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彩遊記

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メモ:新しい日本の創造1

メモ:新しい日本の創造M‐1

○日本が失った記憶、文化、スピリッツはなかなか再生できない。

○しかし、本来日本はそういうものを万葉の時代から歌ってきた。

○英語でぴったりとした単語はないのだが、しいていえばメランコリーか?

○たとえば、それは「うつつ」だ。「うつつ」は「うつろう」に変化する。そのおおもとには「うつ」(空っぽ)がある。

○日本は一つではない、一途で多様な日本なのだ。

○面影日本。ルーツ オブ ジャパンというものがあり、ジャパンマザーという埋めこまれたものその中に今の事態がのっかっている。

○ジョン・ダワーは「私たちが語れねばならないのは日本文化たちである。日本文化たち」と語り彼は、JAPANSという複数形で日本を表現した。

○わたしたちは、本来たくさんの「日本たち」を語らねばならないのだ。

○たとえば天皇と将軍。地方と中央。これらはともに自立していた。

○マネージメントも大切だけどイメージメントも大切だ。そのふたつを一緒にやらねばならない

○マトリックス オブ ジャパン。ジャパン マザーをつくる。それならどんなキーワードが出てきても問題は解決する。

○西洋世界はそのことをやってきた。いまグローバルスタンダードといわれているものはベネチア、ジェノバが世界というものを知っていった大航海時代。それが複式簿記を産んで貸方、借方が生まれ、一度アントワープへ移り、東インド会社をつくり、アムステルダムからロンドンへうつり、そこではじめてコンメンダ、コンパンダといわれるものがカンパニーとなり現在の金融を中心とした世界のモデルができていった。

○たくさんのコーヒーハウスができて、その中からロイドができてロイズコーヒーをつくって保険というものもつくり、たとえば、エクイティーという言葉が全部の歴史を呑み込んだ

○わたしたちは、現在それらを英語で、あるいは翻訳して使っているに過ぎない。

○日本人は日本文化の中に潜んだものを世界に発信する努力がたりない。

○日本は特殊だというものの、堺や福原や太宰府やヤマトや藤原4代がつくりあげたあるコンセプトを世界へ広げる努力をしていない。

○日本がやってきた「マトリックス オブ ジャパン」を、日本知、アジア知、世界知というコードをつかって組み立てることが必要だ。

○わたしたちの奥にあるものを取り出すと別のものと出会う。たとえば携帯ストラップというものを取り出すと、かつての「ねつけ」と出会いレゾナントがはじまる。

○たとえばミノリとイノリもそうである。ふたつはペアであるべきた。

○今日のTPPの問題はミノリからイノリが欠けている。本来、お米はミノリとイノリが一緒だったはずなのに・・・。
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by ogawakeiichi | 2011-11-10 12:45 | 只記録

「黄興」

中国の都市には必ずといっていいほど、中心街には「中山路」という大通りがある。この名称は「中国革命の父」と呼ばれる孫文の別名、孫中山に由来する。彼は20世紀初頭、それまで中国を支配していた清王朝の衰退を憂い、辛亥革命を起こし、新たな国家の建設に立ち上がった人物だ。 
                                        
中国では孫文というより孫中山という呼び名のほうが一般的だ。日本に亡命していた時期に、「中山」という日本の苗字が気に入り自分のことを孫中山と名乗ったらしい。孫文は多くの人を惹きつける魅力のある人物だった。革命や亡命の資金は熊本の士族である宮崎滔天、長崎の梅屋庄吉(日活の創始者)など九州にゆかりのある人々が援助していた。

今年はその孫文が辛亥革命を成し遂げて100周年にあたる。ジャッキー・チェンが孫文の同志「黄興」を演じる映画「1911」の映画も公開された。余談だが、「黄興」が孫文の片腕となって辛亥革命を成し遂げたのも、宮崎滔天がふたりの仲をとりもったからだ。歴史に「もしもはないが、九州人によるふたりの引き合わせがなければ辛亥革命は成功しなかったかもしれない。

先日開かれた「日中友好を語る鹿児島シンポジウム」のパネルディスカッションでは、作家の石川好氏の巧みな紡ぎで、県知事、鹿児島市長、JR九州社長、長沙副市長、北京・精華大学の先生らにより「黄興」のこと、東シナ海を巡る未来のことなどが語られた。

実は「黄興」は、ここ鹿児島と深い縁があった。「黄興」は鹿児島市の姉妹都市である湖南省長沙に生まれ、亡命期も含め5年半を日本で過ごす。一九〇九年には盟友である宮崎滔天とともに、鹿児島を訪れ、南洲墓地を参詣している。彼は「中国の西郷隆盛」を自認するほど、熱烈な西郷のファンだった。

鹿児島市日中友好協会の海江田順三郎は「鹿児島市と長沙市が友好都市を締結した後、たまたま黄興もまた、長沙の出身だということがわかった。きっと見えない縁で結ばれていたのでしょう」と話していた。シンポジウムのあと、眼前に桜島がどんと腰をおろす風光明媚な南洲墓地を訪ねてみた。

鳥居をくぐると、右手に鹿児島市と湖南省長沙市の友好都市締結25周年を記念して碑が建ち、黄興が西郷の墓前で詠んだ詩が陶板に焼かれていた。

東シナ海をとりまく交通のインフラの発展は、めざましい。鹿児島―上海の航空便は週4便。九州新幹線全線開通。福岡と釜山の間には高速艇が行き交い、釜山からソウルへは高速列車が2時間半で結ぶ。インフラも整備されたいま、明治の末期アジアを舞台に活躍した先人たちに学び、東シナ海を巡る沿海地域と歩調をあわせ、その経験を中央へ繋げていく時代が来たのかもしれない。朝のワイドショーでは相変わらすTPP参加の是非で揺れていた。
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by ogawakeiichi | 2011-11-10 12:39 | 南日本新聞コラム

空の思想史3

・・・・前回からつづく

ヒンドゥ哲学から仏教が出てきて発展していったインド思想の前半は、龍樹(ナーガルジュナ)に始まる空の思想で、それを「中観」という。

龍樹(ナーガルジュナ)までは【空】と【縁起】は別々の流れとして伝えられてきた。

龍樹(ナーガルジュナ)の中観思想は、「空」と「縁起」の思想を同時化して結びつけた。これが独創的だった。
 
「空」は、サンスクリット語の形容詞「シューニヤ」と抽象名詞「シューニヤター」の合成的な訳語である。漢訳では「空性」(くうしょう)と訳されることも多い。

シューニヤとは「あるもの(x)において、あるもの(y)が存在しない」を意味する。
それゆえ シューニヤという言葉は一般に「yはxに関して空である」とか「yにxが欠けている」「xがyにない」というふうに使われる。つまり「空」とは、いったんは「xがyにない」ということになる。

一方、「縁起」とは、「xはyに依っている」と言う意味をあらわしている。「xはyの原因にあたる」という意味をいう。

では【空】と【縁起】はどのようにxとyの関係をあらわすことになるのだろうか。【縁起】しあっているxとyが、互いに【空】ているとはどういうことか。


龍樹(ナーガルジュナ)の『中論』ではざっと結論をいうのなら、龍樹(ナーガルジュナ)はxとyの空の在り方も、xとyの縁起の有り方も、実は言葉の過信を捨ててかからないかぎりは議論できないと言っているのだ。←これって、どういうこっちゃ??。

つまり、【空】を感じるにはその【空】をめぐる言葉を捨てながら進むしかなく、そのときなお、仮の言葉の意味を捨てながらも辛うじて残響しあう互いの【縁起】だけに注目すれば、本来の「空」を感じる境地になるだろうと説いたのだ。

これは、仏教思想において初めて言語の虚飾を払った哲学として特筆される試みだった。

龍樹(ナーガルジュナ)の中観とは「空の思想」であって、「言葉を空じる試み」であったわけである。


おわり

参考:千夜千冊
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0846.html
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by ogawakeiichi | 2011-11-07 14:29 | アジア史&思想