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彩遊記

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九州人のための3冊

博多にて、ひょうたん座と松岡氏、松岡門下が選ぶ三冊屋が開かれる
わても、えらばにゃいけなくなった。そこで・・・

これまで読んだ本の中で、うんうんと唸るエンジンを加速させ
『九州の大元』へ俯瞰と接近をかわるがわるできる3冊だ。
ジャンルをモーラし、作家をモーラし共鳴を起こす3冊という方針にした。

●九州人のための三冊●
■組み合わせタイトル:
哲学・小説・マスコミ人の”YAMATO”

■キャッチコピー
ここには”YAMATO”を開く鍵と鍵穴がある。

■解説
哲学者の紀行文、小説家の推理小説、マスコミ人の視点
で”YAMATO”の扉にアタックします。表現形態の
違う三とおりのルートが合一に向かうとき、あっと腑に
落ちる瞬間がやってくるかも知れません。イザ!

小川が選ぶ“九州人のための”三冊
[1冊目]
・書名:邪馬台国の秘密
・著者名:高木彬光
・出版社名:光文社文庫
※邪馬台国はどこにあったか?君臨した女王・卑弥呼とは何者か?
この日本史最大の謎に、入院加療中の名探偵・神津恭介と友人の
推理作家・松下研三が挑戦する。一切の詭弁、妥協を許さず、二人
が辿りつく「真の邪馬台国」とは?発表当時、様々な論争を巻き起こし
た歴史推理の一大野心作(アマゾンより

[2冊目]
・書名:天皇家の“ふるさと”日向を行く
・著者名:梅原猛
・出版社名:新潮社
※ニニギノミコトはどこに降りたのか。海幸・山幸伝説の隠された意味
とは。そして神武天皇を東征の旅に駆りたてた事情とは。日向神話
のタブーに挑み、『古事記』『日本書紀』を改めて読み直せば、天皇
家誕生の真実が見えてくる。 (アマゾンより


[3冊目]
・書名:万世一系のまぼろし
・著者名:中野正志
・出版社名:朝日新書
※「万世一系」イデオロギーとは、太古から受け継がれた遺産ではなく
近代化日本の体制強化を担う「発明品」だった! 女系天皇容認の立場
から、男系説を徹底検証。昭和天皇の戦争責任問題も問い直す、衝撃
の天皇論。(アマゾンより
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by ogawakeiichi | 2008-10-16 17:21 | 只記録

漢字閑話

中国大陸を歩くと、日本にはない見慣れない漢字に出会う。
今の中国、すなわち中華人民共和国の成立後にできた字だ。
それまで画数の多かった五百十七を選んで筆画を簡単にした
「簡体字」と呼ばれる漢字だ。

中国での暮しが長期になると、はじめは不慣れな「簡体字」だが、
知らず知らずのうちに身近なものになっていく。
そのうち、気づかないまま日本への手紙や文書にまで書いてしまうから厄介だ。
この「簡体字」だが、カタチからなんとなく意味を想像できる。

しかし、なかには全く違う意味のこともある。
たとえば、日本語の「洗濯機」は中国語では「洗衣机」となる。「機」が「机」になる。
およそ三千数百年前につくられた漢字は篆書、隷書、草書、行書、楷書などに変化してきた。
漢字の歴史から見れば、「簡体字」の登場は自然の流れだ。
なかには、国境を越え変化するものもある。

日本は「峠」や「辻」などのように国字とよばれる中国にない字を生み出した。
さらに略字や俗字、筆写体から「新字体」をつくっていった。
台湾や香港では「壽」や「國」などの複雑な旧字体をそのまま使う。
伝説によると漢字の起源は蒼頡(そうけつ)という名前の四つの瞳をもった男の話にはじまる。
彼の鋭い眼光は、鳥や獣の足跡を見て、それぞれの違いの中にも法則があることを発見する。

その自然の規律を応用してつくったのが漢字になったという伝説だ。
文字学の世界では、漢字を読み解くとき、
二千年前の後漢時代に書かれた「説文解字」という古典にしたがう解釈が一般的だ。

しかし、その解釈に対し、独自の解読を試み、漢字に遊んだ「白川静」という人がいる。
解読は、究極的にはその個人の解釈にすぎず、絶対に正しいと証明されるものではないが、
漢字解読に至るまでの白川静の「方法と覚悟」に底知れぬ魅力を感じる。

ぼくは水墨画を描くとき気分転換の意味も含め、甲骨文字にチャレンジするが、
そのとき白川さんの編集した本がすこぶる役に立つ。   
なにしろ白川さんの解読は、中国最古の漢字、
甲骨文字を介してその時代にいる気分にさせてくれるのだ。線の一本一本が神様との交感だ。

たとえば「文」という字の解読は、こうだ。
「もともと×(バツ)はまじないの印で、それが西洋では十字架になり、
東洋では、卍(まんじ)になった。この×(バツ)に屋根をつけたのが『文』になる」
白川さんの凄さは、漢字の成り立ちを解読するために、
日夜、甲骨文字をノートに写し、写し、ただただ身体で写しつづけ、
全身全霊を中国の古代に投げ入れて文字を体感したことだ。
まるで悟りを求める禅僧のようだ。
そのうえで漢字の字源を解き明かした。
文字学の歴史に巨大な痕跡を残し、一昨年の十月、九十六才で生涯を閉じた。
ぼくも、爪痕でいいからそんな痕跡を残していきたい。
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by ogawakeiichi | 2008-10-09 13:44 | 南日本新聞コラム

桂庵玄樹とは

f0084105_1335153.jpg北京オリンピックが終わった。2年後には上海での万国博覧会が控えている。このふたつの大イベントのシンボルマークは、漢字をモチーフに筆を使って表現している。現物を見れば、ああ・・・、と一目瞭然なのだが、北京オリンピックは“北京”の「京」の字、上海万博は“世界”の「世」の字を巧みにあやつり、マークに仕立てている。

もともと漢字の始まりは神様との交感の記号だとされる。その祈りの記号は進化して、人々のコミュニケーション手段の漢字になり、漢字を記録するための筆、墨、紙が開発された。それに伴走するかのように書道や水墨画へと発展していく。

さて、話は変って水墨画のことだが、日本に中国から水墨画が入ってきたのは鎌倉から室町時代にかけてだ。禅僧によって禅文化とともに、どどっとやってきた。その代表的な禅僧の一人に「雪舟」がいる。室町時代を生きた日本水墨画のトップランナーだ。

雪舟といえば、知名度もあり、有名なエピソードもある『幼い日の雪舟は、絵を描くことばかりで経を読もうとしなかった。そこで寺の住職は雪舟を柱にしばりつけた。泣き叫ぶ雪舟。夕方、覗いてみると、雪舟の足もとに大きなネズミ。かまれては大変と、住職は追い払おうとするが、ネズミは逃げようとしない、それは雪舟が流した涙で床に描いたネズミだった。』という話。知っている人のほうが多いと思う。

その知名度の高い雪舟だが、彼とともに同じ船に乗り、中国大陸に渡った人物がいる。その人物の名は「桂庵玄樹」大陸へ渡り、当時の皇帝に拝謁し七年間滞在。朱子学を学んだ。それから百十数年後、朱子学は江戸幕府で取り入れられ、花開くことになる。

桂庵玄樹は長州(山口)で生まれた。大陸で、朱子学を学んだのち帰国。しかし当時は、応仁の乱の最中だった。戦乱を避け、各地を歴遊。その後、島津氏の要請を受けて薩摩で朱子学を講義する。日本最初の朱子学の書籍が薩摩から発信された。彼の教えは薩南学派という流れになり、日本朱子学の大河へとなっていく。

「江戸に先んじて、朱子学は薩摩で流行した。当時の薩摩は日本における学問の最先端だった。桂庵がいたからこそ、薩摩の学術の基盤がつくられた。明治維新を成し遂げた偉人たちもそこから生ま
れた」と、九州大学大学院の東英寿教授は述べておられる。薩摩で発刊された『大学章句』は、朱子学が江戸より先に薩摩で花開くエンジンになったのだ。実はこの「桂庵玄樹」だが、鹿児島市伊敷の桂庵公園に墓がある。校区にあたる伊敷小学校では「けいあんぜんじのあとどころ・・・」と校歌にも歌われている。

七月半ば、桂庵公園で「桂庵玄樹没後五百年祭」が開催された。知事や市長、島津家の方々。夕方には大臣までもが駆けつけた。雪舟が乗った遣明船の副使でもあった桂庵玄樹。もっと知名度があってもいい存在だ。
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by ogawakeiichi | 2008-10-09 13:36 | 南日本新聞コラム