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彩遊記

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弥五郎どん



f0084105_1951491.jpg弥五郎どん。

構造をかたちづくるその内側で、キワに追い込まれたエネルギーはどうなるか?
相転移するか、キワを渡る。

宮本武蔵は五輪の書に「渡る」とは瀬戸や瀬戸際のようなもので、川や海を漕ぐときに越える瀬戸のこと、そこをすぎるかどうかが、「渡り」であると述べている。

曽於市で見た、巨人「弥五郎どん人形」は、古代中央政権から攻められ、キワを渡りきれなかったシンボルだ。

弥五郎どんは、相転移し、そこには巨人伝説が残った。

弥五郎どんは、養老4(720)年に起った隼人の乱の時の隼人族の首長であった人物という。
この頃、南九州は日向といわれた隼人族の地であった。
奈良の大和朝廷は日向を薩摩と大隅に分割し支配の強化を計った。
その分割統治、支配強化に対して反乱した隼人族は大和朝廷の圧倒的な兵力の前に力尽き、大勢の犠牲者を出したという。

中央政権、大和は隼人族の“怨霊”を恐れ石清水八幡で放生会を行なわせその際に隼人族の首長の弥五郎どんの大きな人形をつくったと言われている。

敵ながら抵抗むなしく敗北したエネルギーを巨人として奉る。
圧倒的、兵力でキワに追い込まれたモノの反発するエネルギー、それを討伐という形で覆い歌かぶして消し去っては見たものの、、当時の中央政権はキワに追い込まれた怨念を巨人として奉ってこそ鎮魂できると考えたのではなかろうか。

境界には、さまざまなシンボルが出現する。秋田角館のニオウさん、福島船引きのオニンギョウ様などだ。

巨人伝説を伝える「弥五郎どん」は現在、宮崎県山之口町の的野正八幡宮(長男)、鹿児島県大隅町の岩川八幡神社(次男)、宮崎県日南市の田之上八幡神社(三男)の三カ所で見る事が出来る。






 
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by ogawakeiichi | 2007-11-09 19:51 | 日本史&思想

南日本新聞コラム

最近、パソコンに向かって文字を打つことがおおい。
石のように固まった姿勢が続き、漢字の変換にとまどい苛立ってくる。集中力が次第に無くなり、ふとやってくる“魔”に落ち込むこともしばしばだ。その“魔”というのは文字の変換ミスにまったく気づかないこと。原稿をネットで送り終え、誤植した自分の文章に出会うと、タラーっと冷や汗の出る奇妙な感覚に襲われる。

以前は、手書きされた原稿を写植屋さんが、文字をひとつ、ひとつ、ドラムに巻いた印画紙に焼付けていったものだ。変換ミスというより、文字の拾い間違いが多かった。
誤植してしまうのはほとんどが漢字だ。「若い夢」が「苦い夢」に「手首」が「生首」になり、「社会正義」のつもりが「社会主義」になった致命的な誤植の歴史もある。意味が通るだけに始末が悪い。  

ぼくも編集が絡んだデザインのときはつねに校正と誤植には悩まされてきた。あがってきたゲラと自分の書いた生の原稿を一字一句見比べながら校正をしていくのだが、文字だけを追いすぎると、似たような文字が、なにくわぬ姿で居座っているのを“ふっ”と見落としてしまうことがある。あれだけ校正したのになぜなんだよ~と、きつねにでもつままれたような気分になる。性格的に校正はあまり得意ではない。そのことを周囲の仲間たちもよく知っていて、誰かが必ず宝物探しのようにおもしろがって発見してくれたものだった。

ある日のこと、超特急で催し物の印刷物を制作することになった。ところが納品された印刷物を見ると、主催者の『□□友好協会』を、『□□女好協会』と誰も気づかない誤植のまま刷り上ってしまったのだ。関わったスタッフは当然全員真っ青。デザイナー、写植、印刷の担当者、製版の校正者それぞれどうなることかと戦々恐々。今、振り返っても悪夢だが、しかし、相手先は怒りながらあきれながらも笑いとばして許してくれた。
今でも頭があがらない。

さてここ中国では、日本語をちょっとしたファッション感覚でパッケージや看板などに使われることがある。そこでは海外ならではの日本語の誤植を見つけ出す。中国に足を踏み入れ、すこしでも生活した人なら誰でも経験したことがあると思うが、ありえない日本語たちが、時々ぼくの目に飛び込んでくる。そして時に固まり、時に一人で苦笑し、時には周囲をはばからず大笑いしてしまう。

以下はその一例。『元気ごすか。まあまあごす。』『きれいごす』。「で」と「ご」の打ち間違い。まさか相撲部屋用語?
「テンプラ」が「テンプチ」。「ソーセージ」が「ソーセーヅ」。「ペンギン」が「ペソギソ」などなど、日本人に見てもらえば瞬時に間違いが判るものばかり。とはいうものの、日本で氾濫する英文もおそらく多くのヘンテコなものがあるのだろう。
今朝のこと「シャンプー」のラベルが「ミャンプー」になっているのを見つけた。誤植なのか、それとも猫用シャンプーなのか。きょうも一人笑いをこらえている。
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by ogawakeiichi | 2007-11-05 18:57 | 南日本新聞コラム

南日本新聞コラム・匂い

f0084105_22541714.jpgこのところずいぶん東京―鹿児島―中国(上海、桂林)と往来した。昨年末から数えると十回以上にもなる。

それぞれの街に到着して空港を出ると、そこでは五官で感じとれるそれぞれ特有の感覚が立ち上がる。

とくに東シナ海を挟む日本と中国と間では、匂い、照明の明るさ、騒音の音色、皮膚にまとわりつく大気の違いが、はっきりと身体感覚として感知できる。

なかでも、ぼくの“匂い”や“音”の記憶は、過ぎ去った場所や時間としっかり結びついているようだ。

以前暮らしたことのある場所を再訪した際、その土地に特有な“匂い”や“音”に触れると、一瞬にして、過去の体験が呼び戻される。

鹿児島に戻ると、鹿児島での記憶を瞬時によみがえらせてくれるのは、熱燗焼酎の匂いと、軌道敷を走る市電の音だ。わずかな期間、離れていただけなのに懐かしささえ覚えてしまう。

それとは逆に、桂林に戻ると、職場に向かう途中で食べていたセイロに並ぶ湯気の出る肉まんの匂いがある。ここのおやじさん、ぼくが桂林へ戻ると、たいてい一個サービスしてくれる。まさか、あやしい肉じゃないよなぁ・・。

昼休みを告げる校内放送の学生の声。そして一時期、ひっきりなしにかかっていた「ピンチー・ブー(浜崎歩)」の曲でも、瞬時に過去の記憶がよみがえる。

“匂い”と結びついた、記憶では、ちょっと辛い思い出もある。

一つは、桜島から降る火山灰の匂いに、出口のなかなか見えない徹夜続きのデザイナー修行時代を思い出す。灰の降る朝、目を真っ赤にして自転車を飛ばして仮眠に帰る日々。ドカ灰の降り続くイヤな年だった。

二つ目は、桂林の水墨画の師匠の部屋。そこで匂うちょっと腐った墨滴。模写の続く毎日にいいかげんイヤ気がさしたが、なかなか次へのステップの許しがでない。そのせいか墨滴の匂いをかぐと、水墨を描く頭の回路が瞬時でつながる。

さて、先月末は大都会、東京にいた。東京の匂いといえば、縦横無尽に走りまわる東京の地下鉄や交通機関に使われる機械オイルと、六本木界隈・ミッドタウンあたりの新築ビルがかもし出すかすかな匂いが脳裏に残る。

東京は、高層ビルがスマートに、そしてクールにそれなりにエネルギーを発散させている。控え目ではあるが、そこにはしたたかに計算された欲望のシステムの匂いも漂う。

比べて中国の大都会、魔都と呼ばれた上海だが、霞んだ空に、趣向を凝らし自己主張する高層ビルが林立する。しかも、そのビルの谷間や裏手には、漢方薬の香りをプンプンさせ量り売りする薬局や、あやしげな串焼きなど屋台が軒をならべる。

来年春には日系の「上海ヒルズ」が誕生する。その内装設計に携わる友人と、四九二メートルにまで伸びた超高層ビルを望める路地に立ち並ぶ、屋台の匂いに誘われた。お互い自己責任で、エイヤーと飲んだ。

活気溢れるにぎやかな通りには排気と香辛料の匂い、ダイレクトな人間の欲望と生活の匂いがあった。 
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by ogawakeiichi | 2007-11-05 17:02 | 南日本新聞コラム