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彩遊記

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古代ギリシャ

古代ギリシャ時代に書かれた『ホメロス』や『ヘシオドス』などの神話では『ウラノスとガイア』、『コスモスとカオス』の一対づつの対比構造がある。この対比構造を丸呑みしないことには、西洋社会はいつまでたっても理解不能に陥る。以来『ウラノスーガイア』『コスモスーカオス』の対比の構造は、神話をこえ、ギリシャ社会の基本を貫く背景にもなっていく。つまり、この対比の構造が西洋思想の根底をいまでも流れているわけである。

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ギリシャ神話の冒頭では最初に『カオス』がうまれ、ついで『ガイア』が、そして『タルタロス』が生まれ、その後『ウラノス』が生まれていく。

最初にうまれたカオスとはここでは空隙のことである。ついで生まれた『ガイアは大地』、『タルタロスは地底』、そのあとの『ウラノスは父親役』の天が成立する母系社会だ。ガイアとウラノスの間には子供が産まれ、それが『時の神クロノス』であった。

このあたりから、ギリシャ神話独特の話がはじまる。『クロノス』は母である『ガイア』と一緒に父『ウラノス』を倒し、『クロノス』は『レイア』と結ばれるのだが、こともあろうか、こんどは『レイア』が生んだ子供たちを飲み込んでしまう。
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▲ゼウス神
そこから逃れたそ子供が一人いた。その一人が、だれもが知っている『ゼウス』である。ゼウスは新たな『神々の軍団オリンポス』を組織して、そのリーダーとして君臨していく。

う~ん、神々の名が多すぎて、混乱しそうだ。
簡略化してみると、
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★ガイアーウラノス★(一対)   ☆コスモスーカオス☆(一対)

ガイア(地)⇒タルタロス(地底)⇒ウラノス(天)【母系社会】

ガイア(♀)とウラノス(♂)→クロノス(子)を産む

ガイア(母)とクロノス(子)→ウラノス(父)を追放

クロノス(♂)とレイア(♀)→子供たち

クロノス(父)は子供たちを呑み込む~子供の一人ゼウス→逃げ出す

ゼウス(♂)はオリンポス軍団を組織しリーダーとして君臨する。【父系社会】
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これを俯瞰して見ると、【母系社会】から【父系社会】への系譜に気づくだろう。クロノスからゼウスのところで捩れがおこった。

ゼウスがオリンポスの神々を纏め上げたところには『秩序』が生まれ、これを『コスモス』とよんだ。カオスとコスモスのあいだに、ヒトが入り込み社会生活が営まれると、そのために人々は法制度である『ノモス』を生んだ。


『ノモス』は制度としてあらゆるものを対にしていく。『ポリス』という名の都市秩序に天上で明るい聖なるものを与え、それに対する、『オイコス』という野蛮秩序に地下で暗い卑しいものが対になる。前者を西洋、後者を東洋に看做し、西洋からみた世界観が誕生する。

つまり、西洋思想は「野蛮なアジア的空間」に対して「開明的なポリス的空間」を作り出したわけである。

そもそも、東インド会社をはじめとしたアジア侵略、イギリスと清帝国間のアヘン戦争をきっかけとする西洋のアジア進出の先駆けは、はやくもこの古代ギリシャに発芽していたのである。


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by ogawakeiichi | 2009-03-31 09:09 | 西洋史&思想

老子と荘子の間隙

荘子と老子のタオの間隙を知りたいとある時、ふと思っていたのだが、構えをもってプッシュするまでのこともなく、オポチュニティーな状態で向こうからやってきたなら、丸呑みしようと企んでいたのだが、それがいよいよやってきた。一通のメールからはじまるオケージョンである。

「必ず名を正さんか」と言って、名実を合致させたのは『孔子』だ。その孔子を儒をもってヒエラルキーを構築する絶対的な思想であるとすれば、ことさらに知や欲をはたらかせず自然に生きることをよしとした『老子』は相対的である。
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それでは、おなじくタオイストの荘子の立ち居地と言えば、老荘思想と言うくらいだから相対的であると思われるのだが、まあ相対的な上空を漂ってはいるものの、そこからふらりと出遊していく。そのアソビ場所が、絶対に向かうというなら、よくある話だ。だが、そうではなく、たえず相対を出て、相対を越えていく。「無為」をもってひらひらと舞う。これが荘子なのである。

そこが老子の「無為自然」とはすこし異なっている。始原、本源、大極のアーキから、超越、横超して胡蝶は舞い、トランスしてしまうのだ。

老子も荘子もむろん「タオ」(道)や道家思想を説いてはいるが、老子のタオは粗なるものに対しての精なるものであり、荘子のタオは太始も太終もなく。そこには形もなくて常もない。

孔子の「正名」に対し、荘子を「狂言」とした。「儒」に対しては「遊」である。荘子の狂言とはたんに言葉を狂わせるというものではない。妄言と見えるのは汝にとってそう見えるのであって、荘子の言葉そのものはさしずめ無言語的始原から発してくるような、そういう言葉であった。つまりどのようにもとれる言葉なのである。

これをしばしば、荘子の「寓言、重言、卮言(しげん)」などという。寓言は他人に託して言葉をつかうこと、重言は歴史に託して言葉をつかうこと、卮言はその場に託して言葉をつかうことをいう。荘子はそれを文章術の極意とさえ考えた。自分で書いていると思わせない文章ということだ。

自分から抜け出し、もうひとりの自分がヒラヒラと舞いながら抜け出たあとの自分と周囲のそれを眺める。空(ウツロ)なる自分の身体に、自己意識を出入りさせて、遊んでいるのが荘子なのである。(参考:松岡正剛・千夜千冊)

謝謝大家
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by ogawakeiichi | 2009-03-30 22:23 | アジア史&思想

ウツロイ

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by ogawakeiichi | 2009-03-30 08:30 | 味写真

キセカエ

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by ogawakeiichi | 2009-03-30 08:19 | 味写真

セトキワ

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オトズレ

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by ogawakeiichi | 2009-03-30 07:40 | 味写真

ヨウゴウ

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by ogawakeiichi | 2009-03-29 17:49 | 味写真

ブルーノ・ムナーリ

f0084105_17154728.jpgブルーノ・ムナーリの著書「モノからモノが生まれる」の冒頭、いきなり老子の一節が掲げられている。

「生而不有 為而不恃 功成而弗居」

※生じて有せず、為(な)して而も恃(たの)まず、功成って而も居らず

なぜムナーリは老子を引いたのか。万物に美と醜を見いだしてから、人はおかしくなった。こういう美醜にとらわれていては、本当の仕事をすることはできない。仮にそのような仕事ができたとしても、そのことによって敬意を受けようなどと思わないことだ。そう、老子は言ったのだが、ムナーリはこれを、デザインが陥りがちなポピュリズムからの脱出のための惹句に見立てたようなのだ。そして、こうも書いたのである。「豪華さは愚かさのあらわれである」「家具は最小限のものでじゅうぶん」。(松岡:千夜千冊)

ブルーノ・ムナーリ(Bruno Munari、1907年10月24日ミラノ生まれ、1998年9月30日没)は、イタリアの美術家。美術家、グラフィックデザイナー、プロダクトデザイナー、教育者、研究家、絵本作家など、ムナーリには多くの顔がある。
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1958年イタリアを訪れていた詩人・美術評論家の瀧口修造と知り合い、瀧口によって1965年日本で個展を開いている。瀧口を通じて作曲家・武満徹とも親交が深く、ムナーリが贈ったオブジェをモチーフにした武満の曲「ムナーリ・バイ・ムナーリ」がある。
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1960年代以降はしばしば日本を訪れ、日本の伝統的な美意識やデザインに共鳴し、影響を受ける。1950年代からイタリアのダネーゼ社のためのプロダクトを数多くデザインし、その後も家具、照明器具などの工業製品のデザインを数多く残している。ダネーゼの灰皿は喫煙家なら、誰もが一度くらいお目にかかっているはずである。
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ムナーリはその名もズバリの『ファンタジア』(1977)という本で、想像力(ファンタジア)は気まぐれで不規則で、でたらめででまかせで、妄想的で霊感的でありながらも、それが「これまで実在してこなかったもの、表現されてこなかったもの」に関する新たな発想への出奔であるかぎりは、すべて想像力と名付けられるべきだろうと言っている。想像力とは実は、分解不可能な能力なのではなく、たくさんの可能性が一緒にやってくる同時的な能力なのである。(松岡:千夜千冊)

たとえばムナーリは、想像力(ファンタジア)の基本的な能力は大きく3つあると考えてきた。第1に、「ある状況を転覆させ、内容を反対にしたり対立させて考えること」である。第2に、「ある事柄を内容を変えずに、それを一から多にすること」である。第3には、「その特色を別のものに交換したり代用させること」である。まとめて「関係の中の関係」をまさぐっていくこと、それがムナーリのいう想像力なのである

そもそもムナーリのプロダクトは、「問題P」(problema プロブレーマ)をどのように「解決S」(soluzione ソルジオーネ)にもちこむかという配列で構成されている。ムナーリがデザイナーたちにぜひにと奨めているのは、この「問題P」から「解決S」へ向かう間に、問題をより明確に定義する行程を入れていくことだ。PをSにするデザインワークの“見当”には幾つかの仕上げ方があって、焦ってアイディアを出す前に、そのいずれに進むかという自由に自分をおきなさいという姿勢のことなのだ。(松岡:千夜千冊)

その“見当”とは、(一ヶ月間の展示会のための解決)「一時的な解決」なのか、あるいは「決定的な解決」なのか、純粋に「商業上の解決」なのか、「永続的な解決」なのか(その時々の、ある好みを作る流行からは外れた解決)、または「技術的に精巧な解決」なのか、「単純で経済的な解決」なのかというふうに。この姿勢のいずれかが決まらないと、アイディアはいつまでも空転する。そう、真剣に提案してくれているのだ。

冒頭の老子の後には、『デカルトの方法による4つの規則』が掲げられている。のだが「モノからモノが生まれる」を通観すると、この4原則は、ブルーノ・ムナーリの仕事の源流を解く鍵だということが分かってきた。

その4原則を此処に掲げておく
第一に、明らかで真であると認められない限り、どんなことも決して真であると受け入れないこと。つまり、きわめて慎重に、早合点や先入観を避けること。あらゆる疑いをも取り除くほどにはっきりと明瞭に、わたしの知性に示される示されること以外は、決して判断に含めないこと。

第二に、それぞれの問題を、できるだけ多く、そしてよりよい解決に必要とされるだけ、たくさんの小部分に分けること。

第三に、自らの思考を順序よく導くこと。もっとも単純で、もっとも認識しやすいことから初め、少しずつ会談を上がるようにし、もっとも複雑な認識にまで上り詰めること。そして、そのままではどちらが先にあるのか分からないものの間にも順序を仮定しながら行うこと。最後に、どんな場合においても、一つ一つ完全に数え上げ、総合的な見直しを行い、なに一つ見落としたものはないと確信すること。(ルネ・デカルト1637年)

何かをしたいなら、何かを分かりたくなりなさい。
分かりたいなら自分自身が変わりなさい。
分かるは変わる、変わるが分かる。
これがデザインのファンタジア。(松岡正剛)

謝謝大家
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by ogawakeiichi | 2009-03-29 17:12 | 情報とデザイン

ギリシャからヘレニズム

東洋では「悟り」とか「融通無碍」など、どちらかというと曖昧な説明のつかない感覚を大切にしていたのに対し、西洋の思想家は論理的で、実証可能なことを詰めて考え、人間の本質というものを探ろうとした。

そこには一神教に特有の二者択一的な思考の進行、すなわち二分法的な論理を基本に、システム的な思索や価値観を組み立てていった。その先駆者が、ヘラクレイトス、パルメニデス、ソクラテス、プラトン、アリストテレスといった、古代ギリシャの哲人たちだ。
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▲アテナイの学堂

ギリシャ哲学の中心にあったのは、【理性】である、人間がどのように「理性」を獲得し、理性的に生きるかということを、論理的に考えた。

東洋の仏教や、儒教や道教は、どちらかというと個人的な体験やトップの理想像を大事にするもので、「悟り」を開いたり、「礼」を尽くしたり「仁」を身につけたりすることは、あくまで個人や、そのあつまりである集団の修行や努力によるものだ。

儒教と交ざりあった仏教が中国や日本で、国家システムとして取り入れられたとき、それはあくまで「君主」という一人やあるいは少数の人間にとっての「理想」というものを個から家族へ、そして最後は国家へとして広げていったのに対し、ギリシャ哲学は、人間が普遍的に共有できる理屈を考えようとした。これを【ロゴス】とか【ロジック】という。それを、【理性】というものの構造や筋書きにもとづいて、人間社会や人間文化全般に及ぼそうと考えた。

こうして古代ギリシャでは、ターレスやアナクシマンドロス、アナクシメネスといった【イオニアの哲人】たちが登場して、自然の動きには【理】というものがあるだろうと考えた。これを自然哲学という。

次に【エレア学派】が登場して、人間社会や人間の考え方にも「理」があるのではないかと見ていった。それを「理性」という。

たとえば【パルメニデス】は、この理性を人間の関係だけでなく、宇宙の摂理から導き出すべきだ、それを「倫理」というものにするべきだということを主張する。

さらに【ヘラクレイトス】は、そのような理性というものは、固定的なのではなく、川のような流れをもっているのだと考えた。ところが、こういう議論は際限なく理屈をふやしていく。人間の考えることは流れのようにもみえるけど、見方を変えれば「ものさし」のようにも、人のあゆみのようにも、雲の形にもみえていく。このようなとりとめのない議論を【ソフィスト】たちの議論という。
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▲ソクラテス

そこで登場するのが【ソクラテス】である。ソクラテスは【理性】は【ソフィア(知と愛)】でなければならないと考えた。しかし人間が別々に勝手に考えていたのではダメであり、人間と人間の対話の中に生まれてくるのではないかと考え、ソクラテスはそれを実践しつづけるわけである。これがフィロソフィア、つまり哲学である。

しかし、ソクラテスは志なかばで毒殺されてしまう。そこで師の意志をつぎ、これら哲人たちの考えた理性というものを総合化しようとしたのが、弟子の【プラトン】である。プラトンは理性というものをもとにした「理念」や「理想」というものを見出していく。


「理」というものは理屈【ロゴス】であるわけであるが、プラトンはそれをもっとヴィジョンしにて「理」だけでつくられている人間社会や世界というものがあるのではないかと説き、それを【イデア】と呼んだ。これが有名なプラトンの「イデア主義」「理念主義」といわれるものだ。

プラトンは、もともとレスラーだったが、紀元前387年頃、その世界ではじめて【アカデミア】という本格的な学校をつくる。
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▲プラトン アリストテレス

プラトンを継いだのが【アリストテレス】で、アリストテレスもまた【リュケイオン】という学校を建てる。

プラトンの弟子であったアリストテレスは「イデア」の研究をさらに拡張して、森羅万象に関する「学」というものの体系をつくりだそうと考える。まず【自然学(フィシカ)】という自然に関する学問を切り出し、これを整え、そのうえで【形而上学(メタフィシカ)】という思考や思索に関する学問を構想する。

さらに詩学や表現についても試論を次々に発表した。その膨大な著作は、さしずめ古代最大のシステム工学者といってもよい。

この「フィシカ(自然学)」と「メタフィシカ(形而上学)」という二大学問は、現在もほぼすべての学問を覆うほどのものである。すなわちヨーロッパの学問のほとんどはアリストテレスに発しているといっても過言ではない。

しかしプラトンのイデアを、実践的に社会の組み立てとして成功をおさめたのは、プラトンの弟子、アリストテレスの教えを受けた、一代にしてマケドニアを築き上げたあの【アレキサンダー大王】だ。
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▲アレキサンダー

アレキサンダーは読書家で当時のヨーロッパでは第一級の知識人だったようだ。アレキサンダーの国家づくりは、世界中にプラトンの「イデア」に基づいた理想都市をつくっていくというもので、伝承によるとなんと70もの都市をつくったといわれている。そのすべてが【アレキサンドリア】という都市名である。

各都市の中心には必ず知識の女神である「ミューズ」から名づけられた【ムセイオン】というミュージアムの元になったものがおかれている。

一つの「アレキサンドリア」のなかで「ムセイオン」が3分の1とか4分の1とかの大きさを占めていたというからいかに、この都市モデルが知識や情報というものを重視していたかを窺える。そこでは年に一回、「知のオリンピック」が開かれていた。それはまさに神々の完璧な、“地上化”をめざしたものであった。

このアレキサンドリアによって世界中にひろまった文化全体にことを【ヘレニズム】と呼ぶ。【コイネー】という共通言語をつくったことも、ヘレニズムの世界的な波及につながった大きな要因でもある。

ヘレニズムに対し、ユダヤ教の純粋な主義主張を【ヘブライズム】という。ヘブライズムはしだいにヘレニズムによってやわらかくなっていく。その柔らかくなったところからキリスト教が誕生してきた。

「ヘレニズム」の特徴は、「神の世界の地上化」である。人間世界の中心原理になるような普遍の原理【(宇宙観)ーコスモス】がいくつ試作されていく。

ユダヤ教のコスモロジーである「ヘブライズム」にギリシャの流れをもつ「ヘレニズム」が交差して、いよいよローマ帝国の社会がはじまっていく。

(引用:松岡正剛・17歳のための世界と日本の見方)
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by ogawakeiichi | 2009-03-28 09:26 | 西洋史&思想

デザインのデザイン

f0084105_7345840.gif◆「デザイン」とはいったい何なのか? 敢えて辞書的に定義するならば、それは「意匠」や「応用美術」と翻訳される概念であり、何らかの使用目的に則して造形が行われる点で、それ自体自律して成立しうるものとされる「ファインアート」とは厳密に区別される。

◆だがテクノロジーの変革やそれに伴う情報環境の変化が著しい昨今では、その意味自体が極めて流動的なものとなり、範囲を正確に定めることが著しく困難になってしまったとの声もよく聞かれるようになった。存外、「デザイン」の定義に最も悩んでいるのはほかでもないプロのデザイナーなのかもしれない。

◆テクノロジーが世界を新たな構造に組み換えようとするとき、それまでの生活環境に蓄積されていた美的な価値は往々にして犠牲になる。

◆世界は技術と経済をたずさえて強引に先へ進もうとし、生活の中の美意識は常にその変化の激しさにたえかねて悲鳴をあげるのだ。そういう状況の中では、時代が進もうとするその先へまなざしを向けるのではなく、むしろその悲鳴に耳を澄ますことや、その変化の中でかき消されそうになる繊細な価値に目を向けることの方が重要なのではないか。最近ではそう感じられることが多く、その思いは日々強くなっている。

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by ogawakeiichi | 2009-03-27 07:38 | 情報とデザイン