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彩遊記

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身体性の遊学Ⅱ

☆M。
『声字実相義』には驚くべきことが書いてあるんだ。

「十界所有の言語はみな声に由っておこる」
「声に長短高下、音韻屈曲があり、これは文と名づく」
さらに、「文は名字により、名字は文を待つ」てね。。

これはどういうことがというと、
人にはそれぞれ、フォルマントパターンという声紋って“声の文”が
あるんだけど声の高い、低い、長い、短い、の音韻屈曲に加え、そこには
ノリとフリってものもある。また、明暗があって、濃淡もあるんだ。

人の声は、とても複雑なしくみになっていて
口や舌の調節はもちろん、からだ全体をつかって調音している
空海はそのことを、“文の字”といった。
“声の文”“文の字”それらを、支配しているのは、
やはり『呼吸』なんだね。


呼吸が支配する『声って文字であり、カタチ』なんですね。
たしかモノを振動させることによって図形が出来る「クラドニの図形」
いうのがあります。サンスクリット語やヘブライ語を発音するとその母音の
文字が振動板上に現れる、らしい?

http://seelenkraft.mie1.net/e53543.html
http://seelenkraft.mie1.net/e57021.html
http://www.iii.ne.jp/kikuchi/etc200608-2.html

じゃあ、お経や呪文は骨格や、カラダのある部分に振動を与えて
なんたらかんたらしているのかも知れませんね。

悪魔の呪文とか、「うらめしや~~~」なんてのも、恐怖心がインプット
されている脳の“扁桃体”が敏感に反応する音だったりして。。

余談ですが、
反対に図形から、なんらかの影響を受けるってこともありそうですね。
マンダラやダビデの星とかソロモンの紋章として有名な六芒星(hexagram)とか。


そうそう、百万遍唱えればスーパー記憶力が身につく空海の虚空蔵菩薩求聞持法
ですが、これも頭蓋骨のどっかを百万回の波動を響かせた結果、
脳が、なんたらかんたら、なったのかもしれません。
湯船に浸かって、
真言の『のうぼう あかしゃ きゃらばや うんたら かんたら・・』
と唱えてみたら、アタマにがんがん響いたんで、そんな気がしたんですが。。


なんたらかんたらって、なんだね。


いえ、ア、あ、アブダクション・・(言葉にできない)。


求聞持法が、すばり記憶術だとしても、
はたして漢籍の記憶につかわれてたのかなあ?
記憶術は知識やデータの記憶のためというより、
記憶する主格の本体を冴えわたらせるための
暗示法なんじゃないかな。

実際の記憶に役だたせる場合でも、学問的対象よりも
記号的対象の記憶に便利なようにできている。
つまり、記憶術とは「家の建て方」みたいなもんだ。


ISIS奥義の“伏せて、覚えて、開いて、確認”と、
この暗示法を組み合わせると最強ですね。
でも、暗示法獲得に百万遍かぁ~・・

☆M
呼吸はもともと植物からはじまっているんだよ。
植物の呼吸は諸君が知ってるとおり炭酸ガスをとりこんで酸素を
放出するんだが、とりこまれた炭酸ガスは光合成をおこし、
まず光エネルギーを電気エネルギーに変え、
それからまた、化学エネルギーに変えていく。

電気エネルギーから化学エネルギーにかえる過程が
『ATP分子』となって生命活動の燃料になっているんだよ。

☆M
“生命とはATPだ。!”
そのATPは細胞のなかに存在するミトコンドリアでつくられるんだ。
したがってミトコンドリアは呼吸原理をつかさどる工場ということだ。

鼻や口は風気のたんなる出入口であって
呼吸の本質を成立させているのはこの『ミトコンドリア』なんだ。

カラダの細胞ひとつづつまで内外の風気を出入りさせているすばらしい
イメージを喚起してみなさい。


気のせいか、カラダがあれ~、開いてる~


ミトコンドリアって、不思議な生き物ですよね
ミトコンドリア遺伝子の反乱を描いた瀬名秀明のホラー小説
『パラサイトイブ』を読みましたが、カラダの中に共生して独自の
DNAを持って酸素呼吸をしてるかわったヤツですね。

それと、どうも、からだの老化のキーワードにかかわっている
老化は全身60兆個の細胞が、少しずつダメになっていくことで
原因は、細胞が働くためのエネルギーが落ちることなんですが
その、エネルギーを生み出すエンジンが、な、なんと「ミトコンドリア」
くたびれたミトコンドリアの不完全燃焼。
これこそが、老化の大きな原因らしいのですよ。

☆M
なにしろ、ミトコンドリアの中に1万以上ものエレクトロニックな、
“呼吸の鎖”が軒並みに活動しているからねえ。
こうした細胞が何十億とわれわれのカラダにぎっしり詰まっているんだよ。


わお~、風気がからだを通り抜ける気がしてきました。

じつは、この老化に関して、耳寄りの情報が・・

われらが同志、ぼくの導師、
熊本の『トオルとトモコのよもやま情報万華鏡』にこうあります。

>女優の森光子さん、黒柳徹子さん、吉永小百合さんの三人に
共通しているある行動があります。
さて、何でしょう?
>それは、・・・ナント、あの古典的なフィットネスメニュー
「ヒンズースクワット」を習慣にしていることです。


きしとる・ともさん。ごめんなさい。いいのかなあ~、いいよね。

「ヒンズースクワット」で鍛えられる太もも、この大腿筋がポイントなんです。
武術や太極拳でも、初心者の頃、ここを鍛えられますね。

ぼくの水墨画の師匠は、太極拳の師匠でもあるんですが
はじめのころは、
壁に向かって中腰でず~っと立っていろ、それだけですから・・

ところが、時間を経てはじめてハッとする。
あっ、ISISもそうですね。

筋肉には、瞬発的な収縮をする速筋と、もうひとつはミトコンドリアが
豊富で酸素を利用した持続的な収縮をする遅筋があるんですが、
大腿筋はミトコンドリアの活動を活発にする遅筋の代表なんです。

大腿筋を鍛えることは、ミトコンドリアの働きを活発にすること
すなわち老化に関係するんです。
森光子、黒柳徹子、吉永小百合の秘密はここにあり。

おまけにもうひとつ、

大腿筋と脳幹とは、相互に刺激しあう関係性があるのですが
大腿筋の刺激で脳内物質がバカバカだせるようになるらしい。

たしかに、アイデアを出すときは歩いているときのほうが
いいような気がしますが・・・。

さらに、もうひとつ
これが、大人物には備わるという
大丹田の肚の秘密につながってくる・・・。

http://www.mind-craft.net/?p=36
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by ogawakeiichi | 2008-11-27 13:21 | 身体性

小川咲く。今年の俳句

とまり木の端の余白と鳳仙花         

二丁目の由々しき秋に微睡で         

裏小路角を曲がれば天の川         

十七の乱れ心のフラクタル          

姿見の鏡おぼろにそっと開け         

ささめごと放物線の指のあと         

姿見の鏡おぼろにそっと開け         

時の隙間を肩越しに舞い           

爪の涙も風に吹かれて           

白日の夢蝶の瞬き              

古衾軋む敷居の横滑り            

初時雨銀の雫になれなくて          

漆黒の枯野宿にも点点と           

神の旅立つ気に誘われて           

焚き火の原に白煙ゆらぎ           

天にぎやかに寒すずめ起ち          

藍天の隅に腰かけ深呼吸           

晴れ晴れとダークマターに立ち向かう     

チクタクと無限連鎖の風を切り        

オフレコという伝言ゲーム          

濡れる舗道に溜息ついて           

相槌という記号に溺れ            

わさわさと因果地平へ翔んでいけ       

だれかれもだれかかれかと母は言う      

右上にちょこんと座ることだまの       

溌溂の花一本のオーラ萌え          

駆け上れ天まで昇れ満開花          

賑やかに命短し焦がし花           

そこにただ在る事象の春日         

未来代へのさえかえる空           

夢とうつつの胡蝶の舞う間          
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by ogawakeiichi | 2008-11-26 19:06 | 只記録

身体性の遊学

松岡正剛著;空海の夢/22章;呼吸の生物学をベースに
身体性を考えてみた。
▼ ▼ ▼

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人間の身体に注意のカーソルを向けてみるとき我々が、日頃ほとんど意識しないながらもある程度制御できるものがあります。その代表的なものが、呼吸と姿勢(主として丹田)。ぼくは、呼吸・丹田・瞑想が、身体性にとってもっともキモだと思っているのですがはたしてどうなんでしょう。呼吸を意識で制御し、姿勢と丹田に注意を払うことは禅や瞑想を行じて脳活動の深部に切り込んでいくどうやらテクニックツールのようですが。
ここでは、その一つである『呼吸』について『空海の夢』を織り込みながらちょろっと書いてみますね。まずは、呼吸のありさまの一つである音声から・・。ふと忘れそうな当たり前ですが、音声は呼吸ですね。
======

松岡正剛著;空海の夢/22章;呼吸の生物学から
▼ ▼ ▼
☆M
声と息を吐くリズムにはある函数関係がある。
よーく「息と声の函数」に聞き耳をたててみると、
その関係に、あるコトに気がつく

そう、息を吸いながら話すことは一般的な生活では、
ほとんどない。

言葉はまず、息を吐くときに発せられる
さらに、声を出しているときが、声を出していないときよりも
呼息量がおさえられている。

たとえば「クーカイ」と発音だが、クー・カ・イ
のクーとカでは吐く息の量は少なく、
イの発音の最後でやっと吐く息の量が
ふえることに気がつくはずです。。

さあ、ためしてみよう!

一般的には、発話の時には呼吸数が激減し、
息を吸う作用はすこしふえるものの、
息を吐く作用は著しく緩やかになり
全体としての呼吸は深くなる。
すなわち活発な発話活動をしているときに呼吸が深くなることは、

声を出しているだけで、瞑想している可能性があるということなのです。


ああ、そういえば、般若心経や不動明王のマントラ
「のうまく さんまんだ ばさらだん ・・・」
など、延々と唱えつづけるとふっと、日頃とは違う 
変性意識状態かな?
と思えることがありますね~。

☆M
たくさんのお坊さんやる読経や声明を聞くと
それぞれがすこしずれながら世界海を
吸うような吸気音が、交響曲のように聞こえることがある

ということは
マントラ(真言)やダラニ(呪文)、読経や声明でも
瞑想しうる可能性があるということなんだ。

☆M
もうひとつたいへん興味深い気になることがある。
いろいろな声を長く出していると、そこにはかなり多種類の振動数が
合流されることになり、それらが周囲のモノが発している振動数と
共振や協調をおこす。
とくに樹木の発する、さまざなな振動数は発話振動数との近似値を共有する。
空海の言う、『五大にみな響きあり』とはまさにこうした自然界の
波動的本質をつく一句なんだ。


木々の葉のゆらぎ、
川のせせらぎ、海辺の波の音
木、そのものもよく耳をすますと
音をたててるんです。
聴診器を幹にあててみると
サーッという音がする
小学生の頃、幹に聴診器を当て体感しました。

====
◇Wikiより
地球が発信している振動数を『シューマン共振』とよぶ地球の地表と電離層との間で極極超長波(ELF)が反射をして、その波長がちょうど地球一周の距離の整数分の一に一致したものを言う。その周波数は7.83Hz(一次)、 14.1Hz(二次)、 20.3Hz(三次)、・・・と多数存在する。常に共振し続けているので常時観測できる。1952年、ドイツの物理学者、ヴィンフリート・オットー・シューマン(Winfried Otto Schumann、米国イリノイ大学在籍)により発見された。ミュンヘン大学のコーニングは、人間の脳波とシューマン共振の周波数との間に強い関係があることを発見した。

脳波のうちα波は7.83Hz(一次)と14.1Hz(二次)との間にあり、β1波は14.1Hz(二次)と20.3Hz(三次)との間にあり、さらにβ2波は20.3Hz(三次)と32.4Hz(五次)との間にある。これらは大変に強い相関関係にあることが明らかであり、人間の脳(或いは他の生物の脳)が古代生物誕生以来シューマン共振から
強い影響を受けてきたことを意味する。(ウィキぺディア)
=====
ピアノの調律は、左から数えて49番目の鍵盤Aを440ヘルツ(若しくはピアニストの要請により、それよりわずかに振動数を上げて)として、そこから順次全体の音程を決めていく。ヘルツとは1秒間に何回振動するかという振動周波数の単位であるが、NHKがオンエアしている、ポ・ポ・ポ・ポーンという時報音のうち、最初の3回はそのAの音高の440ヘルツで、最後の音はその倍音880ヘルツ.
=====


・・空海は、地球の振動数『シューマン共振』と
マントラやダラニを唱える振動数と脳波の3つを
うまく共振させていたのかも・・(つぶやき)。

☆M
五大にみな響きあり
十界に言語を具す
六塵ことごとく文字なり
法身はこれ実相なり

この有名な『声字実相義』はわれわれの言いたいことを
ほとんど言いつくしているんだ。
ほら、この偈にある“響き”や“声”、あるいは“文字”や“言語“が
主語になってないことを重視してごらんなさい。

ただひたすら宇宙の音響が響きわたり
それがいつとはなく山川草木に共振してついに人の声となり
また、五体をくだいて言葉となりながらふたたび
時空の文字に還っていくような、
そんな述語的な光景に徹している名作だろう!。

つづく。。
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by ogawakeiichi | 2008-11-19 13:49 | 身体性

インド哲学事始をちょろちょろと・・

f0084105_12134914.jpgインドを旅行していたころ、インド人の考えかたに興味をもった。こちらの体調が快なときには、風景や人々の振舞いが哲学的に見えるインド。しかし、風邪を引くなど体力が弱っているときに、飛び込んでくるインドは一見不条理にも見えるモノ、とくにコト、不条理な出来事が目白押だ。なんともいえない煩わしさだ。

さてここに、インド思想における世界構造の考え方を記録しておこうと思う。こう書くと、なかにはインド人全部がそうじゃないよ~とかの反論がくる致し方ない。たしかにそうだが、まあここでの考察はインドのどこどこ、インド人のだれだれという、仔細な立ち居地ではない。インドと私が現在暮す鹿児島と、10年に渡って暮した桂林の生活圏とインドを比較した蓋然性の話である。

さてさて、例えば、「この本は重要だ」という命題があったとしよう。インドではこれが、「この本には重要性が載っている」と考えるらしい。つまり、本を『実体』とし、重要性を『属性』とするわけだ。

ここらあたりから混乱するのでよーく、一つずつ噛み締めながら読んでほしいつまり本という実体に重要性という属性が乗っかっている。記号で書けば、本(実体)⊇重要(属性)となる。

この紙は白いという命題があれば、この紙はしろいものの集合(クラス)のひとつのメンバーであるということでもあるが、インド哲学ではどうやら、この紙には白いという属性があるといったほうが好まれる。哲学用語を使ってみると、ある基体(y)にあるもの(x)が属している場合、xをダルマ(法)とよび、yをダルミン(有法)と呼んでいる。

さてさて、もういちど白い紙のことを考えてみよう。

つまりこの紙には、無色透明ではあるが、【基体として一つの場】があって、その場には白色という属性があり、さらに大きさ、形、匂い、重さといった属性もあるということだもっとわかりやすくいえば基体の紙にたくさんの属性が乗って白い紙を構成しているってこと。

ところが、載っているこれらの、属性を取り除くことができたとしよう。白い色を取り、重さを取り除き、匂いを取って・・・すべて除いてしまうと最後に何が残るのだろう、あるいは、何にも残らないのかも知れない。

結論から言えば何にものこらないとするのが、【仏教的】。

無色透明ではあるけれど、図示すれば点々に囲まれた基体と呼ぶべき、なにかが存在する。とするのが【バラモン教正統派的】考え方である。【バラモン教正統派的】の考えを言いかえてみれば目には見えない、匂いもしない、しかしそれがなければ成立しないというような【場】である。

属性と基体との間に明確な区別があるのか、ないのか。基体が存在するのか、それとも基体が存在しないのか、その明確な区別がある場合をインド型の【実在論】と呼び、明確な区別がない場合をインド型の【唯名論】と呼んだ。

仏教はさきほども書いたように、基体も属性も何も残らないとした立場をとった。それに名前がつくことで、基体を表現する立場ー【唯名論】をとる。

バラモン正統派(※バラモン6派/ヴェーダーンダ・ミーマンサー・ヴァイシェ-シカ・ニャーヤ・サーンキャ・ヨーガ)のなかで、5派は【実在論】をとった。そのなかで唯一、ヴェーダーンダ学派は仏教と同じ【唯名論】をとった。基体は存在するが、それに名がつくことで実体が立ち上がるという立場だ。

じゃあ、ヴェーダーンダと仏教とではどこが違うか?

仏教は基体から属性を取っていくとなにも残らないとした。それに比しヴェーダーンダ学派は基体が存在すると考え、その基体こそ実は世界の根本である『ブラフマン』であるとした。ブラフマンは宇宙の最高原理のことで、そこから世界が展開していると考えた。

日本に『~を水に流す』という言葉があるが、『~を水に流す』的な日本的な余情は、インドでは感じたことはない。(※インドには約1年滞在した。一度は、バックパッカーでインド滞在し、もう一度はJICAの研修だ)

ところが、仏教の空の思想、すなわち、基体も属性も本来存在しないとの立場をとれば、『~を水に流す』という言葉も腑に落ちる。なしにして流してしまえば存在しないわけである。

もちろん仏教の誕生はインドなのだが現在インドにおける仏教徒は総人口の0.8%だ。仏教はインドでは一旦消滅したに近い数だ。それに対しバラモン教は土着の仏教の影響なども取り入れて、ヒンドゥー教という新たな宗教に発展した。クシャーナ朝とサータヴァーハナ朝が衰退し、グプタ朝が成立すると(4世紀)仏教は衰え、ヒンドゥー教がインドに根付いた。

ヒンドゥー教は、バラモン教と同じく多神教で、破壊の神シヴァ、維持の神ヴィシュヌ、創造の神ブラフマーの3神を始めとして、無限に近い神々を信仰し、民衆の間に浸透していった。

基体が存在すると考えるバラモン教からヒンディー教に連なる流れでは、『~を水に流す』という感覚は、ありえないことが想像できる。なにしろ、もし水に流すとすれば、その主体が世界の根本である『ブラフマン』であるからだ。

そんなことをつらつらと記録しておく。


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by ogawakeiichi | 2008-11-14 17:38 | アジア史&思想

為替レート

アメリカ発のサブプライムに端を発し、円と株価が振り回されている。
株はやらないから、イマイチ臨場感がないのだが、円高、円安に関しては、長い間、気に留めている。

格別、関わりたいわけでもないが、海外生活や長期の海外旅行をしていると、手持ちの日本円やドルを、現地通貨と交換する。そのとき気になるのが「為替レート」だ。

はじめて海を越えたのは、いまから三十年前のこと。世界を自由に見てみたかったぼくは、手っ取り早く渡航資金をつくるため信州長野のダム工事現場で働いた。危険と隣り合わせのヤバイ仕事だったが、日当だけは良かった。

そこで稼いだ旅の資金を、盗まれないよう腹に巻き、気に入った場所をスケッチしながら、陸路でヨーロッパを目指す旅に出た。旅行期間は一年間。今で言う、バックパッカーのはしり。堅気の仕事にも就かない、スケッチ一本の覚悟の旅だ。

まずは鹿児島から船で沖縄へ南下。沖縄で乗り継いだ船は石垣島を経由し、まだ薄っすらと朝モヤのかかる台湾北部の港、基隆(キールン)へはいっていく。

甲板から見える街並みは明らかに日本と違っていた。接岸する船体のかすかな震動とともに、初めて足を踏み入れる外地に対する不安、やっと手にした資金と時間、そしていよいよはじまる旅への期待で、なぜか鳥肌が立っていた。

フリー旅行のガイドブックなんてない時代だ。行った先で情報を仕入れ、その情報をもとに、宿屋や、次の行き先を決めていた。

やっと稼いだ虎の子の日本円を現地通貨へ変えるとき、ほんの少しでもレートのよい場所や日を狙う。銀行や両替商の前を通るたび、店頭に表示してある為替レートに眼を留めていた。

今でも円価格の動向が妙に気になるのは、当時の体験からきているのだろう。

話は遡るが、高校二年の冬のこと。ぼくは当時の厚生省指定の難病とやらにかかり、絶対安静の入院生活を余儀なくされた。結局入院は一年近く続き、高校は留年。はやくも人生の一般ルートから大きく外れることになる。  

青春の真っ盛り、十七歳での長期入院は自暴自棄の日々だった。

そんな入院生活のある日のこと。天井のシミを何気に、じ~っと見ていると、そのシミがふっとカタチに見えはじめ、さらに、上空から見下ろす山々や森や街にみえてきた。空を飛ぶ鳥になったような気分だった。

単調な入院生活に、自分の脳が妄想を生み出したのかもしれない。

このちょっと奇妙な体験は、自暴自棄の当時の僕に、病を全快させ、世界を見てみたいと強く思わせるようになっていた。

腹巻に資金を抱いて、為替レートを気にしながらの最初の旅のきっかけはこんな理由だ。
さて、陸路でヨーロッパを目指したこの旅だが、旧ソビエト連邦の、アフガニスタン軍事侵攻であえなく断念。インドで往生することになる。

いま思えば、サブプライム問題同様、ここでも大国のエゴに振り回されていた。
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by ogawakeiichi | 2008-11-04 19:07 | 南日本新聞コラム