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彩遊記

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ローマとキリスト教

f0084105_9515889.jpg再びキリスト教の近辺を彷徨している。

ぼくにとってのキリスト教は、幾度となく出入しているものの、多様好きという体質からなのか、なかなか一つに収束する一神教とか、絶対神というものが腑に落ちないでいる。

しかし、多様のなかには『絶対神の理解』も含有しているとの思いと、また、契約をベースとする資本主義はキリスト教の理解なしではわからないとの思いから、幾度となく観察者となり、また自ら飛び込んでチャレンジしてはいるのだが、掴みそうになるとスルッと逃げられることの繰り返しでもある。

ぼくがはじめての本格的なキリスト教との出会いは小学5年の頃だった、近所のともだちに誘われ、できたばかりの日曜学校に通っていた。

『 ♪~イエスは。ま~ことの、ぶどうの木~♫ 』などど、オルガンに合わせて唄っていた。

帰り際に、小さないろがみの配布があり、それを集めるのがたのしみだった。鼻の高い、茶色の髭をたくわえた人物の登場する紙芝居を見ながら、中近東(海外)風情の触れはじめもこの頃だ。

ぼくが、有限会社なるものを開設したのが、鹿児島にあるザビエル教会のすぐ近くだった。日本にキリスト教をはじめて伝えた、イエズス会のフランシスコ・ザビエルの教会である。

会社とザビエル教会の間には、夕方になると、『いえ~っ!!』と気合をいれて打ち込む声が聞こえてくる薩摩示現流の道場があった。←蛇足?

ザビエル教会は、現在ではノアの方舟を模った建物に建て替えられたが、以前の風情ある建物にあった懺悔室には、懺悔によく通ったものでもある。←ふふっ。なんの懺悔じゃ?

まあ、そういう、なんちゃって遍歴だが、さて、さて、キリスト教を語るうえで、日本では話題にも登らない、オリゲネスという人物がいる。

オリゲネスは、ヨーロッパ思想史ではソクラテスやプラトンやデカルトに並ぶほど重要な人物なのだが、日本ではほとんど知られていない。

オリゲネスは教会で活動をしたり、また執筆をしたわけではなく、カテキスタ(伝道師)に任命されてからは、自分で「ディダスカレイオン」を開いて、そこで参会者を集めて口述著述した。

口述を始めたのが218年だったことがわかっている。ディダスカレイオンは学校というよりも塾である。

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オリゲネスは教会活動や学校での教授活動よりも、ディダスカレイオンでの口述を重視した。そのほうが性にあっていた。本当の思考は、アリストテレスもアウグスティヌスも、空海も宣長もそうだったけれど、往々にして私なる塾から生まれるものである。(松岡正剛)
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(蛇足だが、昨日は、現代版、鹿児島の松下村塾というべきIBS外語学院の30周年でもあった。院長は南徹。この話は、そのうちにゆっくりと・・)

オリゲネスが出現したころ、キリスト教徒たちは、外にも内にも、また論理的にも信仰的にも、たくさんの問題を抱えていた。

彼は2世紀の終り頃、アレキサンドリアに生まれ、多くの神学論を書いている。かれの書物はギリシャ哲学以来の『ロゴス』に基づく原理と、キリスト教の原理をかさね、神、キリスト、精霊、聖書、魂、救世主といった概念を初めて倫理的に体系化した。

その理由は、ローマ人に対しての真理とともに、キリスト教の異端派、(グノーシス主義、新プラトン主義)などへの理論的武装でもあった。

当時、ローマ帝国では、さまざまな内紛がはじまり、もはや、軍事力だけでは、帝国をささえられなくなっていた。

トップからボトムまで,権力者から民衆までが共有できる,国のビジョンというものが必要になってきた。そんななかで、ローマ帝国の支配者層は、オリゲネスの活躍や、教父たちの弁護活動の成果もあって、キリスト教こそが、そのようなローマの真理、ローマのビジョンをみたしてくれるものではないかという期待になっていく。

こうして、313年、コンスタンティヌス帝が、ついにローマ帝国としてはじめてキリスト教を正式に公認。(それまでの国教はミトラス教)

コンスタンティヌス帝の夢見もあって、ミトラス教より、キリスト教のほうがローマの民の理想にちかずく道になると判断した。

しかしキリスト教の内部にもさまざまな考え方があり、一筋縄ではいかない時代でもあった。

その論争の争点は、やはり神と神の子であるイエスとの関係をどう考えるかということである。

パウロの積み残してきた問題が尾を引いていた。その代表的な立場は、アリウス派とアタナシウス派とういもので、それぞれの考え方が真っ向から対立していた。

アリウス派は、父なる神と、イエスキリストは本質的には異なるもので、子なるイエスはあくまで神によってつくられた人間性を本性としたものであるとする。一方、アタナシウス派は、イエスは神と人間の両方の性質をもつもので、父なる神とイエスとは本質的におなじものであると考えた。

困り果てた、コンスタンティヌス帝は、なんとか結論をだそうとニカイアで宗教会議を開いたのだが、延々と論争はつづいていく。

唯一絶対神というものを大事にする民族では、神とイエスのどちらを信仰の中心にするか、また、その場合の神とイエスの関係性に決着をつけないといられなかったのだ。

このあたり、われわれ多神教をもつアジアの思考とはほど遠い。それほどに、唯一絶対神の絶対性というのは、おそろしく強いということだ。

ここで、ついにひとりの偉大な教父が登場してくる。それがかの有名なアウグスティヌスである。



きょうは、ここまで・・
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by ogawakeiichi | 2010-08-31 09:52 | 只記録

コミュニケーションデザイン

f0084105_910614.jpg『目で見ることば』のデザインの歴史は古い。石器時代の洞窟に描かれた形象や、古代文明とともにあった象形文字、1200年来、精神文化を支えてきた日本の紋章。

文字の読めない人びとのために、軒先にシンボルを吊るした江戸の看板。社会統計などを図表化して市民に科学的認識力をあたえたアイソタイプ。共通の色をカタチで言語の違いを克服してきた陸続きにあるヨーロッパの道路標識。東京オリンピックでは国際行事の案内に『目でみることば』が使われた。

安心・安全、共生・環境、地球市民の多様なコミュニケーションなど、生活者主体の視点から、よりよい関係をつくるコミュニケーションデザインの可能性を例証する「コミュニケーションデザイン」シリーズの最終第5巻。「目で見ることば」というタイトルどおり、学習なしで即時的、国際的にわかるコミュニケーションデザインの役割と可能性の検証。

・ ブループラネット賞授賞式典映像
・ 文字だけでデザインされたジャズフェスティバルポスター
・ 音の視覚化
・ 文字による集落構成絵図
・ 景観シークエンスの記譜デザイン
・ 都市ゴミによる発電用燃料製造法のフローデザイン
・ 新しい根管治療のビジュアルフローチャート
・ 羽田空港の立体的な案内図
・ 色彩のものさし
・ 色覚障害に対応する地下鉄路線図の色彩改善
・ 地下鉄路線図のユニバーサル・コミュニケーションデザイン
・ 地下鉄路線図のルーツ
・ 駅名表示シンボルサイン:福岡市営地下鉄七隈線
・ 前橋広域バス路線MAP
・ 公共交通バリアフリーアクセスマップ
・ 地域案内情報マップ
・ 街区案内マップサイン:公共サイン情報と商業サイン情報の一体化
・ 町田市景観案内サイン
・ 沼田市の観光案内サイン
・ 携帯電話の道順案内表示の提案
・ 災害時帰宅支援マップ[鳩歩歩(はとぽっぽ)]
・ シティ・スカウト・システム
・ 市民意識と行動のうねりを起こすグリーンマップ
・ ゆがみ地図
・ 歴史的に評価された地理地図帳
・ オリベッティのロゴタイプ
・ 多摩美術大学デザイン学科のシンボルサイン
・ 携帯画面用フォントデザイン
・ トンパ文字・西夏文字・漢字の造字法とその応用デザイン
・ チェロキー文字
・ 南部絵暦
・ Drawing Dream 子どもの夢を育む仮想空間
・ 文字のない本に向かうエディトリアルデザイン
・ 「世界の表象 オットー・ノイラートとその時代」展
・ デジタルテレビの画面デザイン
・ ソニーテレビのクロスメディアバー
・ わかりやすいスキャンの説明書
・ アーロン・マーカス 情報の可視化
・ 施設案内シンボル
・ コミュニケーション支援用絵記号
・ ブリスシンボル
・ 視覚言語LoCoS
・ 国際相互依存状況の視覚化(VGI)
・ 「目で見ることば」記念講演
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by ogawakeiichi | 2010-08-30 09:10 | 只記録

関係性の隙間から

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3年前から、大型船による中国観光客の来鹿現象はあったのだが、メディアによる『アジアマネー』に特化した、頻繁な報道が、大衆にサブミリナル・インパクトを与えたのか、その一部を切り取って、コンサルや、にわか評論家かが出現して様々な声が届いてくる。

パラドックス的に言えば、昨年までは話題にもならならなかったことが、いよいよ『東シナ海の時代』が大衆のレベルまで降りてきたのかという思いとともに、現在の現象も、只只、過去から、未来へ向かうベクトルが、次のアンカーポイントを、揺らぎながら修正設定していく、時の流れの上にあるということである。

桜島にのぼる、満月を背景に、上海へ向け出港するコスタロマンチカの上部甲板に鈴なりになった中国観光客から、いよいよ船が岸を離れ白い航跡を描きはじめる頃、『さようなら~』、『再見~』との幾つもの声が届く埠頭の現場にたたずむと、さきほどまでのバトルと、外野の声を忘れ、それはそれで、関係性の隙間を繋ぐ者に与えられた、特別至極の時間でもある。
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by ogawakeiichi | 2010-08-26 09:31 | 只記録

最適化システムの創出

f0084105_13473827.jpg21世紀の課題は、あれか、これかの二元論ではなく、多様性である。多様性を満たせる最適化システムの創出である。

多様な異質の存在を扱おうとすれば、そこには『空間』と『次元』に関する思考の転換が求められる。

一つの空間内に複数の異質な存在が含まれるとき、相互間に『境界』ができるのだが、その境界をどうするのかが問われてくる。

そうすると、これらの境界を超えて全体を見渡せる扱いができなければならない。

たとえば、境界両側の空間構造がN次元であるとき、境界の次元数は(Nー1)になる。

つまり、境界では次元数の減少がある。実例として2次元(N-2)の地図上で国境によって分断された二つの領域を3次元への次元を増やす思考こそが境界を超える。原理的新要素なのである。

たとえてみれば、iPHONEが、理論的に難解な余剰次元の『コンパクト化』、つまり空間の極小部分などを丸めこんで見えなくした概念が、身近でわかりやすいのだが、体験をとおしてなんとなく操作できるようになる。

このいわば字がよめない幼児のような学習方法に、案外、多様を理解し、境界を容易に越えられるヒントがあるのではないのだろうか。
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by ogawakeiichi | 2010-08-24 13:48 | 只記録

社会システムと生命システム


f0084105_705954.jpg提示された観察なしのたたき台を、実際の現場で触知感覚でとらえる日々と照らし合わせ振り返るも、相互の見え方と立ち位置のポジションの切実から、共通言語がみつからないうちに指名されることもなくその場がお開きとなった。

この腑に落ちない違和感の正体を探しあぐねていたのだが、どうやらその正体は、『システムの美しさ』だったのかもしれない。

現代社会は、効率と賞味期限のリスク管理とその日の売上追求は、時間という分母を分断して考える。局所的な安心や幸福、局所的な売上を追求している。それはそれで資本の現実なのだが、環境はとっくにビジネスに、ソーシャルまでもビジネスになってしまった。

すべて秩序あるものは秩序ないものの方へしか動かないことを『エントロピー増大の法則』と呼ぶ。生命は内部にエントロピーが溜まるのを排除している。そしてエロピーの増大の終末が『個体の死』でもある。

しかし、生命は類として、未来へ向け次の受け手にパス・リレーして、閉鎖系としての地球のバランスを保っている。

さて、現在の社会システムを、生命システムに置き換えてみると、思い当たることがある。←もちろんわたし個人として。

現在の社会システムには、手っ取り早い効率追求のあまり、過去から未来への歴史的時間軸の欠如と、人々の心に共振する『システムの美しさ』が欠如している。そんな気がしてならない。。
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by ogawakeiichi | 2010-08-22 19:27 | 只記録

~鹿児島発・国際交流への挑戦~

◆番組タイトル /ドキュメント九州
  多国籍合宿
  ~鹿児島発・国際交流への挑戦~

◆放送日 /KTS  8月20日(金)14:30~15:00
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by ogawakeiichi | 2010-08-18 22:27

知ってる知ってる

最近は世界の見方が、経済規模や経済効率ばかりを見るようになった。長いこと同じ場所にいると、エントロピーの増大で自分を見失うときがある。

たんに○×的な情報と、知ってる知ってるという情報だけで収束し、身体性のともなった、自分自身の細胞レベルで確認できる(接触する、話を聴く、声をだす)ことがすくなくなった。

知覚をはたらかせ立体モデルを作っていく。手間暇かけてつくっていく。そうしなければ、知覚を動員した体験をとおし背後にある分母の文化マップが身にはつかない。下地がないといろいろなものを分子として取り入れても、スルリと去ってしまい、ものにはならない。
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by ogawakeiichi | 2010-08-18 12:34 | 只記録

デザイン思考が世界を変える

f0084105_1047364.jpg人生を『計画』する。人生を『漂う』。人生を『デザイン』する。この3つには大きな差がある。

あらかじめ『計画』したことが行き詰まれば、だれかの力を借りるのだろうが、ブラックスワンにも書かれていたが、この方法はある程度まではいいもののコンテンジェンシーへの構えがない。

それでは、どうすればいいのだろうか。ここでは『デザイン思考』とういう方法を用いている。

デザイン思考とはどういうものか。

デザイン思考とは人間中心思考とも呼ばれている。まずは、人生をプロトタイプと考え。モノや事に注意のカーソルを滑らせ、観察し、行動し、見つけ出し、視点をかえていく。とくに観察に重点をおく。そのことで、プロセスを、具体的な成果を生み出すプロジェクトへと転換する機会を探し出していく。

ウイリアム・モリス、フランクロイド・ライト、レイモンド・ローウィーチャールズ&レイ・イームズのコンビなどの軌跡がそうだった。

彼らに共通するのは、楽観主義、実験意欲、物語への愛好、コラボレーション、両手をつかった思考を通して、複雑なアイデアを考案し、プロトタイプ化し、巧妙なほどシンプルにつたえてきた。

一瞬の経験であれ、何世代も受け継がれる家財であれ、そこからモノを生み出す喜びを感じることができる。また報酬は、創造の繰り返しから生まれることを教えてくれる。

彼らは単に、デザインを行っただけではなく、デザインを生きたのだ。ミニマル・アートでもない、排他的なデザインエリートでもない。思考と行動の隙間を埋めることができるクリエーティブなイノベーターだ。

着想(インスピレーション)、発想(アイディエーション)、実現(インブレメンテーション)のすべてにかかわり、よりよい暮らしやよりよい世界を築きあげるという目標に一心に情熱を傾けてきた人たちである。

スタジオに籠りながら、『形態と機能』の関係について黙々と考える孤独なデザイナーは、異文化提携のチームにはそぐわない.

人々が気づいていないニーズを明らかにし、飛躍的な発想で問題を解決するためには「デザイナーのように考える」ことが必要だ。世界的デザインファームIDEOのCEOみずからその真髄を説いた本である。

といっても、一部を除き、ほとんどのデザイナーは、リスクを取らずスタジオに籠る。こちらのほうが問題なのだが・・。
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by ogawakeiichi | 2010-08-14 10:19 | 情報とデザイン

中国のバス案


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by ogawakeiichi | 2010-08-12 00:10 | 只記録

デザイン特講



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by ogawakeiichi | 2010-08-11 08:58 | 情報とデザイン