ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

<   2010年 09月 ( 19 )   > この月の画像一覧

古い記録(中国感)

以前、日中関係ゴタゴタ後、
ほとぼりがさめたころの我が中国感。
とりあえず、アップしておく。


============================
古い話だが、いまから二十五年前、ぼくはチベット亡命政府のある
北インドの街『ダラムサラ』にいた。山の斜面にある寺院のような
極彩色の図書館の二階では、世界中から来た画学生が仏教画を学ん
でいた。

ある日、難民として世界に散らばっているチベット人が集まり、国
民体育大会なるものが開かれた。そこには国土の無い政府があった。

小じんまりした街を歩くと、チベット仏教の独特のお経、鐘や太鼓
やラッパの音がどこからともなく響いてくる。街角でスケッチを始
めても刺すような視線を感じるインドと違い、インドに居ながら街
の喧騒から逃れられる、ほっとできる場所でもあった。

仏教徒であるダラムサラの人々の振る舞いが、ぼくの深層と共振し
ていた。

いまから十年前のことになる。こんどは亡命政府の故郷であるチベ
ットの省都『ラサ』にいた。この町は富士山とほぼ同じ三千七百メ
ートルの高さにある。ダライ・ラマが亡命前に住んでいた「ポタラ
宮殿」への階段では、高山病からくる頭痛でなんどもなんども座り
こんだ。

やっとの思いでたどり着いた宮殿の屋上で、スケッチブックを取り
出した。屋上から見る“聖地・ラサ”は、ここはチベットなのか?
と思わせるほど、中国化していた.

十三階のポタラ宮殿は部屋数が千室以上、公開されていない部屋も
多数あるという。チベット高原・ラサの街のどこからでも見える巨
大戦艦のような建物だった。

中国のネット新聞、人民中国によると「人口の五パーセントに満た
ない官僚・貴族・上層寺院が、ほぼ全ての土地・草原・山林と大部
分の家畜を所有し、人口の九十五パーセント以上を占める農奴や奴
隷に対して非常に残酷な統治を行っていた。」と書いている。

ぼくの中国の友人は、「チベット族は兄弟だ。ダライ・ラマ一派か
ら奴隷にされていたチベット族を、共産党の人民解放軍が救い出し
た」と言う。長野での中国人留学生へのインタビューでも「チベッ
ト族は兄弟」と言っていた

傲慢にも受けとれる、チベット族は兄弟」とこう言い切る根源は何
なのか?。

中国の人々の思想の深層を古代から流れているものに『孔子』の儒
学がある。儒学の流れは、「自分を磨き、家族を大事にして、国を
治め、世界を平定する『朱子学』」になる。

中国の歴史を貫くエンジンは近代まで儒学を核としていた。
政を司る官僚は庶民であっても科挙に合格することで、国を動かす
エンジンになりえた。そのため大勢の予備軍が一族の命運を背に試
験科目である儒のマスターに勤しむ。

「弟よりも兄を、兄よりも父親を、父親よりも国王をというふうに、
つねに年上の人を重んじ、目上の人を重んじなさい」という教えは、
科挙を媒介に文化的ミームとなって大陸の衆に刻まれていく。

江戸時代、日本は中国をモデルにして国のしくみをつくってきた。
とくに孔子の考えを発展させた『朱子学』をヒントにしていた。
家族制度に日本的なノスタルジーを感じるのはにそのせいかもしれ
ない。

しかし儒学イデオロギーへの反動として独自の国学も生まれていく。

新儒学こと『朱子学』は、自己愛から家族愛、郷土愛、そして国家愛
から大一統へと向かう。

グングン広がるこの愛のイデオロギーは、軽度の愛はお互い微笑み会
えるが、愛が極まると、みぐるしい暴力沙汰にもなっていく。

チベットの問題はそれからいえば、『朱子学的な“愛”で迫る中華と、
華の周縁・チベットの反発』ということになる。

欧米や日本などの先進国ではオリンピックの聖火リレーでは、五星紅旗
を振り回す中国にイメージはかなり悪化した。中国共産党は結党以来、
プロパガンダやイメージ戦略を磨く努力を続けている。

しかし、その分野ではメディアリテラシーを忘れてしまうほど、国際
金融資本をバックにした米英の方が断然うまい。

▼  ▼  ▼

さてイメージ戦略のへたくそな中華だが、新儒学は、自己愛から家族愛、
郷土愛をグングン広げて国家愛から大一統への道を説く。

出発点である自己愛は、天性の如く一般の中国人なら誰もがもっている。
なかには自己愛だけで生きているようなヤツも大勢。。。いやほとんど
が自己愛のカタマリだ。

自己愛→家族愛→宗族愛→郷土愛まで、中国人の愛は比較的強い絆で
繋がっている。しかし、郷土愛→国家愛との界には、愛の抽象度を隔てる
「高い、高い壁」が存在する。

古代中国農耕社会において、国という概念は希薄だった。一族の神を祭
る拠り依の周囲に一族の集団が、ポツンポツンと住んでいた。
大海のような大陸で、拠り所としていたのが「社稷の壇」を中心とした
農本主義、血統主義、系図主義である。それは現在も根強く郷土愛のミ
ームとして残っている。

家族愛・宗族愛は、自然発生的に生まれた相互扶助の関係だ。
家族愛・宗族愛と国家愛の間のに「高い、高い壁」が存在するのは、
国家と直接は利害関係のない民であることが起因する。
国民の80パーセントである農民はそれに近いと思われる。
だからこそ、国家はバラバラの砂のような民に向け、愛国教育という仕
掛けが必要だった。

農村へ行くといまでも壁にかかれた文革の名残のスローガンや一人っ子
政策スローガンを見ることができる。

抽象度の違う郷土愛と国家愛との隙間を埋めるものとして、愛国教育が
必要になってきたわけだ。

中国で賄賂が多い理由として、日頃、無関係な国家とどうしても関係を
つくらなければならないとき、賄賂があるという考え方がある。日頃、
関係な無かったものに対し礼を尽くすことだという。

国家愛のナショナリズムを喚起する方法は副教材や国語に出典される物
語、マスメディアと色々だ。“皇軍(日本)対解放軍(共産党)をテー
マにしたテレビドラマから、反日仕立てのコメディーに至るまで様々な
かたちであわられる。とくに江沢民時代は、毎日どこかのチャンネルで
見ることができた。

しかしこれを反日というのかは議論の余地がある。
この点で中国人と幾度も論戦した。

中国人曰く、反日として限定した存在は無く、
歴史的事実を忘れないための愛国教育だという。


反日を愛国に置き換えるロジックにしか見えないのだが、日本による対
華二十一カ条の失敗と、その後の長城を越えての暴走さえなければ・・

中国では、これらが中国人の日常の風景として存在する。

ビデオ屋のおねえさんに、最近おもしろいビデオない?と尋ねた。
僕が日本人だと知りながら、まったく悪気なくこれは面白いよ!と抗日
モノをと勧めてくれたりする。

テレビで放映される、日本軍と共産軍の闘いも、彼らにとって悪玉と善
玉の戦いとして愉しむいわば、デストロイヤー対ジャイアント馬場の試
合のような見方らしい。だから即、日本人このヤロ~と攻撃の対象にな
る訳ではない。

しかし、こうしてメディアを通じナショナリズムのアンカーは無意識の
うちに大衆に埋め込まれていく。

ナショナリズムは《公定ナショナリズム》と《大衆ナショナリズム》に
分けられる。

《公定ナショナリズム》は、バラバラに発散する大衆を、公のもとへと
収束させる。その収束には愛国教育。

《大衆ナショナリズム》は大衆から沸き起こる感情的な愛国心のことであ
る。責任のない大衆がモンスターとなり暴走する危険性も秘めている。

ナショナリズムの世界では、より過激な見解が正しいものとなるので、扱
い方はやっかいだ。中国政府は、最近でもカルフールへの反仏デモで
大衆のナショナリズムの扱いに四苦八苦したようだ。

05年の反日デモは日本の常任理事国入りを阻止したい中国が《公定ナ
ショナリズム》でのトリガーを引き、《大衆ナショナリズム》に植込んだ愛国
のアンカーを刺激して反日デモは起きたと見てよい。

当時、ぼくの住むエリアで反日デモ発生と報道され、日本からのメディア
の電話取材が煩かった。

じつはそのとき《公定ナショナリズム》側の公安が《大衆ナショナリズム》
から我々を守ってくれた。茶番劇だった。

でもそこにいた公安警察官が《公定ナショナリズム》の仕掛けなど知る由
もない。

当時の反日デモは結果的に《日本・大衆ナショナリズム》を刺激し。元首
相はそれに乗っかり今後は《日本・公定ナショナリズム》の靖国カードを
使っていく。大衆の空気は徐々に嫌中へ・・。
その後は、ブッシュと仲良しこよしだ・・、これも茶番か?

いまでは、反中の同調圧力さえ存在してきた。

しかし、日本よ、これでいいのか。

中国の大衆よ、深度のある真の愛国心は存在するのか。

国際金融資本をバックにした米英のインテリジェンス戦略は断然うまい。

お・わ・り。。。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-27 08:39 | 只記録

アジアのつぶやき

f0084105_12414662.jpg

◯上海から帰って行きた。メディアはあいかわらす「東シナ海の波高し」から日中関係の悪化を放っている。

◯上海浦東ヤオハン前では、数日前から開催されていた、「ジャパンブランド」のイベントが、柳条溝事件記念日と、尖閣での出来事とかさなり、大事をとっての中国公安の指示を受け、徹夜でのイベント会場撤去。←ぼくがやったわけではない。

◯しかし、わが担当エリアは、本会場から距離が少々離れていることもあり、粛々と。

◯どうやら、NHKがこの事態を放映したらしく、周囲は慌しい形相の気配を感じるが、現場は、淡々としている。中国側スタッフも、大声を出し、日本PRをしている.

◯NHKが扱った現場で、その場の空気を体感していたのは、わずかに私を含め、数人の日本人だけ。

◯しかし、メディアで放たれた映像は、海を越えた日本側で、コメンテーターが視聴者のさまざまな妄想を産み出している。

◯その日本での様が、逆に中国側のメディアによって大陸で放映され、次にそれは中国人民にさまざまな妄想を掻き立てる連鎖がはじまる。

◯それは次第に増幅されていく。こうやって、現場の本当の空気とは、掛けはなれたところまで増幅されつづけ、究極には戦争へとなっていくのだろうな。

◯中国国内には権力対立軸である北京派と上海派の対立がある。上海派がアメリカと結びつき対立を演出している部分がある。

◯アメリカは反米機構である「上海協力機構」を揺さぶるため、ある時には中国と仲良くしてロシアと対立し、またある時はロシアと仲良くして中国と対立するという外交政策を続けている.

◯アメリカは、尖閣の波高しで、日本への思いやり予算増額要求や、普天間基地の辺野古移設加速要求も中国の脅威を理由に正当化することもできる。

◯外務大臣が親中派の岡田から親米派の前原に変わったのも、戦争ビジネス屋には都合がよい。

◯闘争の親分たちは、メディアをつかった国民へのサブミリナルインパクトでもって、グローバルな多国籍利権争いをどこへもっていくのだろう。
f0084105_12435081.jpg


◯中国国内の上海派と北京派の権力闘争は、日本のアメリカ依存からの脱出派と、アメリカ依存派の権力闘争とたがいにリンクしあい、火種の好きな戦争屋は、儲かる戦争での経済復興を当てに、なにかと煽り、対立構造をつくり、紛争を待ち構えている。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-24 12:45 | 只記録

むすぶ

f0084105_7193516.jpg
f0084105_7204051.jpg
f0084105_7252065.jpg

浦東、上海ヤオハンにて鹿児島の好吃展。ふ~、終わった。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-21 07:22

らしさ

f0084105_18521883.jpg

豫園と森ビル(492m)と監視カメラ

f0084105_1854766.jpg

四合院のケンタキー
f0084105_18572159.jpg
f0084105_1901213.jpg

[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-20 19:00 | 味写真

つくろう

f0084105_882477.jpg
f0084105_891052.jpg
f0084105_934364.jpg

[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-18 08:11 | 只記録

海を越えたら

f0084105_8245065.jpg

海を越えたら、上海。
中国ではつながらなかった、エキサイトブログが見れるようになった。ツイッターは見れない。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-17 08:32 | 只記録

生と死の問題

「生まれ生まれ生まれ生まれて、生の初めに暗く、死に死に死んで、死の終に冥し」空海の言葉だ。

私たちは自分の生まれた瞬間のこと、死ぬ瞬間のことを捉えることはできない。

私たちは3歳以前の記憶をほとんどもってない。

もっていそうな場合は、たいていが、古いアルバムにある当時の写真を、記憶と錯覚している場合がおおい。

死ぬときもそうである。

本当に死んでしまったら、そのときのことを記憶することも、誰かに語ることもできない。

人間は自分がどこから来て、どこへいくのかもわからない。

老子や荘子たちも、人間の生死は無明であるといった。

そのようにわからない「無明」を積極的に捉えてわからなさというものを知ろうとする。つまり、わからないもの、わからなさというものに焦点を当てたのが、東洋の哲学や宗教の考え方である。

これを「無知の知」という。

ヨーロッパはこれに気づくのが、随分遅く、16世紀のルネッサンス期のころだ、

それに比べ東洋は、紀元前には気がついていた。

ただ、古代ギリシャの人々は、多少は「無明」というものをわかっていた。

彼らは、人間についてではなく、万物とはなにかということを考えていた。

そして、物質の究極の単位のことを「アトム」と呼んで、

たとえばデモクリトスは、「アトム」が存在するためには「空虚」のような場所が必要だと考えた。

なにもないことが、何かがあるということと同じくらいに重要だと考えた。

エピクロスという哲学者は、われわれが死ねば、その肉体はもともとの物質である「アトム」に戻るだけなのだから死を恐れることはないと説いている。

そして「アタラクシア」ということを提唱した。

アタラクシアとは「何事にもわずらわされない自由」という意味である。

このようにして、古代ギリシャは徹底した自然学や論理学により、人間や生死という問題をとらえようとしていた。

東洋が直感的に把握していたことを、ギリシャでは理詰めで捉えようとしていたわけだ。

しかし、このようなギリシャ思想は、その後、ヨーロッパ中世に継承されず、いったん途切れてしまうのだ。

その訳は・・・


つづく・・・
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-15 08:00 | 西洋史&思想

シンボルマークのさわり

f0084105_1146796.jpg
久しぶりに、グラフィックについて書いてみよう。

記号のなかでも企業にとって重要なのはシンボルマーク。いわば、企業の顔である。

シンボルマークは、看板や商品、販売促進のツールなどいろいろな場面で使われるのだが、何をあらわすマークなのか、その目的によってデザインする要素が大きく変わってくる。

会社や、企業、もちろん個人にとっも、自立して世界に投企するのであれば、ビジョンや理念を具現化し、消費者にそのメッセージが届くような、経営戦略とその開発が必要である。

ショップにおいては、消費者に価値と満足を感じてもらえるような演出と個性。

学校や病院、そして地域おこしなどエリアにおいては、空間と人と人とのコミュニケーションを念頭に開発することではなかろうか。

企業やブランドのコミュニケーションツールのひとつとして重要な役割を担うのが、CIやロゴマークという発想である。

人に何かを伝えたいと想うとき、人間の五感にもっとも訴えかけやすいのが視覺であり、五感の70%以上を支配しているという。

つまり、企業という抽象的なものを、目指すカタチに視覺化し、分かりやすく人々に伝える役割でもある。

このシンボルマークだが、企業の顔となるシンボルを観察し、分類してみると意外なことにいくつかのパターンがあらわれる。

図形からアプローチした【シンボル系デザイン】と、文字からアプローチした【ロゴタイプ系】また、これらを組み合わせることで、それぞれの特徴やメリットを生かし、展開のバリエーションを広げたマークなどなどだ。

またシンボル系デザインをさらに凝視してみると、その特徴は大別して【具象モチーフ】【社名イニシャルモチーフ】【抽象モチーフ】にわけられる。

ロゴタイプデザイン系は、社名やブランドの文字をデザインした、読めるマークである。

社名やブランドを覚えてもらうという可読性と記憶性、そしてインパクトを兼ね備えている。

グローバル化が進む中、海外進出をねらう企業に好まれる傾向がある。

CIやロゴマークは単なるデザイン上の飾りではなく、企業の理念や経営者の姿勢を表した企業の顔でもる。

ロゴマークは名刺や商品など、あらゆる販促物や商品に使用され、企業と消費者のあいだにコミュニケーションをつくっていく。

わたし自身は、シンボルマークという記号のない、記号をシンボルにしている。これが、またおもいがけないコミュニケーションの結びになるのであるが・・。←ここに、伏せて開けるの奥義があるのだが、これは、ひ・み・つ。。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-14 11:04 | 只記録

すごいもの

中国娘の中国銀行口座に日本の郵便局から、最終学年の授業料を振り込んだのは2週間前。(※中国は9月から新学期)

「入金がないよ!」との連絡が入った。なんでじゃい。尖閣問題がここまで波及しているわけでもなさそうだが・・・

そのうえ、なぜ日本郵政は、海外送金が米ドル建てでなくてはいけないか?。日本郵政だから円建てにすべきでしょ。これじゃあ郵政民営化でなく郵政アメリカ化だ。。

ところで、中国娘のいる清華大学とシンガポール大学が共同で、すごいものをつくったらしい。

どんなものかというと,ラフスケッチの情報をもとに,それに最適な画像をネットが集めてきて,しかも信じられないほど巧妙に合成写真を完成されるというもの。

ほんとかいな。。

まずこの動画を見てくだされ。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-13 10:07 | 只記録

阿修羅

「悪魔」のイメージをはじめてつくったのはゾロアスター教である。

ゾロアスターは光の神「アフラ・マスダ」に対して、おそろしい顔をした闇の神「アンラ・マンユ」をおくことによって、「善」と「悪」というものをわかりやすく対比させた。

異教徒の神を悪神にするという方法も、なにもキリスト教がはじめてやったことではなかった。

もともと、イラン・インド系民族の元にある母体集団では「アフラ神」を信仰していたのだが、これをインド系民族が独占して「アフラ・マスダ」にしてしまったので、残されたイラン系民族は「アフラ・マスダ」を「アスラ」と呼び変え悪神扱いにしてしまったのだ。

ちなみに「アスラ」は後、中国で「阿修羅」と漢訳され、我が国にもはいってきた。

奈良「興隆寺」にある阿修羅像がそうである。
f0084105_9331072.jpg

[PR]
by ogawakeiichi | 2010-09-13 09:33 | 只記録