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彩遊記

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「和」の身体作法

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ご近所の娘の同級生が弓道日本一になった。その勢いで先週パリで行われた世界弓道選手権で世界一に輝いた。母親の話では、指導者なしで一人で練習しているらしいが、弓道は奥が深い深いといいながら明けても暮れても弓をひいていたらしい。

『日本の弓術』を書いた大正時代、日本に滞在していたオイゲン・ヘリゲルは、弓聖“阿波研造”から弓の稽古に呼吸を指摘され、丹田呼吸を教えられる。

丹田呼吸とは呼吸によって力の中心を「重心」、すなわち核コアの位置に重心を下げ、力の中心と体の重心を一致させる。世阿弥はそれを「万能を一心にてつなぐ」と云った。なおここでの“心”とは「芯(コア)」のことだ。

身体をあらわす和語には「からだ」と「み」がある。からだは「殻」であり、空である。筋肉でいえば表層筋。わたしたちが日ごろ意識している筋肉になる。ところが表層の奥には、深層の身体が隠れている。その深層の身体が「み」である。

「から」の中に詰まっているもの、それが「み」なのだ。その「み」が充ちた状態を「充実」という。

体幹トレーニングやコアトレーニングという言葉が、周囲で妙に流行っている。体幹を追い詰めていくと、その本来は“深層筋”であって深層筋の代表は上半身と下半身を結ぶ重要な役割ももっている“大腰筋”だ。大腰筋と呼吸には和の身体作法が詰まっている。

さて、アリーナのトレーニングルームへ出遊!
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by ogawakeiichi | 2014-07-29 11:25 | 身体性

複雑さとともに暮らす

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『誰のためのデザイン』を書いたD・Aノーマンの著書『複雑さとともに暮らす』を手にした。

『誰のためのデザイン』は人間中心設計のアプローチを提示し、ヒューマン・インターフェイスやユーザビリティに多大な影響を与えたデザイナー必読書。

認知学の領域であるアフォーダンスをデザインに取り取り入れたそれはそれは新鮮な書物でもあった。しかしギブソン認知学を取りいれて新鮮ではあるものの、なんとなく、しっくりこなかったことも事実だ。

それはさておき、多くの人々が、アジア人は欧米人より複雑なモノを好むように見えるらしい。たとえばアジアのウェッブサイトが欧米に比べ簡素化されていないことなどにそれを感じるらしいのだが、しかし、この見方は違う。複雑さは文化ではなくタスクに依存する。世界中どこであれ複雑さは生活の現実なのだ。

つまり複雑さは日常生活の一部であり、ズバッといえば『複雑さ』より『分かりにくさ』が問題なのであって、本来、複雑と分かりにくさは区別していかねばならない。

『複雑さ』という言葉は、世界の状態をあらわす言葉で、『分かりにくい』という言葉は心の状態を表す。

複雑になるのが避けられない場合でもタスクの複雑さを反映したものであればそれは許容でき、理解でき、学習できるが、恣意的な悪いデザインの場合には精神的な苦痛以外のなにものでもない。

我々は読み書き、楽器演奏、車の運転を学ぶのに複雑だからといって嫌いになるのだろうか。不可解な機能を学ぶことは嫌であるが、難しさや複雑さがタスクに見合ったものなら学ぶのに数週間ないし数年をよろこんで費やす。

今日熟練したエキスパートの動きを研究した経験則では、世界レベルに達するには一万時間の周到な訓練が必要とされている。だれもがすべてに関し、この領域に到達しようと思ってないのは幸いだ(笑

複雑さは扱いやすくすることができるが、それをうまくやるにはもちろん相当な努力が必要である。解決策は全体のシステムを理解すること。

そんな複雑さとデザイナーはどう付き合えばよいのか?

デザイナー側に要求されるのは、複雑そうな道具をタスクにあった理解しやすい、使いやすい、楽しいものに変えることなのだ。

簡単なことというのは複雑さの対極にあるのではない。

複雑さは実世界の事実であり、簡単さは心のなかにある。複雑さは必要であることが多い。複雑であっても分かりにくくならないようにするのがデザインの課題なのだ。

ここから僕的にちょいと重要なことを書いていく。

じつは『誰のためのデザイン?』以来、ノーマンには二つの変化が現れたのだ。

その一つは『簡素(シンプル)』に対する考え方、二つ目は、従来のアフォーダンスを置き換えた『シグニファイヤ』という概念である。

まず一つ目の『簡素(シンプル)』だが、シンプルの背後には複雑なタスクが待ち構えている。

しかしそのタスク自体に億劫な心理的影響を与えないだけの愉しさをデザイナーは準備しなければならない。

実世界のタスクは複雑でありそれ自体は世界の現実でもある。であるからしてデザイナーもユーザー側も実世界とそれに見合った「テクノロジー」についてはパートナーとして共存しなくてはいけないというのがノーマンの主張である。これを『テスラーの複雑性保存の法則』という。

もちろん人の認知について混乱を起こさないというのはデザイナーの責任というのは従来の主張と変わらない。
 
二つ目の『アフォーダンスからシグニファイア』とは・・

ノーマンは『誰のためのデザイン?』において、アフォーダンスの概念をはじめてデザインの世界に導入した。以来、デザイン界に受け入れられてきたが、アフォーダンス提唱者ギブソンの概念とは異なって受け入れられてきた。

本来アフォーダンスは生体とモノのとのあいだの関係性であって、その存在に気付くか気づかないかに関わらす環境に存在するものである。しかし、ノーマンは、それがユーザーに知覚されない限り存在しないと同然であると説明した。そこでユーザーがアフォーダンスを知覚できるように「製品にアフォーダンスをつける」などというようになってしまった。←このあたり個人的に違和感あったとこです。

ノーマンは近年、本来ギブソンの提唱したものとはかけ離れていることを認識し、これを『シグニファイア』として区別しることにした。僕自身、ギブソン流アフォーダンスはかなり学んだつもりなので、デザイン界初の「アフォーダンス」提唱者自らの「宗旨替え」には、そうだよなと思う反面、デザイン思考の大御所も認識転向するとの驚きと、益々の尊敬の念てなことで。

お・わ・り。
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by ogawakeiichi | 2014-07-28 05:24 | 情報とデザイン