぎたいと思うのだろう。
 璃江に水源を取る水道水は、沸騰させて飲めるには飲めるが、同僚たちのほとんどは、この沸騰させた水でさえ飲んでいない。急激な発展にともなった工場排水による水道水の汚染が心配だという。たしかに最近の中国のイケイケムードを見ているとそんな気もする。
 そこで登場するのが“飲用純浄水”と呼ばれる透明なタンクに入った水。サクッと見渡しても、ほとんどの家庭や職場に常備してある。二十リットル入りで約十元(一元=十四円)。専門の水屋さんが電話一本でタンクをかついで来てくれる。
 そのタンクをお湯と、冷水のつくれる給水装置にセットする。来客があればこの水を紙コップでサッと出すのが習慣だ。
 ぼく的には、“璃江で泳ぐ人たち”と、璃江を水源とする“飲み水に気を配る人たち”の落差に、アレレって感じなのだが、どちらにしても桂林人にとっては璃江なのだ。
 この璃江を上流へさかのぼること七十キロ。紀元前三世紀、秦の始皇帝がつくった世界最古の“霊渠”と呼ばれる運河につながる。運河はさらに長江水系へ。長江から隋の時代にできた京杭運河へ入れば、驚くなかれ、桂林からはるか北京まで二千数百キロを川と運河だけで縦断できる。
 水墨画のぼくの師匠は水の豊富なこの時期にこの“霊渠”近郊へスケッチにでかける。水量の増えるこの時期は、璃江周辺の普段と違った風景に出合えるチャンスらしい。“水”を描きに行くのだ。たとえば、雨期だけに現れて璃江に流れ込む“まぼろしの滝”、満々と水をたたえる棚田の風景。雨の中、カラフルな民族衣装で田植えをする少数民族。素材は豊富だ。
 こんどの週末、今年も璃江をさかのぼり、“水のランドスケープ”を求め、スケッチに出かける師匠にお供することにした。
(デザイナー タイトルカットと挿絵も)
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by ogawakeiichi | 2006-06-05 10:18 | 南日本新聞コラム

南日本新聞コラム“×××”

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五・一と呼ばれる黄金周(ゴールデンウイーク)がはじまった.五月一日から七日まで学校も休みだ。本来ならばルンルン気分で旅行でも行きたいところなのだが、ひと月ほど前から、すこし肩に痛みを感じるようになってきた。

それまで体調はバリバリ良好。勢いに任せ、年甲斐もなく学生たちと一緒になって放課後の体育館で筋肉トレーニングをガンガンやっていた。実はぼくは、フルトライアスロンを完走したこともある運動フェチだ。こちらのスポーツ仲間に連れられて肩のマッサージにいったのが事の始まりだった。
 
桂林は、観光地だけあって、いたるところでマッサージ屋さんが営業している。※1時間20元(
1元=14円)。マッサージのおやじさんは、痛いところをゴリゴリと押し、ぼくが悲鳴を上げるたび、「どーだ、気持ちいいだろ」と、ますますパワーアップしてくれた。これがいけなかったどうかは知らないが、次の日は、痛みで腕があがらなくなっていた。ヒーヒー言いながら授業をやりに
教室まで行ったものの、痛みに耐えかねギブアップ。学生に連れられ人民病院行くことになる。

人民病院は、老若男女でごったがえし、受付では順番取りのバトルがくりひろげられる。おまけ
に、医者の経歴、学歴の書いてある顔写真付きのボードから診察を希望する医者を選んだり、注射の際には、自分で注射液を買いに行ったりと日本とはシステムが随分違う。こりゃあ、ひとりじゃ無理だ。付き添ってくれた学生に感謝。順番取りのバトルに比べ診察は拍子抜けするほど簡単だった。痛みの原因は、首の頚椎が神経を圧迫しているとのことだった。おなじ動作を長時間続けること、特にパソコン作業と絵を描くことは当分自粛を言い渡された。ひぇー、ふたつとも商売道具だ・・
 
学校へ戻ると、ぼくが病院へ行ったことは、たちまちウワサになっていた。こちらでは職場と住居
がおなじ区画にある場合が多い。学生や教員が校内に住んでいる。通勤にエネルギーを使わなくていいので便利だ。ちなみに教室まで3分。しかし、少しのことでも、ウワサが広がる。ちがうクラスの学生や同僚の奥さんたちまで、すれちがう度に肩の痛みはどうだ、くすりは副作用がつよいから気をつけろ、どこの病院がいいとか、どこの鍼灸がいいとか、太極拳の師匠は痛みに効く形をおしえてくれたり、うるさくておせっかいで親切だ。でも、それぞれ言うことが違うので悩んでしまうのだが・・
 
もらった薬を飲むと作用のせいか?胃の調子がよくない。おまけに、なぜかしゃっくりが止まらなくなった。 こんどはそれを知った、美術教師の仲間から、あれよあれよと言うまもなく中医病院へ連れていかれた。中医は漢方や鍼灸マッサージを基本に治療する漢方薬の匂いがほの
かに漂よう病院だ。どうなることやら・・おせっかいな同僚たちに感謝しながら只今、中医学を体験中だ。 
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by ogawakeiichi | 2006-05-01 18:28 | 南日本新聞コラム

南日本新聞コラム/日本からのお客

f0084105_1448174.gif 雨期の雲の切れ間から、突然、初夏の日差しの太陽が顔をのぞかせる。奇峰群の山々にたち込めた白い水蒸気が風に流され、山水画の世界にグッとちかづく季節がやってきた。

いま華南・桂林は1年のうちで10月に並ぶベストシーズン。秋はどちらかというと、天気はよいのだが、雲が山にわき立つこういう風景は楽しめない。水墨画を描くぼくにとっては、一番好きな季節だ。

昨年は千二百万人の中国国内からの観光客と、百万人の海外からの観光客が山水風景の桂林を訪れた。
 
春休みが始まるやいなや、普段は難なく買えていた福岡から桂林への直行便のチケットもソールドアウト。 こちらへ来られる方の中には、現地に詳しい日本人ということで、いろんなルートから、ぼくにコンタクトをとって訪ねてこられる方々もある。

その多くは、桂林の観光以外に、ぼくの仕事先の学校を含め、こちらの美術教育の現場も見たいという方々だ。

昨年は、なにかとイヤーな雰囲気の日中関係で、日本からの訪問者なんてほとんどなかった。年が明け、大学の試験休みがはじまるころから、訪問客が突然増えてきた。大学の休みを利用して、桂林の風景をスケッチにくる美大生。日本画やデザインの先生たち。交換留学生。少数民族や山水文学の研究者。青年海外協力隊の隊員。はたまた、街中でぼくの学生が偶然知り合って、連れて来た無銭旅行者風日本人バックパッカーの若者。このケースなど、おいおい、いくらぼくが同じ日本人だからといって、街中で知り合ったぐらいで、勝手に連れて来るなよなー、とも思うのだが、まぁ、これも縁だと開き直ると、いろんな旅行体験か聞けて、これがまたけっこうおもしろい。
 
そんな中、ぼくの家族も久しぶりに桂林へとやってきた。実は一昨年、こどもたちはこちらの現地校である中学と高校に、“転校生と留学生”として通っていた。だから、勝手知った場所でもある。なんでも日本から来て現地校で学ぶ場合、正確には、義務教育である中学生の場合“転校生”と呼び、義務教育でない高校生の場合は“留学生”と呼ぶのだそうだ。

日本人のほとんどいない桂林に、日本人学校などあるはずもなく、当時、中国側の現地での受け入れ校は、言葉の問題を含め、だれもが手探り状態だった。まぁ、今となっては、周辺を巻き込んでの『案ずるより生むが易し』を実感しているのだが・・

ふたりが久しぶりに訪ねた現地校では、突然の訪問にもかかわらず、ちっちやな歓迎会を催し、放課後は元のクラスのメンバーが集まり一緒に球技に興じたらしい。こどもたちの、思惑や利権のからまない関係ってシンプルでなかなかステキだ。

最近ぼく的に、なにかとゴタツクことが多かっただけに、そんな話を聞くだけでも、ホッとする。春休みにここ桂林を訪れた色んな人が色んな思いを胸に、日本へと再び帰国して行った。久しぶりにぎやかな3月だった。   
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by ogawakeiichi | 2006-04-07 13:15 | 南日本新聞コラム

南日本新聞コラム“サクラと牡丹”


f0084105_11401467.gif大陸の底冷えする寒さがゆるんだなと思うと、再び北からの寒風が吹きはじめる。しまいかけていたセーターを着込んでみると、次には突然、南からの湿気を含んだなま暖かい風にかわる。一日なんども上下する気温にセーターを着たり、汗ばむ湿気にTシャツ姿になったりと気温の変化に翻弄される桂林だ。

おまけに、雨の降り続く憂鬱な雨期の真っ最中。ちょっと油断すると体調までくずしてしまう。どーんと垂れ込めた雲の合間をぬって、時折、強烈な日差しの太陽が顔をみせるのだが、雨期とその合間をぬう強い日差しでは、春を感じる気分に程遠い。雨期が終ると一気に夏なのだ。春は、やはり日本がイイ。

期待と不安を胸に旅立つ新社会人・新入学生の姿を見かける日本の春はサクラが似合う。淡白で軽やかな、雲や雪を思わせるハラハラと舞うサクラの花びらの清らかさは、日本人の人生観に重なりあうようだ。(ちなみに、こちらの新学期は、夏の日差しがまぶし9月。)

先日、美術学部のぼくのクラスの学生たちに、あたまに浮かぶ日本のイメージをスケッチさせた。にぎり寿司、新幹線、日の丸のついた鉢巻、クレヨンしんちゃん・ドラえもん・コナンなどアニメの主人公、なぜかチョビ髭、そして圧倒的に多いのが富士山とサクラ。

友好都市の熊本からおくられた桂林・南渓山公園のサクラも、そろそろ咲きはじめるころだ。「サクラが咲いたら、お花見みに行きましょう」と日本語科の学生たちがしきりに誘う。日本人のサクラ好き、サクラの下での宴会は、学生たちの間でもよく知られているみたいだ。サクラはまさしく日本を代表する花だ。

1966年から11年間吹き荒れた文化大革命で、ぜいたくなものとして敬遠されていたお花見だったが、近年は、若草を踏んで春の散策する『踏青』と呼ばれる花見をかねたピクニックが盛んになってきた。ただ、花を見ながら青空の下での酒宴はない。ペチャクチャとおしゃべりしながら花をバックに皆で写真を撮る。

一方、中国を代表す花といえば牡丹。この牡丹の花柄は、西側のモダンデザインが入ってくるまで、ありとあらゆるデザイン絵柄に使われていた。布団、タオル、魔法瓶、チャイナドレスなど
など大柄の赤い花柄が、オールドチャイナを感じさせてくれていた。また牡丹の花は、掛け軸をはじめとする国画(中国画)と呼ばれる絵画にも頻繁に描かれている。日本を代表する日本画にサクラのモチーフが多いのと同じ様なものだろう。

“サクラと牡丹”この二つの花の対比もまた、二つの国の国民性を表わしとても象徴的だ。サクラがぱっと咲き、清く、さらさらと流れるような散りぎわの美しさに対し、牡丹の花は色鮮やかで、開花の時期が長く、子孫繁栄、栄華富貴を極めるという中国人の理想とマッチする。まさに中国ならではの花と言えそうだ。

ところで、サクラの原産地をしらべてみると日本・中国・ヒマラヤと記されているのだが、こちらでサクラに出会える機会はめったにない。たまに出会うと、うっすらなピンクの花が懐かしい気分にさせてくれる。原色の多い大陸にあって、さらっとしとした華やかさのサクラの花は、また一段といいものだ。

過去のコラムはこちら
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by ogawakeiichi | 2006-03-16 21:56 | 南日本新聞コラム