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彩遊記

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スモールワールド

東日本での大震災以来、『偶然』とか『遭遇』という言葉が妙に気になっている。

これまでも大災害の報道があるたび、妙なことだが、なぜ自分が当事者ではなかったのだろうかと、天を仰ぎながら思うこともある。

インドネシア・スマトラ沖の地震では22万人、中国・四川省大地震では7万人が犠牲者となった。

四川省大地震は、たまたま少数民族の街をスケッチするため高山病に悩まされながら訪れたことがあった場所で起こった。

そのためか、犠牲者がはるかに多いスマトラ沖の地震に比べ四川省の地震のほうがより身近でより悲惨に感じられた。東日本の大震災はいうまでもない。

昨年中南米の島国ハイチで起きた大地震では死者30万人ともいわれているのに、日本ではすっかり忘れ去られている

話は一転するが、未来からやってくる偶然には、震災や交通事故の不条理もあるが、うれしい出来事もある。

学生時代、東京・目黒のアパートに住んでいた頃のことだ。

下の部屋に住む、当時早稲田の学生だったW君に誘われ、天体観測をした思い出を僕のブログにかいたことがある。

彼の名をブログに書くのは少々憚りながらではあったのだが、実はちょっと試してみたいことがあったのだ。

「6人たどれば、世界中のだれとでもつながる」という話を聞いたことはないだろうか。

ぼくらはいろんな機会に世界が意外と狭いことを経験してはいないだろうか。

偶然で複雑だと思われている世界も、観察してみると、じつは単純な法則で成り立っているのではないかという「スモールワールド」という仮説を試してみたくなったのだ。

この仮説によれば、世界人口の60億人は、たった6人の知人を通じてつながっているらしい。

つまり、知人の知人の知人の・・・知人には,オバマもエリザベス女王もいるし、石川遼も斎藤 佑樹も、携帯電話の白い犬までも誰かを介して繋がっているわけだ。

もちろん6人ではなく、もっと少なくなる場合もあるだろう。

多くの友人や知人をもつコネクター的な人や、繋がりたいという強い意志もった人であれば、すぐに繋がる場合もあるだろう。

もともと僕のブログ、公開はしてるものの普段は、だ~れも見ない。

偶然にブログを読んだ未知の人が、彼の情報をくれないかな程度の気持ちで書いたものだった。

学生時代の思い出をエントリーしてから実に一年後、「天体観測の好きなWさんと数年前まで一緒に働いていました」という書き込みがあった。

その一年後、ついに、とうとう本人からメールがあったのだ。

偶然と思われていることも、少しの意志でスモールワールドになりえることを感じた出来事だった。

もちろん上手くいくかどうかは天の采配だろけど・・。

今回の大災害でも、ネットを通じた偶然が織り成すスモールワールドで多くの人々か繋がったことだと思う。

↓ 以前のエントリー 記事ネタ元
複雑な世界、単純な法則
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by ogawakeiichi | 2011-04-30 18:47 | 南日本新聞コラム

朧月夜

きょうで311から49日。

個展も終わり、 ブツを縁あっての嫁ぎ先へ・・そこには、個展のテーマである原アジアの風景、原日本の風景。ふと、朧月を想う。。。たまたまだが、そこは中島美嘉の生まれたあたりでもある。


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by ogawakeiichi | 2011-04-24 11:01 | 只記録

パワスポいちき串木野

いちき串木野を、観察からストーリーをつくり、あれやこれやとVして、いじる。



歴史を振り返れば、本土最南端に位置する鹿児島は、地理的な特徴もあって、日本の窓口として古くからさかんに大陸との交流が行われてきた。

いまでは押しも押されぬ鹿児島ブランドとなったさつまいもや黒豚も大陸から沖縄経由でやってきた。

鑑真和上は5度目のチャレンジでやっと坊津へと着いた。

とりわけ日中の歴史ロマンをくすぐる人物もいる。

徐福(徐市)伝説って聞いたことがありますか?

それは、いまから約2200年前、中国は万里の長城を築いた秦の始皇帝の時代、不老長寿の薬草を求め、多くの童男童女、五穀の種、技術者を乗せ蓬莱の国を求めて船出しながらも、忽然といなくなった徐福にまつわる話である。

徐福は長い間中国でも伝説上の人物だった。しかし,近年、彼の生まれた村がみつかり,その村には現在も徐福の子孫が住んでいることがわかったのだ。

そもそも徐福(徐市)を実在の人物とすれば、一行はいったいどこへ行ってしまったのか?

彼の伝説は日本各地に存在するのだが、どこにたどり着き,どこに居住したのかは、だれも知らない。

これは日中の歴史家を悩ます東アジアの大きな謎でもあった。

ところが、どうやら徐福一行は、いちき串木野の照島海岸に上陸しているらしい・・・のだ!?

ロマンを膨らませば、照島海岸には始皇帝の秦王朝、秦から命名したかのような、『秦波止』という場所があるが、そこは、徐福が上陸した場所ではないか?

徐福は、またの名を“徐市”というが、いちき串木野の“市来”は市が来たに由来するのでは?との話さえある。

さらにもうひとつ、照島海岸に上陸した一行は、荘厳なパワーを秘めた山を見つけ、山頂で、天の神と対話する「封禅」という儀式をおこない、徐福が頭にかぶっていた冠をその山に収めたという。 それが、いちき串木野のシンボルにもなっている『霊峰冠岳』である。

ふむふむ。そこまで揃うと、そうなると、ぼぼ、徐福ロマンは、伝説から実在へと解き明かされた気分になってくる。

当時のハイテク頭脳集団徐福一行の思想や技術は、修験道や密教のなか流れこみ、受け継がれ、彼らのもつ技術は、串木野に金鉱脈があることも、地形を一見しただけで分かっていたのかも知れない。

現在、修行や信仰の山である冠岳には、日本で一番大きな徐福像が西の海に向かって立っている。最近、近くに温泉もできた。

周囲の九州新幹線全線開通の喧騒を離れ、静かなパワースポット巡りもよさそうである
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by ogawakeiichi | 2011-04-23 07:28 | 只記録

落とし所の妙

個展7日目。

うんうん、まあまあ。

どんな感じ?、

こんな感じ↓










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by ogawakeiichi | 2011-04-16 19:43 | 只記録

個展中日

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国難の最中、4年ぶりの個展。画廊オーナーから一年前に放たれた「個展やろう!」の言葉は、やってきた偶然の言説。

その言は必然化され今回の事態となった。

個展で自己の現在を表沙汰するということは、表の関係性のキワを攻めるもの。

閾値に背中合わせで評価というアルゴリズムが待ち構えている。

あえて行かなくてもよい『個展』という場へ摺り足で芹寄せる感覚は非日常に近い。

この感覚の究極が生死を掛けた境界世界なんだろうな。
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by ogawakeiichi | 2011-04-14 10:29

個展開催

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昨夜のオープニングをもって個展がはじまった。
個展にむけて制作まっさかりの中に3・11の国難。個展はまさに字の如く、個としての行為であるが、その個が内属する国家(類)にとって、のっぴきならない事態がおこった。今回の制作コンセプトはアジアンプロフィール『墨攻彩遊』。墨をもって迫り、色をもって出遊する。刻々と流れるニュースは筆先に変化をもたらしていった。
ホワイトギャラリー
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by ogawakeiichi | 2011-04-10 12:26 | 只記録

来るなら来てみろ。ON your mark

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ここ
鹿児島到来:日本時間5日夜9時。


さあ、来るなら来てみぃ!。 ON your mark
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by ogawakeiichi | 2011-04-05 09:01 | 只記録

カオスを越えて

東日本大地震のあと横浜国立大学大学院都市建築スクール(Y- GSA:Yokohama Graduate School of Architecture) と山本理顕が語り合ったこと。。

複雑系でいうカオスの縁を越えた日本は、カオスから秩序へと向うなかで新しいモノとコトの『デザインの方法』がより鮮明にされていくのだろうな。

以下、山本理顕と横国の建築を学ぶ学生との記録。



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「M1藤末の呼びかけで、昨日、Y-GSAスタジオに集まって、他の大学からの学生も含めて7〜80人位の人たちと話をした。何か今できることをしたい、というみんなの焦がれるような思いがスタジオの中に充満していた。言葉に出してもその思いは到底伝えきれない。だからとても静かだったけど、それぞれの人たちはそれぞれに十分に沸騰しているようだった。今、何ができるのか。話し合ったことを私なりの解釈と共に簡潔に言う。

①今の日本の統治システム・生活システムの全面改革
今回、最大被害を受けた東北三陸海岸からいわき市から九十九里あたりまでのちょうど真ん中に福島原発がある。この福島原発が東電の電力供給の心臓部である。原発は安全だと言い張ってきたくせに東京から200㎞も離れた場所につくって、これほどの事故でも放射能の被害を受けない距離がしっかり保たれている。私たちはその福島原発から電力供給を受けてふんだんに電力を消費するような生活をしてきたわけである。こうした供給環境と消費環境との関係を変える必要がある。そのためには従来のインフラとそのインフラに支えられている生活施設という考え方そのものを変える必要があるはずなのである。インフラの整備は統治の根幹である。そして生活施設は私たちの日常生活の根幹である。それを変える。という最も原則的な問題が根底にある。

②地域社会の復興
災害復興は単に住宅建築の復興ではない。壊されてしまった地域社会の復興である。津波で流されてしまった住宅には映像で見る限り、プレハブ住宅が多く含まれている。つまり多くの人は「1住宅=1家族」を自分たちの責任で完成させて自分たちで守って、それを中心に生活してきたのである。自分たちで誰の援助も受けずに生活してきた人たちが最大の被害者になったのである。国家の原発に対する資金援助は莫大である。それに対してこうした生活者に対してどれだけのことをしてきたのか。ほとんど何もしてこなかったに等しい。こんな大災害に「1住宅=1家族」は全く無力である。今の行政システムが無力なのである。復興計画は「地域社会圏」をつくることだと思う。かつてここにあった地域社会と同じくらい強くて、もっと自由な地域社会である。それをつくる。その計画こそ私たち建築家の役割である。

③仮設住宅
仮設住宅といっても、これから3年4年、その仮設住宅に住まなくてはならない。もはや単なる仮住まいではない。単に「仮設住宅群」をつくるのではなくて、生活のための「街」をつくる。「地域社会圏」をつくる。今までY-GSA生と話をしてきたことを実現するようにつくる。

・住宅は向かい合うように配置する。

・玄関は透明ガラスにする。

・誰でもお店を開けるようにする。(うどん屋さん、修理屋さん、電気屋さん、喫茶店、居酒屋等々)これは透明な玄関と関係する。

・小さな公共施設(高齢者、子供、障碍者のための施設)とコンビニを一体化させる。ボランティア事務所を兼ねる。

・エネルギー源を同時につくる。コジェネ、ソーラーエネルギー、バイオガス、小さな水力、風力発電。その熱源を使った銭湯。ランドリー。

・「地域社会圏」の中の電動軽車両、今、日産自動車、山中さんと一緒に考えているようなものだけど、ものや人を運べるようなアシスト付き(アシスト付きじゃなくてもいい)三輪自転車がいいと思う。

もっと他にもいろいろアイデアはあると思うけど、単に仮設住宅群ではない、生活のための場所だということが重要である。

④私たち自身の生活習慣
隣の人と挨拶するような生活が日常の中にあるからこそ、彼らはこれほどの災害のあとを見事にしのいでいるように見える。国家は手をこまねいている。これほどの非常事態にあって、国民に語りかける言葉をメモを見ながらじゃないとしゃべれない、そういう日本の指導者の姿が今の国家行政を象徴している。培ってきた地域社会の力がそれを救っているのである。私たち自身の日常を変える。遠くのインフラでつくられたエネルギーを浪費するような日常の生活を見直す。

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by ogawakeiichi | 2011-04-03 05:36 | 只記録

思うこと

巨大地震と巨大津波、そして原発事故が起こってから3週間がたった。
 
突然やってきた不条理な国難に、気がつけばテレビの前で固まって動けなくなっていた。頭の中を妄想があれやこれやと駆け巡り、熱っぽい体調が続いた。
 
振り返ればこんな気分は過去にもあった。
 
他国での出来事であり、多くの日本人の記憶から忘れ去られていると思うが、2003年、中国南部で発生した新型肺炎(SARS)が大陸で猛威を振るったときの事だ。
 
新型肺炎が世界中を震撼させたとき、その発生源にごくごく近い華南の桂林で暮らしていた。感染拡大を防ぐため、交通機関はストップ。もちろん日本と中国を結ぶ航空機も止まった。ひたひたと忍びよる新型肺炎への不安感。
 
仕事先の学校内での軟禁生活を余儀なくされたが、そんな中、中国人同僚たちや、学校というコミュニティーが支えになった。
 
異国ではあったものの、新型肺炎騒動を真っただ中で経験したのに対し、おなじ日本国内とはいえ、ふと我にかえればお茶を片手に唖然とテレビを見ている傍観者の自分がいる。
 
どうしようもない、このふわふわした感じに対する罪悪感の中で、テレビの画面やインターネットからくるりと背を向けると周囲の世界は淡々といつものように動いている。
 
情報から背を向けたところにある日常と、一方では日本という国土が限られた人々に럀委랙ゆだ랈ねられている祈るような現実との間で、感情のバランスがうまくとれなくなっているのかもしれない。
 
北京で暮らす娘には、中国の友人たちが日本へのお見舞いや、わが家の消息を尋ねる電話、メールが相次いでいるらしい。

大学が集まる地域では災害後すぐに、日本への義援金の活動が始まったという。
 
ぼくの中国の友人は原発の1件に慌てふためき、受け入れの準備はできていますと電話をよこした。

どうやら海外での報道は日本の報道より深刻らしい。
 
鹿児島市内で留学生寮の世話役をする息子は、母国から帰国勧告を受けたヨーロッパからの留学生が、冷蔵庫の中もそのままにして帰国したと、ぼやいていた。
 
翻って中国での新型肺炎騒動のときも、危機管理の面から中国在住外国人の多くが帰国勧告を受けて母国へ帰った。海外からみると鹿児島も東日本も日本には違いないのだが…。
 
中国や英文のサイトをのぞいてみると、ショッキングな写真や慟哭なしではいられない写真が並び、真実ともデマともつかぬ深刻な内容が掲載されている。
 
これらの記事が風評被害を生むのか、それとも隠匿被害から逃れられるのかは、ぼくにはわからない。
 
ただ、人間の一生で、大災害や事故などの不条理は、常に不確実の海を漂い、不確実な不条理は遥か昔から途切れることなく続いてきたのだ。ぼくらはこの不条理に耐え忍び、前へ進むしかないのだろう。
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by ogawakeiichi | 2011-04-02 08:21 | 南日本新聞コラム