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彩遊記

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声字実相義:解読ノート

f0084105_12121148.jpg世の中に本は幾万冊あるのだろう。しかし、その大半が読みたくても読めないもばかり。それをなんとかしょうとする“方法へのチャレンジ”の記録。

まず、俎上にあげたのは【声字実相義】。どうせなら、まったく意味のわからないこの本は好材料だ。くわえて“男だったら一度は通過したい空海”。←司馬遼太郎のことば。

読み解きの導師は、高橋秀元氏。杉浦康平とならぶ図像学の大家。氏のナビゲートで未知の世界、見えないもの、読めないもに食らいついていく。その過程をメモ書き程度に記録していく。たぶん半年かな・・





●未知には3種類の未知がある。まずはだれもがしっているが自分が知らないことだ。実はこの解決はごく簡単で、たとえば辞書を引くなど、その知らないことを注釈してある辞書や情報を探しあてればそれて良い。

2番目は、世界像の違いからくる未知。この場合書物を読んでも世界像を把握しようと思わない限りそれを知ることはできない。たとえば、中国や北朝鮮に対しての世界像の違い。あなたの論理はこうですけど、私たちの論理ではこのあたりにありますと、どこかでマッチングさせる必要がある。

時代の違いにもある。たとえば平安時代と現代とでは分類体系が異なる、さすれば我々がワープしてその世界に入り込み、現代社会とマッチングさせてあげる必要があるのだ。←このあたりコミュニケーション論になってくるので、また後日。空海のコミュニケーションって、こりゃあ、身体性の極だな。。

3番目には、根本的不明。明治期、西周が英文を漢字にしたときなにかが混ざった。翻訳した瞬間に世界像の相違が立ち上げってくる。INFORMとは、なにかが現れようとしている瞬間である。INFOMATIONとは、ある状態で誰かに伝えること。

●まず、不明な言葉がでてきたら、どこかに置いておこう。未知なものはすこしずつ解いていこう。未知なるものをなんとかしよう。わからないから面白い。←そうそう。わかったものなんか、ど^でもいいや。。

読む前に既知化しない。予習は誰かが知っていたことを、オーム返しのようにするだけだ。復習は自分がわからなかった箇所を3つの未知のどれにあたるかを突き止めることである。

誤読の勧め。自分が調子のいい状態にもっていくため誤読なんてきにするな。道元の正法眼蔵なんで、誤訳ばかり。それでもそちらの方がすばらしい場合だってある。音読することで生まれる意識がある。そこに立ち上がるイメージが大切。←これってデザイン思考とも共通するよな。。

音読をしているときに調子がよければよい。黙読法は理解とともに進むが、音読は理解なくしてイメージを引き出して読むことができる方法なのだ。

さてさていよいよ本題の【声字実相義】を読みといていく。



●声字実相義は【叙意】にはじまる。【叙意】とはさわりの部分のことで、つぎの【釈名体義】とは先人の言説をつかって本質を追求すること。

●我々日本人にとってアジア(中国・韓国・日本)を見る方法を考えた時、忘れてはならないことがある。それは【経】という見立て。

●アジアで書かれた本は【経】【論】【義】【疏】の姿をとる。本の内容の全体を【経】といい、それはイデオロギー、フィロソフィーであり人々の規範となった。

●その内容のアプローチのしかたに【論】【義】【疏】がある。【論】とは筋道をたてて解釈すること。さらに論を比較して考え意見を検討して解を導くことを【義】といいい。推測して注釈することを【疏】という。あわせて【経】【論】【義】【疏】

●このスタイルをとった最初の本が、『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)。

●『三経義疏』(さんぎょうぎしょ)とは、聖徳太子によって著されたとされる『法華義疏』(伝 推古天皇23年(615年))・『勝鬘経義疏』(伝 推古天皇19年(611年))・『維摩経義疏』(伝 推古天皇21年(613年))の総称。

●ところで現実とはなんだろう。空海に言わせると、それは【見える。聞こえる。触れる】ことである。

●ちょっと思考実験をやってみよう。たとえば、現実界において目の前に鉛筆があるとする。その鉛筆から色を取り去り、匂いを取り去り、質量を取り去っていくと何が残るか?そこから、質量、色、形などを引いていくとなにも残らない。それが空である。この現実から空へのアプローチを【顕教】という。

●われわれの眼にみえる世界に対し、見えない多くの世界がある。たとえば紫外線や赤外線。その見えない実相から、現実へアプローチしていくのが【密教】。そこに神を介在させると神秘主義となる。

●神秘主義とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする立場のこと。

●声(音声)である響き。字(模様)である光。声や字が発せられると最後はどうなっていくのだろう。空海の密教的立場でいえば、声は永遠に響き合う。これを声常住という。マン(思考)トラ(器)ともいう。インド哲学のヴェーダでは“声は常住なれ”と呼んだ・顕教的立場でいえば、声すなわち言語は、知らせる機能だとした。


と、まあ、そんなとこで・・つづく。
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by ogawakeiichi | 2011-12-22 12:13 | アジア史&思想

隼人の古代史

f0084105_14313780.jpg東京に住む中高時代剣道部だった友人が鹿児島へ立ちより、いま隼人を追いかけていると話していた。

鹿児島出身なら一度は追いかけねばならないテーマなのかもしれない。

ところで、よくわからないまま使っている言葉に、鹿児島人の代名詞のようになった【熊襲】と【隼人】ある。

はたして【熊襲】と【隼人】とはなんであろう。

古代南九州には熊襲、あるいは隼人と呼ばれる人々が暮らしていた。彼らは【古事記】や【日本書紀】にも登場し、古くから知られていたが、「熊襲」と「隼人」の区別や、当時ヤマトと呼ばれた中央政権とどのような関係だったのか、記述しておきたい。

さて、さて、熊襲と隼人の学説的な違いの説明なのだが、いまだこれといった説はない。

ただ、記紀には隼人より先に熊襲が登場するため、時代の前後からいえばどうも、熊襲が先で、遅れて隼人という言葉が使いだされた。

先日、訪れた隼人塚史跡館の展示室では、熊襲を球磨と曽於を合わせた地域とし、隼人を薩摩と宮崎の日向をあわせた日向が隼人の住む地域としていた。

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肥後国球磨郡(くまぐん。現熊本県人吉市周辺。球磨川上流域)から大隅国贈於郡(そおぐん。現鹿児島県霧島市周辺。現在の曽於市、曽於郡とは領域を異にする)に居住した部族であり、ヤマト王権への臣従後は、「隼人」として仕えたと言うのが現在の通説である(津田左右)。
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なお、隼人の古代史を書いた隼人研究家の中村明蔵は、球磨地方と贈於地方の考古学的異質性から、熊襲の本拠は、都城地方や贈於地方のみであり、「クマ」は勇猛さを意味する美称であるとの説を唱えている。

津田左右説と中村説の違いは、熊襲が分布していた地域について、熊本県の球磨を含めないというとことであろう。

それではつぎに、隼人だが、ところで隼人という呼称はどこからきたのであろうか。

これには地名からとったとする地名説と、隼の名前からくる性行説がある。

この議論は江戸時代の本居宣長から盛んになり宣長は、隼人の名義をその敏捷性にあるとした。(性行説)しかし歴史学者、喜田貞吉は、古代の異族を呼ぶのにその挙動をもって名とする例はないとし隼人は【はや】の人であるとした。(地名説)


ハヤトが史上にその具体的な姿をあらわすのは、天武11年日本書紀に大隅隼人と阿多隼人と、朝廷に相撲をとるとの記述からだ。

つまり隼人は薩摩、大隅以外にも、今の奈良県にも住んでいた。これを畿内ハヤトとよび、奈良県の五條市阿田。京都府も京田辺などにもその痕跡がある。

この理由は大隅の隼人族の大隅直一族が、5世紀からヤマト朝廷と天皇の后となるなどの親和策をとり近習隼人といわれ身辺の諸用をつとめたからだ。

なかでも、忠義を尽くした例として、5世紀末には雄略天皇を陵墓に葬るさい、7日間食事もとらず泣き叫び、死んでしまった話しがある。

この哀号に「オラブ」とつけた。

いまも南九州では、泣き叫ぶことを「オラブ」というのはそのためなのだ。
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by ogawakeiichi | 2011-12-06 14:32 | 日本史&思想

弥勒菩薩

はじめて韓国・ソウルを訪れたとき、私の眼に焼き付いたものがあった。  

国立中央博物館にある弥勒菩薩像だ。

特別展示室には、淡い光の中、片足を曲げてもう一方の足の上にのせた半跏の姿勢で、手の指を頬に当てて考えを巡らす思惟のポーズをとった半跏思惟(はんかしい)と呼ばれる姿があった。

選びぬかれた気品漂うこの大韓民国・国宝を、美大生とおぼしき二人の女性が、とり憑かれたかのように、じっと見つめていた。   

静粛が漂う薄らあかりのなか「アルカイク・スマイル」とよばれている表情の美に魅了されていたのかもしれない。

ひるがえって、京都にある最古の寺院、広隆寺には、ソウルにある弥勒菩薩とほとんどおなじ姿をした日本の国宝第一号でもある弥勒菩薩像がある。

奈良時代、朝鮮半島から海峡を越えてきた仏師が日本でつくったものなのか、もしくは、韓国から持ち込まれたものなのかはわからない。

弥勒菩薩は、仏陀入滅後、56億7千万年後、人々を救うため末法の世に降りてくると言われている。

一方、朝鮮半島にあった新羅の、イケメン軍団「花郎(ファラン)」は、弥勒を信仰することで、弥勒の住む世界へ往生できると信じていた。

弥勒菩薩は様々に表情を変え、沖縄ではミルク神とよばれ、中国では布袋様にもなった。

その起源をたどれば、古代インドの「マイトレーヤ」。そのまた先には、中央アジアにはじまった「ミトラ神」だという説までたどり着く。

ミトラ、マイトレーヤ、ミロク。なんとなく発音が似ている。

アジアの地図を九〇度時計回りにすると、日本は一番下に位置するパチンコ台の受け皿のようだ。    

古来よりユーラシア大陸の文物はシルクロードから、東シナ海を渡って、私たちの住む日本列島に流れ込んだ。

在来の神様と、海を越えてやってきた神様が融合してきた。

身近な例では、薩摩半島の南西に位置する野間岳の山頂には、かって中国生まれの「娘媽(ろうま)神」よばれる航海の神様と、在来の日本の神様が祀られていた。

大陸を出た船は、まず野間岳を目指してきたという。きっと、野間岳のノマは「娘媽(ろうま)」からきたのかも知れない。

日本は明治維新以降、西洋文明を享受して物質文明を謳歌してきた。

しかしそれは3.11の大震災以来、どうも、行き詰まりを見せている。
現在、日本もアジアも世界までもが歴史的な転換点にさしかかっている。

悠久の歴史という時間のなかで醸造されてきた日本の感受性を取り戻すべく、私たちはアジアの

深層を流れてきた何かから学び直してもいいのかも知れない。

弥勒菩薩や娘媽などの神様が共有した東シナ海の道、千年を越えて携えてきた時の流れに、この国の未来へのヒントかあるのではないかと、そんな気がする。

野間岳の山頂にのぼってみると、神様たちの面影はなかったが、東シナ海を航行する大小多くの船が眼下にみえた。
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by ogawakeiichi | 2011-12-03 21:49 | 南日本新聞コラム