ブログトップ

彩遊記

ogawakeiic.exblog.jp

<   2011年 01月 ( 15 )   > この月の画像一覧

バウハウスの教授陣

f0084105_1126552.jpg

バウハウスの教授陣
_____________________

左から
ジョセフ・アルバース
ヒネルク・シェーパー
ゲオルク・ムッヘ
ラスロー・モホリ=ナギ
ハーバート・バイヤー
ヨースト・シュミット
ヴァルター・グロピウス
マルセル・ブロイヤー
ヴァシリー・カンディンスキー
パウル・クレー
ライオネル・ファイニンガー
グンタ・ストルツル
オスカー・シュレンマー

◯バウハウス→ここ
◯パウル・クレー→ここ
◯ブルーノ・ムナーリ→ここ
◯モダンデザインを大雑把に俯瞰する1→ここ
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-30 11:27

ウィトルーウィウス建築書

f0084105_773674.jpg◯ウィトルーウィウス建築書は、世界史のなかで建築について最初のバイブル的な記述書です。

◯建築を語るにはこの本を読まずして語るなかれと言われる本です。←建築系の先輩がそう言った。

◯今、ネットの古本街を検索すれば比較的容易に探せますが、当時、ありとあらゆるところを探したのですが、なかなか見つからなかった本でもあります←建築科のある某大学前の古本屋でやっとみつけた。

◯「建築」architecturaとは、たんなる建築術だけではなくて、諸技術の原理的知識を擁した職人たちの制作を促し指導しうる工匠の術の全般にかかわること」を指していました。

◯ウィトルーウィウスによって書かれた「建築書」は、都市文化の全知全能をめぐるための技法書でした。

◯古代ローマ時代の城郭の設計者ヴィトルーヴィウスはこの本のなかで、建築物の構造設計とは「自然との調和である」と述べています。

◯さらに『強(フィルミタス)・用(ウティリタス・美(ウェヌスタス』という建築の三大要素を挙げています。←これは超有名。

◯「強がなければ用は果たせない、強と用がなければ美は形だけのもの、そして、美がなければ建築とはいえない」

◯具体的に言えば、『強さの理』とは、基礎が強固な地盤まで掘り下げられ、材料の中から惜しげなく十分な量が注意深く選ばれている場合に保たれる。

◯『用の理』とは、場が欠陥なく使用上支障なく配置され、その場がそれぞれの種類に応じて方位に叶い具合よく配分されている場合に保たれる

◯『美の理』とは、建物の外観が好ましく優雅であり、かつ肢体の寸法関係が正しいシュムメトリアの理論をもっている場合に保たれるであろう。というものです。

◯『強・用・美』は、のちにヘンリー・ウォットンによって『喜び(ディライト)・堅固(ファームネス)・利便(コモディティ)』とも言い換えられました。

◯この「強、用、美」の理は現代でも生き続け、古代ローマ時代と現代の時間的な隔たりをなんら感じさせません。

◯現代デザインの表層は時代とともに刻々と変化し、現代の建築と古代ローマの建築、全く違った外観、機能を持っていますが、しかし、そこに立ち向かう基本的な構えは変わっていないのですね。
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-29 07:05 | 建築と情報

インフォグラフィックス

f0084105_921426.jpg某奥の院、某プロジェクトも今がピーク。

これからちょいと世間を絶って○○に籠り、いよいよ脳内物質のセロトニン、ノルアドレナリン、アドレナリン、ヒスタミン、ドーパミンとアセチルコリンを出しまくっての追い込みにはいる。担当はデザインのメソッド。これから多種多様なデザイン様式に潜む方法を網羅していくのだが・・・・

そのひとつに、インフォグラフィックがある。

▼   ▼   ▼

〇インフォグラフィックスとは、複雑な内容やイメージしづらい物事の仕組みを、観察、理解、整理して視覚的な表現で、他の人にわかりやすく伝えることである。

〇絵や図をど~んと示すことで、なかなか言葉で伝達でいないことや、縺れたモノ・コトを「虫の目」と「鳥の目」を交互につかい、解きほぐしていくことで、パッと見て、ス~っと理解できるようなグラフィックのことである。

〇ここで大切なことは情報をデザインする視点と表現だ。

〇当初、インフォグラフィックは、新聞、雑誌、などのニュースメディアがつくるダイアグラムのことだった。ダイアグラムとは、情報を無駄なく機能整理するのに対し、インフォグラフィックスは、ニュース報道という性格上、一般の人々に、まず新鮮な驚きで情報の存在を気づかせた上で、その情報を理解してもらうために視覚的に練り上げる。

〇このときのインフォグラフィックは、人とのコミュニケーションを意識し、相手の視線から見た、「わかりやすさ」を追及しなければならない。

===========
ダイアグラム・・・主にイラストを用いて物事を説明・図解する
チャート・・・・・図形や線、イラストを用いて、相互の関係を整理する
表・・・・・・・・情報をある基準で区分し、縦軸・横軸上に整理する
グラフ・・・・・・数値の大きさで比較や変化・推移を表す
地図・・・・・・・一定の地域・空間における位置関係を表示する
ピクトグラム・・・文字を使わず、絵で物事を直感的に伝える
=========

〇製品マニュアルや、教科書、新聞、テレビ、ウェブ、雑誌、フライヤー、電車やバスの路線図などそれらは、すべて相手の立場に立つ「思いやりのアプローチ」が必要でありそれは、人間の快適な生活を実現する考え方である。

〇重要なことは、作り手が見る人や使う人の立場を理解しているかということだ。

〇文化的背景が違えば挨拶の仕方も変化する。当然だとおもっていたことが、他の国では当然でないことも多い。

〇つまりデザイナーがわかるだろうと思ていても、見る人、使う人との共通の認識や文化的背景がなければまったく伝わらないこともある。

〇相手がいてこそ存在するのがデザインであり、相手になにかを伝えたいときは、こちらの思いを「伝える」のではなく、どうすれば相手に伝わるかを意識する。

〇このフレーミングとりフレーミングを繰り返すことが大切である。インフォグラフィックスとは誰かの役にたちたいという「思いやりのデザイン」。

=============
見る人の目と心をひきつける。
伝えたい情報を明確にする。
必要な情報だけに簡略化する。
目の流れに沿う。
文字がなくても理解させる。
==============

〇そのためには、ひとつの見方だけではなく、いろいろなところに自分の目を浮遊させ、自分の姿を含めて外から眺めてみる。←これって、ウィバッサーナじゃあ、あ~りませんか。。
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-26 09:18 | 情報とデザイン

作り手のプロ・使い手のプロ

f0084105_1516198.jpg無作為に本棚にある一冊の本を、バタバタとバックに入れて鹿児島港高速艇ターミナルへ向かう。種子島まで往復4時間。その往来の船中で読もうと、手に取ったたまたま本。

ずいぶん前に読んだ痕跡の赤線をガイドに、その周囲を再読すれば、一読のときに気づかなかったことにハラハラ・オラオラ。

▼  ▼  ▼

〇デザイナーは、変更や訂正を嫌う傾向にある。誇りある仕事に向かう構えとしては理解できるものの、しかし往々にして観察不足やコミュニケーションデザインの不足が原因の場合も多い。

〇デザイナー自身がモノづくりの範囲からコトへの自在へ横超しなければならない。

〇それはまずは、観察で得た鍵をもとに、柔らかな余白をもったプトロタイプを生み出し、鍵穴に差し入れてみる。それを揺さぶりながらよりよいプロトに仕上げていくことだ。

〇プロトタイプから、そこでの問題点を洗い出す、ユーザビリティーテストを行ってみる。

〇ユーザビリーテストはコンピュータのソフトウエアーをつくるうえではよく行われているが、テストを二回くりかえすだけでも、開発中のソフトが抱えている欠点の大半が発見できる。というくらい無視できないプロセスである。

〇この場合、実はどんなデザインでもまったく一緒なのだが、デザインをする側はどうしても絵をかくことを完成と見做す傾向がある。

〇本当は、デザイナーも別の場所ではユーザーであるはずなのであるが、いざものづくりの段になると、自分の中にある、「作り手」と「使い手」の距離はどんどん離れていくことになりがちだ。

〇作り手はつくる方のプロではあるものの、かならずしも「使い手のプロ」ではない。

〇何かをデザインする場合、それを使う人の特性やその人が置かれた状況を把握しておくことは、自分のデザインを他者の目から、もう一度客観的に見つめなおし、「本当にデザインすべきことは一体何か?」をはっきりさせる必要がありそうだ。

〇これまでデザインは出版物やデジタルコンテンツのような「メディアのなかで表現される情報」を対象として、そこにどんな情報を入れていくかにエネルギーをつぎ込まれていた。

〇情報は人がそのこの世界のなかでいかにコミュニケーションしたり環境とかかわったりしているような、複雑で多様な経験から切り離され、紙やデジタル媒体などにとじこめられることで、初めてデザインの対象になりえた。

〇しかしながら、情報をそれを生み出す人や環境と切り離してしまうことで、デザインは一見やりやすくなるように見えながら、その反面おおきなあやまりを抱える場合もあるのである。

〇人間を含む動物は、この世界にあふれる情報をその身体を道具(メディア)にして読み取っている。

〇いいかえれば、この世界には私たちが感じることのできる「価値ある情報」があちこち存在していて、人間を含む動物はそれぞれのやりかたで、こうした情報をあちこち探索しながら生きている。

〇このような視点を「アフォーダンス」という。
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-25 15:28 | 情報とデザイン

銃・病原菌・鉄

f0084105_2148776.jpgジャレッド・ダイヤモンド著「銃・病原菌・鉄」の初版はもう10年以上前の話だ。

だが、朝日新聞の「ゼロ年代の50冊」で第一位に選ばれたらしく、絶版寸前から突如として脚光を浴びた。

「銃・病原菌・鉄」という、一見意味不明のタイトルと表紙絵が気になりながら、幾度も手には取るものの上下2巻に手をつける暇と覚悟がなく、まして積読にするにはもったいない。そのうち、ブックオフに出ることを期待していたのだが、上下巻のおそろいをついに見つけたのだ。うん、うん。ついてる。ついてる。。

以前、おなじようにブックオフで出会ったら確保しようと心していた本で、赤線をバンバン引いて読みたかった「素数の情緒」を見つけながらもちょっと目を離した隙に無くなっていたくやしい経験が脳裏を横切る。←積極的にノーマル価格で買いたいほどでもなく、図書館の本には赤ペンは引けない。出会ったときが、買い時到来のブックオフ..。

そんなわけで今回は即、ゲット。

『銃・病原菌・鉄』は人類史に関する本。なぜ人間はその住む地域によってまったく違う発展をとげたのか。たとえばヨーロッパ人はアメリカ先住民を征服した。どうして逆じゃなかったのか。人種間、民族間で、知的能力の差はないことがわかっている。ならば同じように発展してもいいはずではないのか?

この壮大ななぞを、1万3000年前からの人類史をたどりつつ、分子生物学や進化生物学、生物物理学、考古学、文化人類学などの最新の研究結果をもとに解き明かしていく。

そのキーワードとなるのが、書名にもなっている「銃と病原菌と鉄」である。

本書は1万3000年の人類の歴史のなかで、いったい何が文明をおかしくさせた主たる要因だったのかということを、「文明の利器」と「環境特性」との関係、および技術や言語の発生と分布と伝播の関係に深く分け入って徹底精査したことをまとめている。(千夜千冊より)



▼   ▼   ▼

○紀元前1万1000年、最終氷河期が終わった時点では、世界の各大陸に分散していた人類はみな狩猟採取生活をおくっていた。技術や政治構造は、紀元前1万1000年から西暦1500年のあいだに、それぞれの大陸ごとに異なる経路をたどって発展した。まさにその結果が西暦1500年の時点における技術や政治構造の不均衡をもたらした。←この西暦1500年は重要!!

○人類の歴史はいまから約700万年まえにはじまった。その頃、アフリカに生息していた類人猿がいくつかに枝分かれしていく。

○「南北に長い大陸(アメリカ大陸)よりも、東西に長い大陸(ユーラシア大陸)の方が、農業が伝播するスピードが速かった」。

○南北に移動すると気候の影響で、家畜も農作物も適応するのに数百年、数千年の時間がかかるが、東西に移動するには気候はそれほどの影響はない。結果として、ユーラシア大陸ではひとつの作物が農業化されると他の地域にも伝わりやすかった。←そう考えると、スサノオも秦氏も蘇我氏も、中央アジアからやっていたとしてもおかしくないよなぁ。。

○なぜ人間はその住む地域によってまったく違う発展をとげたのか。たとえばヨーロッパ人はアメリカ先住民を征服した。どうして逆じゃなかったのか。人種間、民族間で、知的能力の差はないことがわかっている。ならば同じように発展してもいいはずではないのか?これは、たまたま与えられた条件がそうだったから、ヨーロッパ人とアメリカ先住民の文化の違いが生まれたのである。

○その条件とは、地形や動植物相を含めた「環境」だ。 たとえば、密林で狩猟・採集生活をしている人々は、そこで生きるための豊かな知恵をもっている。だが、これは外の世界では通用しない。他文明を征服できるような技術が発達する条件は定住生活にあるのだ。植物栽培や家畜の飼育で人口は増加し、余剰生産物が生まれる。その結果、役人や軍人、技術者といった専門職が発生し、情報を伝達するための文字も発達していく。つまり、ユーラシア大陸は栽培可能な植物、家畜化できる動物にもともと恵まれ、さらに、地形的にも、他文明の技術を取り入れて利用できる交易路も確保されていたというわけだ。また、家畜と接することで動物がもたらす伝染病に対する免疫力も発達していた。←環境と言われれば、それはそうだが・・なんとなくそれだけじゃないような気もするが。。仕組まれたDNAの仕業とかないのかなあ??

○いわゆる先進国は、べつにその地域の人たちが他の地域の人より優れていたり努力したから成功したわけじゃない。たまたまの結果なのだ。

○大陸が広がっている方向によって、そこに暮らす人々の運命は決まった。

○ヨーロッパ諸国が、世界の各地を植民地化しはじめたのは西暦1500年代のこと。そのときにおける技術や政治構造の各大陸間の格差が不均衡を生みだした。なぜかといえば鋼鉄製の武器をもった帝国は、石器で戦う部族を侵略して滅ぼすことができたからである。

○なぜインカ帝国の方がスペインを征服できなかったのか。結論から言えば、銃と軍馬である。16世紀にピサロ率いる168人のスペイン部隊が4万人に守られるインカ皇帝を戦闘の末に捕虜にできたのは、これらのためであった事実は知られている。しかしなぜ、アメリカ先住民は銃という武器を発明できなかったのか?彼らが劣っていたからか?ならば、2つの人種の故郷が反対であったなら、アメリカ大陸からユーラシア大陸への侵攻というかたちになったのだろうか?また、農耕はいつ、どこでどのようにしてはじまったのか。?
←これについての詳細は、後日、新らしいカテゴリーにアップ予定。

○シマウマはなぜ家畜にならなかったのか。という代表的な疑問がある。この答えとは・・・哺乳類で家畜化されているのは、メジャーなもので5種(羊、山羊、牛、豚、馬)しかなく、マイナーなものでもさらに9種(ラクダ、ラマ、ロバ等)あるだけだ。シマウマの家畜化は幾度も試みられた、しかしシマウマは歳をとるにつれどうしようもなく気性が荒くなり、人に噛みついて離さない。どう掛け合わせて「品種改良」をしてもなおらない、その荒い気性は、DNAの深いところに規定されているのだろう。この本によると、家畜化できるのは、序列性のある集団を形成する動物だけだ。そういう動物は、その集団の序列の頂点に人間が立つことで、動物を効率よく支配できるからである。

○最後に・・・家畜がもたらす病原菌が歴史をうごかした。


とまあ、こんなところか・・・。。
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-22 21:48 | 情報とデザイン

雑言

自分の中では年間とおして意識にフックを掛けたインターバルトレーニングっぽいテーマがあるのだが、昨年は【観察】であった。ことしのインターバルは【手を動かす】である。

【観察】の体感は継続的ジョギングをしながら、手を動かすことが少なかった昨年とはちょっとモードを変えて、観察から滲み出るものを【手を動かす】身体性を強力ボンドの如く用い、アウトプットに繋いていこうと思っているのだが・・。

手を動かすワークにはいると、ぐっと収束する世界へはいりこみ、周囲の見渡しが効かなくなる。もちろん高速で、類と個をかわるがわる往来させなければならないのだが、あることに集中するとその集中・収束していく行為により、それ以外が、ふっと消えてしまう。←しばらくブロクの更新も消えた。

集中する深度も潜行させながら、反対のベクトルである意識の拡散も同時にできないのだろうか?

意識を、一点だけに収束させて行くのと同時に、地域から国、アジア、世界に拡散して行けるのか?

う~ん、こんな思考実験していると、ゲシュタルト崩壊してしまいそうだ。

拡散する意識というものは、世界認識の立ち位置の高さ、つまり世界を認識するレイヤーのレベルのことであり、集中・収束する意識はそのレイヤー上のなかで行われるとすれは、私の中ではこの問題は解決する。←パチパチ。。

しかし、意識を楕円のように、二つの焦点に収束させていけるのか?

また意識の集中、収束の深度はどこまで潜行範囲なのであろうか。

もうあれこれ10年以上前の話であるが、坐禅の最中にある一点を凝視していると、その点のなかにはいって行けるリアル感が増してしきたのだ。

あの時、行こうか行かないかを迷っ、て結局行かなかったのだが、もし行っていたらどうなっていたのだう??。

シャーマンになってたりして(笑
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-20 07:18 | 只記録

多国籍合宿

鹿児島にすごい合宿があった。らしい。!?



本土最南端に位置する鹿児島県、
東南アジアや中国にちかい地理的な特徴を背景に、
外国の窓口として、
古くから異文化の交流が行われてきた。


4分あたりから、・・
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-14 11:04 | 味写真

テキトゥーイージー

千葉にすごいバンドがあった。らしい!?  3分30秒あたりから・・


[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-13 23:06 | 味写真

日本料理のデザイン

気がつけば、ブランド系のワークに取り囲まれている。そのなかでも「食のブランドつくり」の連打である。

元来、寝るところと食べ物は、どこで寝ても、なにを食べてもそれなりに楽しんで、それなりにおいしく食べてきた。

おいしさのブランドづくりは、これまで、はっきり言って苦手な分野だ。

「なにを食べてもおいしい」と、ある先輩のまえでつぶやいたら「そりゃ、おまえ、鼻がわるいんだろう。耳鼻科で検査してもらえ!」と言われたこともある。←ほんとかい??

アジアを巡る旅や仕事では、舌の感覚がその土地の感覚にすぐ同化して、よっぽどますいもので無い限り、おいしく食べられたのだが・・。

地域の食関連のブランドに携わるようになってから、その土地の十八番の料理や、飲み物など、逸品、絶品といわれるものをたべさせられることが増えてきた。

おかげをもって、知ってしまった、味わってしまった不幸というのか・・・味覚系の感覚が開発されてしまった。味の比較ができるようになったのだ。←もちろん、自分の好きな味をベースにしている。

デザインやアートについての好し悪しは、本来は非言語体系ノンバーバルなものを、経験から比較的簡単に評論できるのであるが、料理や味について、おいしい、おいしくないを表現するには、まだまだ料理系単語と、イメージの辞書が不足している。

そんなわけで、これまで縁遠かった、日本料理のデザインを是非とも通過しておきたい。

↓   ↓    ↓
※参考・引用:日本料理をデザインする。柳原一成より

◯まず、「味をデザインする」とはどのようなことなのか。「味よく、食べよく、姿よく」整えることが料理のデザインである。

◯これに日本ならではの「旬の勢い」「四季のうつろい」をさりげなくつつましやかに添えることによって、格調の、りんとしたたたずまいを伝えることができる。

◯さらに海外の料理はどちらかといえば立体的ではなく「寝ている料理」で盛り付けの要素が立っていない。一方、日本の料理は背をたかく立体的につんもりと立ち上がるように盛り、器も複雑である。

◯中国料理は、お玉で掬って盛り付けるものが多く、流れたかたちになる。ここ20年あまり諸外国も日本料理の立体感を取り入れて盛りつけるようになり、これは世界的な流行となっている。ところが、日本料理には一つ一つ立体的に組み立てていくものが多いのだ。

◯海外の料理は「油の料理」で、オリーブオイル、ヘッド、ラード、ココナッツオイル、ごま油などの素材で料理するのに対し、日本の料理は「水の料理」だ。日本は幸いにして、おいしい水を豊富にもった国である。

◯「水の文化圏」の料理である。水の文化圏とはどのようなことかといえば、和包丁で刺身や、野菜を切り、和包丁は焼きをいれてから水の中に入れます。刀鍛冶の映像などで、水の中で包丁が沸騰して、ぼこぼことなっているあれである。

◯ところが、中国の包丁は、ナタのようにおおいく、ヨーロッパの牛刀も、焼きを入れてから水ではなく、油にいれる。

◯水は沸騰しても100度までしかあがらないが、油は高温になり、焼きを入れた包丁をいれると油がジャーっと燃えるのである。油できたえるので、タメといって包丁は弾力的に「しなる」ように出来上がる。つまり、包丁のような調理道具からにて異なるわけである。

◯京都は、都でありながら水の美しいところであった。江戸は、残念ながら水には恵まれなかった。高級な料理などは、吸い物だし用の水だけは多摩川の水をもってきた「水売り」から買っていた。

◯日本は、調理からでるアクを取り除いていたが、中国料理はでは、油で処理して中和する技術をもっていた。「霜降る」とは、熱湯の中に入れて、霜がふったようにさっと表面だけを白くすることである。いきなり煮たりしないで、その表面のアクをとってしまう。「湯引く」という技術は、「霜降る」よりももっと早く、お湯の中をさっと通らせることである。「湯がく」は「茹でる」にちかい。

◯「湯ぶり」は、お湯のなかでただ通すのではなくて、振ることです。買いのむきみなどを中が生で表面だけさっと湯のなかで振るという細かい技術が日本料理の繊細さである。「煽る」に一番近いのは「湯ぶり」で、「煽る」と「湯ぶり」はほぼ同じ用語である。

◯世界のなかで一番おいしいだしが取れるのは日本だ。

◯フランス料理では骨を入れて髄からブイヨン、フォンをとるので時間がかかる。中国料理のタンも、豚骨などを長い間煮こんでだしをとる。なぜそのように長い時間を架けるかというとそれが、骨の髄からゆっくりとダシをとる方法だからだ。

◯日本の場合は水がよいので、昆布と削り節で短時間でダシをとることができるのである。昆布にの産地は北海道だ。昆布は大まかにわけて4種類の昆布がある。「日高昆布」「羅臼昆布」「利尻昆布」「真昆布」ただ、噴火湾でとれる「真昆布」は、佃煮やとろろ、おぼろなどの加工物に好まれる。

◯「味は塩でたつ」が基本である。塩梅がいいとは、まさに「味がたつ」場所。たとえばグラフで表すと、味のたつ場所は、すうっと広がって、すうっとしぼむ。片方が薄味で、片方が濃い味である。その中間のみんながほぼおいしいと感じるところをつかめるかどうかは「塩」にかかっている。

◯味が「立つ」ことが料理の決めてで、それは塩や醤油の使い方にある。ただ、塩は「もう少し入れてみようかな」と何度も入れているうちに、どこが本当の味がわからなくなる。せいぜい2、3回で決め、いつまでも少しずつ塩を入れてはいけません。

◯煮炊きをする技術者は位が高く、料理人になかで一番上から2番目にいる。一番上は花板、板長。二番目が、味をみる「煮方」。次が「焼き方」、一番下は追い回し。


きょうは、ここまで。。

※参考・引用:日本料理をデザインする。柳原一成より
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-12 18:24 | 情報とデザイン

インタラクションの思考法

f0084105_1230789.jpg昨夜は黒豚料理発祥の店『あぢもり』にて、老舗戦略ぽいことからはじまり、妄想までの言いたい放題は6時間を越し気がつけば深夜1時。

この手のモードは民俗学のエスノグラフィーぽくって、けっこう好きでもある。

ただ、あとの手を動かしてデザイン作業へのモードチェンジが少々面倒ではあるのだが・・。


★   ★   ★、

20世紀においては、科学技術がイノベーションを先導してきた。

しかし、21世紀には「デザイン戦略」がイノベーションを先導することになるだろうと、世界最大のデザインコンサルタント会社IDEOの社長ティム・ブラウンは語る。

「デザイン戦略」とは、消費者のニーズを探り出し、そのニーズを実現するプロダクトなりサービスを可能にする技術と組み合わせていくビジネス戦略を意味する。

まずは、1)観察対象に感情移入して経験を拡大し(2)一気に物事の本質を見抜き、(3)それを物語として語り、(4)プロトタイプを構築して検証し、(5)実際に人々に使ってもらいその有効性を検証するというプロセスそのものである。

たとえば、あなたが救急車で病院の緊急治療室に運ばれたとする。患者としてのあなたには、どのような経験がまっていりのだろうか。もしあなたが病院や医療機器をデザインする立場にあるとしたら、こうした患者としての経験は不可欠であろう。

「デザイン思考」をするのであれば、集中治療室での患者の経験を獲得すべく行動すべきである。そのような経験を獲得したならば、次にそれらの経験から得た知見をもとに、一気に物事の本質を見抜く。これはチャールズ・パースが「アブダクション」と呼んだ作業である。

つまり、個別の事象をもっとも適切に説明しうる仮説を提示することである。

デザインにおいての仮説とは、「コンセプト」である。

デザインしようとするモノ自体がどのようなものなのか、その具体的なイメージのことである。その仮説をもとに第三のステップである「物語」の構築に向う。

物語なので、人と場所とモノが必要になる。仮説として描かれたモノが実際に使われるシーン=物語をつくるのである。

その「物語」を構築したあとで、実際にそのデザインを「プロトタイプ」として制作し、現物化する。

そのプロトタイプを実際に人々につかってもらい、そこで利点や難点を新たに知り、改良を加える。その発見から得られた知見をもとにデザインしたもにゃ、サービスにさらなる改善を加えていく。


================

1:観察対象に感情移入して経験を拡大
2:一気に物事の本質を見抜き
3:それを物語として語り
4:実際に人々につかってもらい、その有効性を検証する。

===================

経験を獲得したならば、次にそれらの経験から得た知見をもとに、一気に物事の本質を見抜く。これがアブダクションでもあり

この一連のプロセスがデザイン思考なのである。
[PR]
by ogawakeiichi | 2011-01-11 12:27 | 情報とデザイン