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彩遊記

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サブリミナル・インパクト

f0084105_9482283.jpg最近はフェイスブックや、ツイッターで記録することが多くなり、このブログとは長いあいだ、ご無沙汰していた。

FBも、ツイッターも、ブログも散々にいじり倒したおかげで、それぞれのしつらえ、ふるまい方がなんとなくだが、わかってきた気分ではある。

なかでも、FBの友達やフォロワーを不特定大多数にまで増やす方法に限って言えば、、それに秀でた皆様方のやりかたを観察すれば、ふむふむなるほど・・になってくる。

容易いネットワークづくりのやりかたは、インチキブランドづくりの過程にも似ている。←あくまで方法論が似ているということです。

はじめは情報をなるべく伏せて繋がりを構築し、一定の人数までいったのちオープンにして、そこへ絶え間なくメッセージを投げかける。

そのメッセージは私たちの潜在脳に働きかけて、選択や意思決定にまで影を落としていく。

しかし、それは自覚にない。そのわけは、人間の意識下にある情動・認知系への介入は、意識レベルでは認識されないからなのだ。

コカ・コーラはあらかじめブランド名を知って飲むと脳のある部分が活動するのに、ペプシだとさほど反応しない。

ペプシは脳科学的にもブランド戦略に失敗している――そんな衝撃の研究が発表されたのは04年。

人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ。何かを好きだから見る(選ぶ)のではなく、見る(選ぶ)からそれが好きなのだ。

人間の感情は、潜在的な情報処理が優先するかたちで発現するのであって、それが自覚(意識)されるのは、常に全てが起った後のことである。

あるいは、各種の情動はまったく自覚されることなくサブリミナルなまま私たちの生活を規定しているのであり、私たちは自己意志により各種の物事を決定しているようなつもりでいるが、実はほとんどのことを無自覚な情動に導かれるかたちで行っているのである。

こうした事実について認識しておくことは、音楽・映像文化の著しい発達や広告産業の激化が進展している現代においては、ますます重要になっている。

意識されない情動の領域に働きかけることで「快/不快」が生じることがわかっている以上、企業はそれに応じた巧みな広告活動や商品開発を実施する。

政治もまた刷り込みめいたイメージ戦略を駆使してくる。情報技術の進化により空前の「自由」を獲得しつつ、私たちは同時に他者の思惑通りに動かされやすくなっているという現状を、しっかりと自覚しなければならない

アマゾン読者書評より参考、引用あり
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by ogawakeiichi | 2011-07-25 09:50 | サイエンス

記録

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7月5日北京

弟子が、清華大学・美術学部テキスタイル科

正確な中国語では『清華大学美術学院・染織服装系』を

日本人として初の卒業。

うんうん、師匠としてはちょいうれし。

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by ogawakeiichi | 2011-07-05 21:53 | 只記録

北京の胎動

いつもはムッとする暑さか、凍えるような寒さ、もしくはスモッグに煙る街並みの印象しかない北京だが、夕闇迫る空港に降り立つと、日本の熱気とは違い、ほどよい風が吹いていた。

中心地へ向かう夜の高速から見る1年半ぶりの風景は、以前よく目にした建築中の建物の上部にのったクレーンの赤ランプはめっきり減って、ネオンと規則正しい白色の光がきらめいていた。

リムジンバスを降り、タクシーを探すのだが、なかなかつかまらない。やっと見つけたかと思えば、行き先を言ったとたんに乗車拒否。まるでバブルの頃の日本の夜の繁華街だ。仕方なしに大きなスーツケースを引っ張って路線バスで移動することにした。

乗り合わせたバスは、中国らしいペチャクチャししゃべる会話も聞こえず、心なしかおとなしい若者たちでほぼ満員だ。ざっと見て半数以上が、片手で携帯電話を操作しながら、耳にはイヤホンをしている。

大きな荷物をもった私の姿を見るとスペースを空けてくれた。やさしさに触れた感謝と同時に、喧騒の中、10年近く暮らした中国での生活で刻まれた私の記憶にある『中国らしさ』が消えていく、一抹の寂しさも脳裏を横切った。

バスを降り、遅い晩ご飯を食べに食堂街へ向かうと、独特の喧騒と香辛料の匂いが漂う。「ああ、中国!」と感じる瞬間だ。  私にとってはどうやら、目にうつる光景よりも、街に漂う音や匂いのほうが、脳裏に刻まれた面影が動き出すらしい。

翌日は北京には珍しく快晴だった。まず、中国の一流デザイナーを輩出してきた清華大学美術学院を訪ねた。

学院の周りには、伝統的な彫刻と現代アートが併存し、実習室には日本製の最新機器とともに、中国伝統工法の道具が並列していた。関係者に話を聞くと、海外からの視察団は一様に驚くという。

高度成長の真っただ中で、輝かしい未来を志向しながら、歴史への敬意を同時に育んでいるのだろう。

創立百年を迎えたばかりの大学は、美しい緑と歴史的な建造物とモダンな校舎が並立している観光名所でもあった

次に、天安門の近くの展覧館へ向かう。ここでは日本の大御所デザイナーが展示会をしているのだ。そこに足を運ぶ中国の人たちを見てみたかった。

会場の真っ白な壁面にはシンプルなデザインのポスター。フロアには新素材で構成した多様な人と人とをつなぐデザインが展示されている。日本デザインの特徴でもある余白の美や、見せ方や関係性の美だ。
会場は、およそ九割が、二十歳前後の学生と思われるうら若き女性たちだが、その半数以上がノートを片手にメモをとりながながら見ていた。

「もの」のデザインと同様に、人と「もの」や、人と人との関係をつくる「こと」のデザインへ動きだしている日本のデザインにも注目があつまっていた。その光景を見ながら、中国の次のデザイン世代の胎動を感じながら、北京をあとにした。
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by ogawakeiichi | 2011-07-02 10:15 | 只記録