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彩遊記

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南日本新聞コラム・遣唐使

f0084105_13525842.jpg日本と中国を結ぶフェリーに『新鑑真号』がある。金銭的に余裕のない荷物の多い留学生や、大陸を目指すリュックを背負った無銭旅行者たちの間では、よく知られた船である。

日本から中国への航空運賃が今よりずっと高かったころ、先代の『鑑真号』は、シルクロードへ向かうバックパッカー御用達の伝説の船だった。

『新鑑真号』は年に数回は、薩摩川内や志布志に寄港し、船旅を楽しむ団体のお客様も運ぶので、乗船された方も多いと思う。

『新鑑真号』の航海は中国大陸が近づき、長江に入ると直に、黄甫江と呼ばれる支流に入り、まもなく上海の街のド真ん中へと到着する。

この辺りの風景はコマーシャルや映画でお馴染みの、租界時代のレトロな建築の立ち並ぶ場所だ。外灘と呼ばれるこのから見る対岸には、摩天楼が林立している。

余談になるが、その中でひと際目立ち、天空に伸びつつあるビルを手がけているのが六本木ヒルズを所有する日本企業だ。完成すれば世界で一番高い場所にある展望台をもつ高層ビルになるらしい。

ところで、日中間を繋ぐ、この定期船につけられた『新鑑真号』の名称のことだが、これはもちろん言わずと知れた『高僧・鑑真和上』からの命名だ。

『鑑真和上』は朝廷の招きに応じ日本への渡航を試みるのだが、密告や難破で失敗。六度目の挑戦でようやく日本に上陸した教科書にも出て来る、あのお坊さんだ。

ぼくはその『鑑真和上』を描いた井上靖の小説「天平の甍」が大好きで、高校のときから何遍も読み返してきた。今も、ここ桂林に持ってきている。

この『鑑真和上』、五回目の日本への渡航失敗のあと、漂着した海南島から楊州の大明寺に戻る途中、桂林にも一年間滞在している。

さらに『鑑真和上』の日本到着は、通説では鹿児島の坊津・秋目だとされている。

桂林と鹿児島の空間を体験しているぼくとしては、少なからず鑑真さんとの縁を感じる。

『鑑真和上』が波濤を越え、視力を失いながらも、六度目の挑戦で日本にやっとたどり着いたのは、奈良仏教の最盛期。今から約千二百五十年前のことだった。

この『鑑真和上』の日本への苦難のストーリーは、日中関係が穏やかなときには、友好の美談として引用され、またあるときは中国に進出している日系企業の広告のモチーフにされたりと、時空を越えて日中友好の俎上にのせられる。

当時の海を越えた往来が如何に危険で命がけのことだったのか、ざっと調べてみた。往来した遣唐使船の数は四十余隻。その中でなんと十余隻が難破して海の藻くずと消えている。当時の遣唐使船の航海は現代の宇宙飛行以上の命を懸けた難事業だったのだ。

命をかけた大陸との往来も、現在日本と中国の間には一週間に約五百便の飛行機が行き交い、一日に約一万人前後の往来がある。

今では鹿児島から上海までひとっ飛び。わずか一時間四〇分の旅になった。
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by ogawakeiichi | 2007-03-02 13:49 | 南日本新聞コラム