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彩遊記

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社会システムのオートポイエーシス

時代にあわすのではなく、淡々と捲れてきた縁起に、時代が近づいてきた。物知り顔の時代合わせがはじまった。身体と連動させない後出しジャンケン。これはこれでなんだが悲壮だ・・・。これも巨大な生命体システムの中での振る舞いなんだろうな。デザインを含めたシステム観で読みとけば、ビジュアルコミュニケーション~コミュニケーションデザイン~オートポイエーシス。。ポイントは、オートポイエーシスかな。

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オートポイエーシスは生命システムの謎、とくに免疫的なシステムの謎を解くための概念として考えだされた。生命が「非自己」を活用しつつ自己組織化をとげながら、それでもシステムとしての「自己」を環境の内外で保持しているのはなぜか。そこには「自己を再生産するための自己準拠」や「自己による自己再帰」のしくみがあるのではないか。生命は自分自身についての「自己言及」をしながらもそこに生じる自己矛盾(コンフリクト)をたくみに超越するしくみをもっているのではないか。それはオートポイエーシスとでもいいうるものではないか。マトゥラナとヴァレラはそういう仮説をたてた。

 ルーマンは、そのようなオートポイエーシスが社会システムにも動いているだろうとみなした。法や価値観や市場の動向にも、オートポイエーシスのなんらかの作用が関与したり滞留したり、また逸脱したり過剰になったりして、システムの内外を出入りしているのではないかとみなしたのだ。

ルーマンは社会システムにおいては「コミュニケーション」(あるいはコミュニケーション行為)が動いて、それがなんらかのかたちでオートポイエーシスに向かっている、ないしはオートポイエティクなしくみと関与している可能性があるとみなした。


社会システムのどこかににオートポイエティックなはたらきが部分的にあるのではなく、オートポイエティックな動きのなかに社会が機能しているのではないかというような、大きな見方の逆転だ。

社会そのものの様態が、もっと大きな自己言及的なオートポイエーシス活動のひとつのケースであり、プロセスのあらわれであろうと見てとったのだ。そこから法や市場や組織が、また価値観やリスクが生み出されている(分出している)のではないかと見てとったのである。(mathuoka)
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つまり、時代そのものがオートポイエーシス活動なんだ。
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by ogawakeiichi | 2010-02-28 10:11 | 只記録

フェアトレードミーティング

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by ogawakeiichi | 2010-02-27 06:05 | 只記録

結目

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by ogawakeiichi | 2010-02-27 06:01 | 情報とデザイン

装丁デザイン

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Desing by ogawa keiichi
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by ogawakeiichi | 2010-02-26 07:04 | 只記録

パッケージデザイン

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Desing by ogawa keiichi
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by ogawakeiichi | 2010-02-26 07:02 | 只記録

パッケージデザイン1

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Desing by ogawa keiichi
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by ogawakeiichi | 2010-02-26 07:00 | 只記録

商標デザイン

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Desing by ogawa keiichi
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by ogawakeiichi | 2010-02-26 06:56 | 只記録

シンボルデザイン

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Desing by ogawa keiichi
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by ogawakeiichi | 2010-02-26 06:54 | 情報とデザイン

侘び・数寄・アバンギャルド

プレ表沙汰。この西行の句、数寄なんだよな~。
おっと、『春風の花を散らすと見る夢は、さめても胸◎さわぐなりけり』西行
“の“”抜け。→あとで修正。







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Desing by ogawa keiichi
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by ogawakeiichi | 2010-02-24 07:35 | 情報とデザイン

キャズム越え

平成22年2月22日22時22分22秒だったんだ。

Twitterなどのソーシャルメディアでは「キャズムを越えたか?」といった議論が時折繰り広げられる。←らしい。。  「キャズムを越えたか?」とは要するに広く普及していく方向へ向けた軌道に乗ること。

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本来の意味は。

技術に優れた会社は革新者や先駆者で構成する初期市場で成功したとしても、実利主義者・保守派によるメインストリーム市場では苦戦する。その溝をこえることを『キャズム越え』というらしいが、それは、2つの市場が互いに矛盾する要素を持ち合わせるからだという。

 初期市場では、技術による変革が求められるから、他社が導入していないことや、既存製品と関連がないことは有利に働くのだが、時がたち、メインストリーム市場では、技術の革新さよりも、安定稼働と他社事例もポイントになる。初期市場の成功要因は、メインストリーム市場で裏目に働くのだ。
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これって複雑系の『カオスの縁』→『創発』で説明できないのかな。『キャズム越え』ができるのは資本力と、目利き力の差だけのようか気がするのだが。

初期市場というゆらぎのはじまりと、カオスの縁を越え、メインストリーム市場への創発へ向かう動向を俯瞰してみると、ゆらぎのはじまり、つまり中心と思われていたポイントからの連鎖が、創発によってレイヤーが変わり、初期の中心が消滅してしまった状態ではないだろうか。複雑系からみれば、あたりまえのこと。

じゃあ、初期市場のゆらぎから一貫してメインストリーム市場になっているような企業といえばどこなんだろう?。一概に比較はできないが『京セラ』あたりにヒントがあるかもしれないなぁ。

咀嚼足らずだが・・・・『キャズム越え』の概念ををとりあえず記録。・・すべてコピペ。


ここ
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キャズム
chasm / 深い溝

 ハイテク業界において新製品・新技術を市場に浸透させていく際に見られる、初期市場からメインストリーム市場への移行を阻害する深い溝のこと。マーケティング・コンサルタントのジェフリー・A・ムーア(Geoffrey A. Moore)の著書『Crossing the chasm』(1991年)に登場するキーワードで、ハイテク市場におけるマーケティング理論である「キャズム理論」は大いに注目を集めた。

 普及学の基礎理論として知られるエベレット・M・ロジャーズ(Everett M. Rogers)のモデルでは、顧客は「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」の5つの採用者タイプに区分される。この理論ではイノベーターとアーリーアダプターを合わせた層に普及した段階(普及率16%超)で、新技術や新流行は急激に拡がっていくとしている。そこで、イノベーターとアーリーアダプターにアピールすることが新製品普及のポイントであるとされてきた。

 これに対してムーアは、利用者の行動様式に変化を強いるハイテク製品においては、5つの採用者区分の間にクラック(断絶)があると主張した。その中でも特にアーリーアダプターとアーリーマジョリティの間には「深く大きな溝」があるとし、これをキャズムと呼んだ。
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アーリーアダプター市場とアーリーマジョリティ市場の間の“深い溝”(出所:『キャズム――ハイテクをブレイクさせる「超」マーケティング理論』)

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「イノベーター」「アーリーアダプター」「アーリーマジョリティ」「レイトマジョリティ」「ラガード」はこっちのほうが分かりやすい。
ここ

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 ハイテク市場のアーリーアダプター(ムーアはその中心的人物をビジョナリーと呼ぶ)が製品を購入しようとするのは“変革の手段”としてであり、競合他社に先んじて新技術を採用することで差別化することを狙いとしている。彼らは競争優位を得るために自身でリスクを引き受ける覚悟で新技術を導入するが、ベンダに対して過大な要求を突きつける場合もある。

 一方、アーリーマジョリティ(実利主義者)は“業務効率改善の手段”として製品を位置付けている。未熟な技術によって自身が試行錯誤を行うことになる事態を回避し、同業他社などの使いこなしの事例を参考にしたがる。しかし、導入した製品や技術を社内標準に指定する場合が多いため、ベンダにとっては高い利益率が見込めるため、重要な顧客である。

 すなわち、キャズム理論ではアーリーアダプターとアーリーマジョリティでは要求が異なっており、キャズムを超えてメインストリーム市場に移行するためには自社製品の普及段階に応じて、マーケティングアプローチを変えていくことが必要だと説いている。
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↑コンサルの常套句ですな。
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by ogawakeiichi | 2010-02-23 06:38 | 情報とデザイン