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彩遊記

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南日本新聞コラム・挨拶と請客

中国語ではじめに覚える単語が「ニーハオ」(こんにちは)だ。

しかし、初対面のときだけは「ニーハオ」を使っても、徐々に「ニーハオ」ももいらない親しい関係になっていく。

せいぜい、街を歩いているときに、売り子のおねえさんが、注意を引くため「ニーハオ」と声をかけてくるぐらいだ。

仲のいい中国人に「ニーハオ」と挨拶されたら、「なにかあった?」と構えてしまうくらい、妙に改まった違和感のある言葉だ。

中国での人間関係は、まったく挨拶を交わさないクールな関係と、挨拶などいらないホットな関係しかないのではという気さえする。

すくなくとも桂林でのぼくの周りはそんな感じだ。

近所の人とすれ違うときは「ニーハオ」抜きで「どこへいくのか?」とか「食事は終わったか?」と声がかかる。

アカの他人には冷酷なほど無情であるのに対し、知り合いになると、「朋友」と呼ばれ、徐々に、おせっかいが始まる。最後には熱情的で身内みたいな関係が待っている。

そんな関係への第一歩が「請客」(チンカー)だ。「請客」とは、客を招き、食事をごちそうすること。

レストランでご馳走されることもあるが、たいていは自宅に招待されるのが一般的だ。

そうすることで、「知り合い」から「朋友」へ、そして「身内」のような持ちつ持たれつの関係となっていく。

熱情的で身内のような、持ちつ持たれつの関係とは、人間関係を利用した大いに助け合うシステムでもある。しかし、ときにはなにかと、うざったい関係にも転化する。

もしその気がなかったら、安易に「請客」(チンカー)の誘いに乗らないほうが幸せかもしれない。

日本人と中国人で温度差が顕著にあらわれるところだ。

親しき仲にもプライベートがあり、微妙な距離感をとる日本的思考。それに対し頼もしい人間関係をバックに世話を焼き、実利を求める中国的思考とでは、かなり様子がちがう。

翻ると日本人にとって「図々しいと感じる中国」と、中国人にとって「口先だけと感じる日本」という、相容れそうにない対立の構図も見えてくる。

顔かたちが近いだけに、お互い、なんでわからないのかと始末に悪い。

話は変わって、中国をはじめて訪れた、一九八七年は中国ブームの真っ最中だった。九〇年前半、「中国が変わる」「ビジネスチャンスの中国」と、日本中の書店にはその手の本が並んだ。天安門事件が起きた、一九八九年や、日本企業の中国進出が行き詰まりをみせはじめた九十六年頃は、中国に対する批判が湧き出した。そして二〇〇〇年頃は再び中国ブーム。

帰国して久しぶりに日本の書店のぞいた、ほとんどが、中国に批判的な本で溢れている。何年かごとに繰り返される、ブームと批判。それは中国でも同じだ。

それだけお互いに対する期待が大きいぶん、裏切られることへの反感もつよいからだとぼくは思う。
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by ogawakeiichi | 2007-10-05 17:03 | 南日本新聞コラム