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桂林日报記事

外国科技人员在桂林——记桂林市国际科技合作引智活动
2008年7月16日8:21:00 来源:桂林日报 字体大小:大 中 小


  在大大小小的国际无偿援助机构中,日本国际协力机构在我国开展国际科技合作的时间最长、规模最大、影响最广泛。从这个机构中,桂林市引进日本协力队员和专家已达41名,引进人数居全国地市级城市首位,占了全区引进外国科技人才人数的近一半。在国际科技合作的平台上开展这项工作,科技部门称为引进国外智力。

  挑剔的日本专家

  “这个地方,还要再改一改。”7月4日,在桂林园林植物园日本樱花园,来自日本的设计师冲中高行拿着图纸,一脸认真的一会儿走到这,一会儿走到那,比划着告诉桂林的施工人员要怎么怎么修改。

  顺着庭园看去,两块山石透出一种非常宁静与质朴的禅意,市科技局国际合作科的吴林佳说:“就是为了这几块石头,冲中先生硬是到县里去足足找了3个月。”她告诉记者,冲中对工作要求很认真、很严谨。

  冲中高行是日本樱花园工程设计和指导者,为这樱花园他已经在桂林工作了将近两年,这次到桂林参加园林植物园的开园仪式仅有短短几天,他仍然抓紧机会提出了许多修改意见。

  “我想为桂林建造最地道的日本园林,我要为这个园林负责。”冲中知道别人说他挑剔,很平静地向记者解释。

  冲中是日本综合规划研究所董事长,他在日本从事大规模建筑设计及庭园、绿地设计工作已经有30多年了,在景观设计及造园施工技术方面有丰富的实践经验。2006年,市科技局通过“引智”,冲中高行来到桂林,为桂林市园林规划建筑设计研究院提供无偿技术援助。

  在桂林工作的两年期间,他对日本园林设计给予了地道的指导,还举办了关于日本城市建筑和景观设计及造园技术等系列学术讲座。

  也就是在他的这种挑剔的指导和帮助下,桂林拥有了目前除日本本国外,在亚洲最大的一个日本园林,占地约2万平方米,而在此过程中,桂林设计人员对传统的日本庭园造园技术及设计有了深刻认识和了解。

  谈起在桂林的工作,冲中说这是一段非常难忘的经历,是人生中非常有意义的经历。他对桂林有了很深的感情,交了一大堆朋友,也爱上了桂林米粉。

  他很得意地说:“回桂林的这几天,每天晚上都安排不过来,很多朋友都要与我聚一聚。”

  协力队员在桂林工作成绩突出

  与冲中一样,桂林几乎在每个协力队员心中都留下了难忘的回忆。日本协力队员及专家都具有高学历,有相当的专业知识和工作经验,并是经过严格考核录用的优秀专业人才。他们给桂林人的印象是:工作努力,成绩突出。有6名队员获得自治区颁发的“广西金绣球友谊奖”。其中,小川景一先生还获得了国家颁发的“友谊奖”殊荣。

  国家友谊奖、广西金锈球奖获得者小川景一、铃木智慧、大泷智子等3位队员,1997来到桂林后,把日本最新包装装潢设计知识毫无保留地传授给桂林的学生,为桂林旅游高等专科学校的学科增加了新的知识,他们对学生作品都悉心指导,使每期作品展都引起不同反响。先后在桂林工作5年的小川老师指导的学生,毕业设计获得校内外同行的一致好评,堪称当时桂林市所有高校中最好的作品。许多学生的广告招贴、标志设计在各种年会、艺术节及竞赛中中标获奖,不少成绩优异的学生被各类大企业、报社录用。

  外山、池末两位老师,1992来到桂林教育学院任教。学院是当时全区唯一设有电教专业的,对如何办好该专业经验不足。

  两位协力队员对课程的设置、讲授的方法等提出了很多好的建议,还制作了大量的电视教材,现在许多教材已在全国范围内使用。池末老师还向日本政府申请到无偿援助的价值25.3万元人民币的电视制作设备。他们配合学院为广西培养了140多名电教专业的人才和教师,学员毕业后成为所在地区的主要教学力量,还有8人担任了市、县电教站的站长或台长,学员们工作的成绩在广西获得了很高声誉。

  “在旅专,日本协力队员深受欢迎。”桂林旅游专科学校一位负责人由衷地说道。协力队员那种敬业的精神、严谨的科学态度和创新的意识,赢得了接受单位的一致称赞和好评。

  为国际科技合作甘当“红娘”

  记者询问科技局国际合作科科长李旭桂林靠什么吸引了这么多的专家,李旭说这得益于科技引智活动的大力开展。他说,科技引智就好比红娘牵线搭桥。而当“红娘”得有“红娘”的功夫,首先得寻找到合适的结合“对象”,对他们来说就是认真做好项目调研申报。

  “我们充分研究日本政府可派遣的援助计划,了解哪些项目是桂林需要又易于争取的。通过掌握项目需求情况,找准切入点。”李科长说,在日本国际协力机构援助计划中,针对桂林工农业和旅游业基础较薄弱的实际情况,提供了新的技术援助。

  桂林科技局确定在教育、旅游、园林、医疗等行业引进一批日本队员和专家。然后指导各项目申报,对符合条件、有申报意愿的单位,在策划、包装构造等方面给予指导。

  为了使日本队员、专家充分发挥作用,使项目产生最好的效果,本着外事无小事的原则,营造有利于日本队员、专家引进和顺利开展工作的环境,科技局从迎来送往到衣食住行等每个环节都进行周到的考虑和安排。每位日本队员和专家到来前,科技局都会逐项检查落实安置工作,尽量给他们创造良好的工作条件和生活环境,激发他们的工作热情,让他们在短暂的工作期间最有效地发挥自己的特长和作用。平时和重大节假日,适当安排一些旅游、联欢和聚会以及招待会等活动,让他们在桂林生活得丰富多彩并感到充实愉快。

  国际科技合作是桂林市科技局的一项重要业务。1991年以来,桂林市科技局充分发挥国际科技合作的窗口和桥梁作用,积极拓宽渠道,组织和实施政府间与民间的国际科技合作,取得较好成效。共完成国际科技合作21项,派出19名科技人员到国外进修,在引进智力的同时为国际友好交流和合作奠定了良好的基础。近10余年来,日方给来桂林市工作的协力队员配备了价值约90万元人民币的仪器、设备。市科技局负责人表示,要坚持不懈做好这项引智工作,不断完善规范管理,争取有更多的日本协力队员和专家到桂林市开展无偿援助工作,为建设文明、和谐、美丽、富裕的桂林作出贡献。


作者: 桂林日报记者李杰斌



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by ogawakeiichi | 2008-12-21 16:23 | 小川の【地と図】

価値あり

http://blog.goo.ne.jp/north_eurasia/e/2ffb90126ce018b9e1f891b780f62827


かつて日本とアジア大陸、ユーラシア大陸との間の距離は今よりも近しいものであ
た。

それは日清・日露戦争、シベリア出兵という形を取って庶民の生活に否応なく入り込んできたり、白系ロシア人の亡命や中国の革命運動との関わりや朝鮮半島の併合といった、直接・間接取り混ぜた良くも悪くも”リアル”な関係であった。

対米事大主義に陥った戦後外交政策と、一種の暗黒大陸であったソ連や共産中国、緩衝地帯としての朝鮮半島という存在を対外認識の初期値として与えられ育ってきた戦後生まれの世代にとっては、”大陸”は文字通りの彼岸であったが、冷戦体制の崩壊後徐々にリアルな存在へと変貌を遂げている。

とはいえそれでもまだ昔に比べて大陸が身近かどうかは疑わしい。「陰謀と幻想の大アジア」で海野氏が指摘しているように、20世紀の前半は今よりももっと大陸と日本の関係は深かったのではないか。

いずれここでも取り上げたいと思っているが、シベリアタタール出身のイスラム教指導者が、モスクワでのロシア革命期の政争に敗れた後、日本の有力政治家や右翼の大家を焚き付けて汎イスラム運動に日本を巻き込もうとしたり、ロシアから亡命してきた在日ムスリムコミュニティの中でバシキール出身者とタタール出身者とが対立の火花を散らした時代がかつてこの日本にあったのだ。

「陰謀と幻想の大アジア」は「当時の日本が大陸をどう読み下したか」を軸としているために表立った主題は日本から大陸にベクトルが向いているが、現代と往時との最大の相違点を見出すならば、大陸から日本へのベクトルの向きこそが焦点を当てられるべきであろう。

日露戦争で始まった20世紀、その前半において、大陸側から日本への働きかけは今よりもずっと大きかった。けっして日本からの一方的な働きかけだけがあったわけではない。

当時ムスリム社会において発行された「日本の天皇は実はムスリムである」とする「ミカド・ナーメ」の存在、アルタイの山中で起きたブルハン信仰を基にした民族運動であるブルハニズムにおける日本の天皇への言及など、およそ日本の政策とは関係のないところにまで「幻想の大日本」の波紋は広がっている。それだけ日露戦争のインパクトは大きかったということなのだろう。

そうした日本が予期しなかったプレゼンスの増大が「陰謀と幻想の大アジア」の基層としてまず存在していた、ということを理解した上で、初めて本書で取り上げられている事象の本当の意味が見えてくるといえよう。日本近現代史の枠内で語られる本書と対になる、世界史の枠で語られた「陰謀と幻想の大日本」が求められるところである。

上海条約機構が中央アジアをその領域内に取り込もうとしている今日において、20世紀前半のユーラシア大陸における日本のプレゼンスのあり方がどのようなものであったのかを再確認することは意味のあるものであろう。ツラン民族圏

龍吟社

昭和17年1月1日発行


さて、「陰謀と幻想の大アジア」で取り上げられているエピソードは多岐に渡る。対ユダヤ政策やフリーメーソン陰謀史観、太古の昔、日本は世界を統治していたとする「竹内文書」をはじめとする古史古伝、大本教、イスラム政策、騎馬民族日本征服説、そして大陸に設置された諸機関を苗床にして構築された戦後日本の学界等々ネタ的には満漢全席の言葉が相応しい。

いずれのネタもそれだけで本ができるどころかジャンルを構成してしまう程の大ネタであり、これらを横串で眺めることのできる本書はこの手の話になじみのなかった人にはもってこいといえる。自分的にはどれもこれも子供の頃から今に至るどこかの時期ではまったネタばかりなので懐かしささえ覚えながら読み進んだ。

その中にあってここ貂主の国的に取り上げなくてはならないのが「ツラニズム」である。

ツランとは、往時のペルシャで自分達の住まう「イーラーン」の地に対置して、草原のトルコ諸族の世界を「トゥーラーン」と呼んだことにちなむもので、トルコ諸族に加えてモンゴル系諸族やウラル系の諸民族をも加えた民族集団を指す言葉である。ウラル=アルタイ語族と言い換えた方がなじみがあるかもしれない。

様々な民族主義運動・反植民地運動が起きた20世紀前半において、「ウラル=アルタイ語族」という共同体を共通認識として起きた運動が「ツラニズム」であり、主にハンガリーやフィンランド等で展開された。汎トルコ運動や汎モンゴル(チベット)運動、汎イスラム運動といったより大きな諸運動が抗争を繰り広げる中にあって少々影が薄いようにも思えるが、その構想の対象となる領域の巨大さは群を抜いている。

フィン=ウゴル系の諸民族の話を追いかけていくと必ず出てくる今岡十一郎氏、その著作の一つ「ツラン民族圏」を紐解くと、ツラニズムがどのようなものであったかを知ることができる。

下図は、同書序文に掲載されているツラン民族の分布域である。ツングース諸族、フィン=ウゴル諸族やサモイェード諸族、さらにはトルコ系のサハ(ヤクート)民族が含まれているために、一部を除いて北ユーラシアが塗りつぶされている。白抜きされているのもロシア人等スラブ諸族の分布域なので、その進出前であれば本サイトでいうところの北ユーラシアと中央ユーラシアを合わせたものとほぼ重なってしまう。

注目すべきは日本がツラン民族として塗りつぶされていることと、朝鮮から中央ユーラシアに向けて延びる矢印である。この矢印を拡大したものが下図となる。

朝鮮→満州→蒙古連盟政府と続いた日本の進出はツラニズム的に次は東トルキスタンに向かうべきだと主張しているのである。日本軍部の動きもある時期まではこれをなぞる様に対イスラム政策に力を入れていた。「if」は歴史の定番だが、日本の主力が南方ではなく西方に向かっていれば当時半独立状態だった東トルキスタンとの結びつきも生じていたかも知れない。

そしてこの図が日本がツラン民族であるというカラクリになっている。即ち、ウラル=アルタイ語族を構成するツングース諸語に日本語が属しているというものである。「日本ツングース人」という言葉には衝撃を覚えるが、「日本はウラル=アルタイ語族に属していて云々」という言説自体は今でも生き残っている位だから驚くことはないのかも知れない。

それよりも、当時日本軍が進出していた華北地域まで「華北ツングース人」としてツラン民族圏に組み入れられているのは時勢とは言え驚きを通り越してあきれてしまう。

この本はこうした牽強付会的な部分やツラニズムに関する主張を除いた部分、即ち北ユーラシアや中央ユーラシアの諸族に関する記述については現在でも参考にできるので、残念ではある。

北ユーラシアと日本とを結びつけるエピソードとして、戦時下でこのような本を生み出した動きがあったということを記憶にとどめておいていただければ幸いである。


【追記】

話を戻して、「陰謀と幻想の大アジア」ではこうした様々な活動の舞台となったのが満蒙地帯であり、この地で軍部の支援の下に研究が進られ、その延長線上に戦後日本の学界の枠組みが乗っていることが繰り返し示されている。

それはあるいは軍部をも利用したものなのかも知れず、私には評価を下すことができないが、このサイトに関連するところで思い当たるものを挙げてみた。

オロン・スム遺跡調査日記
江上波夫
山川出版社

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大興安嶺探検
今西錦司
朝日新聞社

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前者は1939年、後者は1942年にそれぞれ挙行された調査の記録である。また、同書では日本語の起源をタミル語に求める学説に関して「丸善で買ったドラヴィダ辞典を読んで見つけたのである」としているが、そのさらに元になっているのかもしれないものを見つけた。


ツラン民族圏に掲載されていた図だが、ツラン民族の定義をさらに拡張したものとなっている。追加されているのは「南ツラン民族」である。即ち、チベット・ブータン語族、タイ語族、マレー語族、そしてタミル語族によって構成される語族である(現在、そんなものはもちろん耳にしない)。

もしも大野の着想のきっかけがこの「マックス・ミューラー」なる学者の説にあるのだとしたら、その「日本語タミル起源説」もまたツラニズムの幻想を引きずっているものなのかも知れない。
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by ogawakeiichi | 2008-12-18 10:50 | 只記録

明治という元号の暗喩

f0084105_1295989.gif甲突川を散歩していていると “明治の元号の由来を調べなさい“”と
神サマが囁きかけます。

相変わらず、マニアックな記録ですが、これは歴史を揺さぶる事実かもしれない、なんてね。そんなこと言っても、歴史は所詮、幻想なんでございます。陰謀、裏史を暴いて悦になっても、な~んにもならない。まぁそれは、それとして・・ロマンということで。

アイデアや俳句、デザインを練るとき、よく甲突川の河岸をあるきながらきた~~っ、というアブダクションを受けることがあるんですが、きょうも、明治天皇にレイヤーを合わせ歩いている最中でした。

歴史を国家のグランドデザインと捉え、細かく高く、鳥の目と蟻の目を交互に使い分け見ていくうちに、系図的には北朝系の明治天皇が、どーも、南朝系へ乗り換えがあったのではという気がしておりました。くわしくここでは書きませんが。ここ数ヶ月そのことでアタマにフックが掛かった状態でありました。そんなこんなのなかで突然、 “明治の元号の由来を調べなさい“と天の声がふりかかってきたのです(笑

ばたばたと、家へ帰り、ネットでざっと調べ、岩波文庫の『易経』のページを捲って出典個所をやっと掘り当てました。

<岩波文庫『易経』(下)292P>
聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)いて治むるは・・・

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by ogawakeiichi | 2008-12-17 10:01 | 歴史アブダクション

大日本史と明治維新

f0084105_11555978.jpg近代日本の国家グランドデザインを語る上で、どうしてもやっつけておかねばならぬ「大日本史」「水戸学」。その周辺を、思いついたまま、つらつらちょろちょろと記載する。

「大日本史」は、家康の末子徳川頼房(正三位権中納言)の三男、従三位中納言・徳川光圀 によって編纂された歴史書。3つの特質があります。1.神功皇后を歴代の帝から除いた。 2.大友皇子を帝に加えた。 3.南朝正統論を唱えた。

今回はその中でも3番目の、南朝正統論を考察してみます。まず、千夜千冊に寄り添ってみると、松岡氏は、南北朝の皇統を次のように述べています。

==========
 日本の天皇において血統を保証する正統性は、もっぱら三種の神器の授受に
 よって象徴されている。南朝の皇系はその三種の神器をもっていた。それが
 吉野の朝廷である。しかし、南北朝争乱のすえ、皇統は後小松天皇のところ
 で北朝に移った。足利尊氏(高氏)がこの移動に関与した。(松岡
==========

すなわち、皇統が南朝から北朝に移動したのは足利の関与であり、逆説的に言えば足利の関与がなけれ皇統の正統性は三種の神器をもっていた南朝のままだった。ということです。

南朝正統を説く大日本史にとって『足利よる皇統への関与』は関与以上の『足利による北朝への皇統簒奪』でした。

また大日本史と同じく光圀が鋭意編集させていていた『神道集成』や『釈万葉集』や『礼儀類典』などがありますが、これらも皇統の正統性を読み取る『大日本史』の補助エンジンにもなっていました。ここらあたりの考察は結構重要な匂いがします。が、先に進みます。

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by ogawakeiichi | 2008-12-10 11:55 | 歴史アブダクション

気韻生動

f0084105_1120291.jpg
スポーツをするのに格好の時期になった。
もう十年以上前の話だ。中国大陸ではじめて生活することになり、これだけは是非マスターしておきたいと思ったことがある。それは、太極拳をマスターすること。

大陸では朝の公園や、学校の片隅で太極拳をやる光景は日常的だ。そこでは、いくつかの自然発生的にできた遠慮がちな小グループから、白の太極拳服をまとう、はつらつとしたグループまで様々だ。どのグループも一番前に置かれた、大きなラジカセから流れる大音響のゆったりした曲と、一歩前にいるリーダーらしき人物のカタにあわせ、ゆっくりした動作をおこなっている。 
公園を見渡すと、大きな樹木の下では、ちょっと膝を曲げた姿勢で、樹に腕をまわし、手のひらをとおして樹木の生命力にあずかるような瞑想ポーズをとる人もいる。中高年の人が多い。動きがスローなので若者に人気のあるスポーツじゃなさそうだが、じつは遅速混合いろいろなスタイルがある。ぼくが習得に励んだのは、もっともポピュラーな二十四式、中国では体育の授業でもこれをやる。

さてこの太極拳の師匠のことだが、水墨画の師匠でもある。ぼくにとっては、水墨画の師匠が太極拳も教えてくれたと言ったほうが腑に落ちる。まあ、そんなことはどうでもよい。彼が言うには太極拳も水墨画も『気』がポイントだという。

太極拳の習い始めは、壁を向いて、膝をほんの少し曲げて立つことからはじまった。どうやら『気』をつくる基礎運動だったのだが、初めの頃はさっぱりわからない。

水墨画もそうだ。水墨の書き方、見方にとって重要なものに『気韻生動』(きいんせいどう)がある。『気韻生動』とは、自然の気がいきいきと画面から溢れていることを言うのだが、これも、初めの頃はなんのことだかさっぱりわからない。もちろん、わかったような気分になる時もあるが、それが本物の『気韻生動』なのかがわからない。

そうこうしているうちに、師匠は目の前の作品に対して「『気韻生動』があるや、なしや。」と、聞いてくる。初めは自分の感覚に頼って、当てずっぽうで答える。そうこうするうちに師匠の答えと同じになっていく。まるで臨済禅の公案のようだ。数年経つと、ほとんど外れなくなる。まあ、師匠の趣向に合わす答えが出せるようになっただけのことだろうが、弟子への秘伝の伝授だ。

同じ師匠に習ったせいなのか、太極拳、水墨画ともに、奥深い部分には同じ何かがあるように感じてきた。それを『気』と呼ぶのだろうが、それにしても曖昧で、見立てによってはあやしい世界だ。水墨を描く構えと覚悟、太極拳の身体性から考えてみると、これにはどうも、「呼吸」と人間の重心にある「丹田」に秘密があるようだ。それをしっかりした言葉にできなく、もどかしいのだが、見えない世界もそれはそれで、いいような気がする。

一切謝謝
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by ogawakeiichi | 2008-12-08 11:17 | 南日本新聞コラム

朱舜水がトリガーをひいた明治維新

f0084105_1362812.jpg小学校の頃、楠木正成の物語に触れて以来、燻り続けていたことがあります。南北朝です。なぜ、現在の天皇家は北朝なのに、その天敵ともいうべき、楠木正成が英雄伝として語られているのかの、疑問でした。そこで今回ポイントを図示しながら、モヤのなかの妄想にケリを入れるべく、パソコンの文字打ち恐怖症を克服すべく、冗談半分眉唾モノに妄想を重ねるがごとく、“晴れ晴れとダークマターに立ち向かう”!!。
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by ogawakeiichi | 2008-12-05 07:25 | 歴史アブダクション