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彩遊記

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南日本新聞コラム・大山子芸術区

f0084105_1216327.jpg北京に来るたびに一枚モノの地図を買う。
はじめて訪れた十数年前、その地図に描かれた範囲は、北京のド真ん中に位置する天安門を中心に、ごく限られたエリアだった。 

ところが、訪れるたび新しく買い求めた地図では、北京をグルリと囲んで走る環状道路がまた一周、つぎに買い求めたときにはその外側にまた一周と完成し、新しい地図に追加されていく。
それに反して、地図に書かれた地名の文字と道路の幅は、徐々に小さく狭くなっていく。老眼なのは大目に見ても、最近の北京地図は、スッキリくっきり読めなくなってきた。まだまだ街が変化し拡大しているってことなのだろう。

9月中旬、ひさしぶりに北京へと飛んだ。北京の街は、あいかわらず街中がクレーンだらけでほこりっぽい。

北京で用事が済むと、毎回必ず訪れている場所がある。ぼくがずっとウォッチングしてきた場所でもある。

そこは、中国現代アートの発信地「大山子芸術区」と呼ばれている。
4年ほど前は、広い工場の敷地に数件のギャラリーが点在するだけだった。
ところがどっこい。いまではギャラリーはもちろん、デザイン事務所、広告代理店、おしゃれなカフェや日本料理まであるレストラン、そして作家のアトリエがぞくぞくと出来てきた。 ギャラリーやアトリエに住居を構える人もいる。工場敷地が広いので、短時間じゃとても回りきれない。
急激に変わっていく現代中国を、それぞれの手法で表現し、徐々に、世界の注目を集めはじめた中国の現代アート。ここは中国人より欧米系のギャラリストに人気のある一風変わった一大アートエリアに変貌してきた。

美術仲間じゃ、ここを呼ぶとき「大山子芸術区」より、「798」の方がとおりがよい。この場所が、かつて国営の軍事・電子機器などをつくっていた「798番工場」だったからだ。その後の開発計画で、この工場敷地は、徐々に空き家が増えてきた。家賃の安さと空間の魅力に目をつけたアーティストがたちまちに集まってきた。

作家を支える代表的なギャラリーは「798」と「北京・東京芸術工程」。ふたつはレンガ造りでドーム型の格納庫のような空間にある。天井には、工場が稼動していたとき書かれた「毛主席万歳」のスローガンがいまではアート?となってそのまま残る。ちなみに「北京・東京芸術工程」のオーナーは日本人だ。

「大山子芸術区」の敷地にそびえる煙突からは、まだ操業している工場の真っ白い煙がもくもくと上がっている。外壁にそって引かれたパイプの継ぎ目からは、ときどきシューという激しい音を立て蒸気がもれている。ひとけのない薄暗い廊下の奥から、機械の音だけが響いてくる。そこにギャラリーやアトリエが点在する。「千と千尋の映画みたいなところだなー」と、誰かが比喩した。確かにそんなところだ。

最先端の中国現代アートは、そんな、摩訶不思議な空間から発信されている。
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by ogawakeiichi | 2006-09-28 12:18 | 南日本新聞コラム

『清明上河地図』

中国桂林の仕事先での体育館で学生たちによる演劇祭が催された、ある真夏の暑い日のこと。

一番前に準備された教師用の指定席には、体育館の蒸し風呂のような暑さをすこしでも和らげるように学生会が準備した団扇が配られていた。

f0084105_0591649.jpgここから団扇の話になる.

いろんなタイプの団扇があるなかでぼくに配られていた団扇に描かれた図柄は、ぼくの図柄好奇心を刺激するのに十分だった。

この図柄というのが、時代を感じさせるに十分すすけた茶色の宣紙に、面相筆で描かれた町の様子。大勢の人が中には怒鳴りながら、中にはヒソヒソ話をしながら橋の上を渡っている。図柄が途中で切れているのをみると、どうやら巻物の一部分らしい。

しかし、この団扇をもらった当時は、好奇心を刺激したとはいえ、資料としてとっておこうと思った程度で、図柄の作者がだれで、何時代のものなのか見当もつかなかった。

また好奇心があるとはいえ、手探りでそれらを調べてみるだけのエネルギーも持ち合わせてはいなかった。

デザインや絵、景色の写真もそうだけど、その作者や、タイトル、土地の名前などがわからないことがある。あたまのなかにビジュアルの記憶はあるのに、それ以外なんにも手がかりがない。

こんなとき、みんなどうしているのだろう?《ビジュアルから引く○○辞典》とかいうすぐれモノがあればイイのに。無理だよなー・

ぼくは、ズボラナ性格もあって、記憶の断片にとどめたままで、ほとんどが、お・わ・り。

しかし、いいな、いいなと思っていると、記憶の断片がまだ残っているうちに、たまたま出会うことがある。千葉の佐倉にある川村美術館で出会った「マーク・ロスコ」もそうだった。

その逆に、作家の名前は妙にあたまの中枢に残っているのに、作品がどこでみられるのか、どんな作品なのか、どこにあるのか知らなくて、これかぁ。これなんだ!って出会うこともある。越後で見た、「光の館」ジェームス・タレルもそうだった。

ビジュアルの記憶に言葉がパコッとはまり、言葉の記憶にビジュアルがパコッとはまる。この喜びは、ほとんどが必然的な縁で出会った貴重なモノとして発光をはじめる。

どちらも、出会ったときは鳥肌がたった。

この団扇、デフォルメされた画風とレイアウトにひかれたぼくは、資料箱の中にお蔵入りさせることもなく、夏冬を通して、部屋の一番目立つところに飾っておいていた。

それから2年近く経ったある日のことだ。桂林に日本庭園を造るため、そのスタッフとして参加することになったぼくは、ある資料に当たっていた。その資料<パブリックデザイン事典(産業調査会出版)>の中で再びこの絵柄と出会ったのだ。

思わす鳥肌が・・と・・・ごめん、今回は鳥肌が立つまでは至らなかったが、ついに来たかと、にやついてた。

この本によると、絵のタイトルは『清明上河地図』。作者は北宋の画家『張澤(左側が手偏)端』。

描かれた場所は、当時の都である華中の開封、今の中国河南省である。絵巻は、開封の郊外から城内に至るまでの状況を描いたものだそうだ。

原型の絵巻は。北宋の都、開封郊外の描写からはじまり、驢馬の行列、荷を担がせた商人の行列が土橋をわたり、当時の都であった開封へと集まる様子が描かれている。

これに描かれた開封の街は運河の都市でもあり、洛陽・西安を通じてシルクロードへとつづく陸の要所でもある。

『清明上河図』は、1000年前の田園風景、船溜まり、橋、店舗、交通、看板など、都市の構成要素を一巻の絵巻物の中に総覧させた、パブリックデザインの原風景(稲次敏郎:東京芸大デザイン科)だとういう。

2年間、ビジュアルとしてだけの不完全な記憶の断片が、これまで不明であった作品名・作者名の断片と、ほぼ満足な記憶としてすっきり、くっきり組み合わさった。


明日は、どっかでレプリカ仕入れてこよう。
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by ogawakeiichi | 2006-09-17 20:32 | 中国デザイン

精華大学

9月13日精華大学。データ記録。

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by ogawakeiichi | 2006-09-13 16:54 | 只記録

只記録・中国史年表1

前:1400  殷
      周の武王が殷の紂王を滅ぼす
前:1027  周 武王 現在の西安に都
前:0403  戦国時代
      韓・魏・趙・燕・秦・斉・楚
      諸子百家
前:0221  秦の王政が斉を滅ぼす
      秦の始皇帝  万里の長城
前:0206  陳勝と呉広の乱、各地で暴動、混乱の中、秦は滅ぶ
前:0202  漢(劉邦)と楚(項羽)の戦いで項羽が破れる
前:0200  匈奴の冒頓単于が漢を破る
前:0154  呉楚七国の乱、3ヶ月で皇帝に押さえつけれれたのち、皇帝中心の中央集権
前:0141  漢の武帝が即位
前:0139  漢の武帝が張賽を大月氏国に派遣するが匈奴に捕まる
  0008  新の王莽が平帝を毒殺して自ら皇帝となる
  0018  赤眉の乱 農民が王莽の政治に不満、王朝の復活
  0025  後漢、光武帝  洛陽
  0057  倭の奴国の死者が光武帝から金印を受ける
  0184  黄巾の乱、張角、太平道
  0208  赤壁の戦いで三国分立
  0220  後漢王朝が滅び、三国時代  曹操  洛陽 魏
  0221  劉備 成都 蜀 
  0222  孫権 南京  呉 
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by ogawakeiichi | 2006-09-04 15:31 | 只記録

南日本新聞コラム・日本の夏

f0084105_1264059.jpg久しぶりにお盆を日本で過ごした。

子供のころの記憶にある田園風景や日本の風景を見たくなった。

デジカメを片手に、いつか映画でみたトトロの森のような風景をさがしながら、国道を使わないルートで父母のいる実家へと向かう。

年月を経てみると、子供のころは気づかなかった新たな発見もある。田園の中にぽつんとある森や、大樹の茂る森のほとんどに、神様が祭ってあるのだ。

ご先祖様の墓参りへ向かう。その途中、信号機の無い横断歩道があった。そこでは人が渡ろうとすると車が止まり、車が止まると歩行者は軽く会釈をして足早に渡っていく。なんとスバラシイ! 「美」ということばがあたまを横切る。

ぼくの暮らす中国じゃ、めったにお目にかかれない光景だ。

自宅近くを流れる甲突川に沿って歩いてみた。川の水が以前にくらべ、ずいぶん澄んできているのには驚いた。

流れを凝視すると簡単に、いくつもの魚の群れをみつけることができる。群れの中にはときおり色彩鮮やかな鯉こいがまじり、からだをひねるたび夏の日差しに銀鱗ぎんりんを輝かせている。

鯉影を追ってのんびり歩く。等間隔で泳ぐアヒルの群れに出合う。たぶんおやじを先頭に泳ぐアヒルの一家だろう。

梅ケ淵観音の入り口付近で川はゆっくりと右へとカーブをはじめ、左岸には大きな木が現れる。その木陰には、空き缶にお金を投げ込む無人の花屋さんが並んでいる。空き缶を置いただけの無人販売は、僕の知るかぎり海外では見たことがない。

河原へと下りる階段の入り口には大人用と子供用の二台の自転車が仲良くスタンドを立てている。川遊びをする親子連れが乗ってきたのだろう。

親子連れは、アヒルにえさをやる準備をしてきたのか、父親が息子になにか語りかけると、息子は近づいてくるアヒルを指差しながら、それとは反対の手で、えさを投げはじめた。

アヒルの家族は隊列をくずし、水かきをしきりにうごかし水面に浮かんだえさが流されるまえにすばやくキャッチする。ときにはダイレクトでキャッチする。まわりにはおこぼれにあずかろうとハトやスズメも集まってきた。ほほえましい光景だ。

甲突川は一時期、ゴミ捨て場のような時があった。川底に埋まった自転車、橋げたにひっかかったビニール袋、投げ捨てられた空き缶。異臭もしていた。そのころはちょうど日本が高度成長と呼ばれた時代と重なる。

高度成長はたとえて言えば、恐れと疲れを知らない青春時代のようなものだ。周りを見渡す余裕もなくイケイケムードで突き進んでいた。

ぼくの暮らす華南の桂林は、まさにいまがその状態。観光都市桂林は、奇峰群に囲まれた山紫水明といわれる美しい場所だが、市の中心を流れる璃江の水は甲突川の水質には程遠い。

里心がついたせいなのか、年をとったせいなのか、無性にふるさとのよさが心にしみる日本の夏だった。
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by ogawakeiichi | 2006-09-04 12:08 | 南日本新聞コラム