ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

<   2010年 10月 ( 6 )   > この月の画像一覧

分母のトレース

日々に忙殺されがち。久しぶりの分母のトレース。。。。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
★日本の起点は九州にあった。
川筋、玄洋社、阿蘇山
邪馬台国、高千穂の天孫降臨。

★九州は負の宿命
西郷隆盛、横井楠南、

★グローバルキャピタルが破綻し、次に日本が向かうべきは、アジア。
そして九州はアジアの玄関。

★道州制には、中央からの地方分権と、地方からの地方主権がある。

★九州だけのGDPを考えると、世界で17位。ヨーロッパ諸国と同じ。
モデルのデンマークやノルウェーといった北欧よりは上。

★九州という言葉は、もともと世界の全て、世界モデルを意味している。

★九州の四つの軸。
1) 東アジアとの一蓮托生としての九州
2) 地質学的、火山のある、台風の通り道としての九州
3) 人麻呂にも読まれた遠の帝、大和朝廷から遠く心のルーツとしての九州
4) 南蛮文化の需要を始め、グローバル文化ミックスとしての九州

★日本人の記憶、集合的記憶(コレクティブブレイン)の底にある九州

★大友宗麟と出島、国東半島の磨崖仏、島津薩摩を重ね、関係づけて考える。

★「九州同舟」を考えるに、高千穂神楽にヒントがある。
ここには日本がどうしても忘れてはならない神と繋がる仕掛け。
仕組み、カタチ、デザインがある。

★日本には三つの庭がある。
市庭(イチニワ)市場、
斎庭(イツキニワ)裁判所
神庭(コウニワ)神様

★庭を通じて、内(ウチ)と外(ソト)を連絡しあっているのが日本。

★日本の神々は、外来魂。マレビト、客神→ゲスト。西洋の神は、主→ホスト。

★内の中に、外がある。その間に、注連(シメ)を張る。

★神話は国体主義ではない。多様に、九州に存在している

★メディアとしての、代(シロ)が必要になる

★神の代わり、榊が依代(ヨリシロ)となり、
屋代(ヤシロ)ができ、田植えには苗代(ナワシロ)が必要。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

と、しっかり母系にフックをかけておこう。。

追加

Mの染み入る言霊(メッセージ)を発見・・・

「かつてジャパン・アズ・ナンバーワンと褒められた日本的経営のキーワードは、実はアメリカによるものでした。カイゼンしかり、終身雇用しかり。しかしそれは、日本企業の本質的な力とはズレたものだった。本当の日本の価値は、別のところにこそあった」

 しかもその後、アメリカが日本に押しつけてきたのは、グローバルルールに基づく日本異端論だった。

「日本は自分たちの言葉で日本を語ることができないまま、グローバリズムの荒波にもまれてしまった。政治も経済も同じです。だから日本は今、ひどく自信を失っている。日本的なものは効率化の名のもとに排除され、リーダーたちにも伝えられてこなかった」

「日本は、間を極めてうまく使ってきた民族でした。社会や人との間をうまくコントロールする技術や習慣、文化がたくさんあった。日本は間の本質がわかっていた。だからこそ、世界でも稀な国が作れた。 例えば、昔の家にはなぜ軒や庇や縁側があったのか。軒や庇や縁側は、必要な間だった。その意味をしっかり理解した上で、今の日本企業は、会社の内と外の間に軒や庇や縁側をどう作るのか」

伝統に潜む力は、文化芸術にとどまらない。実はそれは、ビジネスにも密接に関わっていると気づくことが必要だ。

「イタリアの優れた靴職人は、みなダンテを読んでいる。ダンテのどの章が好きかということと、靴を作ることは密接に関係している。でも、日本人は、源氏物語や徒然草のここが好きだ、という思いと、日常生活やビジネスとは関係がない社会を作ってしまった」

ものを見るための「鍵と鍵穴」を、埋め込んでいく。 日本的なるものの中には、世界に通用する普遍性を十分に持ちうる方法が、まだまだたくさん潜んでいる、 さらにそこには、「教える技術」も加えられる。

「何を伏せ、何を空けるか。物事を学ぶときには、そういうことが大事。例えば、テーブルに置かれた茶碗をただ見ていても、どんな模様だったか覚えられない。しかし、一度さっと下に隠した上で、どんな模様でしたか、と聞かれたら、どうでしょうか。伏せて空いた部分を作っておくことで、そこに意識が向かう。 ぐっと理解力は高まるんです。また、自分の身体で体感することも大切。実際に見聞きしたり、身体を動かして初めて気づくことが多いからです」



「ただ、いつ役に立つかわかりませんが、その人の中に鍵と鍵穴を埋め込んでいくことが大きな意味を持ってくる。人間性や世界観の厚みが問われる。そのために、ものの見方の訓練を積み重ねる必要だ」

「曖昧さや矛盾をたくさん内包しているのが、日本なんです。日本語にしても、"けっこう"、という言葉にはgoodとnoの両方の意味があるでしょう。"かげん"という言葉も、文脈次第でポジティブ、ネガティブ両方に使われる。文脈を失うと単語として成立しない言葉があるなんて、言語としては矛盾している。

でも、だからこそ日本は複雑なコミュニケーションを実現させてきた。21世紀の社会哲学は、コンフリクトや矛盾が重要なテーマになります。日本的なるものには、大きなチャンスがあると思っています」

松岡正剛
http://gendai.ismedia.jp/articles/print/522

 
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-10-30 10:21 | 只記録

ここ2・3日

週末 種子島より帰る。今回は「安納いも」との第一回縁起めくり。畑から出荷までの生産過程を、今後の安定したブランド戦略策定のため、じっくりと観察。さあ、どう料理するか。。

デザイン化やブランドにやするうえでのキモは、他者をどれだけ想像しながらデザインできるか、その想像力の逞しさである。他者を想像する力というのは、自分自身を他人に同化できる力である。←これをペルソナ技法という。

安納芋を生産している種子島のYさんが放つ、言葉の端々に同化のフックを見つけ出し。あとは、そこを一点突破だ。引き出し、かさね、あわせと繰り返すことで、新生するモノやコトがあるだろう。加えて、安納いもを食べ育った安納牛は極上の美味さであった。

翌日は、我が周囲で毎年恒例になった妙円寺詣り。

トライアスロンのフルタイプ(スイム3キロ。自転車180キロ、ラン42キロ)に向けトレーニングをバリバリやっている頃は、ちょっとチャリで薩摩半島一周とか、ちょっと川内までランニングとかの、傍からみれば、むちゃくちゃな距離・時間感覚になっていたのだが、最近は20キロの徒歩でもヘトヘト。気合と構えが必要になってきた。←1キロ10分のペースで歩く。

しかし、妙円寺詣りなどという鹿児島から伊集院まで続く、蟻ん子の行列のような連なりをみるにつけ、奇祭が現在までつづいている薩摩は、周縁ということなんだろうとつくづく思う。あらためてこの場に、表現の嚆矢をむけてみるか。←薩摩発ってことじゃあない。。

うんうん、ぼちぼち、温め続けてきた、三国名勝図の現代版水墨画の扉をひらくときかな・・・。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-10-25 09:45 | 只記録

おおきなつぶやき

ブログのカウンターが、先週急激に上がっていた。べつに更新しているわけでもないのに、原因不明。

元来、自己の外付け記憶装置として機能させてきた経緯から、カウンターが上がりすぎて、不特定大多数に晒すのもなんなんで、ほとぼりが冷めるまで放っておいた。

最近は、ちょっとした備忘録はツイッターに比重を移したこともあり、まとめ的なモノ、コト以外は、なかなかブログに立ち向かうことが少なくなったのに。。。。。。なんだったのか。。。。

ツイッターは、他人にとってはどうでもいいような、“つぶやき”が配信されるのが、ごめんなさいだが、まあ、それはさておき、現在はブロク、ツイッター、ミクシーと三種類のネットメディアに、ごそごそと自己の記録と記憶を放っている。※ミクシーへの加入は、ミクシー出来立てほやほや数日後だっが、ど~も、しっくりこなく、現在ではずいぶんご無沙汰。

さて、さて。。

中国では『習近平』が、次期中国のリーダーにほぼ確定したようだ。昨年、ゴリ押し的に天皇に接見する際、小沢わん筋を通したとも言われているが、本来は彼のライバルであった、李克強が、本来のオザワン筋だったはずだ。まだ若き頃、共青団の訪日の際、岩手の実家にホームステイしていたんだよな。。そうするとオザワンは両方に顔が効くのか!?

ところで、

昨今ぼくの顔を見ると。「中国は、どうなってんだ!」と、中半怒りあわらに、問い詰める方々が増えてきた。←ぼくは、中国で十年以上生活してたからかも知れませんが。。お怒り先は、相手が違う。。。

反日デモには、またやってるぐらいの感想しかない。。

話は変わるが、

98年に、ぼくは勤務先の職務上、中国の学生と教職員で、ユーゴスラビア中国大使館にアメリカが爆撃をしたことに対する抗議するデモに参加した。正確に言えば、勤務先の校長指示で授業をつぶしてデモになった。←まあ、いってみれば、反米デモ。でも、これも怪しい。。じつはその後に天安門事件の10周年が控えていたからだ。。天安門事件から、人民の目をそらす、目くらましになったのは確かである。もしや,アメリカ上層部と、中国上層部がツルンで仕込んだとか。。。。。


=======================
中国の若手人気作家、韓寒さん(28)が自身のブログで発表した文章で、民族主義的な反日の動きを冷ややかに切り捨てた。当局によってすぐに削除されたが賛否両論を呼び、多様化する市民の声を映しだした。
「内政の問題ではデモのできない民族が、外国に抗議するデモをしても意味はない。単なるマスゲームだ」。文章を発表したのは、中国各地で反日デモの呼びかけが広がった9月17日。ネットなどで燃え上がった反日世論とは一線を画す立場を鮮明にした。 (asahiCOM)
=======================

2005年の反日の際は、学校の教員室脇が学生会だったのだが、不穏な動きなどなかった。日本では、僕の勤務先が、反日の拠点校と報じられた。←まったくの誤報である。

もちろん、反日、反日デモという言葉に、焦点をあてると、それはそれでムカつくが、背後を見れば、、愛国をスローガンに利権絡みの皆様は大変なようである。

日本と中国の反日、反中運動の背後と、そのリンクの凝視が必要だ。

どうやって、なぜ、反日、反中が。いま、起きたのか。。

そのキーワードは、そのキーマンは、・・・などなど、


これって『街おこし』の技法と一緒じゃん。。


メディアリテラシーはそれはそれで、事実としては正しいが、13億分の数人の画像を、なんどもなんどもリピート放映するのも、いががなものか。。

↓これは、いい。
反日の意味について←内田樹さんとこ。

ぼくは、内田さんの論に加え、
日中両国の権力闘争と、某国家を加えた、三つ巴だと想定する。。

日中に、暗雲たちて、利ありとすれば、誰になる??
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-10-19 09:48 | 只記録

たわごと

たくさんのロールが発動してブログから遠ざかっていた。新たな地平まであと少し。

ブランド系のコンサルみたいなことを終わらせ、インタラクティブな語学講師。明日は地域起こしのプレゼンテータ。←コンサルとか地域おこしとかの、口先丸投げ、宵々のあやしい言葉は好きではないが。。。コンサルに替わる新語をつくろう。。。。。起こしてもすぐ寝る街おこしに替わる新語をつくろう。。

それにともなう宴会での胸襟を開いたコミュニケーション観察。投企の総量と高速感がポイントになるのだろうな。ZESTの質量が鍵と鍵穴を結びつける。少々の余白と揺らぎは必要だが・・・

ところで

中日新聞と毎日新聞におもしろい記事をみつけた。取り掛かっている【記号の◎◎】にも連なる、深遠な部分のベースになっているのかも知れない。

現在、「古代の日本にはゾロアスター教もミトラ教も、ネストリウス派キリスト教もあった」ということが明らかにされつつある・・・


▼以下引用

マニ教「宇宙図」国内に 世界初確認
2010年9月27日 朝刊

ほぼ完全な形で確認された、マニ教の宇宙観の全体像を描いたとみられる絵画(吉田豊京都大教授提供)


 3世紀に誕生し、善悪二元論を教義として世界的な宗教に発展しながらも滅びたマニ教の宇宙観を描いたとみられる絵画が国内に存在することが、京都大の吉田豊教授(文献言語学)らの調査で分かった。「10層の天と8層の大地からなる」というマニ教の宇宙観の全体像が、ほぼ完全な形で確認されたのは世界で初めて。

 マニ教は布教に教典のほか絵図も使っていたとされるが、絵図は散逸。宇宙観は教えの根幹につながるもので、今回の発見を公表した国際マニ教学会で「画期的」と高い評価を受けた。吉田教授は「不明な点が多いマニ教の解明につながる」と話している。

 吉田教授が「宇宙図」と呼ぶこの絵画は、現在国内で個人が所蔵している。縦137・1センチ、横56・6センチで、絹布に彩色で描かれている。仏教絵画との比較などから、中国の元(1271~1368年)、またはその前後に、現在の浙江、福建両省など江南地方の絵師が制作したとみられるという。日本に渡った時期などは不明。

 吉田教授らは、マニ教僧侶の特徴である赤い縁取りの入った白いショールを着た人物が描かれていることや、中国・新疆ウイグル自治区で見つかっているマニ教史料との照合などから、マニ教の絵画と断定した。


 「宇宙図」では最上部が天国とみられ、その下に太陽と月が描かれている。さらにその下には、教義の特徴でもある円弧で10層に分けられた「天」があり、天使や悪魔の姿のほか、さそり座やうお座など12星座も確認できる。人間が住む地上にはキノコ型にそびえる山「須弥山(しゅみせん)」があり、最下層は地獄と解釈されるという。

【マニ教】 始祖は3世紀にメソポタミア(現在のイラク)で生まれたマニ。ゾロアスター教やキリスト教、仏教などの思想を取り入れ、万物は光の要素(精神)と闇の要素(物質)からなる善悪二元論の立場を取った。ヨーロッパやアフリカ北部のほか、中央アジアから中国まで広がり、地域や民族を超えた世界的な宗教に発展。キリスト教各派や仏教、イスラム教にも影響を与えたが、11世紀ごろから衰退、やがて滅亡した。

=======


余録:マニ教の「宇宙」
 4~5世紀の西方キリスト教の教父、聖アウグスティヌスの「告白」は、その10代のころの非行を明かしている。近所のならず者と一緒に畑のナシを盗んだのだが、食べたかったのではない。悪事そのものが楽しかったのだとざんげした

▲悪に向き合った彼はその後の青年期、善悪二元論のマニ教を信奉する。だが、やがて悪や罪をめぐるその教説に矛盾を感じ、キリスト教の神の恩寵(おんちょう)に目覚めたのだ。当時のマニ教の隆盛は彼の「告白」でもうかがえる▲ところ変わって平安時代の日本である。藤原道長の日記などに七曜の記述があり、日曜が「密」と記されている。これはマニ教が断食日とした日曜「ミール」が中国経由で伝わったためという。東西世界にその痕跡を残すマニ教だが、なぜか後の世界史から姿を消した

▲文明を超えて広がったこの世界宗教も今や教典は断片のみだ。だがその宗教的宇宙の全体像を描いた絵が日本で見つかったという。摩尼(まに)教といわれた中国で、元の時代に描かれたらしいマンダラのような彩色画だ。マニ教の宇宙観を示す図像は世界でも他に例がない

▲図には太陽と月の下に10層に分かれた「天」が描かれ、そこに天使や悪魔、さそり座など12星座が見られる。「10層の天と8層の大地」はマニ教の文献が示す宇宙観である。赤い縁取りの白いショール姿のマニ教僧侶も確認でき、天国から地獄までを包括した図像だ

▲東西の宗教と融合しながら自らは消滅した謎の宗教は、極東の島国をタイムカプセルに意外な遺産を残した。「さあ絵に込めた謎を解いてごらんなさい」。消えた神様の問いかけの声が聞こえそうだ。

毎日新聞 2010年9月28日 0時01分
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-10-13 05:00 | 只記録

資料

重くなったデータ整理のため、パソコンの中を整理していると、気がつけば読みいったり、見とれたりするデータがある。

これも、面白い論説である。

どこから、引っ張ってきたのか、今となっては不明だが
このブログにアップ、ファイルにしておこう。


▼引用開始


「なぜ、日韓問題については当事者全員が合意できる『最適解』が存在しないのか?」

私の意見を申し上げる。
その一因は「日本」と「韓国」という現存する国民国家の枠組みを過去に投影して歴史問題を論じているからではないかというものである。

過去のできごとのうちには「過去の時点」に立ち戻ってみないと、その意味がわからないものがある。
そういうものについては、いま・ここ・私を「歴史的進化の達成点」とみなし、そこから逆照明して解釈することは適当ではない。

歴史は別に進化しているわけではないし、人間は時代が下るごとにどんどん知的・倫理的に向上しているわけではない。

今の私たちにはうまく理解できないものが、過去の人々のリアルタイムの現場においては合理的かつ適切なふるまいだと思われていたということはありうる。

それを現在の基準に照らして「狂気」とか「野蛮」とかくくっても、あまり生産的ではない。
というのは「狂気」や「野蛮」というタグをつけて放置されたしたものはなかなか「死なない」からである。

「正しく名づけられなかったもの」は墓場から甦ってくる可能性がある。

私がそう言っているのではない。マルクスがそう言っているのである。

「狂気」や「野蛮」を甦らせないためには、それが「主観的には合理的な行動」として見える文脈を探り当て、その文脈そのものを分析の俎上に載せる必要があ る。

今回の発表で気になったのは、「豊臣秀吉の朝鮮侵略」の扱われ方である。

ふつうはこれを「大日本帝国」の「李氏朝鮮」侵略の先駆的なかたちであり、本質的には「同じもの」だと考える。
私は簡単にこれを同定しないほうがいいと思っている。

豊臣秀吉の時代に「国民国家」という概念はまだ存在していないからである(政治史的に言えば、国民国家の誕生はウェストファリア条約以前には遡らない)。

では、豊臣秀吉は何を企図していたのか。

彼はそれまで分裂していた日本列島を統一した。列島の部族を統一したので、「次の仕事」にとりかかった。
それは「中原に鹿を逐う」ことである。

華夷秩序の世界では、「王化の光」の届かない蛮地の部族は、ローカルな統合を果たしたら、次は武力を以て中原に押し出し、そこに君臨する中華皇帝を弑逆し て、皇位に就き、新しい王朝を建てようとする。

華夷秩序のコスモロジーを内面化していた「蕃族」はシステマティックにそうふるまってきた。

匈奴もモンゴル族も女真族も満州族も、部族の統一を果たすと、必ず中原に攻めのぼった。

そのうちのいくつかは実際に王朝を建てた。

豊臣秀吉は朝鮮半島を経由して、明を攻め滅ぼし、北京に後陽成天皇を迎えて「日本族の王朝」を建てようとした。その点では匈奴の冒頓単于や女真族の完顔阿 骨打やモンゴルのチンギス・ハンや満州族のヌルハチとそれほど違うことを考えていたわけではない。

華夷秩序のコスモロジーを深く内面化した社会集団にとってそれは「ふつうの」選択肢と映ったはずである。
もし、このとき豊臣秀吉の明討伐が成功した場合(その可能性はゼロではなかった)、この「日本族の王朝」は、モンゴル族の王朝である元、漢族の王朝である 明に続く、漢字一字のものとなったはずである。

仮にそれが短命のものに終わり、日本族は列島に退き、そのあとを満洲族の王朝である清が襲った場合でも、この王朝名はたぶん「中国史」の中に歴代王朝の一 つとして記載され、日本の中学生たちは「世界史」の受験勉強のときに、その王朝名とその開始と滅亡の年号を暗記させられたはずである。

だって、それは「中国の王朝」だからである。

そんなはずはない。それは日本人が勝手に侵略して建てた王朝だから、中国の王朝には数えないということをおっしゃる人がいるかも知れない。
だが、それだと、夏も殷も周も出自は怪しいし、元と清はむろん正史からは削除されねばならぬし、金や遼も「テロリスト集団による漢土の不法占拠」として扱 われねばならない。

秀吉の朝鮮半島への軍事行動は「辺境の列島に住む一部族が、ローカルな統一を果たしたので、半島に住む諸族を斬り従えて、大陸に王朝を建てようとした(が 失敗した)」という、華夷秩序内部の「できごと」として考想されていたはずである。

侵略した日本人も侵略された朝鮮人も侵略の報を受けた中国人もたぶん「そういうふうに」事態をとらえていたのではないかと思う。

勘違いしてほしくないが、私は別に「だから、豊臣秀吉の朝鮮半島侵略は歴史的に正当化される」というようなことを言っているわけではない。

「辺境の一部族が幻想的な王朝建設を夢見て、周辺地域に大量破壊をもたらした」という事実に争う余地はない。

そんなことをしないで列島でじっとしていればよかったのに、と私も思う。

ただ、その「幻想」がどういうものであったのかを見ておかないと、「どうして」そんなことをしたのかはわからない。
どうしてそれをしたのかがわからないことは、どうしてそれをしたのかがわかることよりも「始末に負えない」。
それは繰り返される可能性がある。

秀吉の朝鮮侵攻を論じた史書はあまり多くない。

その多くが「秀吉の行動は不可解」としている。

中には「秀吉は晩年、精神錯乱に陥っていた」という説を立てているものもある。

「気が狂っていた」ように見えるのは、その歴史学者が現代人の国民国家観を無意識に内面化したまま、そのようなものが存在しなかった時代の出来事を解釈し ようとしているからではないかと私は思う。
明治維新の後に西郷隆盛は「征韓論」を唱えた。

この唐突なプランもまた現代の私たちにはほとんど理解不能である。

歴史の教科書は「西郷は外部に仮想敵を作ることによって、国内の士族の不満をそらそうとした」という「合理的」な説明を試みるが、そうだろうか。

豊臣秀吉と同じように「部族が統一されたら、次は『中原に鹿を逐う』事業を始めなくてはならない」という「中華思想内部的」な思想が西郷隆盛のような前近 代的なエートスを濃密にもっていた人間には胚胎された可能性は吟味してもよいのではないか。

大久保利通と西郷隆盛の間の国家論的な対立を「華夷秩序コスモロジー」と「帝国主義コスモロジー」の相克として理解することはできないのだろうか。

事実、その後、日本が江華島条約で朝鮮半島への侵略を企てたとき、日本は直前に経験したペリーによる砲艦外交を再演し、陸戦隊による砲台の占拠では、四カ 国艦隊による長州下関砲台占拠の作戦を再演してみせた。

これは日本が「華夷秩序のコスモロジー」を離れて「帝国主義のコスモロジー」に乗り換えたことの一つのメルクマールのように私には見える。

ある社会集団の「狂気じみた」ふるまいの意味を理解したり、次の行動を予測したりする上では、その集団の「狂気じみたふるまい」を主観的には合理化 していた幻想の文脈を見出す必要がある。

繰り返し言うが、それはそのふるまいを「今の時点」で合理化するためではない。

私たちもまた今の時点で固有に歴史的なしかたで「狂っている」ことを知るためである。

国民国家のあいだの「和解」は、「私たちはそれぞれの時代において、それぞれ固有の仕方で幻想的に世界を見ている」ということを認め合い、その幻想の成り 立ちと機能を解明するところから始める他ないと私は思っている。

もちろん、私に同意してくれる人はきわめて少数であろうけれど。

▲引用おわり
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-10-08 09:23 | 只記録

タイトルは日曜日南日本新聞で

f0084105_15462058.jpgそれにしても尖閣問題は、多くの人々の注目を集めた。少しは落ち着いて来たみたいだが。

テレビをつければ、ほんのちょっと前まで、中国人観光客の訪日が儲け話として騒がれていたのに、メディアはあっという間に、事件をきっかけに中国のコワモテぶりを取り上げ騒いでいる。

傲慢にもみえる中国政府の強気な態度は、決して外圧に屈しない「強い中国」を国民に広くアピールしなければならない、メンツをかけた国内事情でもあるのだろう。

今回の事件で分かったことがある。あえて前向きにとらえれば、蜜月と思われていた日中関係も、平和ということばも、ある出来事でいとも簡単に壊れる、ということだ。

日中の関係において「なかよし」の度が過ぎると、それにあらがう人々が、必ず存在するということでもある。
とはいっても、どんなにゴタゴタしようが、引越しできるわけでもなく、隣国の存在を無視できるものでもない。それをハラにすえたうえで、隣国中国と向かい合うということだろう。ダメなものはダメといえばよい。

今回、尖閣事件の直後、仕事関連のイベントで上海にいた。

会場は、人通りの多い屋外にあり、当局の命令で大事をとって大部分が撤去となった。

幸か不幸か、ぼくらが担当する鹿児島ブースは、目立つ場所になかったせいか、撤去の指示もなく会期を終えた。(※緊張感などまったくない。この事件の中、日本のイベントを支えてくれた中国人スタッフにはそれがあったかも知れない…。たまたま別会場で開かれていた、「日本消費品展」を訪ねると、入場料を払ってまで入場した中国人観客で、足の踏み場もないくらい溢れかえっていた。)

しかし尖閣事件から派生したイベントの中止という事実はズームインされ、現場の空気感を飛び越えて、報じられていく。

次に、日本のメディアの過熱ぶりが、中国のメディアに乗り中国政府の強気のコメントとともに報じられ、中国の一般庶民に伝えられていく。

またこのコワモテの報道を日本が報道する。報道が報道を報道するという連鎖がはじまる。
ぼくはデザイナーだから、制作の現場も制作の苦労も熟知しているが、刺激的な映像や言葉は視聴者をひきつけ、ストーリーになりやすい。

中国でも日本でも、一般庶民の大多数は、切り取られた映像やコメンテーターの言葉から、出来事をイメージしていく。

とくに中国では報道の内容がほぼ、一元化されているので、やっかいだ。(※最近の日本のメディアも似たようなものだが)

とにもかくにも、日本と中国の間で時に始まるゴタゴタで、何が一番嫌かというと、日中両国ともに親分たちの都合による政治とみごとにリンクしているということだ。

それは、政治と関係のないところで普通に生活している日中の一般庶民が、いやおうなく政治の渦に巻き込まれることである。風説により、気がつけば良好だった関係が、いとも簡単に壊されていることである。
[PR]
by ogawakeiichi | 2010-10-01 15:46 | 南日本新聞コラム