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彩遊記

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<   2010年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

なんにもしない午後をたのしむ

 “そうよ この地球(ほし)は思い通り   二人なら望み通り  未来さえもお見通し” ♫

最近の量子論でも似たようなことを言っていた。。。ゆらぎの共振とでも言うのかな。。



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by ogawakeiichi | 2010-11-28 09:41 | 只記録

万物照応

f0084105_141935.jpg東洋には老荘思想の『無為自然』や『華厳経』の『重重無尽帝網』のような考えかたがあった。

すべてが融通無碍(ゆうずうむげ)につながっていくという世界があった。

しかし、われわれはどうやら部分と全体を分解しすぎたようだ.

モノやコトに対する会話の言説も、あいも変わらす、好き・嫌い。良い・悪いの二分論から抜け出せない。いつまでたっても、決着をつけたがる。

きのう横須賀を母港とする原子力空母 ジョージ・ワシントンが黄海へ向かった。。これにより極東アジアは、一触即発の構えをとった。

国内矛盾をかかえた国と、アジアまでやってきて産軍共同で経済再興を計る国家の間に、なにがあってもおかしくない。

尊敬するデザイナー、杉浦康平は、数十年前から一貫して、アジアには善悪の二元論ではないもっとダイナミックな思想があることを説いていた。

============

◎1984年2月8日に、東京・大手町の経団連会館ホールで開かれた毎日デザインフォーラムにおける杉浦康平の講演は、アジア各地の万物照応しあう図形群の紹介であった。

◎アジアの教えで重要なことは、対をなすものたちが世界をま半分に分けるものとして存在するのではなく、一方が必ずといっていいほどに、他のものを包みこもうとする働きをもつことだ。

◎それはつまり世界が右と左に二分されるのではなく、右と左が意識された瞬間から、ひとつになろうとするダイナミックな流動が生まれることである。
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===============

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大阪・四天王寺の左右一対の火焔太鼓が象徴する太陽と月。そこには片や龍、片や鳳凰が舞い上がり、太鼓中央に一方は「右巻き三つ巴」。
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一方は「左巻き二つ巴」が据わる。左方の「日輪-三つ巴-三色輪」は陽の気、右方の「月輪―二つ巴-二色輪」は陰の気の満ち足りを表す。このように、ふたつの太鼓は陰陽の二気を対置させ、きわまりなく移り変わるあらゆるものを渦巻かせて、創世の力を鼓舞してやまない・・
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また、中国と韓国の巨大な太鼓である「建鼓」。太鼓全体が、宇宙の中心をなす空想の山である「崑崙山」を模すとされ、ここにも鳳凰が頂上に、四方に龍の首が張り出している。一対の鳳凰と龍。それぞれが具有する「天の火」と、「天地をめぐる水」がここでは対置され、ふたつの鳳凰と龍。それぞれが具現する「天の水」と「天地をめぐる水」がここでは対置され、二つの力の競いと打ち解けが農耕の豊かな稔りの根源となっていく。
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インドで生まれた聖山信仰「スメール山」が須弥山となり、中国の崑崙山、蓬莱山をへて、朝鮮半島の金剛山、日本の富士山信仰へとつながっている。
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その富士山信仰を描いた狩野元信筆「富士参詣曼荼羅図」山の中腹を巡る日・月は、富士がひとつの〈宇宙〉として認識され、インドに発する宇宙感が極東の島に終着点をえたことを示している。続いて、身体の左右観、不動明王やインドのシヴァ神の日月眼、さらには、神社の神輿(ここにも鳳凰と龍の拮抗と融和がみられる)や曼荼羅などなど。これらに内包されている対概念「二而不二」(二にして一)が、芋づるのように次々にたぐり寄せられる・・・。
(杉浦康平のデザイン 186p・187p)

=====

世界とは「分かれる」や「分ける」状態にとどまらず、一つに「成る」ということだ。一つの世界が二つの極を包みこみ、二つの極をもつものは、よりおおきな一つの世界をとりこもうとする。

アジアの教えで重要なことは、これら対をなすものたちが世界をま半分に分けるものとして存在するのではなく、一方が必ずといっていいほどに、他のものを包みこもうとする働きをもつこと。

世界が右と左に二分されるのではなく、右と左が意識された瞬間から、ひとつになろうとするダイナミックな流動が生まれること。陰陽、日月、左右、鶴亀・・など、あらゆるものが出会い、対をなし、流動し渦巻ながら、一つのものに溶け合っていく。

「分かれる」や「分ける」状態にとどまらず、一つに「成る」ということ。一つの世界が二つの極を包みこみ、二つの極をもつものは、よりおおきな一つの世界をとりこもうとすること・・。

元来のアジアにはこのような考えが基本に潜んでいるのだ。
(かたち誕生 杉浦康平 50P・51P)
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by ogawakeiichi | 2010-11-27 13:54 | アジア史&思想

【イコン】【インデックス】【シンボル】

ブランドや企業イメージを、アウトプットした視覚的な代表のひとつに【シンボル】があるのだが、この【シンボル】を説明した一人に、記号論の大家チャールズ・サンダース・パース(1839~1914)がいる。

さてパースの言う【シンボル】とはなんだろう。まず、その前にここが理解できないと、パースの記号論も、その構成要素である【シンボル】もはてな?である。

こことは、前回のエントリーも触れておいたのだが【記号】【対象】【解釈項】という三項目。

つぎに、ここからパースは【記号】と【対象】の関係性から【イコン】【インデックス】【シンボル】というものを導き出した。

パースは、人々がある【記号】をみて、その記号が示す【対象】が実際なんなのかを、仮説・推量(アブダクション)する過程には、類似性、因果性、約定性の三つがあるとした。

この類似、因果、約定性の三つを、【イコン】【インデックス】【シンボル】に対応させたのだ。

いやぁ。。なんだが、小難しい単語が並んでしまったが、もっと簡単に説明すると。。。

◆【イコン】とは、自分のもっている性質が、ある対象との関係にある類似的特性からその対象がどういうものかを想定できる記号のことである。←簡単になってないぞ!!

※たとえば、写真や映像、絵画など。※これは架空のもの、不在のものであってもよい。【イコン】という記号にとって現実にあるとかないとかは無関係である。

◆【インデックス】とは、関わりをもつ【対象】から、じっさいに影響をうけることで、その【対象】に関わるような記号。←はぁ?・・・

たとえば、“温度計"。温度計はそれ自体、環境の変化を告げている。⇒気温という対象から影響をうける温度計。

たとえば、“風景"。風景は季節の移り変わりや、社会の変化を告げている。⇒季節や社会から影響をうけ変化する風景

たとえば、“疾患"。疾患が心身の状態やその変化を告げている。⇒心身の状態から影響をうける疾患(逆説的だが。。)など、など・・・

※【インデックス】をぐるっと見渡してみると【インデックス記号】は自然科学や、社会科学、医学などの領域で多く用いられていることが特徴かな・・。

さて、いよいよ
◆【シンボル】だが、【シンボル】は対象との類似性や物理的な因果関係をかっこに入れて、記号を使う人の関心と約束に基づいて、一般的な対象に関わることのできる記号である。←なんのこっちゃ??

狭く言えば、数学の記号、憲法の条文などを指すのだが、実際には全ての言語表現がシンボル的な記号である。逆に言えば、どんなシンボルも、さきほど述べた【イコン】や【インデックス】を多かれ少なかれ内包してる。

人々にとって説得力のあるシンボルは、【イコン】【インデックス】が、いい按配で配合されたものが、いい【シンボルマーク】なのである。

パースは、【イコン】【インデックス】【シンボル】についてこうも述べている。
========
【イコン】は、その存在が過去の経験に属しているものである。それはただ、心のイメージとしてだけ存在する。言い換えると、「なにかと関係づけられる以前に、それ自体として存在する存在のありかた」

【インデックス】は、その存在が現在の経験に属しているものである。言い換えると、「他のなにかとの関係において存在する存在のありかた」

【シンボル】は、、その存在が、ある一定の条件を満たしさえすれば、なのごとがが経験されるという現実にある。シンボルの価値は、思想や行動を理性的にするのに役立ち、未来予測を可能にする点にある。言い換えると、「上記のふたつの要素を関係づけるような存在のありかた」
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う~ん。観念では腑におちていても、文章による概念工事をしてみると、まだまだ。。。なにを書いてるのか・・クスン。熟成がたりないのかなあ。。。
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by ogawakeiichi | 2010-11-26 12:55 | 情報とデザイン

生命記憶

f0084105_1125239.jpg以前、三木成夫の「胎児の世界」をアップしたことがあったが、そのなかで彼は「生命記憶」ということを唱えていた。

そこに書いてあったのは、日ごろはさほど、気にもとめないのだが、当たり前だが、僕ら人間も生物の一員ということだ。

そう考えると、ぼくらの生命史は36億年前にスタートし、5億年におよぶ脊椎動物の進化の過程のさまざまな記憶が、身体、行動や思想の背景に深く刻み込まれてることになる。←地球史では46億年。宇宙史では137億年。

この生命史で形成されたであろう記憶を、解剖学者である三木さんは「生命記憶」として説く。

※人間の脳は「脳幹の部分にあたる爬虫類脳」と、大脳旧皮質・古皮質など大脳辺縁系と呼ばれる部分にあたる旧哺乳類脳と、大脳新皮質にあたる新哺乳類脳<あるいは人間脳>に分かれてる(ポールマクリーン、脳の三層構造仮説)。

ぼくらは生きるということを、自分の身体の半分でしていることがいかに多いことか。

人と相対するとき、仕事に向かっているとき、あらゆる場面で意識は自分の前方へ向かっている。

未来という感覚に対しても、未来は自分の前に開かれ、輝く光に向かって進んでいくイメージで生活している。←ときには、引き篭もりになりたいことも、あるにはあるが・・・

では、後ろはどうかといえば、どちらかといえば闇のイメージでもある。←う~ん,ゾロアスターか

そうすると、われわれ人間も、集魚灯に集まる魚や、ミジンコが光に集まってくるのと同じ感応をしつづけているのだ。←夜行性も多いが、夜行性といっても街のネオンに惹かれていく。

ぼくらは前に一歩を踏み出せば、後ろには足あとが残っていく。

この足跡によって、自分という存在が過去を拠り所にして、あるいは過去の歴史に支えられていきてきたのだということに気づかされる。

過去に意識を振り返ってみることで、さまざまな「ことば」や、いろんな出来事を成り立たせている存在が重層的にひっそりと寄り添ってきたしていることに気がつく。

たとえば、“なめまわすように見る"という言葉だ。これは、赤ん坊に「なめる」という舌をつかった触覚的な行為から、「見る」という眼に良えう視覚的な行為、つまり舌と眼による二つの感覚が、このことばの内側で重なり合っている。
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↑おいらの携帯を舐め回す、小川隼世3世

“腑におちるということば"の意味は、よくわかったということだが、これは頭で理解するというより、身体全体で納得したということを示す絶妙な表現でもある。

赤ん坊が“はいはい“を始めるころ、身近なものから手にとって、まず口に運んで「なめて」いる。我が家では畳の上を這いながら畳の目をなめまわしていた。

つまり人間は、生まれてまもないころには、単にものを見るだけでなく、なめて、かつ見ているのである。むしろ舐めるということを通して、もののカタチを認識していたのだ。

「のどから手が出る」という言葉だが、その思いはカメレオンの時代、両生類、爬虫類の記憶に辿りつく。

舌は体内に潜む内蔵の最先端である。内蔵の一番先が舌として露出し、この先端部分が生存のためにものを食べる器官、つまり捕食に必要なてとなり、食物を取り込む触覚や味覚に相当する舌のような役割をしているのだ。

この進化の深い記憶を、霊長類としての人間が知らずしらずうちに「のどから手がでる」という言葉に結晶させたのだろう。

「なめまわすように見る」、「のどから手がでる」というこうした表現は、単なる思いつきではない、人間の生命としての歴史の中で培われた根源的な感覚の表れなのである。
(参考資料:杉浦康平/多言語的なアジア)
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by ogawakeiichi | 2010-11-25 10:43 | サイエンス

デザイン思考

ブランドでもデザインでもそうなんだが、とくにデザイナーなら記号論も記号学もガッツリと腑に落としておきたいところだ。

しかし、これは意外に手強くて、消化できないままでいたのだが、ここ最近やっと咀嚼できつつあるのではないかとの気分である。

まあ、ブランドの現場に接していると、記号の巨人チャールズ・パースのいうアブダクションが解決の最大の方法であると感じるのだが、これがまた、傍から見れば、いいかげんな直観っぽい。

しかし、パースは直観などないと言い放ち、物事は連続性の上にしか存在しないとまで言った。←そうそう。

パースは、どんな思考も経験も「瞬間的な事柄ではなく、時間を要する事象であって、ひとつの連続的なプロセスとして生じている」とした。

パースはそこで、記号という概念を持ち出し、一見直観にもみえる、この推論する過程を【記号過程】だと言いのけた。

現実に存在するあらゆるものをみて解釈する過程は情報の外部化とも言えそうだが、パースはこれを【記号過程】としたのだった。
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これはどういうことかというと、たとえば樹の枝の皮に痕跡がある、これを記号としよう。すると経験や観察から、森に頻繁に通うハンターからみれば、ああ、この痕跡はシカが枝を食べたのだと察知する。

樹の皮の痕跡を、【表層(記号)】。
シカを【対象】
その痕跡をみてシカだと仮説することを【解釈項】とする。

一般の人にとってはだだの傷(表層〈記号〉)を、シカ(対象)だと解釈するためには、その【解釈項】が必要となってくる。

それでは、その【解釈項】を、どうすれば獲得できるのだろうか?

きっとそれに王道などない。アンテナを張った地道な観察しかない。

その観察から獲得したモノ・コトに

【軸を変えてみる】
【いくつかのものを並べて俯瞰してみる】
【異なるもの同士をつなげてみる】
【いいかえてみる】
【文脈のなかでみる】
【見たモノを他人に話してみる】

など、情報に動きを与えてみることだ。
これこそパースが記号過程と呼んだそのものだろう。

人間のあたまのなかの推論のしくみを、上記した方法で、脳を揺さぶり積極的に動かすことが必要なのである。

もちろん方法理論など必要ないとの声もあるにはあるが、これが腑に落ちると見え方がかわってくる。

【わかる】が、【かわる】になってくる。

つまり、ここではじめて【的】をはずさないデザインへむかう方法の道筋ができたことになるのだ。

あとはそれを仕上げる【美的感覚】と【技】だけど・・。
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by ogawakeiichi | 2010-11-24 07:03 | 情報とデザイン

出雲系と日向系

さて、その【三輪山】を祀るのが【大神神社】だ。大神神社に祭られているのは、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)だ。なんとこれは、蛇の神とされている
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その大物主とは?

それは、スサノオのあと出雲に登場したオオクニヌシともいわれている。

大物主は、一般にはオオクニヌシといわれているが...

“消された覇王(伝承が語るスサノオとニギハヤヒ)"を書いた、小椋一葉は大物主を【スサノオ】としている。

スサノオにしても、オオクニヌシにしても、つまり、大和朝廷が確立するずっとまえから、三輪山一帯を統括していた大物主大神という一族のリーダーがいたということになる。

三輪(現在の奈良県桜井市)には、神武が東征してくる以前にスサノオを祖とする出雲勢力が巨大な王権を確立していたのだ。

三輪山の御神体が、蛇であるとするのは、おそらく大物主大神が、マジカルな能力をもっていたからであろう。

また、「古事記」など、物語に仕上げるとき、出雲からやってきたこの一族との関係を配慮して、天皇一族はオオモノヌシとオオクニヌシ(あるいはスサノオ)を一緒くたにしてしまったに違いない。(神仏たちの秘密:松岡)

三輪山登山をしてみればわかるのだが、御神体である三輪山には磐座(イワクラ)が点在する。

このことから、もともとここで暮らしていた縄文人が崇敬したアニミズム(自然崇拝)の巨石信仰に、出雲系が上書きした可能性が高い。

そこへ、さらに遅れてやってきた神武の東征は、出雲系から「国譲り」というかたちで、さらに日向系へ上書きしていく。←しかし不思議なことは、日向から東征してきた神武と、出雲系はガムシャラに戦ってない。なぜだろう・・・

記紀を簡単に復習してみると、天孫族であるホノニニギは猿田彦らに導かれて真床覆衾(まどこおうふすま)にくるまり、日向の高千穂に降りた。

ホノニニギはその後、長屋の笠狭碕(野間岬)に赴き、さらに南九州の各地で子孫を落とすと、そのなかからヒコホホデミ(山幸彦)が衣鉢を継承し、その子にウガヤフキアエズが生まれた。さらにその子にイワレヒコが育った。これが『書紀』によって初代天皇とされたカムヤマトイワレヒコこと、神武天皇である。←これを、古来からの土地の支配者である【国津神】の対し、外からやってきた【天津神】という。

その神武が九州を出発して、瀬戸内海を渡り、今の大阪であある難波碕に辿り着き、そこから淀川をさかのぼって河内の草香邑(くさかのむら)に寄り、ついで竜田(奈良県葛城郡王子)へ向かおうとしたところ、あまりに道が狭く、生駒山に方向転換。
 
このとき、ヤマトにいた長髄彦(ナガスネヒコ)と一戦を交えるが、神武は太陽に逆らってヤマトにはいろうとしたことが間違いだったと、ルートを変え、紀伊半島を回りこみ、熊野からヤマトへはいることにした

そのとき、あらわれたのが八咫烏(賀茂氏)だ。

タギシミミノミコト(手研耳命)を先頭に、迂回して熊野からヤマトに入ることにした。神武の軍隊は、八咫烏に導かれ、熊野から大和へとはいるのだが、そこにはすでに支配者がいた。

その人物の名が、邇芸速日(ニギハヤヒ)である。このニギハヤヒだが、物部氏の祖といわれている人物だ。
物部氏は石上神宮の呪術を司る一族でもある。

スサノオーニギハヤヒ~物部氏という流れをさらに遡れば、朝鮮半島の新羅にいたる。

その後、物部氏は、仏教のヤマトへの導入で崇仏派の蘇我氏と抗争の末消えて行く。

蘇我馬子が物部守屋を河内の渋川(東大阪市)に攻め滅ぼしその戦勝モニュメントというべき建物が旧敵地のまんなかに建つ四天王寺である。

蘇我氏もまた、【今来の技人(いまきのてひと)】とよばれる朝鮮半島から出雲、そしてヤマトへやってきた渡来人である。※新羅系とも百済系ともいわれれる。

蘇我・物部の対立の背後には、両者の勢力争いのほかに、百済と親しい蘇我・大伴氏、新羅と親しい物部・中臣氏らの外国結合による相克がった。(松本清張・壬申の乱より辻善之助の説)

つまり、ヤマトは政局を背後から動かしていた渡来系の人々によって影響を受け、藤原京さらには平城京へと、国造りがすすんでいくのだ。
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by ogawakeiichi | 2010-11-23 22:55 | 日本史&思想

三輪山

奈良・飛鳥・河内の出遊から帰ったその足で「ジャパンブランド」の一件で、調印式に来鹿ていた中国側のお相手、そして見送り。その後二日ばかりメールも携帯もシャットアウトして、一気呵成に“ジャパン"を攻め落とそうと、引きこもり状態で、渉猟していた。

おかげをもって、これまでモヤモヤしていた、飛鳥や奈良や日本神話にやっとケリがつきそうだ。久しぶりの記録とまとめのブログアップ。

いま、「ジャパンブランド」に関わっているからというわけでもないのが、ブランドをやる上で【記号論】と【歴史】は、マーケティングとともに、ブランドを支える【技】と【編集】の基盤として、ぼくのなかでは外せない。
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これまで、日本という国が成立する歴史の過程で、どうもすっきりしないところがあったのだが、そんなときは、出遊して身体ごと腑に落とすのが手っ取り早いと、奈良へ出遊。

日本を読みといていく過程で、必ずぶちあたるのが飛鳥や日本神話だ。

しかし、この構造を読み解くのは、並大抵ではない。そもそも面倒なのは、神様の名前が読みにくいこと。ひとつの神様がデュアルスタンダードであること。幾通りも名前をもっていることだ。ここは丹念に古文書にあたるような構えが必要なのだが、これは辛い。アスリート感覚でやっつけるしかない。

そのなかで、どうもすっきりしないのが【出雲】と【日向】の日本古代の捻れ。

日本には【出雲大社】と【伊勢神宮】という大雑把にいえば、二つの巨頭がある。

この出雲大社をイコンとした【出雲パンテオン】と、伊勢神宮をイコンとした【日向パンテオン】の出会うところを探してきたのだが、数年頃から、ぼちぼちと、それは奈良の桜井市にある【三輪山】にあるのではと、アブダクションが発動していたのだ。
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つまり、日本の成立を語る上で【出雲勢力】から【日向勢力】への国譲りという返し技があるのだが、国譲りと言いながら、出雲がいまだ重要視され、祀られているシークレットが奈良県桜井市の【三輪山】にあると睨んだのだ。

三輪山は、山そのものが御神体である。御神体登山では、大神神社の摂社にあたる狭井神社にで、神官に入山料を払い、首に鈴のついたタスキをかけ、登山口で自ら御幣でお祓いをしての神聖なる登山である。

三輪山の頂上には磐座(イワクラ)があった。約2時間の登山であったが、身体には【三輪山】と【大神神社】まわりが、しっかり記憶され、【出雲神話】と【日向(高天原)神話】の結び目をゆっくり解きほぐす準備運動にはなったようだ。
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さて、その【三輪山】を祀るのが【大神神社】だ。・・・・・かきかけ。。つづく
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by ogawakeiichi | 2010-11-20 11:44 | 日本史&思想

ガタガタと創発

ご覧のとおりの日本国内の内ゲバに、表に出ない中国の内ゲバ。そこへ禿鷹がまってましたと動き出し、おまけにロシアも連動。そのうち朝鮮半島が動きだいたら、世界も混乱の極みである。

【類】としての国家はガタガタである。あれもだめ、これもだめとなれば、左や右へ極端に振れた言論が台頭してくる。ナショナリズムは、過激であれば、過激であるほど人心を惹きつける。

【個】はどうかといえば、メディアから放たれれる、共産圏と似たり寄ったりの、どこをみても同じ気配の情報は、集合無意識となって蓋然性の高いイメージを形成していく。

誰かによって放たれた文字や映像に、コメンテーターが意味を添え外部化していく。それは人々の潜在意識へインプットされ集合知へとなっていく。身体を行使して自ら情報を取りに行くことのない我々は、もしかして非常にせまい空間で踊らさせられているのかも知れないのに・・。

理屈を越えた何かが発動していく気配はまだか・・

国家という社会システムは、複雑性を縮減することによって、自らを複雑にするので国際社会は平衡に達することなく、カオス的な振る舞いを続ける。その振る舞いは、自らをカオスの縁へ急がせる。

カオスの縁ではなにがおこっているのか。

そこでは新しいオーダー(秩序)が生まれて出てくる。

それは言い換えれば、新しい「意味の発生」ということだ。

これを「創発」という。
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by ogawakeiichi | 2010-11-11 13:42 | 只記録

杉浦康平について、ちらほら

我が家に12年前に迷い込んできたネコが我が物顔で、我が膝の上で眠りこけている。起こしても起きない。不安定な格好で、ディスクトップパソコンに向かってブログを書くことに。・・・トホホ。←だったら、ネコを払い落とせばいものの。。

尖閣問題が尖閣ビデオの流失へとなり、メディアではもう2ヶ月余りこの話題が続いている。前回エントリーした中国の支配構造に加え、一連の尖閣問題に関しては、ぼくなりに分析できているのだが、文字や言葉で表現するとなると、グラデーションやら入れ子構造やらなにやらで上手く説明がつかない。

ぼくにとってオラリティーもリテラシーも、限界値をとっくに越えてしまった。

模造紙の上で、この経緯と構造の変化をクロニクルにして説明すれば一番手っ取り早いのだが・・う~~ん。その機会がない。※来月、某処でできるかな・・

自分自身の文字(リテラシー)や言葉(オラリティー)の力不足を嘆いたばかりだが、カタチとしての文字にはひとかたならぬ、思いの嚆矢があるのも事実だ。

それはアジア放浪で萌芽した。

灼熱の太陽を避けビロウやシュロの木陰の下に並んだリヤカーを改造した屋台の椅子に坐り、マンゴージュースを飲みながら眺める大通りの向こうに、複雑奇怪なニョロニョロと連なるヒンディー文字で書かれた看板群を見てからだ。

日本へ帰国しタマタマ職にありついたのが文字に関してはむちゃくちゃ厳格なデザイン事務所であった。←ここで、文字については、シコタマ鍛えられた。身体と文字が繋がった?・?

いまでは誰もがパソコンでフォントを選択して文字打ちする時代だが、当時は活版の名残と、写植の全盛期だ。

文字は写植オペレターという特殊技能者によって打たれ、デザイナーは紙の上でラフスケッチを書き、文字のはいるスペースには“別原稿有り"と書き、別な原稿用紙を添え、そのスペースにはいる文章に、赤ペンで文字級数と、行間、文字の書体を指示して写植オペレターに提出していた。

いまでは写植屋さんはすっかり無くなってしまったのだが、あの頃の仲間はどうしているのだろう・・・


当時は写植機メーカーに写研とモリサワがあった。両者は文字を指定してくれるデザイナーに向けて、さまざまなカタチで文字文化を発信していたのだが、そのなかでも代表的なツールが正月のカレンダーだったのだ。

写研からでていたカレンダーシリーズ「文字の生態圏」は、ぼくがデザイナーのアシスタント時代、外部スタッフであった写植屋さんに「なんでも言うことを聞きますからカレーンダーをください!!!」。と、日参し、やっと、手に入れた思い出のある極上の逸品。※もうひとつの写植メーカーであるモリサワは、たしか、田中一光デザインだったような。。。


その「文字の生態圏」を担当していたのが杉浦康平だ。

杉浦もまたインドの旅をおえたのち、講演「文字の原点」をおこなったのだが。←といっても、ぼくのインド放浪より若干早い。

彼の講演の内容は圧縮編集され、写真植字システムの総合メーカー写研が75年に始めたカレンダーシリーズ「文字の生態圏」で再構成されカタチとなりそこには丁寧な「キャプション」が添えられ興趣となっているのだが、また、それはイコンを解読するうえで杉浦図像学というべきものの真骨頂でもある。

それ以来、杉浦康平は「原意識は記号によって定着したか」など、感覚や知識、記号形態、形象、運動など多岐にわたり横超して考察している。とくに文字と身体性の関係について、著書「宇宙を叩く」では、こう述べている

=======
◎今日の私たちは、文字の働きを一面的にとらえすぎているのではないでしょうか。古代における文字とは、今日の文字のようにただ単に意味を伝え、黙読されるだけのものではない。呼吸とともに声にのり響きを生み出し、書道のように力強く書き記され、ときにこの拍板のように激しく叩きつけられてその力をとび散らす。身体の動きと一体化し、物質の本性に支えられて、はじめて力をうるという記号でした。(杉浦康平『宇宙を叩く』)
=======

古代における文字とは、今日の文字のようにただ単に意味を伝え、黙読されるだけのものではない。

呼吸とともに声にのり響きを生み出し、書道のように力強く書き記され、ときにこの拍板のように激しく叩きつけられてその力をとび散らす。

それは身体の動きと一体化し、

物質の本性に支えられて、

身体性をともなってはじめて力をうるという

記号でもあるのだ。
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by ogawakeiichi | 2010-11-08 10:01 | 只記録

観察すること

このところ、ブランドに関する仕事が続いている。

しかし、自分でつくったモノが残らないことも多く「なにをつくったの?」と聞かれると、一瞬返事に窮してしまう。
一般の人は、ブランドづくりを、マークや、パッケージを作ること思っている節がある。もちろん、それも大切な要素に違いない。

しかし、実際は企画書や依頼書を書いたり、言葉で伝えたり、もちろんスケッチを描いて説明したりはするが、実像としてのカタチには残らないことが多い裏方稼業だ。 
 
ぼくらの仕事は、まず観察からはじまる。人を観察する。世の中を観察する。組織のつくりや人間関係を、客観的に「観察」する。多くの人と会話しながら“気持ち”を集める。

次に、集めたものを見渡しながら、老若男女の役柄になり、どんな人が、どんなモノを、どんなときに、どんな場所で…などなど、問題を解決する方法を探し出していく。

しかし、そう簡単には問屋が卸さない。

手がかりがみえてくるのに数ヶ月ということもざらにある。(※最終的にはその手がかりからモノを生み出し、内から外へと繋がる仕組みをつくっていくのだが、ここでは省略)。
 
さて、一見苦痛にも見える手がかりをさがすための「観察」だが、見知らぬ土地でコミュニケーションをとりながら、そこで暮らす人々がもつ、モノや仕組みに分け入ることは意外と楽しい。

このことをはじめて体感したのは、青年海外協力隊で中国・桂林に派遣されたときのことである。
派遣当初は、見ず知らず、わけの分からぬ異文化へ落下傘で舞い降りた心境だった。

派遣先の職場は、誰がなにをやっているのかわからない。中国語での言葉によるコミュニケーションもおぼつかない。  

自分が、ここでなにができるのかもわからない。右も左もわからない、ないない尽くしだ。

相手を知らないことから、不安だけが襲ってきた。

このモヤモヤと不安から抜け出すには、かたっぱしから、祭りごとに参加して、酒を酌み交わし、土地に流れる歴史を調べ、その場にどっぷり浸かり「観察」していくしかないと腹を据え、覚悟を決めた。

すると次第に、あちらこちらに、散らばっている情報が紡がれてくる。今まで見えなかったものが見えてくる。周囲が見渡せてきた。

さらに、信頼のおけるキーマンとの出会いがあり、そこを結び目に多くの大切な友人達とつながった。(※実は、ここからが、本格的な仕事始めになる。)

実際にはデザインという仕事は、モノをつくる仕事と思われがちだが、そんな狭い範囲の仕事ではない。

「観察」を経て目に見えるカタチをつくり、それを磨いていくこと。

もっと言えば、いま、自分たちがおかれている状況を少しでも良くしようと思うなら、「観察」から見つけた気づきで、生活や生き方を磨いていくことだと思う。
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by ogawakeiichi | 2010-11-05 16:03 | 南日本新聞コラム