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彩遊記

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2.26事件

63年前の今日のできごとである。昭和11年2月26日早朝、東京一帯は前夜から降り続いた雪がさらに激しさを増し寒さも一段と強くなっていた。突然、軍靴と銃声の轟きが市民の眠りを破った。朝5時を期して、歩兵第一連隊・第三連隊・近衛歩兵第三連隊など1400名にのぼる陸軍部隊が反乱決起したのである。世に言う『2・26事件』が起こった。
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叛乱軍の首謀者の一人とされた磯部浅一は2・26事件の直後銃殺に処される前に、こう呻吟していた。「日本には天皇陛下はおられるのか。おられないのか。私にはこの疑問がどうしても解けません」

この言葉が、ある時から気になってしょうがない、あたまから離れないでいた。皇道派といわれた磯部らになぜ天皇は激怒したのであろうか。それともぼくが皇道派という名称に引きずらているのだろうか。現在午前3時。63年前、緊張高まる帝都において昭和の捩れが加速していく時間に縺れた磯部と天皇と日本を解きほぐしてみたい。

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by ogawakeiichi | 2009-02-26 08:36 | 歴史アブダクション

山水思想Ⅰ

f0084105_846768.jpg鹿児島おはら節に、“♪あめも降らんのに草牟田川~にごる、伊敷、原良のおはらはあ~♪”と謡われた伊敷に桂庵玄樹の墓がある。伊敷は現在ぼくが暮す町でもある。昨年の夏、桂庵玄樹の没後500年祭が開かれた。その桂庵が副使として乗り込んだ遣明船に日本山水のトップランナー雪舟も乗船していた。2年後、雪舟は明より帰国、日本の水墨、山水画の幕が切って落とされることになる。

横山操はいのちの終息の間際に「日本の山水を完成させないで死ぬのは無念だ。ぼくはもう一度、雪舟から等伯への道程をたどってみたかった」と加山又造に告げたという。
  
  
  一滴の墨は、水量を増せば増すほど、洋々たる大河を暗示する。 
  独特をもって、この大河を断ち切るとき、墨水は、紙背をとおって地底に落ちていく。
  水墨は作家の精神を、ぎりぎりにまで追い込んで、心的表現へと導く。
  水墨は他を信じない。                       <横山操>

横山は水墨を徹底することが「民族的なもの」であるとみなし、そのことがそのまま「世界的であること」につながると考えた。そして、その方法は水墨を徹底することで見えてくるはずだと独断した。「水墨であること」と「山水であること」と、そして「日本であること」を直結したかったのである。横山は「独断する水墨」としか言わなかったけれど、岡倉天心にはじまる日本画の奥にある本来の墨と筆の領域に向かっていった。そこをさらに遡ると中国の水墨の光景がまっている。

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by ogawakeiichi | 2009-02-25 09:00 | アジア史&思想

円相の芸術工学

f0084105_622948.jpg円相は円と相の二文字から成り立っています。一本の線で描き出される一つのマルが物理学や天文学の世界では広く深い意味を指し示ます。生物学においても、工学、美学や仏教の世界でも一つの円はいろいろなカタチの象徴としてわれわれに働きかけてくれます。

真っ白い紙の上に一本の線でぐるっと円を描いてみるとしましょう。紙においたペンが紙の上を走りだし、一回りして最初の位置に戻った瞬間、その瞬間に線は円になり、紙面の上に浮かび上がる円盤のように感覚されてくることに気づきませんか。これが心理学で言うところの「地」と「図」です。人間の視覚には、囲まれた部分が燦然と浮かび上がって輝きだす認知のシステムが仕組まれているのです。

この円を一つの穴としてみたらおもしろいことが起こりますよ。つまり、虚の空間が出現する。をやっているとき、この円をじっと凝視してみると時々ちがった感覚に襲われる。まるで壺の内部、もうひとつのおくの別の世界につながっているような気分になってきます。

永平寺別院で毎朝の参禅をはじめて3ヶ月目のことでした。壁にたまたまついていた小さなまあるいシミをじ~っと見ていました。ところがある瞬間を境に、突然向こう側へ通じる入口に見えてきました。その穴へはいりこんで向こう側へちょっこら行けるような感覚です。そのときトライしていたら、向こう側へ行って帰ってこなかったかも知れません。リアルにそんな感覚です。(※禅の世界ではこのあたりのことを“魔境にはいる”と言います。ガタガタ語る無かれ、とっとと通過しろといわれます。だからここまで。)

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by ogawakeiichi | 2009-02-24 06:30 | アジア史&思想

碧巌録

f0084105_9395420.jpg南洲寺(なんしゅうじ)は鹿児島市南林寺町にある臨済宗相国寺派の寺で、西郷隆盛の菩提寺でもある。

境内には幕末の勤王僧で、西郷どんと錦江湾に身を投げて亡くなった京都清水寺の住職である月照の墓があり、石碑には  「曇りなき こころの月も さつま潟 沖の波間に やがて入りぬる」 という辞世の句が刻まれている。

男ふたりで心中する西郷どんと月照の関係を、初めの頃は、衆道っぽい、などど思っていたのだが、最近は、そんなんじゃなくって、実に禅的だ!!と思えるようになってきた。←おっと、どういうこと!?
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↑左の仁王像
毎日曜の早朝、この寺に留学生会館の三番弟子とともに参禅するのが週課だ。禅で悟りを開くのですかと聞かれそうだが、まあ、それはない。悟りを開いたことがないから悟り自体がわからない。その前に悟りは自覚できるのかの疑問もある。まあ、もし悟ったとしたら、直感的だがこんな記録も悟りを語ることもないような気がする。
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↑右の仁王像
じゃあ、なぜ禅をやるのだと問われれば、それは好きだからだ。うーん、無用の用・・!?。「無用の用」を荘子の世界は「車軸の穴は空だが、その穴がないと車軸を差し込めないから車は走れない、穴はそれだけでは無用だが、実は用だ」と説いている。が、まあそこまでのことでもないかな・・。

脳科学の立ち居地から言えば、禅に使う呼吸法で脳波がアルファ波状態になり、脳内物質β-エンドルフィンが出て、こいつが脳内で分泌されると爽快感、幸福感を感じて、身体は疲れていても気持ちが軽くなるということだろう。言ってみれば軽度の脳内麻薬中毒です。これを越えると瞑想主義とか虚禅に陥るとか言う。虚禅というのは、座禅や瞑想に耽っているようでいて、その実なんらの収穫もなく大悟もないことだ。

β-エンドルフィンは長期的にストレスを与えることでも分泌される。たとえば、格闘、性的興奮、飢え、高熱の持続、手術、ギャンブル、ジョギング、自傷行為、そして摂食障害者の嘔吐などである。徹夜で仕事を続け眠気を通り越し、妙にアタマが冴え渡るときなどがそうだ。いずれは脳の見地から禅のことを、禅機をまって記録してみたい。

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by ogawakeiichi | 2009-02-23 09:52 | アジア史&思想

白川静

f0084105_1151258.jpg北京の清華大学美術学院にいる娘から聞いた話だが、白川静の大著“字統”や“字訓““字通”のコピーをとる機会が増えているという。

他の学部学生からの依頼であるらしい。現在、白川静の書籍は美術学院にしかないのだそうだ。

中国の漢字研究に関しては後漢時代の許鎮の「説文解字」の影響が強く、中華のメンツもあり、とても他国日本の漢字研究など受け入れ難く、漢字の体系化は、紀元100年に許慎が著した「説文解字」にならうのが常だった。

「説文解字」は、漢字の部首を540に分け、あくまで「字形」による文字解釈であり、白川静が登場するまで、漢字の原理があきらかになるという見解はなかった。ビデオアートのナムジュン・パイクとデザイナーの杉浦康平が白川静を高く評価していたのは、白川の甲骨文字をただただトレースを繰り返す作業過程のなかで煌めく瞬間を待つ漢字解読のやり方に芸術的センスを感じとったからなのだろう。

甲骨文字が中国奥地の安陽の小屯村で偶然に発見されたのは、やっと20世紀がはじまる直前の1899年のこと、つまりは、白川静の登場にいたるまで、甲骨文・金文を含めた漢字組織の「一つの体系」も「一定の原理」も追求できずじまいだったのだ。

その後、日本帰りの中国人留学生らが本国で教壇にたち、研究に従事する人材が増えるに従い、許鎮の漢字の語源解釈もやおら変化を見せはじめているのか清華大のコピーを取る話からも、白川の業績は徐々に漢字のルーツ中国でも注目されてきたことがうかがい知れる。

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by ogawakeiichi | 2009-02-22 12:01 | アジア史&思想

故郷忘じがたく候

f0084105_10261681.jpg大迫一輝さんは義の人だ。言葉の端々にわすれ去って久しい義が溢れでる。彼は薩摩焼十五代沈寿官と言った方がとおりがよい。以前一緒にあるデザイン競技会の審査委員をして以来意気投合しぼくが鹿児島を拠点にしていた数年前は、アジアの話や歴史の話をさかなにしながら天文館や城山の麓にある隠れ家バーなどを散々飲み歩いた。

昨晩、何年ぶりかに二人で飲み歩く。大迫さん夫婦の仲人は司馬遼太郎である。『故郷忘じがたく候』は司馬遼太郎が一輝さんの父十四代沈寿官を軸に十六世紀末に朝鮮の役で島津軍の捕虜となり、薩摩へ流れ着いた薩摩焼の窯里、苗代川で暮した陶工たちの物語。

ちなみに朝鮮の役は豊臣秀吉の大陸制覇のとんでもない野望の一歩。甥の関白秀次に渡した二十五か条の朱印状をみると日本・朝鮮・中国に渡る壮大な「国割り」プランが示されている。まずは、当時の後陽成天皇を北京にうつし、唐の関白には豊臣秀次を就任させ、秀吉自身は寧波に家族とともに住むというものだ。秀吉とって朝鮮半島を、なんと“国内”とみなしていた。結局、漢城にいた朝鮮国王は明に援軍をもとめ、またその一方で李舜臣が率いる朝鮮水軍は反撃に転し、秀吉の病死によって終結していく。この朝鮮観はその後の近代日本にも引き継がれていく。

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by ogawakeiichi | 2009-02-21 22:09 | 鹿児島情報史

ノスタルジック・アイドル二宮金次郎

f0084105_9131213.gif建築デザイナーは、ときに思考をはるか彼方へ飛躍させる。おもしろいコト、モノを見つけ出しさらにはそれを出版とかのカタチに誕生させてしまう。その好奇心とパワーに脱帽だ。磯村新内藤廣はいざ知らず古代日本に聖方位から嚆矢を放つ渡辺豊和などなど、ぼくの好きな建築家はバロックが多い。ここでのバロックはバロック建築ではなく、多次焦点の歪んだ真珠のような志向のこと。ちなみに建築系は演繹的。グラフィック系は帰納的で自然志向の草食系が多いと思う。

建築家・井上章一は「ノスタルジック・アイドル二宮金次郎」で金次郎さんを追っかけた。1930年代をピークとして日本中どこへいっても、たいてい金次郎さんの像があった。いま、金次郎像は衰退期を迎えている。いずれは、ほとんどの校庭から姿を消してしまうかもしれない。いまのうちに記録をとっておかねばと思い立つ。

では、金次郎さんはいったいなにをやったのか。

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by ogawakeiichi | 2009-02-20 09:28 | 情報とデザイン

資料:第30回ニュースデザイン国際コンペ

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by ogawakeiichi | 2009-02-19 15:16 | 中国デザイン

アジアデザインパワー

f0084105_7271046.gif中国は社会主義国です。といっても昨年、資本のかくれ象徴オリンピックまでやったのですから正確には社会主義のエンジンで動く資本社会といったところでしょう。

しかしちょっと前まで企業の全てが国有で、物は計画的支給でした 。すなわち、品物を選びようが無かったのです。 当然、デザインで物を選べるという時代ではありませんし、 それほど、デザインという概念もありません。 そのなかでも特に“ブランド”という存在自体がありませんでした。 支給されるものしか使えない。

そんな時代が鄧小平氏による改革開放政策が始まると市場経済の方法が入ってきます。 品物を区別して考えることや、物自体からいろいろな影響を受けるとともに ブランドって結構面白いと感じてきたのが1980年ー1990年に掛けての頃で す。 中国近代デザインへの目覚めですね。 大陸沿海部はデザイン世界の潮流を敏感に感じられますが 私が初めて中国で教鞭をとった1996年ごろまで、 内陸の桂林は“ブランドってなあに?”の時代でした。 ですから、そのころまで“物があれば、それでよい”と考える時代が続きます。

もちろん清朝を含めそれ以前は中国家具、陶器、絵画など芸術が発展した時代でした が 文化大革命という、芸術打ちこわし狂乱時代で、人民の芸術意識に蓋が掛かったんです。

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by ogawakeiichi | 2009-02-19 07:36 | 中国デザイン

大学

f0084105_6371989.jpg大学とは、あの大学の空間のことではなく、文字の古典の「大学」のことだ。
両親の住む薩摩川内市に帰省すると思い出すことは、祖父のことである。庭師だった。ぼくが幼稚園の頃のこと。祖父はよく庭園の現場に連れて行ってくれた。石の表情を即座に読み取り、てきぱきと職人さんたちに指示を出し作り上げていく様子とその方法はいまでもリアルにアタマに残る。だからぼくが風景水墨の周囲を彷徨するのは祖父のDNAに違いない。

ある小学校の庭園現場で祖父と一緒に写った写真のバックに二宮金次郎が焚き木を背負って熱心に本を読んでいる銅像が写るセピア色の一枚がある。昔はよく校庭の隅や職員室の外に金次郎さんの像があったものだが、最近あまり見なくなった。ところが東京駅前の八重洲ブックセンターに金色の金次郎さんが俯いているではないか。

この二宮金次郎が歩きながら熱心に読んでいる本はなにかというとこれが『大学』という中国の古典、四書五経の一つである。金次郎さんは俯いて歩きながらでもなぜその大学を読んでいるのか。ここに江戸の思想の一旦をずるずると引っ張り出す手がかりが潜んでいそうだ。井上章一の「ノスタルジックアイドル二宮金次郎」でその謎にアタックしている。

四書五経とは『大学』『中庸』『論語』『孟子』の四書に『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』の五経を指す。この順番はランダムに並んだわけではなく、昔日の中国で習っていった順番だ。宋の時代に朱熹(朱子)がこの順番を決めた。おそらく現代でもそうだろう。ちなみにぼくの中国生活の中で、すくなくともぼくの周囲で「四書五経」なぞ読んでいるやつなんていなかったが、市場の露天で薄手のこの手の本が並んでいるのをみると、やはり中国人民、どこかそこかで一度は通過している古典なのだろう。

その後に科挙の試験で四書五経を対象とすることが決まる。五経はそのうちの一つだけ選択
受験すえばよかった、だからいきなり四書が流行することになっいく。なかでも『大学』は
今で言う共通一次の入門テキストのようなもの。皆がよんだ。

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by ogawakeiichi | 2009-02-18 06:41 | アジア史&思想