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彩遊記

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網野史観


f0084105_2233675.jpg【壱】
本来、日本は決して孤立した「島国」ではない。日本列島の南北を逆転してみると、日本海はほとんど湖同然だ。日本はアジア大陸の南と北を結ぶ架け橋のような存在だったと考えられる。北から南から西から人や物の流れが出入りしていた。旧石器時代からフォッサ・マグナを境にして東と西で異なった文化を生みだしていった。

【弐】
日本という国名が歴史に現れたのは7世紀の末だった。「天皇」という称号も同じ頃現れた。さらに慎重に考察を積み上げてみると、確立した小帝国日本は、当時まだ日本列島全体をその支配下においていなかった。つまり、東北も九州もその頃まだ日本人ではなかったのである。

【参】
単一民族国家日本というのは一つの神話にすぎない。したがってその神話にもとづいて建国記念日を決めたりするのは、ほとんど児戯にひとしい。歴史のなかの“ことば”を丁寧に吟味してみなければならない。そうすると、一個の“言葉”で歴史の意味が、二個の“言葉”で世界の解釈が変わって、みるみるうちに日本という国の真の姿が浮かびあがってくる。

【肆】
この、ふだんなにげなく使っている“言葉”のなかには、意外なほど長い歴史がこめられた深い意味のある例が数多くある。その“言葉“をあらためて追求してみると、自分をとりまく世界の風景が変わり、自らの立場を根本からとらえなおす必要を痛感することがたびたびある。『“言葉”に注目してみること』これは歴史を考えるうえでの重要ポイントだ。

【伍】
たとえば、「百姓」という“言葉”に、本来「農民」の意味はない。これは「普通の人」を意味する。「百姓」に対する誤解の背後には1300年に及ぶ歴史が存在している。その誤解は研究対象とした資料の性質にはじまった。本来は文書を丹念に読むことで、そこから実態や生活の豊かさが鮮明に見えてくるはずなのに、誤った“常識”に従って日本社会を歪んだものにしてしまったのは歴史研究家の怠慢といっても過言でない。


【陸】
日本には古代から、公民と平民、良民と賎民を分け、葬送などの仕事に従事するものをケガレの人々とみなす傾向があった。これは一種の賎視思想であるが、しかし中世で非人とよばれた人々は職能民として独自のネットワークを形成するほどの一群になっていった。ときに神社仏閣、天皇と結びつき、街道や港を自由に往来し、社会の最上層の一部と連動する「神人・寄人・供御人」と呼ばれるネットワーカーとしての職能者たちも出てきた。

【漆】
中世日本には「無縁・楽」というしくみがあった。無縁とは縁を断つところである。また縁をおこせるところ、あるいは別の関係に入れるところ、それが市場(市庭)の隠れた機能でもあった。「無縁」はを民衆生活に生み出された自由・平和・平等の場である理想郷への志向を示している。そこに貫かれる「無縁」の原理の現象形態、作用の仕方の変遷をたどることで、人類史、世界史の基本法則をとらえることができるはすだ。

【捌】
中世日本の女性の役割をめぐる事情といえば、遊女、白拍子、桂女、大原女、傀儡などがだ。彼女らはリーダーに率いられてグループをくみ、春をひさぐこともすくなくなかったが、それととともに各地の伝承を物語化していった中世の“語り部集団“でもあった。聖なるものと結びついた「巫女」などの職能ネットワーカーなども活躍したが、女性もまた「無縁性」をおびた存在だった。

【玖】
中世日本に起きた劇的な場面のひとつ、南北朝対立のさいの南朝方の苦難は避けては通れない。後醍醐天皇だ。幕府の権力を打ち倒し、一時はみずから権力をにぎり、やがてまたあたらしい幕府に打ち負かされる天皇は、異形の人々をよびあつめて新しい力を呼び覚ました異色の天皇であった。その異形はしだいに差別の対象とされていく。

【拾】
その異形である漂白する職人・芸能民・勧進聖など、中世に生きた「遊手浮食の輩」、世俗の人間関係とは「無縁」な人々。一方では古代社会のアジールまでさかのぼってみれば現代の何気ない遊びにも、影をおとす「無主」「無縁」を担った人々。実は彼らこそ「閉じた市場」に対して「開いたネットワーカー」であり、真に歴史を動かしてきた“弱者の力”であり、人類共同体のありかたについて普遍的な問題を提起する『輩たち』なのだ。
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by ogawakeiichi | 2009-06-29 22:34 | 日本史&思想

進化論と自由主義


19世紀後半にイギリスの社会学者ハーバード・スペンサー(1820~1903)はダーウィン進化論の「自然淘汰・適者生存」という考え方を、人間社会のあり方を説明するのに用いた。人間の社会もまた、熾烈な生存競争をくりひろげており、適者が生き残ることで進化するというのである。

スペンサーのこの理論は「社会ダーウィニズム」と呼ばれる。そしてこの理論はイギリスからアメリカに広がり、またたくうちに、世界の思想界を席巻した。なぜなら社会ダーウィニズムこそ、当時の列強の帝国主義的な植民地支配を説明し、そしてこれを正当化する理論だったからだ。

社会ダーウィニズムの考え方は、「強い者が勝つ」「優秀なものが勝つ」「強い者が優秀な者である」ということである。そして、「弱者は強者に従わなければならない」という強者に都合の良い「支配と服従」の論理である。

この考え方によれば、裕福者が手にしている富は彼等の生存競争における成功のしるしだということになる。富者であることは成功者であることであり、人間はだれしもこうした成功者になることを夢見て競争し戦わなければならない。

この考え方は日本でも受け入れられた。そしてここから生まれたのが「富国強兵策」である。列強によって植民地にされたくなかったら、経済を発展させ、軍備を整えなければならない。つまり、自らも列強の一員とならなければならない。

こうした考え方は、人々を容易に国家主義者にする。日本の場合は、市民革命の経験はなく、個人の人権などという考え方もなかったので、人々はこぞって「国家主義者」となり、「忠君愛国」をとなえるようになった。

たとえば、東京帝大の初代学長で明治期の日本を代表する啓蒙思想家だった加藤弘之(1836~1916)の場合をみてみよう。彼は「天賦人権論」を掲げて、「立憲政治」の必要性を人々に訴えていた。ところが、社会ダーウィニズムの思想に触れるやいなや、すばやくこれに転向している。

進化が西洋的な文化の発展を前提としているとして、当時の人たちがそこにこそ最良の進化の結果を見ていたとすると、この思想が日本に残した禍根は大きかったのではないか、と思わないでもない。


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1978年、京都の妙心寺の庭を望む静かな1室でノーベル経済学賞を受賞した世界的経済学者で自由主義を提唱したフリードリッヒ・フォン・ハイエクとニホンザルの研究で知られる人類学者の今西錦司の対談が行われた。この二人の対談を仕掛けたのはハイエクの自由主義を一貫して支持した田中清玄。

先述の小泉改革の思想的源流を作ったのが、ハイエクによって提唱された自由主義は、その後シカゴ学派に引き継がれ、新自由主義経済として各国に広がっていき、今でも各国の市場重視路線を支えている。

その一方で、今西錦司は、自然淘汰や優勝劣敗を核とするダーウィンの進化論を否定したことで有名な研究者だ

種の変化は、共存による棲み分けから発生するという「棲み分け理論」を提唱する。今西は「生物の種類がいくらあろうともそれらは、それぞれにこの地上を棲み分けている。進化とは、この棲み分けの密度が高くなることである。しかるに種と種が競争することによってこの棲み分けを破壊するようなことが許されてよいものだろうか」とダーウィンの進化論に仮借のない批判を加えた。

そして、その棲み分けにより縄張り協定ができて、争いは起こらないというのだ。したがって、その種の永続、永世ということが保障されることとなり、ダーウィンの競争原理に対して今西の進化論は共存の原理に立つ。

2001年に小泉総理が所信表明演説を行ったとき「ダーウィンは『この世に生き残る生き物は,もっとも力の強いものか。そうではない。もっとも頭のいいものか。そうでもない。それは変化に対応できる生き物だ』という考えを示した。すなわち、消費者がほしいと思ったものが買われ、いらないと思ったものは見向きもされない。弱肉強食ではなく優勝劣敗の世界となり、中小企業はつぶしていけないのではなく、意味のない企業はつぶれた方が経済的には良いという現実となるということ。

ところで、妙心寺で行われた対談で二人の話題は東西文明論から市場経済、進化論と多岐に渡ったが、ハイエクは最後まで今西理論の概念を理解できなかったようだ。

今西とハイエクの違いは「万物に神が宿るという自然観VS唯一絶対神の宗教観、共存と和VS徹底した論理性と合理性」ということである。

しかし、対談を終え帰国するとき、ハイエクは日本側の関係者に「これからの世界は多元的志向、つまり多神教的な世界の価値と意味を深く考える必要があるだろう。こんどの日本訪問ではそのことを深く学んだ、それを感謝する」と語った。

その後、アメリカをはじめとして新自由主義経済が世界中に広がっていったが、その教祖といえるハイエクは自由主義を説く一方、共存と和という日本的発想に真摯に耳を傾けたのは、今西との出会いであった。

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オッカム引用先http://eastwatery.exblog.jp/4435933/
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by ogawakeiichi | 2009-06-28 22:39 | 西洋史&思想

図形採譜


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by ogawakeiichi | 2009-06-28 10:04 | 情報とデザイン

DNA

f0084105_95187.jpg螺旋状のページが繋がった、生命の暗号がある場所を『DNA』とよぶ。DNAはたくさんの情報が書かれた大きな本である。その場所は、街(生体膜内)の中心にある“核”と呼ばれる場所にある。

ここへ、神の指令を受けて膨大なページのなかから必要な場所だけコピーをとりにメッセンジャー(RNA)が核膜孔から進入してくる。

長い本に繋がったページ(DNA)は【ヒストン】というタンパク質に巻きついて折りたたまれて【A:アデニン】【T:チミン】【G:グアニン】【C:シトシン】の4種類の記号が30億個、2mにわたって並んでいる。身体をつくる重要な材料である“タンパク質”の設計図がこのDNAの中に暗号のように並んでいる。

DNAの中にある必要な分の情報をコピーしたメッセンジャー(mRNA)は核を離れ、細胞内にある工場(リボソーム)へコピーを渡す。そこでは設計図に従い、生き物の身体をつくる材料の最も主要な部分である“タンパク質”ができるのだ。

人間は10万種類ものタンパク質を持っているとも言われているが、ATGCの並びだけで、筋肉のタンパク質、爪のタンパク質、髪の毛のタンパク質などの設計図にとなり、この並びの違いだけで、生き物の身体の様々な種類のタンパク質が作られている。

料理の本やプラモデルの設計図とちがってDNAはまるで暗号だが、

さて解読は・・
  
1.設計図は左から、DNAの並んだ暗号を3文字ずつに区切ってよむ。たとえば「AGU」だったら「■」のアミノ酸、「CUU」だったら「△」のアミノ酸というように区切ってアミノ酸にあてはめていく。

2.すなわち設計図のDNAの塩基の並び方はアミノ酸の並びかたであり。その繋がり方の違いで、どんなタンパク質を工場(リボゾーム)でつくればよいかが判る。

3.タンパク質をつくるアミノ酸は20種類。そのアミノ酸が数百個に繋がり1つのタンパク質をつくる。(※髪の毛をつくるタンパク質、筋肉をつくるタンパク質はアミノ酸の並び方やアミノ酸の数に違いがある。)

4.設計図には「はじめ」と「終わり」の暗号がある。RNAのメモが途中で切れていたりするとまちがったタンパク質ができてしまう。それを防ぐために、「はじめ」と「おわり」の暗号があるある。ちなみに、「はじめ」の暗号は「AGU」。「おわり」の暗号は「UAG]」「UGA」「UAA」。
  
とこんなぐあいだ。


【附】
2004年10月、ヒトのDNAにある遺伝子数は約2万2千であると予想されていた。ところが、この遺伝子数では約10万種あるといわれているヒトのタンパク質をつくっていくには到底数が足りない。いったい、何がおこっているのか?

実は、DNAにある遺伝子はタンパク質になる情報部分とならない部分が飛び飛びにあった。

まず、RNAは遺伝子のはじめから終わりまでメモをする。その後、タンパク質になる情報がない部分を切って、情報がある部分だけをはりつけていく。こうして、タンパク質になる情報がある部分だけがリボソームに運ばれていくのがわかった。


最近まで、遺伝子のタンパク質になる情報がある部分はすべてはりつけられてリボソームに運ばれていくと考えられていた。ところが、そうではなかったのだ。


このように、1つの遺伝子から様々な組み合わせのRNAができることがわかってきた。こうして一つの遺伝子から必ずしも一つのタンパク質ができるわけでなく、さまざまなタンパク質がつくられている。

たとえば、ヒトの耳の細胞では一つの遺伝子から500種類ほどのタンパク質ができている。このタンパク質はいろいろな高さの音を聞くのに役立っていると言われているのだ。


■DNAメモ
───────────────────────────────

◎生き物の体は細胞が集まってできていてその細胞の中の核の中にDNAがある。
◎DNAは二重螺旋のかたちをしていて、人のDNAは約2m。
◎長いDNAは核の中で【ヒストン】というタンパク質に巻きついて折りたたまれ細胞の小さい核の中に入っている。
◎DNAの部品は【A:アデニン】【T:チミン】【G:グアニン】【C*シトシン】の4種類があり【アデニンとチミン】【グアニンとシトシン】が結びつく。
◎この並び順は生き物によって少しずつちがう。

◎生き物の身体をつくる材料(水を除く)もっとも多い物質はタンパク質
◎タンパク質は身体の様々なところで使われていて、役割によってさまざまな形をしている※かみの毛にはたくさんのケラチンがつくられているつくられるタンパク質が細胞によって違う。

◎この重要な材料であるタンパク質の設計図こそDNA。

◎設計図の解読法!
・左から読む
・3つで1つのアミノ酸
・はじめとおわりの暗号がある

◎解読後、核の中のDNAをRNAにコピーして、核の外のリボソームにわたす
◎設計図のDNAは核の中にあり、タンパク質をつくる工場であるリボソームは核の外にある。

◎タンパク質は20種類のアミノ酸がつながってできている。
◎設計図DNAにはアミノ酸の並び方が書かれている。


◎生き物のからだはいろいろな種類のタンパク質からできている。
◎細胞では、必要なタンパク質がつくられる
※必要なときに必要な場所でタンパク質がつくられるように遺伝子にスイッチがある
※それぞれの細胞のDNAではどの遺伝子をRNAにメモするかきびしくコントロールされている
※髪ではケラチン遺伝子が、骨ではコラーゲン遺伝子がたくさんメモされるようになっている。
※遺伝子によってメモするメモしないをコントロールしている部が、DNAにある。

※DNAには「タンパク質の設計図」になっている部分のほかにいろいろな部分がある。
※「設計図ではない部分」にメモする、しないをコントロールするスイッチがあるのです。
※スイッチがオンになるとRNAが遺伝子をメモしてやがてタンパク質がつくられる。



◎すべての生き物は設計図であるDNAをもっていて、DNAをもとに体が作られている。
◎生き物の体は細胞が集まってできていてその細胞の中の核の中にDNAがある。
◎DNAは二重螺旋のかたちをしていて、人のDNAは約2m。
◎長いDNAは核の中で【ヒストン】というタンパク質に巻きついて折りたたまれ細胞の小さい核の中に入っている。
◎DNAの部品は【A:アデニン】【T:チミン】【G:グアニン】【C*シトシン】の4種類があり【アデニンとチミン】【グアニンとシトシン】が結びつく。
◎この並び順は生き物によって少しずつちがう。

◎生き物の身体をつくる材料(水を除く)もっとも多い物質はタンパク質
◎タンパク質は身体の様々なところで使われていて、役割によってさまざまな形をしている
 ※かみの毛にはたくさんのケラチンがつくられているつくられるタンパク質が細胞によって違う。

◎この重要な材料であるタンパク質の設計図こそDNA。

◎設計図の解読法!
・左から読む
・3つで1つのアミノ酸
・はじめとおわりの暗号がある


◎解読後、核の中のDNAをRNAにコピーして、核の外のリボソームにわたす
◎設計図のDNAは核の中にあり、タンパク質をつくる工場であるリボソームは核の外にある。

◎タンパク質は20種類のアミノ酸がつながってできている。
◎設計図DNAにはアミノ酸の並び方が書かれている。


◎生き物のからだはいろいろな種類のタンパク質からできている。
◎細胞では、必要なタンパク質がつくられる
※必要なときに必要な場所でタンパク質がつくられるように遺伝子にスイッチがある
※それぞれの細胞のDNAではどの遺伝子をRNAにメモするかきびしくコントロールされている
※髪ではケラチン遺伝子が、骨ではコラーゲン遺伝子がたくさんメモされるようになっている。
※遺伝子によってメモするメモしないをコントロールしている部が、DNAにある。

※DNAには「タンパク質の設計図」になっている部分のほかにいろいろな部分がある。
※「設計図ではない部分」にメモする、しないをコントロールするスイッチがあるのです。
※スイッチがオンになるとRNAが遺伝子をメモしてやがてタンパク質がつくられる。

※髪の毛の細胞ではケラチンの設計図ががたくさんメモされるようにいつもスイッチがオンになっている。そうすると、かみの毛細胞ではつねにケラチンができ、細胞内にたまっていく。こうして、さらにケラチンをたくさん含んだ細胞がふえていくことによってかみの毛が一日に約0.3-0.5ミリメートル伸びていくのです。

◎ヒトは約10万種類のタンパク質を持っているといわれている
※2004年10月、ヒトのDNAにある遺伝子数は約2万2千であると予想されました。
ところが、この遺伝子数では約10万種あるといわれているヒトのタンパク質をつくっていくにはとうてい数がたりないいったい、何がおこっているのでしょうか?

◎実は、DNAにある遺伝子は、タンパク質になる情報になる部分とない部分がとびとびにある。
※まず、RNAは遺伝子のはじめから終わりまでメモします。その後に、タンパク質になる情報がない
部分を切って、情報がある部分だけをはりつけていく。こうして、タンパク質になる情報がある部分だけがリボソームに運ばれていく。

※最近までで、遺伝子のタンパク質になる情報がある部分はすべてはりつけられてリボソームに運
ばれていくと考えられてた。ところが、そうではないことがわかってきた。

※このように、1つの遺伝子から、いろいろな組み合わせのRNAができることがわかったのです。
こうして一つの遺伝子から必ずしも一つのタンパク質ができるわけでなく、
さまざまなタンパク質がつくられることがわかってきました。

たとえば、ヒトの耳の細胞では一つの遺伝子から500種類ほどのタンパク質ができていることがわか
っている。このタンパク質はいろいろな高さの音を聞くのに役立っていると言われている。
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by ogawakeiichi | 2009-06-23 09:10 | サイエンス

絶望=苦悩ー意味

f0084105_11571127.gif全盲ろうの東大教授・福島智(動画)

宇宙のなかに放りだされた気分。しかし意味をそこに見出せれば、それは絶望ではない。

「絶望=苦悩ー意味」「絶望+意味=苦悩」。そこには何らかの生きる意味がある。

何億円の収入があったとしてもそれだけのこと、何十年か生きて、宇宙の原子に帰っていくだけ。しかし、そこに意味をみつけることで豊かに暮らせる人もできてくる。みんな生きている意味がある。(福島智)

イソムラ式これからのユニバーサルデザイン
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by ogawakeiichi | 2009-06-19 11:58 | 情報とデザイン

「目配り」と「気配り」の身体性

世の中には大変優れた観察力という身体性をもった人間がいる。ブッダガヤで出合ったインド人のアーユルベーダの医師は一見しただけで身体を読み、中国桂林で通った中医(漢方医)の医者は脈診をすることなく、これもまた姿をみただけでデータをとらえた。(※観察力とは異なるがチベット亡命政府のあるダラムサラのチベット医学の先生は、誕生日から診断していた。)もちろん西洋医学の医師にも姿を見ただけで変化をとらえられる医者もいる。ミラノ帰りの彫刻家・宮薗広幸くんは、人の姿を見るだけで骨格がわかるという。彼らは皆、「識別力」や「洞察力」のプロである。(※ちなみにぼくは、そのへんの色を見てCMYKの色比率が判る。←ふふっ)

武道家、塩田剛三は「目配り」と「気配り」つまり「識別と洞察力」を合気道のなかで最高レベルまで昇華させた。

「目配り」は周囲の情況を確認しつつ必要な対策や行動をとること。「気配り」は、目配り以上の周囲の人々の心理にまで踏み込んだ認知や対策、行動。目を読んで、瞬時に判断、瞬時に行動へと移る、広義の情報デザインでもある。


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by ogawakeiichi | 2009-06-19 10:07

芸術と抽象と身体性 (大元)

f0084105_759537.jpg土方巽をはじめてみたのは、全共闘の熱気さめやらぬ、法政大学の大学祭でのことだった。全身白塗りの身体でシンセサイザーの音に乗り、踊る姿は、恐ろしく衝撃的で見てはいけないものを見たような気分であった。

舞踏家、土方巽は舞踏譜というものを記述していた。舞踏譜とは、舞踏を踊るための譜面である。彼の舞踏は即興ではなく、すべて譜面に基づいて踊られていた。しかし、その舞踏譜というものは、たいてい絵や詩が書かれたものだった。その絵は彼が書いたものではなく他人が描いたものだ。その絵に詩がつけられ、さらに絵と絵が詩によって結びつけられていたりする。土方巽は、それを見て舞踏という身体表現をしていたのだ。

絵というものはすでに抽象度の高いもので、言語というものは比較的抽象度の低い表現方法であり、詩は通常の言語表現に比べれは比較的抽象度が高い表現形態である。このような抽象度の高い存在と抽象度の高い存在とを結びつけ的確に理解するにはこれ以上に高い抽象度でモノやコトに対処する能力が必要である。

抽象度を上げない限り、それを譜面としてみることができない、単なる絵と絵、絵と詩としてしか見ることが出来ない。

つまり、土方巽という舞踏家は相当に高い抽象空間で身体表現を描いていたことになる。高い抽象度で舞踏譜を読み取ったあとで、身体表現という物理世界に落とし込めなければ実際に踊ることはできない。

抽象度をぐっと上げたあとで、もう一度、低い抽象度まで舞い戻り、身体で表現しているわけだ。

舞踏家は皮膚の表面に白塗りをしている。これは、この白く塗ったところが自分の皮膚だということを強調するためだ。そのことで、皮膚の動きがクローズアップされる。白く塗った皮膚の動きだけで、抽象化された空間のすべてを表現するための増幅装置徒とも言える。

絵画表現も同様である。例えば、風景画を描くときでも一度、抽象度を高めて自然を捉え、その捉えたものを今度は絵筆を使って身体で表現する。絵画の芸術性はどこにあるかと問われれば、絵画そのものにあるのではなく、絵を描いている身体の動きにあるのではないかと思われる。すなわち身体の軌跡が絵なのである。

もう少し突っ込んでいえば、作者が身体をつかって表現しようとしている、高い抽象空間をみるということになる。

芸術とはすべてが身体表現だ。ところが一般の人が芸術作品をみると、その作品そのものが独立した存在としてみてしまう。しかし、本来は作者の身体的軌跡を作品に合わせ聴き、そして見るのが芸術なのである。

きのうエクササイズした、一年生の諸君。無意識から手へと伝えたあの感覚と身体のリズムを忘れんでおいてね。
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by ogawakeiichi | 2009-06-18 08:00 | 身体性

Chema Madoz

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マドスの表現方法は、対象を物質として撮影するのではなく、対象が内包する秘密を撮るといえばよいだろうか。組み合わせと構成によって、モノに予期せぬ詩(秘密)を語らせてしまうのである。そして、その詩を聞き取れる者はマドスとの「共犯関係」に巻き込まれ、ニヤリとすることになる。
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「私の作品を見て、ふっと笑う人がいます。それは日常よく目にするモノが、これまで見たことのない視点からとらえられていることを直観し、そこで私と秘密を共有する関係が生まれるからだと考えます」(チェマ・マドス)
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試みに「梯子(はしご)/鏡」と題された作品を見てみよう。鏡に梯子を立てかけただけのシンプルな構成。だが、この前にたたずむ者は、鏡と梯子の日常的な意味を見失うと同時に、予期せぬ意味を発見する。
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by ogawakeiichi | 2009-06-17 20:57 | 味写真

ユダヤ人とはだれか

f0084105_2325488.jpgあのホロン革命を書いた、アーサーケストラーが、『ユダヤ人とは誰か』を書いていたとは知らなかった。というか、タイトルは知っていたのだが、まさかケストラーが書いていたとは。

世の中にはなんだかよくわからないものというのはいろいろあるが、ぼくの中では「ユダヤ人」もその一つだ。(※ここ数年は満州から朝鮮半島北部、北朝鮮も加わった。あの小さな国がなぜあれほど大きな態度で世界中を敵に回し、ブッシュに悪の枢軸とまで言われながらも無事にやってこれたのか、などなど・・。このあたりは、そのうち書くことにして)。

中心があれば周縁が生まれる。正統が確立すれば異端が発生する。そもそも歴史には国家や自治体の枠組みでは計れない『血』と『民族』の歴史がある。

「ジプシー」や「スファラディ」や「アシュケナージ」や「華僑」という名辞は単純に一つの国家には属さない枠組みだ。それがまた入れ子の状態で複雑に入りくんでいる。この入れ子状態が、理解困難に陥る原因なのだが、この辺を整理すれば見えてくるものがる。

たとえばユダヤ人は、「スファラディ」と「アシュケナージ」の2種類、あるいは、「ミズヒラ」を加えての3種類に分類される。単一で語れるわけではないのだ。とりあえず異論もあるにはあるが、20世紀後半の最もラディカルなジャーナリストの一人ケストラーはこう書いている。

★まず「スファラディ」だが、彼らは旧約聖書に登場するセム語系のモーセの民の末裔である。「旧約聖書」と「ゾハール」と「タルムード」を聖典とし、ヘブライ語を母国語とする本来のユダヤ人であり、ユダヤ主義は彼らによって創成されてきたが、現在では全ユダヤ人の10%程しか占めていない。

彼らは、度重なるディアスポーラにあい、1429年までは主にイベリア半島に居住していたが、この地方でカトリックの力が強くなり、レコンキスタと共にその地を追われる。その多くは表向きはキリスト教徒と融合しながら生き延びた。彼らは「マラーノ」と呼ばれる。

★つぎに「ミズヒラ」は「スファラディ」ともされるが、一部がアジアに流れていったことに特徴がある。

★最後に「アシュケナージ」だ。彼らは、今日のユダヤ人の90%を占めているが、その起源はコーカサス地方に住んでいたカザールの民であった。カザールの民は740年頃、集団でユダヤ教に改宗したのだった。セム系の「スファラディ」とは異なり、白色のトルコ系である。

カザール王国は13世紀初頭のモンゴルの侵入により滅び、東方に移動してブルガール人やゴート人たちと交じり、ポーランドを中心とした東欧に「さまよえる複合ユダヤ人」を形成する。ポーランドのユダヤ人の迫害は、やがてシオニズムに結びつき、イスラエルの建国へと結びついていった。

上記を整理してみると、『ユダヤ人』には、本来のユダヤ人である『スファラディ・ミズヒラ』と『アシュケナージ』と呼ばれる二つのユダヤがあり「アシュケナージはカザール人のユダヤ教徒」だということ、つまりユダヤ人とは民族ではなく宗教集団だということが読み取れる。このあたり蓋然性の高さだけで書いたけど、しかしボケやカサナリの例外もあり、すっきり整理などできやしない。

重要なことは聖書に出てくるパレスチナのユダヤ人だが、それは今日のユダヤ人の90%を占めている「アシュケナージ」ではなく、少数の「ミズヒラ」と「スファラディ」ということだ。

また、ユダヤ人は『宮廷ユダヤ人』と『放浪ユダヤ人・乞食ユダヤ人』という二律背反構造になっている。ユダヤの個人とユダヤという民族と、ユダヤという国家はまったく別レイアーということだ。

したがって、異端の勝利者である『宮廷ユダヤ人』が高らかに放つ『放浪ユダヤ人・乞食ユダヤの悲劇』が、人々の想像力を喚起してユダヤ全体のイメージが【過補償】としてマネージされている可能性だってある。つまり、“フェミニズム”に片寄りすぎて“歴史学としておそまつ”ということだってある。

ところでこの「ユダヤ」に関する問題をネットで追っていくと、非常に興味深いあちこちのページへいく。中には”妄想”としか思えないトンデモページにも行き当たる。しかし歴史の真実というのはこのように玉石混交の中にうずもれているものなのだろう。
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by ogawakeiichi | 2009-06-16 23:33 | 西洋史&思想

多国籍合宿

f0084105_2225038.gifアメリカの知性とよばれた作家「スーザン・ソンダク」はこう言う。
===
おおかたの人々が「平和」という言葉で言わんとしていることは、勝利ではないかと思える。自分たちの側にとっての勝利が「平和」であるなら、その平和は、他の人々にとっては敗北を意味する。

原則として平和は望ましいものだが、もし平和維持のために正統な主張を放棄しなければならないとしたら、しかもそれを放棄することが受け入れがたいことだとしたら、次にとる道は何だろう。

もっともありうるのは、総力戦にならない程度の手段で戦争に打って出ることだろう。

だが、そうなれば、平和への希求は欺瞞的なものと映るか、さもなくば、さほど切迫した希求としては感受されない。平和は住まい方がもはやわからなくなった空間となる。もう一度、あえて平和に居を定める、つまり平和を植民地化することになってくる。
===

すぐる週末はよくぞ集まった。「共生への挑戦」とのコンセプトに、大隅の山奥に400名を超える多種多様なカテゴリーを背景に40何カ国があつまった。

ほとんど乗り気もなく、生温かく見守るつもりが、企画担当の弟子が必要以上に絡んでくるので、“み塾”とならばと、これに乗る。ビジュアルを作らされ、ワークショップを持たされた

終わってみると、微妙な興奮があったのか、帰宅した夜は神経の高ぶりで眠れないのである。いたって利害のない、400名程が、たったわずかの2日間ではあったものの、まあ、2日だからだろうが、“ポチョポチョ”を黒、白、黄の様々な笑顔が踊る夜には、もしかしてこれが“欺瞞でない平和”かいな・・・。と妄想する瞬間さえある。気分はひょうたんからコマ。←アハッ

“国際交流”って響く名辞は、グローバリストや交流マニアでないヤツにはしっくりストンと落ちない気分なのが、“多国籍合宿”って名辞の響きは、個の群に“ちょぴり圧を加えた自由創発”を暗示していいかもしれない。

ところで、おおかた“一般”とか“大衆”とかの恣意的な言葉のレベルでは、平和が好きなはずなのに、なぜに争いが無くならないのか。

インドネシアの学生は、異なるDNAの争いじゃないのかといい。コロンビアの女医が、前途ある若者の前で科学的根拠に乏しい発言するのはいかがなものか、平和は心によってつくっていくものだとの反論する。まあ、心情、感情的にはわからんでもない。が、これではスーザン・ソンダクも言うように解決はしないだろう。

グローバリストが平和の美名で行っている現実と、悠久の歴史をみれば、インドネシア学生の科学的根拠の乏しい提言に、一票だ。

つまり、どうにもならない違いを認めたうえで、群の共生への挑戦!だと付け加えれば完璧だったのに・・なぁ。

この問いも似ている・・か。ちがうか、まあいいか。

「苦しみ」とは何ですか?

「現実をありのままに受け入れないこと」。

だから現実を受け入れたら「苦しみ」はないのですよ、

それなのに皆さん「現実をありのままに受け入れるのが苦しいんだ」と勘違いしている。
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by ogawakeiichi | 2009-06-15 22:22 | 只記録