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彩遊記

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南日本新聞コラム・記憶と記録

f0084105_14181098.jpgデジカメを持ち歩くことが多くなった。
ぼくが気に入ったユニークな看板をみつけては、パシャ。日本人にはない感覚のデザインを見つけては、パシャ。朝の公園で、思い思いにからだを動かすキャラの濃い人をみつけてはパシャ。街を歩きながら、食事をしながら、獲物を探しもとめる感覚で興味をひく対象をみつけてはシャッターを切っている。

いまさらと言われそうだが、デジカメは、興味の対象を、すばやく記録する道具としては、たいした優れモノだ。メモを取る感覚でふんだんに使えるのがとてもいい。

ぼくがデジカメを常時携帯するきっかけは、担当するデザイン科の学生の顔と名前をすんなりと覚えられなくなったことにはじまる。中国人の姓は『李、王、張、劉』がやたらと多い。この四つの姓だけで人口の約三十パーセントを占めるという。ぼくのまわりも例外ではなく中でも“李さん”は断然多い。仕事先の校長も美術学部長も、国際交流課の担当までも、李さんである。
ときとしてあたまの中をいろいろな顔がグルグル回りはじめ、いっこうに整理されない。
ポンコツになりつつある記憶力をおぎなうために、まずはデジカメで顔写真を撮影し、あとでゆっくり覚えようと思い立った。そんなこんなで、ぼくの前に登場したのがデジカメだったというわけだ。

学生たちや、仕事仲間を撮るときは、身近にあるそれぞれの好きな場所で、好きなポーズをしてもらいシャッターを切る。気がつけばそうやって撮ったカットは三百枚を超えてきた。その存在は忘れそうになる記憶を瞬時によみがえらせてくれる。一枚一枚を見るたびに、撮影した空間と時間までも鮮明に思い出す。今となっては、ぼくの人生の貴重な出会いの記録だ。
学生の名前をおぼえることからはじまったデジカメによる、保存記録は、いつの間にか日常にある中国茶道、太極拳、水墨画の型の記録へと進み、ゴミ箱シリーズから、水道の蛇口シリーズへと興味は移り、最近はなんでもありの様相だ。

外地での滞在が長くなると、はじめの新鮮な感覚はしだいに薄れ、目に映るものも日常となっていく。そんなとき、デジカメを片手に自分の周囲を見渡し記録をはじめると、忘れかけていた新鮮な感覚がよみがえってくる。以前は見過ごしていた出来事や風景も、デジカメを通して見ようとすると、記録しておきたいという新鮮な予感をもたせてくれるものがある。

毎日、見慣れている平凡な風景や、四季の移り変わり、人との出会いも、デジカメを通しシャッターを切りたいと思うとき、それは記録するという特別の意味をもってくる。
記憶は時間とともに薄れ、最後には存在した事実すら消えてしまうが、記録は未来へ残っていく。デジカメを持ち歩き、未来へ残したい、記録しておきたい対象をさがし始めてから、周囲をみる感覚がちょっぴり新鮮になってきた。世界がより広く、より深くなってきたような気がする。
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by ogawakeiichi | 2006-08-04 14:07 | 南日本新聞コラム